『転機』
まさか、この尾張で会うだなんて思っていなかった。
でも好都合だった。あと五年はかかるだろうし、もしかしたら一生見つからないかもとさえ思っていた仇がこんなに早く出てきてくれたのだから。
「殺す」
「やってみろ」
蒼愛から溢れた霊気が咲乃の周囲を包み込み、それと同時に刀による連撃が始まった。型や理念に左右されない咲乃の喧嘩剣術は勝つことだけに意識を向けている。それだけに刀に宿った殺意が違った。
神懸りによる神気も宿っているため当たればただでは済まないはずだが、銀八は楽しそうに笑ったままその攻撃を避け続けている。
「火行……」
袖口から火行符を放ち、銀八の周囲を囲うように火柱を立てる。逃げ道を奪って上段から蒼愛を振り下ろしたのだが、あっさりと火柱に腕を突っ込んで妖気で中から爆砕したせいでそれほど意味を成さなかった。躊躇のないその行動に驚いて一瞬動きが止まった隙に横合いから飛んできた蹴りに吹き飛ばされ、何とか受け身を取る。
同時に呪符で怪我を治癒。さらに全身に霊気を込めて突進する。
「いいねぇいいねぇ、やっぱり殺し合いじゃなきゃつまんねぇよなァ!」
「お前が殺したのか?」
「あん? ちげぇよ、俺たちは火を放っただけだ。宮司どもを捕獲しに行ったら勝手に死んでいやがったんだよ」
「嘘だ。お母様たちは斬られて死んでいた!」
何度も何度も見た、あの悪夢。燃え盛る神社の中で倒れ伏す両親の姿と、その猛火に照らされながら向かい合う数名の下手人。一対多数で戦っていた事だけは謎だが、少なくとも奴らの誰かがやったに違いない。少なくとも咲乃はそう考えていた。
あの神社を襲い火を放った時点で銀八たちを咲乃自身の手で祓うことは決定している。それはそれとして、銀八の言うことが本当ならば実際に両親を斬った者も探し出して斬らなければいけなくなるのだ。
「俺たちが襲撃した時には既に死んでたんだっつーの! どうやったかは知らねぇが俺らの中に裏切り者がいた! だからその腹いせに燃やしてやったんだよ!」
「じゃあ、お前たちが戦っていた相手は誰だ」
問い詰めながらも攻撃の手は休めない。どうせ多少斬ったところで簡単には死なないのだから、と割り切って全力で猛攻を仕掛ける。
「それこそ知らねぇよ。あんな頭のおかしい貴人なんて初めて見たんだからな!」
貴人。伝承や神話生物、そして神が人間の形を持って降りた時の呼び名だ。もしくは神と交わった後に生まれた子供の事もそう呼ぶが、数が少ないから基本的に有り得ない。
だからこそ咲乃の頭は余計にこんがらがる。咲乃の生まれ育った村は秘境と呼ばれるほどの山奥にあり、人数も全員の名前を簡単に覚えられる程度しかいない。その村よりも奥地にある神社に貴人が来るなどということは考えられなかったのだ。
世の中にいる貴人は大抵が桔梗のように城にいる。火ノ国では神への扱いが手厚いのが普通で、降りてこればすぐに丁重に扱われるのが常だからだ。
その貴人があの神社を訪れ、しかも鬼と戦う。そんな事が有り得るはずがない。完全に嘘と断じて猛攻をさらに強める。
「土、木、破ッ!」
土壁を生み出し、その壁から巨大な拳状の木を生やして左右から圧し潰さんと迫る。だが、人なら軽く赤い染みにするはずの攻撃は左右に手を広げるだけで防がれてしまった。さすがに即座に動くことはできないようだが、人並みを外れたとかいう言葉では収まらない膂力に驚嘆する。
だが、内心と別に体は最適解を弾き出し続ける。動けないなら好都合、蒼愛を迦錺に持ち替えて刀身に劫火を纏わせて斬りつけた。
「はっ!」
「ぐっ!? ……てめぇ、やりやがったな!」
当たる寸前で体をずらされ、肩口から大きく切り裂くはずだった迦錺は銀八の左肘のあたりを斬り落とすにとどまった。しかもそのせいで左右の力のバランスが崩れたのか、木の拳の合間から体を捻って抜け出されてしまった。
