奇襲作戦



 翌日の朝、咲乃は外の喧騒で目を覚ました。


 寝ぼけ眼で窓から外を見れば、朝早くにも限らず働いている人たちがいる。夜中遅くにようやく鎮火したようで、それまでに燃えた場所は未だに薄く煙を噴き上げていた。


「んー……」


 頭の上で腕を組んで、グーっと体を伸ばす。昨日大半を使い切った霊気はあまり回復していないようで、体はまだ強い倦怠感に包まれていた。体は節々が痛いし、肩にのしかかるような重さがあるのだ。

 それでもなんとか体を動かして朝の日課をこなしていく。適当に使ったせいで偏って減っている懐の呪符や式符を補充して、普段より念入りにストレッチをするのも忘れない。

 ある程度自分のやる事が終わったところで緋凪を揺り起こす。


「おーい、朝だよー」

「んみゅう……」


 普段は尖った針みたいだけど、緋凪も一皮むけばこんな感じで年頃の女の子な面もあるのだ。布団を抱いて微睡む姿はとても可愛らしい。いつまでも見ていたいけど、意志を強くして体を揺すり続ける。


「朝ですよー。あんまり寝ると牛になっちゃうよー」

「誰のせいで疲れてると……」

「ゴメンナサイ」


 ようやくむっくりと体を起こした緋凪が咲乃を軽く睨む。事態のほとんど無関係なのに咲乃に巻き込まれたせいで一番危険な場所に行かされたのだからしょうがない。

 後に尾を引く性格じゃないからそれだけで許されたけど、それが通じる親友でなかったら正直絶縁ものである。真鬼二体と出会っただけでなく死闘をしていて生きているのはほとんど奇跡なのだから。

 そのことを改めてかみしめつつ、咲乃は緋凪の朝の支度を手伝う。


「今日、どうするんだろうな」

「酷い有様だもんね……予定とか変更ばっかりだろうし、すぐには決められないんじゃないかなぁ」


 例祭の決行日だけは崩すことができない。初めから例祭を中心にして尾張の歴が作られていると言っても過言ではないくらい例祭はこの土地に重要な催しなのだ。

 だから何としてでも数日以内に最低限決行は出来るようにしなければならない。それも、既に予告された鬼の襲撃への対処も施したうえで、だ。


 その二人の疑問に答えるかのように、窓から舞い降りてきた式神の蝶が緋凪の肩に羽を降ろす。


『おはようございます。お元気そうで何より』

「わ、びっくりした。宗司さん?」

『はい。ちょうどお伝えしようとしていた事を話していたので、これ幸いと入った次第です』

「盗み聞きは良くないですよっ」


 メっ、とでもするように蝶に指を向けたせいで部屋を微妙な沈黙が包んだ。

 あれ? と首を傾げる咲乃をよそに、宗司の連絡が進められていく。


『今日の事なのですが。とりあえず最初はいつもの大会議部屋に集まってもらって、その後は予定通り挨拶回りに行ってもらおうと思ってます』

「了解です! 何時までに行けばいいですか?」

『九時……いや、八時にはいてくれると助かります。他の巫女の方々にもそう伝えておきますね』


 それだけを言うと、蝶の式神は昨夜見た時のように解けて消えていく。

 現在時刻は七時。それほど余裕があるわけじゃない事に気が付いて、慌ただしく準備を進めるのだった。




 そして、少し時間が進んで八時の数分前。

 既に部屋に呼ばれた全員が集まっている。やつれた顔で入ってきた宗司はその様子に嬉しそうに顔をほころばせると、少しだけ高い上段について書類を目の前に並べた。


「お集まりいただきありがとうございます。既に皆さんご存じのことだとは思いますが、昨夜の一件を受けて皆様もいろいろ憂慮しているかと思われます。なので、まずは各種報告からさせていただきます」


 そう言って最初に広げた紙は、巨大な尾張の地図だった。壁一面を埋めるほど大きな地図に街並みが詳細に描かれていて、さらにその上から赤い線がいくつも引かれていた。

 どうやら被害状況などを詳しく書き記しているらしい。


「まず、被害を受けた地区ですが……ご覧のように商業地区の大部分と、関所の近くの住宅街が散発的に破壊されています。最初に茨木童子と名乗った鬼の棟梁の火球以外は被害が薄いのがせめてもの救いでしょうか」


