師匠



 最初は、何が起きたのか分からなかった。

 何かが背後から猛スピードで迫ってくること自体は気が付いている。だけど、目の前にいる銀八から意識や視線を離せばその次の瞬間には斬られている未来しか見えない。後ろにいる緋凪がどうにかするから大丈夫。そんな風に考えていた。

 だけど、蓋を開けてみれば──目の前には、銀八の左肩を斬り飛ばしながらもう片方の手で握った刀で蒼愛を受け止める青年がいる。


「おいおい、どうした咲乃。だいぶ心が乱れた刀筋だぞ。俺はそんな風に教えた記憶はねぇなぁ」

「し……しょう……!?」


 目の前で長い長髪が揺れる。崩して着物を着たくせに袴をはいたような、傾奇者としか言えない珍妙な恰好と二刀流で咲乃の名を呼ぶ人など、この世で一人しかいない。

 源治にも語って聞かせた、まごうこと無き剣術の師匠その人である。咲乃に喧嘩剣術を叩き込み、たった十歳にして大太刀二刀を扱えるようにしたのは彼なのだ。


「おう、久しぶり。大きくなったな」

「そんな……どうしてここに!?」

「いやぁ、あの時みたいにこの辺りを適当にぶらぶらしながら護衛稼業してたらな? 急だけど尾張の国で巫女の護衛募集、腕っこき大歓迎で報酬保障って呼ばれちまってな。遅れてくる護衛がいるって聞いてなかったか?」


 確かに聞いていた。足りないところは出来るだけ源治で埋めて、あとは遅れている護衛が来るまで平穏無事にしていれば大丈夫なはずという話を宗司に言われたのを覚えている。

 だが、まさか師匠が来るとは思わないではないか。


「無視してんじゃねぇ!」

「おっと」


 先ほどのように斬り落とされた肩を無理矢理くっつけて繋げた銀八が、文字通りの鬼の形相で斬りかかる。先ほどまでのような遊びや驕りはどこにもなく、目の前の闖入者への憎悪がそのまま暴力となって襲い掛かってきたのだ。

 だが、師匠と呼ばれた男は全く怯まない。軽く足を開くだけで避けたばかりか、その顔面に拳を叩き込んでさえみせた。


「久しぶりに来てみりゃ尾張が崩壊しかけてるし、弟子は霊気からっけつで鬼とドンパチしてるなんてなぁ。昨日寝た時にはこんな風になるなんて思わなかったぜ」

「す、すみません……まさか来るのが師匠だなんて思いもしませんでした……」


 神懸りが解けて霊気をほとんど失ったせいで立てなくなった咲乃が崩れ落ちかける。近寄ってきた緋凪が何とか間一髪でその体を受け止め、抱き上げて戦場から離した。力を失ったことで手から滑り落ちた蒼愛の回収も忘れない。

 さっきまで咲乃がしていた物よりもさらに激しくなった戦いを見ながら、緋凪が問いかける。


「あれがお前が言っていた師匠なんだよな? ……何というか、ただの傾奇者にしか見えないんだが」

「あはは……みんな最初は変に見ちゃうよね……。でもそうだよ、あの人が私の剣術の師匠の桂木かつらぎ綜一そういちさん。私が蒼愛と迦錺を使えるようにしてくれた人だよ」


 火ノ国全国を浮浪者のごとく歩き回っては護衛稼業で稼いでいる若い男。それが桂木だ。まだまだ子供だった咲乃の過ごす神社に現れ、その二刀であっさりと物の怪を倒した瞬間に咲乃に弟子入りを受けたのが二人の縁の始まりである。

 腰に佩いた二刀だけで、術も強化もせずに鬼と互角以上にやり合えると言えば実力が如何ほどかわかるだろう。


 その実力を遺憾なく発揮し、技術のみで銀八を一方的に蹂躙していた。真鬼でなければ既に十度は死んでいるだろう。


「何というか、無茶苦茶な戦い方だな。繋がっていなさそうな攻撃が繋がっているし、理念や流派の雰囲気を全く感じない」

「それが師匠の剣術だもん。流派は分かれば対策できる、剣筋も癖も戦えばわかるから特定の型に縛られるのは死にたいやつだけだ、っていうのが持論なんだって」

「無茶苦茶だろそれ」


 たとえ家族がやっていて巻き込まれたのが原因とはいえ、一生の大半を一つの型に捧げて生きている緋凪にはその理念が分からない。それでも実際に目の前で戦える姿を見せつけられては何も言えなかった。


 昔会った時も今戦っている姿を見ても、確かに咲乃の戦法に特定の型というのを感じた事は無い。ただそれはあくまで術とかを駆使しているからだと思っていたのだ。術で様子見をして、式神などで時間を稼ぎながら決め手の術を迦錺共に使って相手を倒す。その順序は確立されていたし、何より咲乃の本分は巫女だから。

