それはまるで天女のような、女神のような



 例祭当日の朝は驚くほどに清々しかった。


 秋らしい身のしまる空気と透明感が身を包むのを感じる。水道から出た水はとても冷たくて、乾かすときの火産霊のお札がとてもありがたく感じた。

 昨日までと同じように緋凪を揺すり起こして、今日の例祭のための準備をしてもらう。

 咲乃自身も、居間で蒼愛と迦錺を鞘から抜いて見分を始めた。


「んー……機嫌はよさそう。良かった良かった~」

「……たまに寝言でも言ってるけど、それなんなんだよ。刀に機嫌なんてあるのか?」

「普通はないと思うよ。でも、何となく蒼愛と迦錺にはあると思う……っていうか、感じる?」

「なんだそれ」


 霊気の巡りというか、語りかけてくる感じというか。咲乃にしか分からない感覚だが、この二刀の機嫌や調子が分かる時があるのだ。そういう日は何だかつられて自分も動きが良くなる気がするのである。

 二刀の見分をするのは、単に刀の状態を見ているだけじゃなくて自分の調子も確認しているのだ。


 その様子を尻目に、自分も準備をしながら緋凪が話を繋ぐ。


「どうせ、今日は調子が良くなかろうと頑張るんだろ」

「うん。久しぶりにトクさんと一緒に動けるから、病気でもない限り頑張る」


 あの襲撃のあと、無事だとは知っていても咲乃は暇を見つけては何度か鍛冶屋に足を運んでいた。トクさんは二コリともしなかったけど、作業をしている姿を見ているだけでも咲乃は満足なので問題なし。気が済むまで見つめては少し話して、ということをしていたのである。


 そして、その鍛冶屋通いを知っていたらしい宗司が提案してきたのだ。

 奇襲作戦にトクさんも連れてきてはどうか、と。


「めっちゃゴネてたけどな。嫌そうな顔隠さなすぎだろあれ」

「ま、まあそれがトクさんらしいところだから……それに来てくれるからいいよ。ちゃんとチーム組めたしね!」


 尾張の国で採用されているのは、四人で一チームの制度である。咲乃、緋凪、桂木の三人では一人足りない。元々源治が咲乃のチームには入れないのが分かっていたから、そういう点も含めてちょうど良かったのである。


 今日の予定は事前に決まっていた通り、かなり過密だ。朝焼けが出てくる前に起きた咲乃たちは、巫女の部屋でおめかしをしてからあの山車の模型があった部屋に行かなければならない。


 鬼たちは昼から夕暮れにかけての祭りを想定しているだろう。これまでの例祭は全てそのように開催されてきたし、時間的なことを考えてもその方が祭りの運営がしやすいのは事実である。

 そこで裏をかいて、儀式の部分だけは午前中で終わるように仕向けたのだ。可能な限り隠蔽を施し、山車や舞いを超速で行うことで無理矢理午前中に終わらせる。何なら咲乃が参加する舞いの部分だけは繰り上げて行われることが決まっているのだ。

 三百年続いてきた伝統が多少崩れはするが仕方がない。失敗するよりは何倍もいい。


 鬼たちは儀式の開始に敏感に気が付くだろう。だが、弓矢では一瞬の距離も実際に移動するとなると純然たる壁として立ちはだかることになる。たどり着いてすぐの速攻をしようがその時には儀式は終盤になっているに違いない。

 そして、当然猿投山から城下街までの間には火ノ国全国から集められるだけ集められた腕利きたちで構成された戦闘員が待ち構えているのである。


「よし、呪符も護符も式符も準備オーケー! いっくよー!」

「はいよ」


 緋凪と並んで部屋を出る。


 この部屋に戻る時には全てが上手くいった後でありますように、と願いながら。



◇ ◇ ◇



 部屋には既におめかしを始めている巫女たちがいた。

 この日のために運び込まれた鏡台の前で、それぞれ三人ずつの付き人に手伝われながら化粧をしたり髪を整えたりしていた。普段はまず第一に他の人を気遣う紫も今日はそんな余裕がないらしく、一心不乱に白粉をはたいては鏡を覗き込んでいる。

