縁側でおしゃべり



 その日からは、毎日が物凄くはやかった。

 朝起きてから急くように移動を繰り返しては霊気を奉納して、お世話になる場所に挨拶しては次の場所へ向かう。足りなくなれば用意してもらった薬を全員で飲んで、顔を顰めながら尾張のあらゆる神社を回ったのだった。

 何度か妖怪自体は現れたものの、一度として鬼は現れていない。


 今は、知立神社の裏手にある宮司用の家の縁側を貸してもらっているところだ。日が傾き始めて少し経った午後に涼しくて屋根のある場所で休めるのは本当にありがたい。


「つーかーれーたー!」

「体がだるいです……それ以上に口の中が苦い……」


 今日回っただけで三か所目。神社自体はそこまで多くないが寺が多いから、関係のある場所を回るだけでも霊気は枯渇してしまうのである。そうなってしまえばあの苦い薬を飲むしかない。


「まあまあ……回復できるだけありがたいものなのよ? 普通だったら今は布団に埋もれるしか……」

「紫さんたちは苦くないやつ貰ってるじゃないですかっ」

「そうだそうだー! 宗司さんヒドイ!」


 翌日、それぞれの部屋に届いた箱には挨拶回り用の薬が何本かずつ入っていた。咲乃と叶は運ばれている合間合間で渋い顔をしながら飲んでいたのだが、他の三人は全く平気そうに飲んでいるのである。不思議に思って聞いてみれば、三人にわたされたのは改良された味が酷くない薬だったのだ。

 そもそも色が緑じゃなかった時点で気が付くべきなのだが。


「ええと、今どのくらい終わりましたっけ?」

「襲撃から五日経っていて、回れたのは全部で二十二か所ね。宗司さんや源治さんの部下が回っているところもあるでしょうから霊気奉納したところだけを数えたけど、なかなかのハイペースだと思うわ」


 紫が指折り数えた結果、一日に平均四か所以上回っているらしい。二か所も連続で霊気を奉納したら枯渇状態になるので、かなり無理を押し通したような日程なのだ。当然、どれほど苦かろうが霊気回復薬は手放せない。

 見かねた宮司や施設の管理人が暮れる甘味とお茶は、遠慮はしつつもありがたく受け取っている。


「今日もあと二か所回らなきゃいけないですもんね。五か所いかなきゃいけない日は布団が恋しくなります」

「温泉でそのまま寝そうになるわよね~」


 そうやって紫と話していると、お手洗いに言っていた叶と知立神社の中を見て回っていた桂木が帰ってきた。桂木の着崩した服は何度か叶が注意したのだが一向に直す気配がなく、気が付けば諦めた視線を向けるだけになっている。

 二人とも体を楽にして話していたからどんな話をしていたか分かったようで、似た話を振ってきた。


「昨日の旅館はとても温泉が気持ちよかったです。京都に帰る前にもう一回入りたいですね」

「叶ちゃんのところ……伏見稲荷の近くには温泉宿とか旅館ってないの?」

「ありはしますよ。ただ、大抵満員御礼でゆったりできないか修行に必死で行けないのです」


 叶が患っている憑き物は、湯治で抑え込んだという例もある。そういう関係もあるし、観光に厚い京都なら入り放題だと思ったのだが現実は逆のようだ。

 確かに、地元民しか知らない場所があったとしてもその地元民の母数が多い。そして観光名所が多いということは温泉目的の人も多いということになる。咲乃のように他の人がいようがいなかろうが楽しめる性格なら関係ないだろうが、叶は出来るだけ静かに入りたいタイプだろう。

 そうなると、むしろ秘湯とかの方が性に合っているのかもしれない。


「咲乃さんは色々な場所に行ったんでしたよね。どこかいい温泉があったりはしませんでしたか?」

「王道だけど草津は良かったよ。旅館が綺麗で大きいのが多いし、個室用の露天風呂があるお部屋とかもあったから」

「ああ、それは良さそうです。……いつか、湯治や家族旅行ということでお兄様と行こうと思います」


 そう言いながら甘味を口に運ぶ姿はとても可愛らしかった。

 あの襲撃のあと、真っ先に医務室に松葉は運ばれている。衰弱していた肉体をすぐに回復させることは難しいが、幸いなことに病気が無ければ外傷も無かった。現在は、ゆっくりと体力の回復を目的とした療養をしているらしい。

 そして、叶はすでに何度か合間を見て病室を訪ねているのだとか。


「お兄さん、経過はどう?」

「良好ですよ。生かさず殺さずな感じを徹底されていたせいで衰弱していただけなので、ゆっくり普通の生活に戻せば勝手に調子は良くなるそうです。昨日訪ねた時は早く鍛冶屋稼業に戻りたいってぼやいていました」

