猿投山の開戦
時は少し過ぎ、昼の一刻前。
自分の役目の部分を終えたあとに山車からこっそりと送り出された咲乃は、影で控えていた緋凪と桂木に拾われて城へと急行。ついさっきまで神秘的な舞いを踊っていた人と同一人物とは思えないような疲れ切った顔で、肩に担がれて帰ってきたところである。
城の中には難しい顔をした宗司とその付き人、そしてトクさんが待っていた。
「宗司さん、状況は!?」
「四半刻ほど前に鬼が猿投山から猛スピードで進行を開始したのを確認しました。源治率いる特殊部隊を千峰に戦闘が開始されたあたりでしょう」
想定よりかなり早い、というのが率直な感想だった。
儀式全体が終わるのがちょうど昼くらいだろう。それまで一刻という時間はあまりにも短すぎる。少なくとも、早く儀式が終わることによる先行逃げ切りという手段はほとんど消え去ったと言ってもいい。大決戦の結果次第で尾張の命運が決まるのだ。
そうとなればすぐに準備して出撃しなくてはならない。
「咲乃さんの道具や装備はすぐ隣の部屋にあります。君、案内を」
「はっ!」
即座に離れた付き人の先導に従って部屋に入り、そこに並べられていた咲乃の改造巫女装束を着て、蒼愛と迦錺を佩く。着慣れた衣装と腰の重みは、咲乃の心をじっくりと強靭な戦う人間のそれへと変えていく。
魔除けの鈴を持ち、懐に呪符と式符もありったけしまい込んで、有事の時専用の手甲と脛あてまで着用した。これで準備万端だ。
少しだけ悩んで、二刀を鞘から抜き放つ。
「……ここまで私と歩いて来てくれてありがとう。誰の霊か分からないけど、いつも私を助けてくれてありがとう。でも、もう少しだけでも私を助けてください」
ゆらり、と刀の波紋を通う霊気が揺れた。それがまるで返事をしたかのように見えて、とても嬉しい。
行っておいで、必ず守るから。
そんな声が聞こえた気さえした。
二刀を鞘に納刀して、部屋を出る。
部屋の外には同じように完全装備の緋凪たち三人と馬車、そして指示を出している宗司がいた。指示を出す頭の宗司がいるせいで漏れなく鉄火場になっているらしい。
もっとも、そんなことに頓着している暇はないので構わず宗司に話しかける。
「準備終わりました! いつでも行けます!」
「すぐに送り出します。馬車に乗り込んでください!」
部屋から出た勢いのままに乗り込めば、既に座っている三人の他にさっき部屋まで案内してくれた付き人がいる。鉄火場の中心の宗司は当然来れないから代わりに説明とかをしてくれるのだろう。
咲乃が乗り込んですぐに、扉を閉めるのとほぼ同時で動き出した馬車の中で付き人のひとが話を始める。
「宗司さんの付き人をしている鷹取です。この後の動きを説明するために派遣されました」
「御託はいいからさっさと話しを進めな。時間がねぇんだろ?」
「はい。まず、この馬車で戦闘区域を一気に飛び越えます」
いきなり驚くような内容だった。
戦闘区域に投下するのではなく、そこを飛び越えていきなり相手の本陣へと向かうと言い出したのだから当然だ。しかも、鬼たちが攻勢に出ているのならその本陣はもぬけの殻のはず。
同じことを考えたらしい桂木が簡潔に質問をする。
「うまみがねぇだろ。狙いは?」
「相手の狙いを崩すための奇襲です。この数日で分かったことがこの資料にまとめてありますので見てください」
事前に作られていたらしい資料に視線を落としながら会話は止めない。
「相手の言っていた通りの術がもし本当にあるとするなら、という前提で城や連絡のつくところの資料を相当昔の物まで遡って発見され、有力視されているのが書かれている術です」
「置換術式に反転術式、か。この術を例祭を乗っ取る規模で運営しようってのか? あまりにもばかげているだろ」
疑問を持ちつつ資料を読み進めると、そこには驚くべきことが書かれていた。
色々と書いてはあるが、纏めると──奴らは猿投山に¨城¨を作るとあるのだ。
術というものが何か簡単に言うと、何かを代償として現実の事象を歪めている技術の事になる。
式神を作るには霊気と形代がいるし、呪符や霊振器を動かすのにも霊気を動力として事象を歪めているのだ。そして、当然ながら大規模に現実を歪める術を使うにはそれだけの準備と代償物が必要になる。