土壁の裏に飛び退り、離脱時に回収していた腕を強引に繋げる。数秒も断面同士を当てれば元通りになるその様は、さらに咲乃の憎悪を生む。
「あー、今のは少し痛かった。だから俺ももう少し本気でやる事にする」
銀八が地面に手をつき、妖気を流し込んでいく。見る間に不気味に地面が波打ち、ひび割れながら銀八の手の中に集まり始めた。
咲乃がさらに迦錺の火を強めながら注意深く見ている前で、集まった土がだんだんと明確な形を持ち始める。土くれのデコボコとした見た目から平坦で長い形へと変化していく。
「……斬馬刀?」
「ただの斬馬刀じゃねぇんだよなぁ。おらっ!」
銀八二人分はあろうかという極大の斬馬刀を片手で担ぎ、乱雑に地面へと振り下ろす。
咲乃はこの時以上に蒼愛と迦錺の扱いに慣れていてよかったと思ったことはなかった。既に崩れ始めていた土壁の向こうで銀八が動き始めた瞬間に、直感だけで迦錺を納刀して蒼愛を抜き放ち結界を張れたのはこれまでの修練の結果に違いない。
「どぉだよ、こいつの威力は!」
地面に突き刺さった斬馬刀の刀身の先から咲乃の背後まで地面に巨大な亀裂が走っている。もし蒼愛に持ち替えて結界を張れていなかったら、咲乃もこの地面と同じようになっていたのは想像に難くない。
緋凪の安否も気配の有無で確認できた。どうやらちゃんと避けられていたようだ。
「いくぜぇ! 簡単に死ぬんじゃねぇぞ!」
「はっ!」
火の粉が舞い、亀裂が走り、式神が乱舞し、冴えるような剣戟の音が響く。
咲乃が放つ数多の術と斬撃を銀八は全て迎え撃ってみせた。多少の傷なんて気にせず、少し待てば治るから関係ねぇとでも言うように突進し、そのたびに咲乃に深く斬られては引き際に重い一撃を放つ。
後ろの名前を呼ぶ声も聞かず、周りも悲鳴も耳に入らず、ただただ互いの命を狙ってぶつかり合う。
最初の火球によって逃げる人すら焼かれたせいで人的被害こそ出ていないが、二人の戦いは周囲を際限なく破壊しながら続いた。
◇ ◇ ◇
──クソが、アイツ全く聞いちゃいねぇ。
緋凪はそう吐き捨てて舌打ちをしたくなった。というか、舌打ち自体は何度もしていた。
咲乃が戦っている間、緋凪は当然何もしていなかったわけではない。どれほど喧嘩剣術の腕前があるからといって、生まれてこの方武道に費やしてきた緋凪に咲乃が敵う筈がないのだ。だから、隙を見ては咲乃を後ろから取り押さえようと奮闘していた。
だが、天才的な直感からくる咄嗟の防衛本能の防御のせいで触れる事すらできていない。少しでも間合いに踏み込めば大太刀の一撃が飛んでくるのだ。
あまり長く緋凪が絡めば間違いなく銀八は後ろから咲乃を突き刺す。それが分かっている以上、迂闊に手が出せない。下手に手を出して隙を晒せばそれが死に直結するかもしれないのだ。
「敵の鬼もでっけぇ剣出しやがるし……どうなってんだよあれ」
銀八が斬馬刀を出した辺りで緋凪は手を出すのをやめていた。下手に絡めば事態が悪化するだけだし、お互いに手札を隠さなくなってきたせいで攻撃圏が広がっている。今できることは、巻き込まれた人の気配がないか探ることと二人の戦いの転機を待つことだけだ。
少しした辺りで、注意深く二人を見る緋凪の元に折り紙の蝶がひらりと舞い降りる。困ったようにしばらく空中で踊り、仕方なさそうに肩にとまった。
『聞こえますか?』
「おわっ。ええと、アンタ宗司だっけか」
『聞こえているようで何よりです。お互いの現状把握をしたかったのですが……無理そうですね。こちらも大変なので助勢を求めたかったのですが』
「あー無理無理。仇敵の内の一人見つけちゃったから簡単には止まらんぞ」
