第3話 血契三家

大量の出血により意識も朦朧として会話もままならなかった五助。少女が血を啜ることで傷口がみるみる塞がると、意識も戻ってきて数分で会話も出来るようにまでなった。地べたに横たわった自分を、全裸の少女が見下ろしているのに気づき五助は話しかけた。


「あぁ、海神様。やはり儂の見間違いでは無かった。どうぞ、こらあんたが寒いやろうと思って持ってきたべべこです。着て下さい」

「五助、ぬしゃ傷口が深くて死ぬ間際やったんだで。海神様が傷を塞いで下さった。海神様にぬしゃ命を救われたのじゃ」


吉次に言われて、自分の具合を改めて点検した五助が驚いてつぶやく。


「おぉ、そう言われてみると挫いとった足首の痛みも消えてるわ。海神様が奇跡を起こして下さった!」


五助から受け取った小袖を身に纏い、月光の下で無邪気にくるくると回っていた少女。三人の目には羽衣を纏った天女のように映った。


「わしも腹が減っていたのでな。いや、助かった。わしの唾液は人の傷んだ場所を回復させる力があるでな。ぬしは五助というのか、お前は今身体のあちこちから生気を一気に借金をして怪我を治したのじゃ。そのツケが後から響くのでな。しばらくは栄養のあるものをたんと食べるが良いぞ」


と、五助に言った。要領を得ない五助の両隣に、佐兵衛と吉次がひれ伏した。


「海神様!この三人で相談して決めました。毎月満月の晩にここにお供えをしに参ろうと思っております。どのような品をお供えすればよいでか?」


少女はしばらく思案した後、にやりと笑いながらこう答えた。


「そうか。わしもここにずっと逗まっておるのは退屈する故な。留守にすることもあろうが、満月が近くなったらここに戻っておってやろう。先ほどぬしらにも見せた通り、わしにとって生血は命の源なのじゃ。毎月一人ずつ我に血を呑ませてくれ。ぬしたちの病んだ場所も治るでの。良いこと尽くめじゃ。ただし、他言は無用じゃ。面倒は嫌いだからの。ぬしたちの親族に病んだものが居たら連れてきても良いぞ」


常識と超常的な事象の境が曖昧だった時代である。少女の言葉を神のお告げとして素直に聞きながら、三人は頭を岩にすりつけるように、更に深く伏した。ではの。と素っ気なく言った少女は、地面を蹴る。バササと風にはためく音が小袖から発する。あちらの島の岸壁の中程に一蹴りで、少女はたどり着いた。そしてまたその岸壁を蹴り、こちらの島の岸壁の更に高いところに着くともう一度岸壁を蹴る。そうして向こうの島の頂上に降り立つとこちらを振り向き笑みを残して消えていった。行きは五助が漕いだ佐兵衛の船を、五助の身体を気遣い吉次が漕いだ。キラキラと月光を返す水面を眺めながら、誰もが放心して口を開かない。しばらくして、五助が独り言をつぶやく。


「おれぁ、海神様に血を吸われた時、気をやってしもたよ。しかし、不思議なこともあるもんじゃのぉ。挫いた足首も、しこたま打った肩も全く痛くねえ。ただ無性にひもじうてひもじうてなぁ」


それ以来三百年以上もの間、五助、吉次、佐兵衛の一族は事故で死ぬ者を除いて短命なものは、ただの1人も出なかった。それは三人の子孫が誰一人として、海神参りの存在を口外することなく固く秘密を守ってきたことを示していた。一族はその約束を血契[ちぎり]と呼び強い結束の元、一族にのみ語り継がれた。少女に血を吸われると、激しい快感とともに男は射精を、女は潮を噴き気をやってしまう。その失神を伴う強烈な快感を求めて、病気や怪我を待ち望む者まであらわれる始末だった。佐兵衛、吉次、五助の三人は海神参りに関した掟を厳しく定めた。海神参りに参加出来るのは三つの家の直系の人間のみとすること。家族といえども、養子や妻として迎え入れた血統を継がない人間に海神参りのことは口外しないこと。海神参りの際、三家の家長が立ち会いの下、急を要する病人、怪我人を一人海神様に引き合わせること。海神参りを行い回復した怪我人や病人は、しばらくの間、家に閉じこもり他人と会うことなく過ごすこと。この四つの掟を破った者は、当事者とその家族の海神参りへの参加を禁じることとした。原則として二十歳の年を迎えた人間に海神参りのことは伝えられた。急病に陥った子供が出た場合、子供が寝てしまってから布団にくるみ鬼門島に連れて行き儀式を行った。子供が翌日そのことを覚えていて話したりした場合、大人達は厳しく叱り、夢を見たのだとごまかし、二十歳までは誰にも話すな。と言った。二十歳までと期限が設けられたからか、不思議と子供達はその約束を守った。十代の子供達の急病人や怪我人が出た場合はやむを得ず、海神参りの掟を伝えた。その際、海神参りの掟を破ったら、自分の兄弟や自分の子供達、孫達が、不意の病や怪我に苦しむ様な事になると言った。お前が掟を破ると家族全員が怪我や病気を恐れるようになるのだ。と、大人達が真剣な表情で話すことで、子供たちの口から秘密が漏れることも一度も起きなかった。


少女が血を吸うことで、少女の唾液が体内に入る。すると、その人間の体内で急速な回復や、病変部位の劇的な修正が起こる。二日ほどその人間の地力は急速に奪われ多量の食事と水を欲しがるようになった。ただ、唾液の効果は数日で消えてしまうようで、海神参り直後の怪我などは見ているそばから綺麗に治るが、日にちが経つにつれ効果は薄れる。大体二週間ほどで元の体質に戻るようだ。立て続けに大きな怪我をした若い男が二月続けて参りをした際、二ヶ月目に空腹を訴えた時に、人の血が呑みたいと感じた。と言った。しかしそれも一時的なことで次の日にはそういう欲求は起こらなかったという。こうして、三家は[血契三家]と自分らを呼び、結束強く数百年病人や怪我人に悩むことなく安泰に暮らしてきた。海神参りが外部に漏れないようにするため、なるべく三家の中で婚姻を交わすようになった。そのせいもあり、血契三家の結束は一層強まった。海神参りが始まった戦国後期からの数百年、少女はその姿を微塵も変えること無く保ち続けていた。

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