たとえば例祭では沢山の幣帛……いわゆる神への供物と舞いを奉納し、周辺の寺社や神社の影響を挨拶回りで極限まで薄くしてもらい、山車に繊細な術の細工をしている。咲乃が知らないだけで裏では清めの儀式もしているだろうし、事前に直せる五気の歪みは正しているはずだ。
そうやって入念な準備をしてようやくこれほど大きな術を行える。戦闘用の術は使いやすさを重視されているため雑にやっても発動するが、こと儀式の絡む術式はそうはいかない。
いかに反転術式や置換術式という有用な介入術を使おうと容易に乱せないはずなのだ。
だが、いかなる手段を以てか城を築くというのなら話が変わってくる。
「この城とやらを作って祭壇に見立てるのか」
「そのようですね。例祭の基点になっているのは名護城です。作り上げた城を使って儀式をされたら、例祭に適用されている術の基点が置き換えられる可能性があるのです」
例祭の術を歪められるほどの反転術式を組み込まれた形代の城、そして貯めこまれているであろう攫われた巫女の霊気と神気を使えば乗っ取りは可能かもしれない。そして松葉に作らせた剣を使って儀式を敢行すれば、酒呑童子が復活してしまうのだろう。
つまり今行われている戦闘は完全に足止めと陽動ということになる。
「それが分かったのはいつだ? 源治さんたちは把握しているのか?」
「先ほど分かったばかりですが連絡は既に。ただ激戦の最中にしっかり届いているかと言えば怪しいでしょうし、何よりそれが分かったところで戦闘を止めることも戦力を分けることもできません」
「だから後から出す部隊だけで本拠地を叩く必要があるのか……クソ、嫌な情報しかねぇな」
桂木がガシガシと頭を掻きむしる。たった四人で鬼の本拠地に殴りこまなくてはいけない上に援軍の可能性はほとんど無しとなればそうも言いたくなるだろう。しかもそこにいるのが、制限があるとはいえある程度は自由に潤沢な霊気と神気を使えるだろう茨木童子だ。
嫌な情報、という表現だってかなりのオブラートに包まれている。
「良い情報と言えるかは分かりませんが、奴らの本拠地の猿投山には茨木童子しかいない可能性があります。もしくは、鬼はいても数名でしょう。少なくとも幹部級の強さの鬼はいないはず」
「それだけの数が戦場に出てきているんだな。んで、それを言うってことは……」
「はい。あなた方にお願いしたいのは茨木童子の撃破、及び儀式の破壊です」
自然と体が引き締まっていくのを感じる。戦う人間としての本能と意識が体を昂らせ、震わせていく。
「術式は結局のところ茨木童子を倒さなければ止まらんだろうな。……おい、お前がもってきた霊振器にそういうのを妨害できるやつはあるのか?」
「無いわけじゃないが、茨木童子が生きている間は無理矢理復活させられるだろうな。せいぜい奴自身か根幹部分に打ち込んで少しの間遅らせることしかできないだろう」
「なら、その武器は咲乃に持たせておけ」
桂木の言葉を聞いて、トクさんもそれが妥当だと思ったのだろう。懐から取り出した手のひらほどの大きさの短刀を渡してきた。柄糸すら巻かれていない剥き出しの木の持ち手の部分に字があるだけの、武骨な物だ。
だが、巫女の咲乃にはわかる。この中には、見ているだけで苦しくなるような……無数の怨霊がいた。
「トクさん、これ……」
「持っていけ。茨木童子と戦うことになるのはきっとお前だ」
……トクさんは、この任務に行くことが決まってからずっとおかしかった。
普段から喋る人ではないけど、鬼の襲撃があったり任務の事を話しているときは不安になるくらいに話さなくなる。いつも泰然としているのに、まるで奥歯を噛み締めて何かを耐えるような……そんな表情をよく見せるのだ。
本人は気が付いていないのだろう。心配した咲乃がそのことを指摘した時はいつも、なんでそんなことを聞いているんだ、という顔をしていたから。
誰が見てもわかるくらいには憔悴していて目の下の隈も隠せていない。余裕のある大人とはまるで遠いやつれた姿は、明確な異常を告げていた。
なんでそんなに気にしているの? 何か鬼の事とかで知っていて言い出せない事でもあるの? 作業の時にたまに握っている巾着袋には何が入っているの? そもそも、なんで桔梗様や宗司さんと面識があるような話し方だったの?