 宗司が言った通り、大々的な被害を受けているのは火球の落下地点とその周辺だけだった。それ以外は破壊の痕跡こそあるものの破壊や被害という面では軽微で、どちらかと言うとその破壊地点に現れた鬼と戦った警吏たちの人的被害の方が多いらしい。

 窓の外から見てもわかるほどに破壊の跡があるのは、茨木童子のいたところ以外はほとんどないのである。

 ……あるを除けば。


「この辺りは、咲乃さんと叶が暴れていたせいで出来上がった破壊の跡地でして──」

「「すみませんでしたっ」」


 二人してすぐに頭を下げる。不自然なくらいニコニコしている宗司の目がとても心に刺さった。


「怒っていませんよ? まさか、挨拶回りがあるのに二人とも動けなくなるほど霊気を使うだなんて思ってもいませんでした……とか考えていませんからね?」


 めっっっちゃ怒ってる。青筋が見えないのが不自然に感じるくらい怒ってるよ。

 私も叶ちゃんもその威圧感で思わず腰が引けてしまう。叶なんかは身を縮めているせいでただでさえ小さい体がさらに小さくなっているけど、その様子を見ても宗司さんはその表情を変えなかった。


「まさか、鬼の次に被害が大きかった原因が身内の警護対象とは思ってもいませんでした」

「ゴメンナサーイ!!!」


 そこまでイジメて満足したのか、纏っていた威圧感がするりと消える。

 確かに、咲乃が術で破壊したり叶が暴れた余波で壊れた建物は両手の指で収まらない。鬼たちの破壊も混ざっているから全てが二人のせいというわけではないが、結構な大部分を壊したのもまた事実なのだ。

 ちなみに破壊規模第三位は深夜まで燃えていたらしい炎。結構な範囲を燃やしたらしい炎は、真夜中に陰陽師たちが何枚もの水行符を投入して何とか鎮火させたらしい。


「まあ、弄るのはこれくらいにしておいて。既に一週間を切った例祭までの期間の事を話させていただこうと思います」


 二人してゴメンナサイの姿勢のままで宗司の話を聞く。


「とりあえず、私たち上層部や警吏はこの処理と本番の襲撃への対処に奔走することになります。その間は皆さんとこうして面と向かって話すのは難しくなるでしょう。なので、何か連絡がある時は適宜今朝のように式神を飛ばすつもりです」


 裏方の統括をすべて請け負っている宗司は、本当ならこんな風に連絡をしている暇さえないのだろう。街の人を先導したり警吏を復興に当てている源治は今本当に手が離せないに違いない。

 そうなると、あて先を決めて飛ばすだけでいい式神は本当に楽だろう。


「そして、皆さんなのですが……当初の予定通り挨拶回りをしていただこうと思っています。今日のこの後から」

「え、でも霊気は私も叶ちゃんも回復していないですよ?」

「大丈夫です。ここに特別な霊気回復薬を用意したので」


 ちゃぷり、と深緑の液体が入った瓶が揺れる。


「霊気回復薬、ですか?」

「咲乃さんは見るのが初めてかもしれませんね。一口飲みますか? 即効性なのですぐに霊気が回復していきますし、それに同期して体力も回復しますよ」


 謝罪ポーズから一転、起き上がって宗司の元まで早足で向かう。

 霊気が無くなった時の倦怠感は物凄く辛かったりする。全力で走った後のような脱力感が全身を襲うし、たとえ霊気が回復してきてもすぐには改善しない。寝ても風呂に入ってもすぐには治らないし、一般的な薬の類も全く意味が無いのだ。そして、体の霊気が少ないとなぜだか回復も遅くなるのだ。

 その倦怠感がすぐに消えるとなれば、この上なくありがたい。修行をしている頃から何度も味わって、そしていまだに慣れていないこの倦怠感が消えるならすぐにでも薬を飲みたかった。


