因縁の敵



 懐に仕込んでおいた呪符の術で瞬間的に強化された体が一直線に落下する男へと向かう。

 叶が言う通りなら、あの憔悴した死人のような人は叶の兄の松葉さんだ。宗司の式神が助けるために動こうとしたが、茨木童子に牽制されて動くことができないらしい。だから、咲乃が動かないとあの人は死んでしまう。


「間に合って……!」


 壁を蹴り、長屋の屋根を走り、上空から落ちてくる影に向けて疾駆する。その間も常に蒼愛あおい迦錺かざりに霊気を込め続け、己に強化を掛け続けた。霊気の代わりに守護と神気を賜り、軽い神懸り状態になっているのだ。

 たとえ上空とはいえ、目で見える範囲。百数十メートルを駆け抜けるにはただの強化では足りない。


「待て、咲乃!」


 後ろから緋凪が追ってきているのを。同じように身体強化をしているらしく、戦闘に特化した彼女の方が神懸りをしている咲乃よりも速い。確実に捕まえて城に連れ戻す気なのだろう。

 咲乃自身も茨木童子や近くの鬼が咲乃の事を注視しているのは感じていた。危険は承知していたが、今の咲乃からしたら露払いをしてくれる味方が増えたというくらいにしか考えていない。

 第一目標は、何においても松葉を生きたまま叶の下に連れて帰ることだから。


 滑り込むようにして落ちてきた影の下に潜りこみ、同時に土行符で地面を柔らかくしながら転がって勢いを殺す。


「……ギリギリセーフッ!」

「何がセーフだ馬鹿っ!」


 土に塗れ、細かい擦り傷をいくつも作りながら微笑む咲乃に追いついた緋凪が怒鳴りつける。結局、そうやって怒っている間も周囲の警戒をしているのは緋凪なだけに咲乃の思惑通りだったりするのだが。

 抱きとめた人を見ると、か細いがちゃんと息をしていた。ほっと一息つき、松葉を抱え直す。


「すぐに帰るぞ。その人を送り届けなきゃならん」

「おや、それは困るなぁ。いるかいらんか、ちゃんと答えてもらわなきゃ渡せないよ」


 抱えて立ち上がろうとしたところで、咲乃の隣に何かが落ちてきた。それを追うようにゆっくりと降りてきた茨木童子に向き合いつつ視線を向ければ、すぐそこに無残に拉げた宗司の式神がある。喋るどころか原型すら分からないほどに崩された形代は、霊気が切れたのか燃え尽きるように消えていった。


「数日ぶりだな、二人とも。息災であったか?」

「おかげさまでうちの馬鹿娘が暴走して困ってるよ。なんて土産渡してくれてやがる」


 真正面から対峙する緋凪がそう答える。普通にしていてなお威圧感を放っているが、気にした様子がないこが面白いのかクツクツと笑っていた。

 茨木童子がいるのは城に向かう方面。行きたい方向を塞いでいるあたり、本気で通すつもりはないらしい。


「どうして、叶のお兄さんが貴女たちの所にいたんですか」

「優秀で使える鍛冶師が欲しかったから簒奪したまでよ。何度か抜け出そうとした故に斯様に憔悴しているが、本来であれば巫女どものように手厚くしていたのだぞ?」


 巫女狩りをされた人たちは生きていることが証明された。無論嘘かもしれないのは言うまでもないが、咲乃の勘はそれが真実であると示していた。とりあえず信じて質問を続ける。


「巫女を集めて、鍛冶師を集めて……何をするつもりなんですか?」

「言ったであろう。我が同胞、盟友にして至高の鬼である酒呑童子の復活だ。私の復活は他の幻想共より遅くての……大江山は坊主や宮司どもに奪われたが、酒呑と共に再び支配してみせよう。忌々しき源氏がおらぬ今世ならそう難しくはあるまい」

「そのことに巫女や鍛冶師は関係ないはずですっ!」


 茨木童子が首を捻り、子供の間違いを正すような調子で理由を語る。


「お主らの前で私が見せた術は何だった」

「反転でしたよね。位相や五行を安定させる術を反転させて乱すことで牛鬼を生み出しました」

「では、例祭の目的は。祭りであり重要な儀式……大規模術式の中身を言うてみよ」

「例祭は四半期に一度尾張の霊気調整を……まさか!?」

「そのまさかだ」


 どれほど強固で盤石な体勢をしても、常に流れる清流のように蠢くのが位相や五気というものである。だがそれでは街中に突然歪みや妖が現れることになりかねない。故に無理矢理綺麗な形に整えて安定をさせ続ける。それが例祭で行われる術の本質だ。