 だが、桂木はその枠を明らかに逸脱している。目的を果たすために何でも使う、などという表現で表しきれないほど何でもありなのだ。


「刀は投げるし砂で目つぶしはするし……何が何だかわからん」

「私もまったく真似ができなかったから術を使うようにしたんだよ。木を切って持ち上げて投げてきたりもするしわけわかんないよね」


 その程度の反応でいいのか、と緋凪は思ったが何も言わない。聞くだけで頭が痛くなりそうだから。

 そうやって話している二人の目の前で、いよいよ桂木と銀八の戦闘に終焉が近づく。


「いやぁ、鬼はやっぱ斬り応えがあっていいな。楽しぞ」

「生意気言ってんじゃねぇぞ人間風情が!」


 銀八は大声を上げて突っ込むが、軽くいなされて追撃を受けてしまう。ただの刀では鬼の表皮を傷つけることしかできないが、それに超技術が加われば話は変わってくるのだ。現に銀八は既に鬼の修復力で間に合わないほどの刀傷が全身に刻みつけられている。

 卓越したというにはあまりにも圧倒的な実力に緋凪は震えるしかなかった。


「咲乃、動けそうか」

「まだ無理です、師匠っ!」

「ならしゃーねぇ。そこで見とけ」


 そこで初めて、桂木が型のような構えを見せる。左手の刀を軽く前に出し、半身を開いて構えるという突進用の構えだ。その構えを見た銀八は己の血に濡れた手で斬馬刀を握り直した。だがその構えは両手で真っ直ぐ構えるという自信の見えない様子で、さっきまで見せていたような傲岸不遜な態度はどこにもない。

 茨木童子に取り立てられるほどの真鬼が、術の一つも使えないただの人間を恐れているのだ。


「あいにくと俺が受けている命令は後ろにいる巫女の護衛でね。命乞いをするというなら見逃してやらんこともないぞ?」

「ふざけやがって……! ぜってぇ殺す……!」


 こうやって煽られた鬼は逃げるという選択肢を消してしまう。妖怪としての本能を優先しない、知性のある妖怪なだけにこのやり取りが大きな意味を持つのだ。

 たとえ逃げなければ死ぬとしても、これで銀八は逃げることができない。


「残念だ」


 桂木は身をかがめて、ほとんど音もなく地面を蹴る。それまで加減されていたせいで、銀八は反応すらできていない。


「お前たちは、できれば弟子の手で斬ってほしかったよ」

「────」


 辛うじて構えた斬馬刀は意味を成さず。

 一太刀目で首を撥ね、二太刀目で袈裟斬りにしながら脇を通り抜け、振り返って三太刀目で真横の一文字を刻み込んだ。


 そこまでされてしまえば鬼の再生力は関係ない。飛び散った血も、落ちてきた首も、全て黒灰と靄のようになって消えていく。周囲を威圧していた妖気が薄れて、常に胸がつかえているような感覚が消えた。


「ほい、いっちょ上がりっと」


 遠くからまだ戦いの音は聞こえてくる。叶がどうなったのか、銀八以外の鬼はどうしているのか、尾張の住民は無事に避難できたのか。分からない事ばかりだが、少なくともこの戦場は終わりを迎えたのだ。

 血払いをして納刀した桂木が咲乃たちの元に歩いてくる。


「調子は?」

「立って動くことくらいならなんとか、って感じです。走るのはまだ無理だと思います……」

「分かった。んじゃ、とりあえず城に行って安全を確保するしかねぇな」


 遠目から見ても名護城から火の手は上がっておらず、無事な様子だった。城に残っている陰陽師や警吏が死ぬ気で守ったに違いない。霊気がほとんど残っていない咲乃は神懸りの影響でしばらく動くこともままならないし、緋凪と桂木に付き添ってもらって城に行くのが正しいだろう。

 だが、咲乃にはそれができなかった。


「まって、師匠。叶ちゃんの所に行かなきゃ」

「叶ちゃん?」

「まだ遠くで暴走しているはずの、私の友達です」


 その要望に、緋凪と桂木は顔を顰める。護衛として容認できる要望ではないからだ。


「お前がああやって戦っていられるならある程度無事なんじゃねぇのか。ってか何となく俺の勘がその友達とやらはかなりの厄ネタだっつってるぞ。そもそも俺は暴走した人間の抑え方なんぞ知らん」

「それは……そうかもですけど。でも、助けたいんです」


 咲乃は折れるつもりは無い。たとえ刀を振るえない足手まといであろうと、呪符一枚を発動できる程度しか霊気がなかろうと、行くのをやめようとは思わないのだ。

 きっと宗司が対処の策を練っているだろう。茨木童子は追い返せているかもしれないし、とっくに暴走も終わりを迎えかけているかもしれない。だとしても行かないという選択肢はないのだ。

 それを感じ取ったのか、ため息を吐きながら緋凪が肩にとまっていた蝶に気を流して起動する。

 どうやら宗司との通話はすぐに始まったようだ。


『ああ、緋凪さんですか。そちらはどうなりました?』

「決着はついた。遅れていた護衛も合流、鬼を一体倒したうえで咲乃も無事」

『それは重畳。では、城に──』

「それなんだが」


 そこで一瞬咲乃に視線を向けて、話を続ける。


「咲乃がそっちに行くって聞かない。というわけで場所を教えてもらえると助かる」

『……話しながら言うのもなんですが、普通に修羅場ですよ?』

「聞きゃわかる」


 通話の向こうからはほとんど絶え間なく爆音や戦闘音が響いている。宗司の息はほぼ上がりきっているし、その上で茨木童子と叶のものらしい声も聞こえているのだ。遠くからしている爆音の正体は彼らかもしれない。

