第4話 親の覚悟と子の気持ち

第二次大戦末期、日本海側にある鬼門島周辺には戦争の被害は、あまり及んでいなかった。しかしフィリピン、硫黄島、沖縄本土と、次々と航空拠点がアメリカに奪われるようになると、日本海側の都市部も空襲に晒されるようになった。血契三家が暮らす伊根の浜から鬼門島を挟んだ対岸の敦賀にも大規模な空襲があった。鬼門島の頂に立ち、燃えさかる街を唇を噛みしめながら眺める少女が居た。



「うみがみさまぁ!海神様ぁ!」


息せき切った男の叫び声を聞き、島の頂で寝っ転がりのんびりと空を眺めていた少女は立ち上がると声の聞こえた方向へ歩き出した。岩の上にひれ伏す男と、毛布にくるまれた男児が見える。男児は先週、大木から飛び降り脚を骨折した事で少女に血を吸われた健太だった。健太を包んだ毛布は黒く濡れている。それが出血によるものなら、相当酷い怪我だろう。少女は困ったことになったな。と内心思いながら、宙を舞い男の元に降り立った。ひれ伏す男は健太の父だった。父は伏したまま少女に訴えた。


「う、うみがみさま、どうか、どうか!健太をお救い下せぇ!今朝健太はわしが獲ってきた魚を荷車に乗せ、一人で街まで行商にでたんだす。ほんで、偵察帰りのアメ公の戦闘機から機銃攻撃を受けたそうで!本来は、海神参り以外で海神様のお情けを頂くのは、重大な掟破りや。多分わしらの家は三家から外されまさぁ。そやけども、わしは健太を救いたいんだわ!今日、こいつが小さい身体で役に立とうとフラフラと荷車を引きもって、振り返ってにっかり笑った顔が忘れられんです。なんとか助けてやりてぇ!」


深く伏す健太の父を嘆息混じりに見下ろしながら少女は毛布をはぐった。小さい健太の脇腹には、大振りのかぼちゃがすっぽり収まるほど抉れており、生々しい臓器が蠢くのが見て取れた。機銃弾に持って行かれたのだ。太い血管は急速に回復が起き閉じたのだろう。大きな出血は収まっているようだ。だがそれでもこれだけ深い傷だ。相当の血を失っているようで健太は紙のような白い顔をしている。意識はない。かろうじて呼吸を続けていられるのは奇跡と言えよう。骨折をして海神参りを数日前に受けたことで回復力が増している時だったから、今までもったのだろう。少女は苦々しい表情を浮かべると吐き捨てるように話し出した。


「ぬしらはなぜ、たかだか数十年しか生きられぬ短い命を粗末にするのだ。なぜ生きて足る以上の金や土地、権利を望む。そしてなぜそのために殺し合うのだ?わしには全く理解出来ん。鯨ほどもある巨体で鳥も飛べぬほどの高みを飛び、全てを焼き払う薬玉を落とす道具。あれは人を殺すためだけに作られたのだろう?なぜそれほどの知恵があるなら、奪い合うより仲良う生きるよう出来る工夫に知恵を使わん?なぜ、なぜおまえらは・・・・・・・」


健太の父が子供の頃怪我をしてしまい、海神参りで初めて少女に出会ってから数十年が経つ。父は少女が感情を表すのを初めて見た。少女の瞳は真っ赤に光り、ギリギリと怒りにまかせて歯ぎしりの音を立て小刻みに震えていた。父親は畏れをなし、一層深く伏した。父親の頭に向かって少女は冷たく続けた。