「それは良かった! ああやって戦った価値はあったなって思えたよ」


 その言葉であの時の事を思い出したのか、桂木が口を挟んでくる。


「そういや、あの鬼の棟梁は茨木童子っていうやつで、酒呑童子ってやつを蘇らせようとしているんだよな?」

「ですです。その蘇らせる儀式にするために例祭を乗っ取ろうとしているらしいですよ」

「その、酒呑って奴はどのくらい強いんだ?」


 酒呑童子。平安時代に大江山を支配していた鬼の棟梁にして最強の鬼の名である。

 元来鬼という存在は色々な側面を持っている。人型だったり角があれば関係なしに鬼と呼ばれていたし、今でいう真鬼という種族でさえ源流は違う事が多いのだ。


 骨が一部突き出ていたり生まれつき歯があったからという理由で赤子が鬼の扱いを受けた。

 浮浪者やならず者の集団が暴徒や強盗の集団になって山を占拠した結果鬼と呼ばれ忌避されるようになった。

 呪詛に蝕まれ、その結果として変質して鬼になった。

 当時は悪魔の卵として恐れられていた西瓜や、生き血にもみえるワインを飲んでいる外国人を鬼と呼んだ。


 そんな風に色々な鬼の数だ源流がある中で、スサノオに敗れた八岐大蛇の子であるという経歴を持つのが酒呑童子である。

 あれ程の力をもつ茨木をして崇める事しかできないのだ。文字通り格が違う。


「伝説の中でも伝説級の鬼で、復活したらたぶん誰にも止められないと思います」

「なーるほどな。不意打ちをしてでも阻止しなきゃならんわけだ」


 銀八と戦って鬼とやり合う楽しみを知った桂木が獰猛に笑う。


「咲乃は奇襲作戦に参加するんだろ? 護衛の俺も当然ついて行っていいよな?」

「むしろついて来てもらわなきゃ困りますよ。実際に真鬼と戦ってみて分かりましたけど、たぶん緋凪と師匠がいないと勝てないです。茨木童子を斬るのに協力してください」

「桂木さんは分かりますけど、咲乃さんって案外好戦的ですよね。後で城の上から戦った場所見ましたけど、地面がズタズタになっていたじゃないですか」

「あれやったの私じゃないから! っていうか私は基本的に戦うの苦手だからね!?」

「それは嘘です」


 挨拶回りの時に少しでも妖怪の気配がしようものなら反射的に刀の柄に手が伸びる巫女のどこが好戦的でないのだ、という視線は受け流す。幼少期からの訓練と旅の間に身についてしまったのだ。決して好んで戦闘をした事はない……と思う。

 まあ、そんな曖昧な態度をしていると余計に叶はあきれた視線を向けるのだが。


「紫さん、叶ちゃんが信用してくれません!」

「んー……しょうがない、かもしれないわねぇ」

「なんでですか!?」

「城の中では下の方の階だったけど、窓から飛び出して屋根の上を走る姿を見ちゃうと……ねぇ?」


 どうやら紫さんも叶と同じ意見らしい。でも、もし逆の立場だったら同じことを言うだろうから何も言い返せない。悲しくなって体育座りをしてから膝に顔を埋める。

 でも、ああしなかったら松葉さん危なかったし。茨木童子や銀八とも、戦いたくって戦ったわけじゃないもん。

 そう小さな声で抗議を重ねる。


 その姿を見て焦ったのか、紫が話題転換をしてきた。


「まあ、でも咲乃ちゃんが戦わなくて済むくらいになるといいと思うわ。相手が伝説の鬼なんだし、私たちの味方にも伝説級の人がいたらよかったかもしれないわね」

「伝説級の味方ですか。んー……貴人とかが味方してくれたら変わるかもしれないですね。まあ、貴人がそこらにホイホイいたら困りますし、そういう方々が手伝ってくださるんでしたらとっくに攻め込んでいそうですけど」

「貴人……ねぇ」


 桔梗様のような真正の貴人とまではいかなくても、その血が混ざっているだけの人でも即戦力になるだろう。生まれつき強いからだと生命力を持つ彼らが味方になれば心強いに違いない。

 あいにくと咲乃に貴人の知り合いなどいないのだが。今現在一番近くにいる貴人は桔梗様だが、まさか前線に出る事はないだろう。というか、宗司と源治が出させるはずがない。


 他には誰かいただろうかと考えていると、苛立たし気に桂木が吐き捨てる。


「あいつらは時間間隔が普通の人間と違う事が多いからな。俺はあいつらには頼りたくねぇ」

「そうなんですか?」

「ああ。……俺に知ってるやつは、自分を一番慕ってる小娘を騙してやがるからな」


 そう言って、桂木は咲乃の頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でまわす。それはまるで何かを誤魔化すような、忸怩たる思いを抱えているような手つきで。


「なんか嫌な思いでもさせられたんですか?」

「させられたというか、何なら現在進行形だよ。まあ気にすんな」


 そう言って無理やり話が切り上げられた。

 次の場所に向かうまではまだ時間があるはずだけど、桂木はそれだけ言い残して玄関の方に歩いて行ってしまう。その姿を三人で見送ってから、何となく顔を見合わせた。


「……どういう意味でしょう?」

「さあ……」

「本当に気にしなくていいとは思っていそうでしたけど……」


 珍しく煮え切らない態度を見せた桂木に、三人で首を傾げるのだった。



 そんな午後からの時間も忙殺されるがままにあっさりと過ぎていき、気が付けばさらに二日が経過。


 ついに例祭当日の朝が来た。



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