第3話 エビス

ダイニングにのっそり入り、声をかける。

「スグル、おはよう」

言った途端にグリンと四っつの目玉がこちらを向いた。DQの動く石像バリの鋭い眼差しにアタシは少したじろいた。

「誰、この人?」

機嫌の悪い時、スグルの声は太くて低い。それでも、若干、女性らしい響きが備わっているのがオカマの特徴ね。

「うーん、昨夜ね。ちょっとね」

頭を掻くアタシは他に言葉が無い。この時男はスグルのピンク色のジャージを着ていた。チリチリの前髪を垂らし、ちょっと爆発系に決めたヘアスタイルの頭。前髪の隙間から見える額には、お釈迦様のような赤いぼっちがあった。「何だ?」とよく見たら、踵の痕だった。

「そう」

スグルは感情無く吐き捨て、続けた。

「男拾ってくるなんて、さすがね。稲中のジョーみたい」

オカマ言葉でスグルが言う。

「男なんて拾ってくるなよ、汚いだけじゃない。一円にもならないわ」

その通りだったと反省するアタシ。昨日はどうかしていた。一晩ぐっすり眠り、ぱっちりと覚めた頭で考えれば、異様な行動だったと思わずにはいられない。「魔がさした」こんな時に使うのだろう。

アタシは曇りが消えた目で男を見る。いかにも貧相な男で、拾う価値ゼロだ。気持ちが男に通じたらしく、みるみるとピンクジャージは萎んでいった。

「やむえずジャージ貸したけど、あれ廃棄処分よ」

スグルは思春期の少女のように拒否反応を継続させる。うだーうだーぼそぼそ、お経を唱えるつぶやきクンみたいな愚痴が一層、ピンクジャージを小さい物と変えた。アタシは一息ついて、男を見る。そして、スグルの愚痴が2、3順する頃を見計らい、簡単に昨夜の出会いを説明した。

「無視しておけばよかったのに」

アタシは素直にうなずく。

「王子様なんて宝くじの一等賞より少ないんだから」

アタシ達は男を見た。爆発頭とピンクジャージが妙に似合う。ジャージのサイズはぴったりの様だし本人もまんざらではなさそうに思える。

「どうも…」

視線に気が付き、男が声を出す。

「どうも、何?」

スグルの言葉が鋭く刺さる。再び高まる緊張感。アタシは決心した。この状況はアタシが変える!だって原因はアタシだもん。

「待って、スグル!」

アタシは二人の間に飛び込んだ。タイガーのフライングボディアタックのように空中を滑走するアタシをスグルが軽く受け止めてくれた。ありがとう相棒!丸太のような腕の中でアタシは叫ぶ。

「この勝負、預かった!ところでアンタ、誰?」

ずいぶんと時間がかかったが、やはり相手の名前は真っ先に確認すべきだ。それからコミュニケーションが始まる。

「あ、俺、BGといいます」

若い声、意外と男では無いかも知れない。

「はあ、BGさんですか」

アタシを抱えたスグルの腕から、筋肉の動きがぴくぴくと感じられた。

「それで、BGさん。何で倒れていたの?」

ここからが重要。アタシはまだ王子様、お金持ちを諦めていない。どちらの場合も、脳内シュミレーションは既に終了しているのだから。

「腹減って、倒れました。」

やはりシュミレーションは無駄だった。カロリーを返せ!都内で行き倒れる王子様は絶対にいない。「よっしゃ!」と江戸っ子気質のアタシは決着に入る。「私達、交際するの?しないの?」男女関係は、早めに白黒つけないと気持ち悪いでしょ?

