第2話 海神様

戦国の混乱もようやく収まりつつあった時代。若狭湾の海岸で、集めた流木を燃やし暖を取る三人の男達がいた。沖合にある小さな島で小さい女子を見たという若い男の話をつまみに、一つの茶碗で酒を回し飲みをしていた。男達はこの湾内を漁場にする漁師達のようだ。年かさの男が言った。


「そやしそらお前ぇ。そら鬼っ子だろ?」

「いやいや、ちがう。あら鬼っ子なんかではおまへん。わしが船から沓島の方を見た時にな、崖の木に手を掛けてこっちをじっと見てらした。人とは思えへんほど肌がむちゃ白くて、美しい女子やった。あんな美しい生き物が鬼やら魔物やらなわけへん。わしは白鹿様の生まれ変わりじゃ無いかと思うとる」


一番若い漁師が口を尖らせて抗議をした。


「白鹿様やったら、神の使いではおまへんか。丁重に祀らなければなるまいなぁ」


別の男が言う。若い漁師はその女子を見てからずっと船が沈むほどの大漁続きだったのだ。男は続けた。


「五助が大漁続きなのが白鹿様の御利益やったとしたらや。白鹿様は海神様かもしれへん。おら達だけの秘密にした方がええやろう?御利益が薄まっちまうかもしれへん。今後あの島は鬼門島と呼ぶ事にしよう。そんで、祟りがあるから近づいたら危険だと噂を流そう。満月の晩にわしたちだけでお参りに行けばええだろ?」

「そうやな海神様かもしれへんな。それやったら、べべこが必要や。海神様は真っ裸やったからな」

「そら気の毒や。これから涼しくなる季節や。よしべべこは、儂が用意しよう。で、周りから見えづらい場所に簡単な祠をつくろう。今度の満月までに材料を用意せんとな」


男達は耳目を気にしたのか、身を乗り出し輪を縮めると、声をひそめて海神を祀る準備の相談を始めた。



密談から十日近く過ぎた満月の夜。 一番若い五助、年長の佐兵衛、この計画の発案者の吉次の三人は計画通り、暗い海に船を漕ぎだした。三人で金を出し合い、大工に小さい祠を作らせ、思いついた貢ぎ物などを一番大きな佐兵衛の船に少しずつ積み込んで準備をしたのだ。五助が海神様を見たという沓島は、三人の船を置く浜辺から六キロほど沖に出た所に浮かぶ全長百メートルほどの小さい島だ。二つの島からなり、上から見ると葉巻を三分の一ほどの所でぶつ切りにした様な形をしている。島の周りは切り立った崖である。殆ど草木も生えて居らず鳥と昆虫ぐらいしか生息していない不毛の島だ。だからこそ、その島に十にも満たない様な女子が居たと言う話を聞き、佐兵衛も吉次も人間では無いと思ったのは無理もないことだろう。二つの島の間は二十メートルほど離れている。その亀裂の所に祠を置いて祀ろうという計画だった。島に近づかないかぎり祠は人目につかない。三人の企みが他人に漏れる事はない。そう案をまとめたのは吉次である。ぬめるような黒い海面は、満月の光を反射してキラキラと輝いている。その幻想的な美しさと、これからその不可思議な少女に参ろうという、厳かなる気持ちが三人を自然と無口にさせる。程なくして船は目的地についた。五助が崖を登り良い塩梅の所に祠を設置して貢ぎ物を置いて帰ろう。という算段だ。月明かりを頼りに、身体に縄を巻いた五助が崖を登る。七メートルほど崖をよじ登り半畳ほどの平たいスペースにたどり着いた。五助は身体に巻いた縄を落として祠を引き上げた。引き上げた祠に大きな石を入れ重しにする。少しぐらいの強い風に晒されても、これなら動かないだろう。それからも何度か風呂敷包みを縄で引き上げ、御神酒や榊などを設置して体裁を整えた。五助は満足げに息を吐くと、崖を下り始める。ところが五助は足を踏み外してしまった。 殆ど絶壁と言って良いほどの急斜面を滑り落ちる五助。右足から着地し、横向きに倒れ肩から地面に激突した。慌てて駆け寄る佐兵衛と吉次。大丈夫か?の問いに足首をくじいたのか痛みを訴える五助。二人に手を貸され、五助は立ち上がったところで気づいた。右前腕にかなり深い傷ができている。崖肌で割いてしまったのだろう。断続的に血が吹き出ているので大きな血管を傷つけてしまったらしい。出血はかなりの勢いで五助の足元には既に血溜まりができている。これは助からないかもと、佐兵衛と吉次は顔を見合わせ、目で語り合った。と、ジャリという音が聞こえて、ボチャンと海面に何かが落ちた音がした。二人が見上げると、小さい島側に夜目にも白い少女の姿が見えた。小さな島側は切り立った崖になっていて、水面から十五メートルほどの高さに少女は立っていた。島と島の間は二十メートルはある。神との遭遇と、五助に降りかかったアクシデントで思考が働かない二人は、しばらく少女を見上げていた。すると、あろうことかヂャ!という音を立てて少女は飛び上がった。そのままなんと五助の足下にふわりと着地したのである。単純計算で二十五メートルの距離をひとっ飛びに着地したことになる。見た感じ十歳を少し超えたぐらいの真っ裸の少女だ。しかも裸足である。どうやって着地の衝撃を無いものとしたのか。月夜に輝く少女の裸身は、陶器のような滑らかさで月光を反射し輝いていた。信じられない光景を目の当たりにして、吉次が海神様とつぶやいた。その声を聞き、少女は笑って話し出した。


「なんじゃ。ぬしらはわしのことを神と呼んでくれるのか。面白いヤツらじゃのぉ」


絶対的優位に立った側だからこそ、出せる雰囲気なのか。少女は完全にリラックスした声色で続けた。


「血の香りがするから覗いて見たが、その若いのはそのままじゃすぐ死ぬぞ。丁度腹も減ってるでの。儂に傷を見せてみろ」


少女は言うと佐兵衛と吉次の間を無造作に跨ぎ、五助の襟首を掴むと枕でも持ち上げるかのような気安さで五助を持ち上げた。背丈があり八十キロはある五助を片手で持ち上げながら、もう片方の手で右手の袖をまくる。


「おぉおぉ。これは深い傷じゃ。丁度腹も減って居るでの。この男の命助けてやろうぞ」


少女は言うと真っ赤な唇に縁取られた小さな口を開く。ぬめりと光る真っ赤な舌が口から延びると五助の深い傷に沈んでいった。傷の始点からぞぶりぞぶりと音を立てながら、あふれる血を啜っていく少女。月光に照らされ真っ赤に光る少女の口の周りは、唇の色か五助の血の色だったのか。人間離れをした美しさの全裸の少女が生血を啜っていく。息を呑んで二人が五助の傷口を凝視していると、信じられない事が起きた。少女のぬめるような舌の動きに合わせて、五助の傷口が塞がっていくではないか。ずぞぞと音を立て名残惜しそうに、少女が口を離すと五助の傷はすっかり塞がっていた。別の生き物の様に動いた舌が、少女の唇についた生血をくるりと舐め取ると、佐兵衛と吉次に少女はニヤリと笑いかけた。

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