 そこまで判断したうえで、遅々として進まない話にだんだんイライラしてきた緋凪が話を強引に進める。


「いいからとっとと吐け。話している間に死んだらまた咲乃が暴走するだろうし、そうなったら本格的に何がどうなるか分からんぞ」

『……分かりました』


 大体の位置を報せると同時に通話は切られ、蝶は折り紙が巻き戻されるように解けて消えていく。

 それを最後までみることもなく、咲乃を背負った緋凪と桂木は駆け出した。



◇ ◇ ◇



 瓦礫や屋根の上を走ること、数十秒。

 たどり着いた先には数多の妖怪に囲まれた宗司と、その囲いを何としてでも破壊しようと藻掻く耳と尾を生やした叶がいた。叶の表情は憎悪に歪み、囲いの少し上から睥睨する茨木童子を睨みつけながら奮戦していた。

 宗司は既に傷だらけという表現では優しすぎるほどの負傷をしている。


「宗司さんっ」

「……どうやら、間に合ってくれたようですね」


 見れば見るほど全身の傷が痛々しい。妖怪は積極的に攻撃こそしていないものの、常に威圧をしては隙に付け込もうとしているせいで気が抜けないようだ。

 茨木童子が視線を向けてくる。


「銀八は……滅んだか。そこな男がやったな?」

「おう。お前さんは只物じゃなさそうだな」

「名乗りは日に二度もせん。そこら辺の者から聞け」


 茨木童子は深くため息をついて、宗司たちを見下ろす。

 もし叶と宗司を狙えば即座に緋凪と桂木が助けに回るからほとんど意味を成さないだろう。銀八を倒した桂木の実力が測れない中で無理に攻め込むのは分が悪いのだ。

 かといって咲乃の方に攻め込めば本末転倒なことになる。それを一瞬のうちに考えたのだろう。


「やめだ。目的の最低限は果たした。今日の所は退散しよう」

「それは助かります。……二度と来なくて良いですよ」

「そう言われると死んででも攻め込もうという気になってしまうな」


 茨木童子は最後に獰猛に口端を歪めると、さっさと踵を返して去っていく。妖怪もそれに釣られたのか、三々五々に夜闇に散っていった。それに呼応するように尾張中で響いていた戦闘音がぴたりと止み、未だ勢いが留まらない火の手以外は完全に静けさを取り戻したのだった。

 攻め込みが突然ならば引くのも突然。あとは事後処理をしたらこの件は一度閉幕を迎えるのだろう。


 ただ、この場ですぐにしなければならない仕事が一つだけある。


「咲乃さん、お互いギリギリだとは思いますが手伝っていただいても?」

「もちろんです! 緋凪と師匠もお願いします!」


 四人が見つめる先には、未だ暴走している叶の姿がある。何とかして彼女を抑えないことには事態の収拾は無いだろう。

 全然回復をしていない体に鞭を打って、懐から呪符を二枚取り出す。そこに書かれているのは『鎮静』の二文字だ。本人も扱いきれていない霊狐の暴走を止めるには最適な呪符だろう。


「師匠と緋凪で叶を牽制してください。動きを止められたら、宗司さんと私で呪符を貼ります!」


 その指示が出ると同時に緋凪と桂木は屋根を蹴って叶に肉薄し、体を傷つけない程度に攻撃をしはじめる。その全てに叶は反応して、巫女装束を振り回しながらその全てに対応しようとしていた。

 その間に宗司の元まで行って呪符を受け渡す。


「これを私と一緒に叶ちゃんに貼ってください!」

「ありがとうございます。機を待ちましょう」


 緋凪と桂木なら間違いなくうまくやってくれる。だから、チャンスを逃さないように集中をしてその時を待った。

 そして、その時は程なくして訪れる。

 二人がかりでバランスを崩された叶が地面に倒れ込み、無防備な姿を晒した瞬間に二人で駆け寄り、呪符を頭に張り付けた。


「目を覚まして、叶ちゃん!」


 幸いにも呪符はしっかりと仕事をした。

 『鎮静』の文字が光ると同時に叶が動きを止めて、その場で膝をつく。暴れていた霊気や神気が急速に静まっていき、耳と尻尾が引っ込んでいく。伸びていた爪も元に戻り、完全に力を失って倒れ込みかけたところを宗司が抱き上げた。


「すみま、せん……」

「喋らないで。今は寝ていなさい」


 その言葉に後押しされたように、叶は目を閉じた。そのまま背負った宗司は桂木に松葉を背負うように頼んで、全員で城に向かって最後の走りをする。


 そして、宗司に指示されるままに自室に入った咲乃は、気を失うようにして眠るのだった。



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