……どうして、そんなに辛そうなの?
聞きたいことは山積みだ。でもそれを声に出すのはなぜか憚られて。
トクさんが話したくないならその意思を尊重したい。だから今は何も聞かない。
でも、この一件が終わったら絶対に聞こう。
咲乃はそう決心して受け取った短刀を懐に丁寧にしまう。
心配そうな顔をしている緋凪に笑ってみせた。大丈夫だよ、と言う代わりだ。
それからも少しだけ情報のやり取りをし、数分後には猿投山がよく見える位置までたどり着いた。
資料にあった写真とは感じが違う。ある場所では既に冬が来たかのように禿げている樹も、夏のように青々としている樹もある時点でかなりこの場の気が乱れているのが見て取れるのだ。
間違いなく、有り得ないほどにため込まれた霊気や神気、そして行われようとしている術式による歪みだろう。
これ以上近づくことはできない、という所で馬車が降下していく。上空を通り過ぎた時でも感じた激戦の雰囲気はどこにもなく、むしろ静かな程だ。
「私は多少術ができる程度なので、皆様に付き添えるのはここまでです。無茶なことをお願いしているのは百も承知ですが、是非とも成し遂げてください」
そう言い残して去っていく姿を見送り、不自然な様相をしている猿投山を見やる。
「時間の余裕はない。出来れば罠とかを確認しながら行きたいが、そうも言ってられんだろう。走り抜けるぞ」
「はいっ!」
全身の霊気を巡らせて身体能力を強化する。
奇襲に対応できるように片手に呪符を何枚か、そして蒼愛の柄に手をかけた状態で残りの獣道を駆け抜けた。妖気や神気に引き寄せられて集まったらしい妖怪がちらほらといたが全て無視。どうしても絡んできそうな奴は桂木が威圧することで対処し、それ以外は特に何もないまま麓にたどり着いた。
幹部どころか、鬼以外の上位の妖怪さえいない。
「ここが猿投山の登山口か。……見たところ、何もないようだが」
登山入口を示す看板と、崩れかけの石柱のような物があるだけだ。鬼が入り込んでから整備する人がいなくなったせいか草は生え放題で、道路まで浸食してきている。
その何も無さそうな様子を見て突撃しようとした桂木を、咲乃が裾を引っ張って止めた。
「います」
「いるって何が……って、聞くまでもねぇか。隠形か?」
「はい。──破っ!」
気合一閃、呪符から放たれた炎の気弾は一直線に飛んでいき──そして、何もないところで弾かれる。
その様子を見た四人は即座に戦闘態勢に移った。
「……今度こそは見つからんと思ったのだがな」
ゆらり、と空間が水面のように波打つ。
現れたのは当然茨木童子。尾張で見た時のような花魁風の装いではなく、鬼なりの戦装束に身を包んで立っていた。武器こそ持っていないが、その姿だけでも彼女がどれほどの覚悟で目の前に立ちふさがっているのかがわかる。
茨木童子は鷹揚な動きで両手を広げ、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「ようこそ、我が支配する猿投山へ。過去の失敗を繰り返すつもりは無いが故に土産物は受け取れぬし酒宴も開けんが、おもてなしはしよう──」
何かをするつもりだ。
そう思った咲乃が呪符を複数枚放つが、既に遅い。
地面から、木々から、そして茨木童子の体全体から爆発的に妖気が吹き上がる。
「現れよ、我が城──大江天城」
地鳴りと共に、山そのものが歪んだ。
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