そこにはきっと神がいた



 舞いの稽古場は、それまで練習をしていた頃とは様子が一変していた。簡素な舞台だけだったはずの部屋のど真ん中には巨大な装飾された山車が控えていて、開城するときに見えるからか内装も物凄く豪華に仕上げられている。

 そして、最終チェックをしている人たちと山車に乗る人々が脇で動いているから凄く狭く感じた。


「……なんか、思っていたより三倍くらい豪華なんですけど」

「巫女と楽士を乗せたこの山車が街を一巡することで完成する術ですからね。目を惹くように、そして色々な術の組み合わせの事も相まってこんな感じになっているんですよ」


 提灯や像があちらこちらにあり、それでいて舞台を霞ませない程度にしてある。この辺りも着付けをしてくれた付き人のような人たちが頑張ってデザインしたのだろう。祭にふさわしく豪華に、それでいて儀式の祭具を務められるほどに淑やか。

 きっと、こうして表に見えない場所でも咲乃の知らないような努力の結晶があるのだろう。


「お久しぶりです、皆さん。体調その他、どうですか?」


 人波をかき分けて現れたのは、実に五日ぶりの宗司の姿だった。茨木童子との戦いで負った傷はほとんどが術によって治療され、ほとんどの物が跡すら残っていない。今も沢山の書類が挟まった画板を片手に、片手で指示を出しながら話すという離れ業をやってのけている。

 どうやら当然のように睡眠を犠牲にしながら働いていたようで、目の下には隠し切れない隈があった。

 当然そんなものがあれば巫女たちが見過ごすはずもなく。


「そう言っている自分の生活を見直したらどうかしら?」


 と、霞に手痛い一言を貰うことになるのである。

 何も言えなさそうな表情で黙り込む宗司への追撃の手が止まるわけもなく。


「それよりほら、何か言うことがあるんじゃないのかしら?」

「え、ちょっと紫さんっ」


 そう言って宗司の目の前に押し出されたのは叶だった。

 宗司はおかしなくらいに衣装の事を気にしなかったし、叶は叶で皆の背に隠れている。じれったいというには余りにも歩み寄ろうとしない二人には、流石に周りが焦れるというものである。

 仕事をしていた手は祭に抑えられていて、往生際わるく逃げようとする叶は耳元で紫が「おめかしが崩れるわよ?」と言うことで阻止。

 流石に逃げられないことを悟った宗司が、ようやく叶の姿をはっきりと見て。


「あ、あの、無理をしなくても──」

「綺麗ですね。とても似合っていますし……正直、遠目で見ても目を奪われました」

「っ!」


 思いがけない正直な言葉に叶が息を呑む。まさか本当に言ってくれるだなんて思ってもいなかったのだろう。どんな反応をしたらいいのか分からなくて左右に視線を彷徨わせる姿は珍しく歳なりな感じで、見ている巫女の全員で微笑ましく見守った。

 ずっと見ていたいような光景ではあるけど、悲しいことにそんな時間はない。どちらからともなく切り上げて、話を進める。


「皆さんには早速山車に乗ってもらい、定刻になり次第出発していただきます。少し進んでから楽士隊が演奏が始まりますので、その後は練習通りお願いしますね」

「はいっ!」


 全員で返事をして、次々に山車の入り口から乗り込んでいく。中には既に入っていた人たちが楽器の調律や点検に勤しんでいて雰囲気が張り詰めていた。その雰囲気を崩さないように気を付けて、二階の巫女用の待機部屋に入っていく。

 当然二階より上には咲乃たちしかいない。

 整然と並べられた小物を一つずつ手に取って見分し、それぞれの担当する物を持つ。


「はい、咲乃ちゃんの扇子よ。本番で落とさないように気を付けてね」


 咲乃自身でも見分して、問題ないことを確認した。

 しばらくお互いの着付けや小物の最終確認していると、ようやくすべての準備が整ったようだ。


 壁を一瞬霊気が走り抜け、宗司の声が響く。


『皆さん、ここまで準備、ありがとうございました。これより桔梗様による雨が上がり、例祭が始まります』


 その号令と共に、ギシ、と音を立てて山車が動き始めた。


「咲乃さん、山車の速度は基本的に変わりません。なので、舞いが始まるまでに慣れておいてください」



 その言葉を皮切りに、祭が始まる。



◇ ◇ ◇



「うわぁ、やっぱりすげぇ人だなぁ……」


 数日前の大惨事からは考えらんねぇや。お上さんたちってのはすげぇんだな。


 尾張の国で咲乃たちに助けられた飴屋……の、隣のその隣の家。尾張で商店をしている一家の次男が派手に飾り付けられた通りを見上げて、心の中でそう呟いた。

 普段は親父に「休日こそ働かんかい!」と言われながら働いている彼も今日はお休み。親が率先的に店を運営して子供に街を歩かせる珍しい日である。


「おや! 大作の所の! 元気かい!」

「元気だよ。人数がすごすぎてこの季節なのに暑いのと湿気が難点だけど」

「まあ、雨を降らせているのは桔梗様だから湿気の事はなんとも言えないけどね」


 街の様子はこれまでの例祭と比べてほとんど遜色ないと言えるくらいに綺麗になっている。あの未曽有の襲撃からわずか一週間程度でここまで持ち直すのは当然生半可ではないはずで、その裏で日夜問わず働いたらしい高官の噂で巷は溢れていた。