 決して時期をずらすことなどできない、そして行わないという選択肢もない。

 そして、その例祭を奴らは乗っ取ろうと言うのだ。


「巫女は神懸りができる。その出世の特異さゆえに妖気だけでなく神気も宿していた酒呑を復活させるには巫女を多数用意しなければならん。そしてそれを統括し、神気の依り代となる物……熱田神宮の儀式を乗っ取るために必要な依り代は剣でなくてはならんのだ」

「そのために松葉さんを……?」

「しかり。そしてそやつを欲している小娘も我が儀式に組み込むにはちょうど良いのだよ」


 奴らは儀式のために叶も使おうとしていた。宣戦布告や襲撃ももちろん目的だったのだろうが、本当の目的は叶だったに違いない。混乱に乗じて松葉を開放、餌につられた叶を捕獲したら目標完全達成だったに違いない。

 いっそう松葉を抱える腕に力を込めて、茨木童子を睨む。


「思い通りにはさせません……!」

「既になっとるよ。何のために小童の式神を無惨に叩き潰し、引き裂いたうえでそこの鍛冶師を落とした所に降りてきたと思っている。……ほれ、来たぞ」


 茨木童子の背後、屋根の上に小さな影が現れた。

 黒白に髪を染めて、耳と尻尾をゆらゆらと揺らして童子を睨んでいる。無遠慮に撒き散らかしているのは霊気だけでなく、妖気も神気も混ざっていた。

 宿った二匹の霊狐の本性を現した叶だ。


「叶ちゃん来ちゃダメ!」

「うるさいです……お兄様を、返せ……!」


 宗司の式神が砕かれるところを、兄が落ちるところを見ていた叶は暴走状態にあった。

 溢れ出る力は留まるところを知らずに荒れ狂い、周囲を軋ませながら茨木童子を威圧する。霊気が虚ろな狐の形を模しては浮かび上がって突進し、触れる事すら敵わないまま消えていった。そして、その虚狐は咲乃たちの方にも向かってきているのだ。

 叶は今、敵と味方の区別がついていない。


「……どうする?」

「動いても動かなくても良くない状況になりそうだよね……」


 叶を止めようとすれば、茨木童子は喜んでその邪魔をするだろう。野放しにしてはいけない筆頭だ。

 では一気に茨木童子に攻撃を仕掛けるか? それも無しだ。二人がかりで全力で挑んでも悠々と対処をされるだろうし、何より後ろから叶に噛みつかれそうだ。

 この場を離れようものなら叶が追ってくるし、茨木童子が野放しになってしまう。


「どうする、巫女とそのお供。炎はすぐにここまで手を伸ばすぞ。衰弱したその男が死なねば良いなぁ?」


 実に愉快、とでも言いたげに咲乃たちを煽る。どうやら茨木童子は事態の推移を見守り、それに合わせて動くつもりらしい。基本的に、こちらがどう動いてもどうにかできるからだろう。

 それならむしろ好都合。霊気を練り上げて、袖口に隠しているいくつかの呪符に込めていく。


「叶ちゃん、痛かったらごめんね。後で謝るから許してね」


 霊気を込めたのは全部で五枚。うち一枚は松葉に張り付け、他の四枚が袖口から飛び出すと同時に緋凪が茨木童子にとびかかった。

 四枚のうち一枚は松葉を乗せて羽ばたく鳥に、二枚は狼の姿になって叶に襲い掛かり、そして最後の一枚は今いる路地から数えて二つほど離れたところの上空で軽い爆発を起こす。松葉を式神に任せたことで手が空いた咲乃は蒼愛を抜き放ち、茨木童子へと攻めかかった。


「何をした、小娘!」

「叶ちゃんも松葉さんも貴女の好きにはさせません! 信用できる人に託しました!」


 茨木童子の背後、二匹の狼に襲われた叶がその口に全身を飲みこまれている。叶を飲みこんだ狼は松葉を乗せた式神と共にその路地を猛スピードで去り、残った狼が茨木童子の背後から襲い掛かる。その狼はあっさり消されてしまったが、咲乃の目論見自体は果たすことができた。