「BG。あんたお金持ち?」

タメ口で聞く。

「いいや」

即答。打てば響くような絶妙の掛け合い。阿吽の呼吸は何かしら共通のものがある事を意味する。アタシ達の共通点、それは…。言葉にしたくない。

「最後に年齢を」

「3331歳です」

ぼそぼそ答えるBG。

「もう充分です」

アタシは沈黙した。

―コイツ蹴り殺すか…。

アタシを支える太い腕から激しいぴくぴくを感じた。スグルの顔を見る。徹夜明けの目は充血気味で少し赤い。それとも、違う理由のせいかナ。

「BEN。この男が金持ちに見えたの?よほど疲れていたのね。でも、思い出して。あたし達の野望を!誓いを!こんな所でギブアップはダメよ」

いつものようなかすれ声に戻ったスグルは優しい。アタシはそんなスグルの優しさに返す言葉も無い。迷惑をかけたアタシにこんなやさしいなんて。アンタは最高の相棒よ!アタシに出来る事はこの淀んでしまった二人の部屋をバラの花で埋めるだけ!背景さん。お願いね!

部屋中に広がったバラの香りに噎せたのか、空気を読んだのか、どっちだか分らないけどBGが立ち上がる。

「それでは、この辺で失礼します。和やかな御別れを…」

その動作がピタッと止まり、BGはすっと床に伏せた。

『コンコンコン』

突然、玄関がノックされた。同時に叫ぶBG。

「静かに!」

デカイ声だったので、外にも聞こえたはずだ。そうでなくとも窓は全開、壁は薄い。

「すみませーん。新聞屋でース」

まだ午前7時だ。配達には遅いし勧誘には早すぎる。アタシは声を出した。BGは首をブンブンしているが、居留守は無駄だ。お前のせいだ。

「なんですか?」

「ウソツキ新聞でース。勧誘に来ました」

迷惑過ぎる時間、嘘臭い新聞社名、怪しすぎる。

「結構でーす」

怪しかろうが、可笑しかろうが、どんな時も答えはいっしょ。新聞なんて読むはずが無い。

「そんなー、挨拶だけでもさせてくださいよー。洗剤あげるから」

しつこい勧誘だ。おまけにドアに手をかけ、ガチャガチャしている。すでに違法行為だぞ!

スグルもムッときたらしく、

「イラナイヨ!シツコイオトコネ!」

と、オカマの低音ボイスに戻ってしまった。BGは伏せたまま、「黙って、静かに」って呟いている。彼は現状が分かっていないのか?

その状況が数秒間続き、ガチャガチャされていたドアがバーンと開いてしまった。

「鍵をかけたはずなのに?」

低音のまま、スグルが驚く。アタシは侵入者に対し指さし確認をする。

「異常ー者」

最終防衛ラインを突破され、暴漢の侵入を許してしまった事は状況的には非常にヤバイ。でも、まだアタシ達は比較的落ち着いていた。どんなマジックを使う奴か知らんが、鍵をかけたドアぐらいスグルも開ける。酔っ払った状態で過去に3回開けたかな。その後、しばらくは様々な問題が発生したけどね。相棒のスタローンより太い腕には、見た目同様のパワーがあり、この暴漢は見た目、弱そうだ。