「健太の傷は深い。わしが血を吸うたぐらいじゃ助からんよ」


少女の言葉に父親は顔を上げた。健太が死ぬ。その事に驚愕し、これ以上ないほどに目は大きく見開かれていた。


「そ、そないな。け、健太は、健太はわしの大事な息子なんだす。何とかなってませんか?お願いします。なんとか海神様の奇跡で助けてやって下せえ!」

「わしだっての・・・・・・わしだって助けてやりたいわ!健太は腕白で小さい頃から大きな怪我をしょっちゅうしてな。年に一度は儂の所へ参っておった。海神様、ごめんや。また怪我しちゃったで。とばつの悪い笑顔が可愛い坊主だった。わしも健太に会うのを楽しみにしてる位だったのだ!だがの。この深い傷を治すには、健太の血に儂の血を混ぜねば助からん。しかし、それをやれば、健太は人間では無くなるぞ。永劫退屈と孤独に身を焼かれながら生きていくのだぞ。そんな事になっても、健太は幸せだとは思わんぞ。なぜあそこで見送ってくれなんだと思うのは間違いない。わしのようになっても、一つも幸せな事はないぞ」

「え?今なんて?海神様!もし健太が生きもってえるのなら、わしぁどうなってもかまおりません!どうか!どうかお願いします!健太を健太をぉ!」

「だから、何度も言う通り、助けようとしたら健太は人間ではおられんようになるぞ。ひょっとすると、健太は先々ぬしのことを怨み暮らすようになるかもしれん。わしは平氏が京を治めている頃から生きておる。日々の倦みが、孤独が、ぬしには判るまい。わしも健太が可愛い。出来る事なら助けてやりたいわ。しかし、健太は必ず不幸になるぞ。ぬしを恨むぞ。それでも助けろというのかっ!?」


激して問いかける少女に、父親は我を取り戻したのか、少女を見上げたその表情からはスッと感情が消えた。


「当たり前だっしゃろ。我が子が不幸になるかどうかで我が子の死を望む親はおりまへん。子に何が起こっても生きとって欲しい。それが人だけに非ず、全ての生き物の親が思う気持ちでしょう?」


少女はため息を一つつくと、小さな身体で苦もなく健太を抱き上げると脇腹に口を寄せた。小さな唇が開き毒々しいほどの紅い舌がチロチロと覗かせた。ぬめぬめと唾液で光る舌が蠢き、健太の抉れた脇腹を這う。生気を失い紙のように白かった健太の表情に幾分赤みが差した途端、失っていた意識を取り戻し「ひゃー」と叫び声を上げた。痛みからではない、喜びの声色だ。健太は周りに視線を巡らせたあと少女に気づくと、


「あぁ。海神様。また怪我しちまったよ」


弱々しい声を上げ、微かに微笑んだ。少女はつられて健太に微笑みかけると優しく話しかけた。


「のう、健太。ぬしの傷はとても深い。このままじゃ助からんのだ。ぬしの父はの、それでもぬしに生きながらえて欲しいと願うておる。ただの、ぬしを助けるためには、ぬしは人間でいられなくなるのだ。わしと同じ、死ぬ事も出来ぬようになる。ぬしは幼いから判らんかもしれんがの、死なずに永劫暮らすという生活はとても辛いものなのじゃ。今居るぬしの知り合いは全て死んでしまってもぬしだけは生き続けねばならぬ。ぬしが情を持った者は全て死んでいく。ぬしだけがずっと一人で取り残されるのだ。とても辛い未来しかないぞ?健太はどうしたいかの?」


そう問いかける少女を押しのけるように父親が健太に呼びかける。


「おぉ!健太!どうや。痛いのか?辛いのか?大丈夫か?父ちゃんも母ちゃんもお前に戻ってきて欲しいのや。健太には辛い人生になるかも知らぬが、父ちゃんは生きて居って欲しいのじゃ」


脂汗を浮かべながら必死の形相で健太に訴えかける父親。健太は弱々しく父親に微笑み返すと、少女に視線を移しつぶやいた。


「海神様。おれも、まだ父ちゃんや母ちゃんと離れたくない。どうなってもええで、わしを助けて欲しい」


少女は暗い表情でため息交じりにうなずいた。

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