青
嫌な熱気で頭がくらくらしてきた。疲れからか足取りも重い。僕の目もうつろになりはじめた時に、今僕がいる校舎の反対側、裏門から駐輪場に来るまで覗いていた校舎の一階の教室に「図書館」のプレートがかかっているのがふと目に入る。入学直後の新入生を対象とした校舎案内で一度だけあの図書館には入ったことがある。たしかその時はまだ春先であるというのに弱い冷房が入っていたはずだ。あそこに行けばこの体にまとわりついて離れない熱気を取り除くことができる。僕はそう思いつくと図書館に冷房が付いていることに一縷の望みをかけ、ふらふらと足を踏み出した。
階段と中庭が対面しているところまでは何も考えずに歩いた。そして今僕がいる場所から反対側の校舎に行くにはすぐそばにある屋根のない吹き抜けになっている通路を通るか、階段で二階に上がり屋根のついた渡り廊下を通るかの二択である。当然近いのは自分のすぐそばにある吹き抜けの通路を通っていくことなのであるが、それではこの肌を突き刺すような直射日光を浴びることになってしまうだろう。今から涼む場所を探しに行こうというときにわざわざ暑い思いをしていくのも気が引ける。かといって、一度階段で二階に上がって向こう側の校舎に行き、もう一度今度は階段を下りて図書館へと向かうのも手間を考えると馬鹿々々しく感じてしまう。早く決めてしまえばいいものを、僕はそんなことで悩み立ち止まる。それに加えて暑さで思考が全くまとまらない。しまいには自分が何をこんなくだらない迷い事で立ち止まっているのか、それにすらいらいらが募り自分が元々何に対して考えを巡らしていたのかも見失いそうになる。なんとか自分が本来求めていたものを思い出しそのまま、ええいままよと中庭を縦断するコンクリートで舗装された通路に足を踏み出す。道半ばまではいまだ日光を凌げる影の中であった。しかし、校舎が作り出している影は短く二つの校舎の中ほどまでもない。その影の際までくると自然足が止まってしまった。頭だけをその陰から出すと白く光るコンクリートに黒い塊が出現する。すぐに僕の後頭部からちりちりと焼けるようなにおいがした。これではたまらないとすぐに黒い塊を消す。そして覚悟を決め何とか足に力を籠め白く輝く灼熱の道を駆け抜ける。
輝く道から校舎に駆け込んだ時目にしたのは絶望であった。図書館に明かりはついていたものの、その扉のすりガラスがはめ込んであるくぼみに器用に置かれたカードには整頓日と書かれていたのだった。
「…はぁ……」
僕はため息をつくことしかできなかった。僕の中の淡い期待さえも無常に打ち砕かれてしまった。直後に自分の奥底から湧いてくる沸々とした熱く毒々しい感情をどこへ向ければいいのかわからず、どうすることもできないまま何度も自分の体中をめぐる。そのたびにどんどんその感情が強く、濃くなっていく。その感情に身をゆだねるようにして僕は叫んでしまいたくなる。けれどもここは学校であると無理やりな理由づけをし、自分に言い聞かせなんとか自分の心にふたをする。そうでもしないと自分がどうなってしまうのかわからないような心持であった。
そうして何とか気をとりなおすと、僕はとりあえず上の階に上がることを思いついた。もしかすると高いところの方が涼しいのではないか、そんな安直な考えであった。風が通らず熱のたまり場になってしまったぼんやりと日差しが差しこむ踊り場を抜け二階に何とかたどり着くと、心なしか先ほどまでとは違うような感じがする。これはいいと振り返り、再び階段に足をかけ先ほどよりも早い調子で階段を上る。違いない、わずかな差であるが今の方が一階よりもましてや二階よりも涼しい。そう確信した僕はどこか空き教室でも見つけて窓を開けて涼んでいこうと決意する。先生などに見つかると面倒ではあるが、それはその時に考えればいいと適当に流す。その後一通り教室をみて回ったが、どうにも風が通る部屋がない。一つあるにはあったのだがそこは階段からみて右側の突き当りの教室で吹奏楽部が練習場所として使っているようで今はみんなで弁当を食べている様子であった。突然開けられた扉に中にいた女子の視線が注がれ、僕としては申し訳ないような気持と顔から火が出るような恥ずかしさから無言で扉を閉めることしかできなかったのだ。それからは扉を開ける前に聞き耳をたて、中の様子をしっかりと確かめるようにと深く自戒したことは言うまでもない。
そして先ほどとはまた逆側の突き当りの教室まで来てしまった。ここが最後の教室である。もしここがダメであれば、もうあきらめてあの忌々しい青空の下をまた汗だくになりながら帰るのだと半ばあきらめていた。その突き当りの扉の前でまずはよく聞き耳を立てるが、中からは物音など何も聞こえず人の気配はない。恐る恐る取手を掴み、音が出ないようにゆっくりと扉を押すと隙間から心地の良い涼風を感じることができた。ようやく楽園を見つけたと小躍りしそうになる。そして自分だけの楽園を誰にも盗られてなるものかとでも思ったのか、自分でもわからないがわずかに開けた隙間から体を滑らせるようにして入る。そこは独特の匂いが漂う昼間だというのにカーテンが閉まった暗い小さな部屋であった。予想通り部屋はちょうどいいぐあいにひんやりとし、やっと腰を落ち着けて休憩ができるような場所であった。しかし、風の流れはもっと奥から始まっているようであった。
こんな特殊な部屋があることは僕は知らなかった。好奇心をくすぐられるまま歩きだすと、なにかが自分の足に当たる。暗い足元に目を凝らすと、自分の足元にそれなりの大きさの塊がいくつか転がっている。しゃがんで手に取ってみると結構な重さである。おもむろに持ち上げ正体を確かめようとすると、それは人の首であった。
言葉にならない叫び声をあげ、手に持っていたものを放り出し僕はとにかくこの場にいたくない一心で部屋の奥に向けて走り出してしまった。そこにはまた扉があり何も考えられず勢いよくバン!とその扉をあけ放つ。目がくらむような光が僕を襲う。しかし目が慣れてくるとそこはカーテンが大きく波打つほどの心地よい涼風が入り、鼻孔をくすぐる絵具と、深緑の匂いがする木造の翳りのない小さな空間であった。またそこにはいくつものキャンバスが並び、お菓子のゴミが散乱している。四人掛けほどの大きさの白いソファまでもが設置されていた。本当にここは学校であるのかと疑いたくなってしまうような不可思議な雰囲気である。
いまだ高鳴る鼓動を鎮めていると、部屋の真ん中に置いてあるモノに目が釘付けになる。そこには、ただ一面が青いだけのキャンバスが置いてあった。
なんの変哲もない青。だれだってこんなものは描けるだろう。いや描くという言葉すら間違っている。こんなものは塗るだけだ。それが僕のこの木の板に対する感想のすべてであった。
「あれ?」
僕の後ろから少女の声が耳に届く。勢いよくあけたせいで開きっぱなしになっていた扉の前に、大きな荷物を抱えた制服の女性が立っていることに全く気が付かなかったのだ。彼女が僕に気づくと、柔らかくほほ笑みながら問いかける。
「君は迷子か物好きか、どっち?」
藍よりも青い蒼 ちょこさんど @tyolosando
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