疲労が声だけで伝わるが、緋凪は宗司の依頼をバッサリと切って捨てた。向こうは向こうで炎の音も何かが破壊される音も響いているから、絶賛追われているか咲乃が逃がした少女が暴走したままなのだろう。いくつもの事を同時に処理しているらしく、たびたび話が途切れる。
『どうしたら止まらせられそうです?』
「目の前の鬼が死ぬか咲乃が死ぬかじゃないかな。咲乃も鬼も止まるような事が起きれば別だけどそんなことまず起こらないだろ?」
『あはは、わりとお互いまずい状況のようで』
「笑い事じゃねぇ……」
飛んできた岩の欠片と地面の亀裂を避け、肩の上の蝶にも一応気をはらいながら広がっていく殺傷圏を逃げる。本格的に自重をやめた二人は留まるところを知らない。咲乃が到着した時にはしっかりあったはずの家屋の壁はとっくに崩れ去り、延焼した炎が燃え移って既に跡形もない。
だが、渦中の二人はむしろ使える場所が増えたと言わんばかりの縦横無尽の戦闘を続けている。
『勝機、もしくは負け筋は?』
「相手がわりと単純だから、少しでも頭が冷めてきたら負けはなくなるんじゃないか。そしたら私も加われるし」
『となると、長引けば長引くほど負け筋が無さそうですが』
「霊気を無茶苦茶に使うせいで制御が離れかけてる神懸りが暴走しかけてるんだなこれが。神懸りは一種のトランス状態だし、制御する霊気がないと無我になって暴れ続けるだろうな」
なんとも言い難い沈黙が二人を包む。
茨木童子の襲撃に驚けば街が半壊させられ、人が落ちたかと思えば二匹の真鬼に睨まれる。それでも咲乃を護るために戦っていたら勝手に暴走、向こうも手が付けられない状態……これが厄日だというなら、緋凪と宗司の運勢は今日が人生最悪に違いない。
これ以上話しても仕方ないからか、蝶の式神が纏っていた霊気が急速に解けていく。何かがあった時はまた起動できそうだが、今はどうやら切断されているらしい。
術ってやっぱ意味わかんねー、と考えていると一つの記憶を思い出した。もしかしたらこういう時に使うのかもしれない。
いまだに二人から飛んでくる攻撃の余波を避けながら、懐から千切れたメモ用紙を取り出す。
そこには『転機』と咲乃の字で書かれていた。
「気を込めて放り投げりゃいいんだったよな。ほいっと……おまじない程度の呪符でどうにかなるもんかな」
ほんのり緋凪の赤い気を帯びた呪符がそれをクルリと舞い、端から解けるように消えていく。
おまじないってうさんくせぇ、と思いながらその光景を黙って見守る。この程度で術になって事態が好転するなら易いもんだ。そんなに効果があるならそれだけで商売できるかもね、などと悪態をついてさえいたのだが。
呪符が完全に消えても何も起こらない。炎に焼かれた熱気が頬を掠めるだけだ。
やっぱりそんなもんだよなと軽く落胆した、その瞬間。緋凪の感覚は誰かが近づいてくるのを感じた。
「速い!」
咲乃の方に向けていた視線を切り、向かってくる何者かの方向に体を向ける。
この速さと身のこなし、そしてこれだけの実力のある動きをしていながらわざと気配を消していないのは中々の強者である自負があるのだろう。もしこれが鬼なら悠長に構えてなんていられない。少なくとも、咲乃たちの戦闘に乱入したら確実に自分か咲乃がすぐに死ぬ。もう片方もすぐに後を追うことになるだろう。
それだけは避けないといけないのだ。
「クソ、次から次へと!」
その気配は壁を伝い、廃屋の瓦礫を踏みつぶして高く跳んだ。猛スピードと完璧な踏み込みでアシストされた影はいとも簡単に緋凪を通り越して、咲乃たちの戦闘のど真ん中に飛び込んでいく。
振り返った緋凪は、銀八の左肩から先がいとも簡単に斬り飛ばされるのを見た。
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