 だから、同じように苦しんでいるはずの叶がなんで同じようについてこないのかを考えなかった。

 受け取った瓶を開けてそのまま口をつける。


「んくっ……んぎゅう!?」

「どうです? その味なら効きそうでしょう?」

「まじゅい……物凄く苦いです……」


 苦すぎて呂律が怪しくなるほどといえばどれくらいの味かわかるだろうか。飲みこんでからも舌と喉がピリピリする感覚が残る。恐らく叶はこの味を知っていたのだろう。この味は確かに避けたくなる。


「あ、一本飲み終わらないと真価がでませんので飲み切ってくださいね。ほら、叶も」


 ……どうやらこれで昨日の一件は許してくれるということらしい。叶と一緒に涙目になりながら飲みこんでいく。

 同じように味を知っているらしい霞や紫でさえ視線をそらしているし、私たちの反応は決してオーバーではない、はず。


「飲みました……」

「はい。これで移動中に完全とはいかなくてもほとんど回復するはずですので、頑張ってください」


 そう言ってから、予備の薬が数本入った箱を渡してきた。これから挨拶回りは強行軍になる。そのため、足りなくなったら補充して次々こなせということだろう。もしかしたら例祭本番までほとんど尾張の城下街からは離れることになるかもしれない。

 箱の中の薬を見ながらそう考えている間に、宗司の話は次の事に移っている。


「次は例祭本番の備えの事を話していきましょうかね。まず鬼の対策の話なのですが、襲撃は本番まで無いとみていいでしょう。矢文の文面や名乗った名が本当ならば奇襲はしてこないはずです」

「本物の茨木童子なら、敬愛していた酒呑童子の言葉は違えないはずですもんね」


 平安時代に暴れまわっていた彼らは、源頼光らに騙し討ちという形で討伐された。鬼でさえそんな卑怯なことはしない、と詠んだ彼の事を知っていれば本番まで襲撃はおろか間接的な被害さえないだろう。もしかしたら近くを通る行商人の被害も一時的になくなるかもしれない。

 そうなれば、一応のための最低限の人員さえ残していれば他の事に警吏や陰陽師を回せるようになる。


「ですが、私たちまでそのような流儀を貫く必要はない。安全第一で例祭をやり遂げ、この尾張を護るのが私たちの役目です。ならば、やられる前にやってしまえばいい……上層部はそう判断しました」

「やられる前に……まさか……」

「はい。例祭当日、我々は奴らの本陣を奇襲する作戦を固めました」


 襲撃日時もタイミングも分かっているならそれを逆手に取ればいい。大本ごと奇襲で根絶、もしくは大打撃を与えるだけで奴らの計画は崩れる。少なくとも、次回の例祭まで期間を得られるのだ。

 卑怯だと再び奴らが詰るかもしれない。だが、それで助かる命が多くある以上やるしかない。


「なぜこの話をここでしたのか、という話なのですが……咲乃さん」

「はい?」

「この作戦に参加されますか?」

「!?」


 咲乃は、まさか声がかかるとは思っていなかった。

 例祭の山車の上で、しかも花形で舞う予定の咲乃にそこまでの余剰の時間があるとは思えない。そして、奇襲作戦は源治のお抱えの武闘派や集められた腕利きがやるものだと思ったのだ。

 わざわざ朝にイヤミを言った宗司が誘うなんて考えてもいなかった。


「……いいんですか?」

「下手に気にしたせいで当日の舞いを失敗されても困りますからね。また暴走されてしまう可能性を考慮したら、むしろ参加していただいた方がこちらとしても利がありますから」

「なら参加します! させてください!」


 全力で頭を下げる。

 疲労感にやられていた体が引き締まり、震えはじめた。床についた手が拳の形に握りこまれて力が漲っていく。


「では、そのように手配しておきます。挨拶回りの根回しもしっかりとしておきますので、この後から早速励んでください」


 宗司が話を締めくくっている間も頭が上げられなかった。

 その様子を見かねたように、宗司が柔らかい声で一つの情報を付け足す。


「……鍛冶屋は無事だったようですよ。良かったですね」


 部屋を出ていく音が聞こえると同時に肩から力が抜けた。


 大人は卑怯だ。

 思わず笑顔になりながら、そう思った。


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