侵入してきた暴漢新聞屋は、細身のスーツを着たアニキだった。銀縁眼鏡の奥が怪しく光る。アニキは『どうだ!』のポーズで動きを止めた。

「見つけたぞ、このヤロー!」

ウソツキ新聞屋は態度も言葉遣いも変わった。しかし、異常だという事と、弱そうだという事は変わらない。

「おらおらおらおらおらおらおらーーー」

やたらに強かったお化けの叫びを真似して、アニキが襲いかかって来た。

『ドカッ』

突然、アタシは放りだされた。考えてみればダイビングの後、ずーっとスグルの腕に抱えられていたんだっけ。

「イッチバーン!」

スグルが素早く迎え撃つ。BGはまだ「静かに、黙って」状態だ。現実逃避だ。

スグルの迎撃はアニキの想定外だったようだ。流れるように肘から入るラリアットをまともに喰らい、病的な悲鳴をあげてアニキは吹っ飛んだ。

「ピー」

「今だ!」

現実逃避していたBGが跳ね上がる。

「今だ、今だ!今だ、今だ!」

と連呼して真っ先に逃避するBG。アタシ達もつられて部屋から飛び出した。得物を掴み、逃げ出すアタシにアニキの咆哮が届く。

「うーっつ、必ず見つけてやる!必ずだーっ!」

妹の仇を誓うお兄様の様にアニキは叫び続けた。

いくつかの角を曲がり、先頭を駆けていたBGが立ち止まる。

「追ってこないな…」

はあはあと息を吐くピンクジャージのBG。はあはあしている姿を見ながら、アタシとスグルは顔を見合わせた。眼でかわす二人だけの会話。「知ってる?」「知らん」あのアニキをアタシ達は知らない。そうなれば、コイツか?

「BG。あの人誰よ?」

「ああ、エビスだ」

「アンタの知人かい?」

「まあな…」

スグルの言葉に頷くBG。やはり原因はコイツだ。王子様でなし、金もなし、厄介あり。今度はアタシが聞いた。

「エビスとはどうゆう関係なの?」

「あいつは俺を追っている」

「それはすぐ分かったわよ」

あの状況で、気がつかない奴はいない。

「あの人、刑事なの?」

「いや、違う」

この言葉で少し安心した。刑事が追いかけるのは、犯罪者しかいない。

「じゃあ、何でアンタを追いかけているノ?」

スグルが聞いた。

「出世の為だ。奴は俺を捕まえてあんなことやこんなことをすると、出世できる」

「変なのー」

「要するに、鬼ごっこね。捕まえればエビスの勝ち、逃げればBGの勝ちって事か。平和な会社ね」

スグルは信じたようだ。鬼ごっこで出世を決める。アタシはそんなこと信じられない。

「そうでもない」

スグルの言葉をBGは否定する。

「俺の言ったあんなことやこんなことは、簡単にいえば虐待だ。パンチとキックの雨あられだ」

げげげ、まるで組に追われる渡世人か、抜け忍だ。“リアル暴力な鬼ごっこ”そういう話ならたまに聞く。

「ずいぶんヤバイ会社にいたのね」

「ああ、『エブリバディ・ハッピー・プレゼント・サービス』って会社だ」

―ウソツキ新聞の関連会社だな。

アタシは思った。とにかく、この男はヤバイ。先ほどのエビスも危ない。早く縁を切り安全だけは保障されている日常に戻ろう。

アタシはスグルを見た。危険な組織の人間に派手なラリアットかました事を後悔しているようだが、BGと縁を切ればエビスも追ってこないだろう。アタシ達は再び無言でうなずく。

「BG、ジャージあげるからここらで別れましょう。アンタ、迷惑だよ」

勝手に拾ってきたアタシが捨てるのだから、文句はないはずだ。

「ここで?」

「そう此処で、バイバイ」

アタシはBGに手を振る。BGはピンクのチューペットみたいに固まってしまった。しかし、季節は夏。すぐ解凍されると思う。その時、ツンツンとスグルがアタシをつっ突く。

「ちょっと、目立っているわよ」

―何の事だ?

周囲を見ると、じろじろと通り過ぎるたくさんの通行人がいた。眼が合うと、白々しく逸らす親父たち。時間はちょうど通勤時間と重なる。

今更ながら、アタシ達は駅の方へ逃げてきた事に気が付く。アタシはパジャマ。スグルはバイトの作業着、BGはピンクのジャージ姿。黒いスーツの群れの中では、赤いスイミーの様に目立つアタシ達三人組。誰よりもチャーミングなアタシと筋肉質なスグル、にょろにょろみたいに動き出したBGが、いっそう視線を集めた。

「スグル、どうしよう?」

「アパートに戻るしかないわよ」

「えっつ、だってエビスがいるかもよ」

「それでも、戻るの」

にょろにょろしているBGを見る。

「戻って、BGを渡すのよ」

そう言われて気がついた。これが一番簡単な解決方法だ。ロクデナシと言われようが、アタシ達にはこれからの人生がある。しかし、パンチとキックの雨あられが待っているBGがほんのちょっぴり不憫だ。