 咲乃も待っていた付き人に手を引っ張られて鏡台の前に座らされ、その瞬間からおめかしが始められた。


「笹暮様、化粧の腕は……」

「さっぱりなのでお任せします!」

「分かりました。……素材がよろしいので、薄くで良さそうですね。じっとしていてくださいませ」


 濡れ手拭いで顔全体を拭われて、同時に仮で結んでいた髪紐が解かれる。髪形や化粧は全て最初の最初からしてくれるらしい。

 もちろん生まれてこの方お洒落は最低限しかしてこなかった咲乃に化粧どころか唇に紅を塗ることすらできるはずがない。目を閉じてされるがままに体を任せる。幸いなことに薄化粧で大丈夫らしいので、多少紫たちよりは遅れて始まっていても間に合うだろう。

 メークアップのベースが決まれば本職の手が止まる事はない。


「髪形はどうされます?」

「決まりがあるならその通りでお願いします! なければ儀式の装束に似合うやつか、いつも通りの横結びで!」

「分かりました。装束に似合う結びでさせていただきますね」


 丹念に梳かれていた髪が纏められていくのが分かる。大部分は総髪ポニテの形で結い上げられて、残りは片方を編み込みに、そしてもう片方を短い簪で形を作るようだ。これなら舞いで目を惹く程度には揺れるし、かといってなかなか崩れる事はないだろう。

 ちなみに咲乃は編み込みができないから、もしかして後ろで髪を整えてくれている人は腕が何本もあったりするんじゃないかとさえ考えていた。


「笹暮さん、今から眉と睫毛を仕上げるのでできるだけ瞼を動かさないでください」

「紅もさしますので、極力唇も動かさないようにお願いします」

「はいっ」

「……動かさないように、お願いします」

「ふみゅう……」


 目のあたりを筆が通るせいでとてもくすぐったい。なんとか堪えつつじっとしていると、わずかに触れる程度の手つきで唇を指が撫でるのを感じた。今の一瞬で紅をさしたのだろう。


「口を少しだけ開けてください」


 わずかに開けたすき間におさえ紙が差し込まれたら、軽く唇で食むようにして挟む。またそっと口を開いて、おさえ紙が抜かれたのを確認してから閉じた。

 紅をさしたということはもう化粧は終盤。程なくして仕上げも終わり、化粧箱の中に道具がしまわれていく音が聞こえる。


「もう目を開けていいですよ」

「……うわぁ……!」

「……どこか気になるところとかありますか?」

「ないです! というか自分の顔じゃないみたいで、変な感じです!」


 鏡に映る自分の顔は、自分が動かした通りに動いているのに自分の顔な感じがあまりしなかった。もちろん白粉や紅の違和感があるから化粧をされているのは分かっているし、驚いた姿は間違いなく自分の者だったのだが。

 お礼を言って辺りを見ると、同じように立ち上がっている巫女の四人と部屋を退出していく付き人がいた。

 もちろん、咲乃と同じように化粧をされて変化した四人の顔はとても綺麗で。


「わぁ、叶ちゃん可愛い……! 紫さんと霞さんはすごく美しい! 祭はなんかお嬢様みたいで変な感じ!」

「……ありがとうございます」

「あらあら、咲乃ちゃんもすごい綺麗よ?」

「ちょっとー? 私だけなんかおかしくなーい?」


 叶は髪を簪で綺麗に纏めていた。主張しすぎず、でも他の巫女たちにけっして見劣りしない絶妙なバランスのチョイスは素晴らしいと言うしかない。紫と霞は年齢以上の落ち着きと麗しさを引きたてられていたし、祭は黙っていれば誰よりもお淑やかに見えた。表情と言動で崩れているけど。

 そうやってお互いの化粧の感想を言い合っていると、出ていった付き人と入れ替わるようにして巫女装束を持った他の付き人たちが入ってくる。

 どうやら次は着替えらしい。


「今の御召し物は舞いの後までお預かりしますね。笹暮様の刀もいったんこちらで保管します」


 瞬く間に今着ている改造巫女装束が脱がされて下着姿になった。そして、手早く渡された腰巻と肌襦袢を身に着けていく。さすがに着付けに慣れているようで、手を出すまでもないくらいに手際がいい。順番に足を上げたり腕を通せば完了するだろう。