 もっとも、自分もその噂を多少は信じている口である。大工の友人がいる身としては数日で外側だけでも修繕できるはずがないと知っているからだ。


 開催時間は変更され、鬼の襲撃の本番が予想され、街中では屈強な男たちが幾人も歩いているという異常事態ではある。だけど、桔梗様の雨は止まっているし、例祭自体は開催されているから大丈夫ではあるのだろう。

 お上の事情なんて知らないから何となくそう思っただけだけど。


「まあいいや。おばちゃん、それ一つください」

「はいよぉ!」


 大きな腸詰めフランクフルトに豪快にケチャップをかけたものを貰って代金を手渡す。屋台を冷かしながら歩くための口の寂しさを紛らわせるための、そして手遊びの相手が欲しかったのだ。例祭のメインの儀式が午前中だけになったとはいえ、祭は一日中続くのだ。軽く何か腹に入れておくに越したことはないだろう。


 一緒に回る予定のやつらはまだ後で集合だし、野郎ばっかだしなぁ。巫女様たちほどとはいかなくても可愛い女の子たちと一緒に回りたいよ。


 そんな呟きは心の中にしまって、ぶらぶらと街を歩く。人並みにだけ逆らわなければある程度楽に動けるのは経験で知っているのだ。

 可愛い女の子と言えば巫女様。それも経験で知ってる。何度か山車の上で舞っていたり街の中を歩いているのを見かけた程度だけど、全員可愛かったのをよく覚えているのだ。

 そんな彼女たちが普段よりも綺麗におめかしをして舞うのである。単純に例祭の儀式の花形というのはあるけど、庶民にはそういうのは関係ない。

 実際俺自身も儀式の事はよく知らないし、山車で何をしているのかも分からない。となると楽しめるのは、いわゆる祭の事を除けば綺麗に着飾った巫女様たちくらいなのである。


 この道を山車が通るのはいつだったかな。山車を囲む子供や男衆の声、そして何より楽士たちの奏でる演奏が聞こえてくるから実際に回ってきたらすぐにわかるんだけど。


「あれ、演奏とか舞いだけで全部見てみたいな。山車だと通るの邪魔しちゃいけないし、かといって邪魔にならないように追いかけるには距離がなぁ」


 尾張の街中をぐるりと一周する山車を追いかけるのは流石に体力が足りない。別にそこまで速いわけじゃないけど、にしても流石に無理だ。カメラで撮るのはなんか不敬な感じがするからしたくないし。

 ……やっぱり腸詰め買っておいて正解だったな。一人だと流石に手持無沙汰が過ぎる。


 少し高い所にでも行って、無難に巫女様たちを待とう。

 場所を変えて、小高くて道も見やすい所に座り込む。巫女様を見たら、待ち合わせの時間までそこらで女の子に声でもかけようか……無理だな。成功した試しがなかった。

 そのままぼけーっと時間が過ぎていき。


 気が付けば、山車が近づいてきたとき特有の大きな音が聞こえてくる。

 降ろしていた腰を上げながら山車の三階……巫女たちが舞う所に視線を向けて。


 立ち上がる途中の変な姿勢で固まった。


「なん、だあれ」


 そんな感想しか出てこないくらいにな光景が目の前にある。


 何と言えばいいのだろう。目の前に¨秋¨がある、といえばいいのだろうか。

 音と飾り、そして例祭用の巫女服に飾られ舞う少女はまさしく神の使いというにふさわしい。扇子が空中を躍るたびに霊気が漂い、弾けたかと思えば木漏れ日のような温かさで包まれる。涼しさと陽気を一身で体現する姿は、今まで見てきたどの例祭よりも美しく見えた。


 太鼓が空気を揺らし、龍笛が流れを作る。筝と三味線が物語のような音を奏でれば、その風をさらに押すように舞いが加速する。

 近くで見ているわけでもないのにそこだけ空気が違うのが分かるのだ。


「凄い……」


 拍子と太鼓、男衆の掛け声が合図となって舞いの性質が変わる。力強く、そしてこれから来るであろう冬に備えるような根の強さを感じる。袖の鈴が音高く響き、鳴子が躍動感を強める。

 まるでタップダンスのような動きをしているのに流麗さが失われないことがあるなんて思わなかった。心が沸き立つ感覚が身も温めて、思わず同じリズムを刻みそうになっている。

 というか、山車の近くでは手拍子をしている人がたくさんいた。


「行こう」


 そう呟いて、気が付けば歩きだしていた。その速さは段々速くなっていき、気が付けば走っている。

 さっきまで食べていた肉詰めや待ち合わせの事はとっくに頭の中にはない。ただただ、今はその舞いを見ていたいという気持ちしか残っていはいなかった。それほどまでに、圧倒的だった。


 商人たちが客引きをやめてまで見上げ、ある人は呆けながら見上げるその舞台を同じように見上げている。


 流れてくる音に合わせて、自然と体が追うのをやめるまで──飽きることもなく。



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