「BG?」

響く足音に気が付き、アタシはにゅろにょろを振り返る。

「ここで、失礼を…。お世話になりましたー」

ピンク色が声を残し、走り去る。アタシはとっさに手にした得物を投げつけた。

『ビシッ』

 炸裂音と共に崩れるBGの姿。

 「流石ね」

 スグルの言葉をアタシは目を伏せて聞いた。生きる為に犠牲は付き物だけれど、やはり少しは同情する。そして、つくづくと思った。

―不景気だからと言って、安易に職場を選んではならない。仕事選びって大切なんだな…。

スグルも感じたらしい。動かなくなったBGを担ぎあげ、ぼそりと呟く。

「変な会社を選んだBGが悪い。ブラックな会社だったわね」

BGは何も答えなかった。突き刺さる視線の中、BGを担ぎあげたアタシ達はアパートに向かって歩き出した。


もうすぐアパートという所まで来ると、エビスの叫び声が聞こえた。アタシ達が逃げ出した後も、エビスはずっと毒と呪いと誓いの言葉を叫び続けていたらしい。

「いるわよ」

スグルが振り返り、アタシに言う。肩の上のBGはピクリともしない。少しの沈黙がアタシ達を襲う。

 「どうしたの?」

スグルの視線がアタシを素通りし、ズーッと先を見つめている事に気がついた。その先をアタシも追う。スグルの視線の先には静かに進んでくるパトカーが一台あった。パトカーはアタシ達に気づかずに進み、アパートの前で止まった。ドアが開き、車から二人の警察官が現れた。二人はカンカンと音を鳴らし階段を昇って行く。何も知らないエビスはお構いなしに叫び続ける。二人の警察官が向かった先はアタシ達の部屋だった。二人が部屋の中に消えて、ちょっとの間だけ、毒と呪いと誓いの言葉は止んだ。数分後、エビスはパトカーの中にいた。

「俺様を誰だと心得る!」

有名なセリフを残し、エビスは運ばれた。ブロロロロと排気音を残し去っていくパトカーを見送るアタシ達。暴漢は去り、アパートに平和が戻った。物陰から見つめている目が一つ一つと消えていき、通学する子供たちや、本日のネタ満載のおばさんが一人、一人と現れた。

頃合いを見て、アタシ達はアパートに駆け出す。部屋の中は逃げた時とほとんど変わり無く、エビスが叫ぶことに専念してくれていたことが分かった。部屋に戻り、BGを床に転がす。自室に飛び込み、オカマのスグルはそれらしいカッコになり、アタシは普通の女の子になった。BGはピンクのジャージのまま固まって転がっている。

「で、どうする?」

アタシとスグルは見つめ合った。答えは出ているが。正直、こんな迷惑な男はいらない。アタシが求めていたのは王子様、もしくはお金持ち、さらにはズバリお金だ。

「エビスが捕まったようだな」

 パチンとBGが前触れもなく飛び上がる。やっぱりコイツは死んだふりが上手い。

「そして俺は出ていく」

そんなの当然だ。でなきゃあ、今夜はゴミ捨て場で寝る事になるだろう。

「それじゃあ、BGバイバイ」

 アタシは手を振る。今夜、捨てる手間が省けた事だけが嬉しい。

「ああ、ラーメン一杯、世話になったな」

「いいわよ。気にしないで」

しっつ、しっつと手を振る。別れは簡単だった。BGは音を立ててアパートを去った。

「それじゃあ、アタシは寝るわ」

何事も過去の事となり、スグルは徹夜明けを思い出したようだ。

「スグル、今夜もバイトなの?」

「今日はお休みね」

「アタシも」

「そう。それじゃあ、あとでね」

自室に入るスグルを見送り、アタシは部屋を見渡した。これで平和な日常がもどった。でも、不思議とさびしい気がする。

―掃除でもするかナ…

そうすれば気分も変わるだろう。アタシは部屋を見渡し、「ここぞは!」という所を数か所、見つけた。

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