 帯を巻かれ、流れるように足元に緋袴がセットされる。


「だいぶ薄いんですね」

「そうでないと動けなくなりますので。専用の布地と製法で作られた襦袢などを使っております」


 そう、これが尾張の例祭で着る巫女装束の珍しいところ。古来より続いてきたものからは何回も変遷を繰り返したせいで形態が変わっている例祭だが、その変化の中でも巫女装束の変化は著しい。


 単なる巫女装束とは違って、舞いをしても美しく見えるような装飾があしらわれた着物状の白衣びゃくえと千早を何重かに分けて着るのだ。今の襦袢を着るところまでは普通と同じだが、この後の白衣からは普通と様相が変わる。

 本当に薄く橙の色が付いた白衣はとても優しい雰囲気を醸し出していて。


「締めますね。息を吸ってください」


 白衣の上からまたさらに帯を巻かれ、前で蝶々結び。いやらしくない程度に中の半襦袢が見えるのがとてもいい。帯も苦しくなく緩みそうでもなくといった絶妙な塩梅だ。

 そして、優しい色の白衣とは打って変わって目を惹きつける鮮やかな緋袴を穿いていく。


 緋袴はいわゆる剣道とかの袴と違って胸のすぐ下で結ぶから難しい。一番目を惹く部分だけに帯や結び目の乱れは許されないが、そこも完璧に仕上げてくれた。流石。

 視線を下げればすぐそこにある結び目は、本職の咲乃からしてもとても美しく見える。

 普通の巫女服ならこれで終わりだが、ここからが特徴。着物と千早を融合させたような特製の千早が準備された。


「腕を広げてくださいませ」

「はいっ」


 薄い橙の白衣より少しだけ濃い柑子色、山吹色の千早が重ねられていく。間に挟まれた色や簪も相まってとても秋らしい色合わせだ。季節にぴったりである。

 裳も付けて完成。見えない部分を帯で留めて、舞いをしても崩れないようにするのも忘れない。


「これで着るのは終了ですね。次は小物です」


 手首に付ける鈴や手拭いが入った小さな巾着などを手渡され、次々と身に着けていく。巫女装束には袖の袋……いわゆる袂が存在しない。故に、汗拭き用の手拭いなどを持ち歩こうとするなら巾着袋が必須になるのだ。

 実際に舞いをする時は持てないが、こういうのを持ち運ぶのが許可されているのも例祭の異色なところと言えるだろう。とことん舞いが重視されているから髪は丈長で纏めないし、そもそも下の方で結ぶ形にしないのだ。

 全体を見て、細かい場所の修正をしてから姿見の前へ。


「すごい……」


 化粧をした時をはるかに上回る衝撃だった。

 もし紅葉の美しい山の中でこの格好で舞っている人がいれば、咲乃は間違いなく山の女神だと思うだろう。少なくとも遠目で見たら息をのむ自信がある。それほどに美しく、そして季節に合った装いだった。

 それはもちろん、他の四人も例外じゃなくて。


「祭が清楚に見える……変な感じ……」

「いーかげんに怒るよ!?」


 着付けを担当してくれた付き人たちの満足げな顔がとても納得できた。変な表現かもしれないけど、これは確かに一つの作品みたいだったから。

 そして、その中の一部に自分がいるのがとても嬉しかった。


「それじゃ行きましょうか。もうすぐで始まりの時間よ」


 紫の号令で全員で部屋を出る。部屋の前で待機していた緋凪と桂木が息を呑んだのがとても楽しい。


 まだ朝日が昇って僅かにしか経っていないが、城の外は既に騒がしくなってきている。その声に急かされるようにして舞いの稽古部屋に向かった。

 あの部屋では、模型ではなく本物の山車が待っているはずだ。絢爛な装飾に飾られ、幾人もの楽士と巫女を乗せる山車が。



 咲乃の心は、この上なく昂っていく──。



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