 きっと、今頃合図をした路地裏で宗司の式神に拾われているだろう。


「答える義理はありません」

「そうか。まあ、よいわ」


 こうして話す間にも、茨木童子は二人がかりの猛攻に対処し続けている。

 咲乃から放たれる多種の呪符や式神、緋凪の火炎を纏った拳の合間に差し込まれる蒼愛による一撃が全て意味を成していない。術は拳や爪を軽く振るうだけで消し飛ばされ、蒼愛も緋凪の体術もひらりひらりと舞うように避けられている。

 それどころか、攻撃の合間を縫って放たれる妖気や爪でダメージを負わされてさえいた。


「うむうむ、戦闘術だけで言えばかの頼光四天王と勝るとも劣らんな。二人がかりで、しかも術を使ってやっとではあるが小娘の技量としては充分すぎるであろ」


 あまりにもたっぷりと余裕をにじませたその一言でさえ、妖気を纏っているせいで酷く重くのしかかる。これほど有名な鬼の言葉は、それ一つ一つが呪詛と変わりないのだ。自然と退がりかける足を鼓舞して前へ前へと突き進む。

 だが、話す余裕さえ消えてしまった咲乃たちにはそれほど興味が湧かないらしい。茨木童子の表情が急激につまらなさそうになっていく。


「興が逸れてきたな。未だ暴走をしている気配こそあれど小娘は取り逃がし、お主らは語らう余裕さえ無し。増援が来るまでの時間稼ぎの気配さえ感じるではないか」

「そうでもなければ貴女に勝つなんて無理でしょう……!」

「そうでもないぞ。修羅となった人間の恐ろしさは知っている。命のやり取りをしに来ていない、敵わぬと知っていながら向かってくるのではない者に興味なんぞない」


 息が切れながら、咲乃は二つの事を感じていた。周囲を荒らしている鬼がゆっくりと近づいて来ていること、そして叶を捕獲していた式神が破られて再び叶が暴走していることだ。

 現状叶は他の人に任せるしかないし、鬼が合流したならそんなことを考える暇が本格的になくなる。

 そう考えて蒼愛を握り直した咲乃に向かって、茨木童子が雑に手の平を向けてきた。もう片方の手で雑に頭を掻いているあたり、本格的に興が逸れたらしい。


「あー、やめだやめだ。つまらぬ。本気で殺しに来ぬ者とやり合うのは本気でつまらん」

「逃がすとでも思ってますか。宗司さんが絶対に増援を呼んでいます。それが来るまで持ちこたえて、絶対に貴女を祓います」

「じゃからそういうのが興が逸れると……まあいい。後のやつに任せるとするかの」


 戦闘が止んでいる間に随分と近づかれていたらしい。茨木童子には及ばないが、十分な妖気を放つ鬼の気配が背後から近づいてくる。挟まれる形になってしまったから、緋凪と背を合わせて向かってきている鬼の方へと向いて戦闘に備えた。

 いつの間にか完全に日が落ちて暗くなっていた路地から、ぬっと鬼が姿を現す。


 ざんばらの短い銀髪に適当に引っかけただけのような甚平を着た、若い男の鬼だ。身長は咲乃より少し高い程度で少年みたいな見た目だが、その容貌に似合わない返り血がべったりと顔と拳に付着している。


「あれ、茨木さん小娘は? この二人じゃなかったよな」

「取り逃がしたぞ。まあ、未だ暴走していて手が付けられん状態みたいだがな。あるいは今から狙うのもありかもしれん」

「あ、じゃあ行きます? 狐が二匹も憑いていたらそんな簡単に死なないっしょ」


 無邪気な笑みが恐ろしくしか感じない。反射的に斬りかかりそうになる体を抑えて、その挙動を見逃さないように集中する。

 だが、銀髪の鬼はそもそも咲乃たちが見えていないようなふうに茨木童子と話している。


「このまま行ってもこの小娘どもが追ってきてややこしくなるだけだな。銀八、こいつらの足止めをしておけ。出来そうなら巫女の方は連れ帰って来い。この巫女ならあの小娘を逃しても代わりにならんこともないからの」

「お、もし茨木さんが逃したら俺の事怒れなくなったりします?」

「それは関係なかろう。……それにその汚名を返上する機会はまだあるやもしれんぞ?」


 茨木童子の気配がゆっくりと離れ始める。本格的に叶の方に向かうつもりらしい。追いかけたいが、既に咲乃に向けて威圧をかけ始めた銀八のせいでそうもできない。命令はしっかりと果たすようだ。

 訝し気に銀八が言葉を重ねる。


「どういうことだ……ってまさか」

「そのまさかだ。そこな巫女の霊気はいつぞやの宮司の物に似とる。後は好きにせよ」


 茨木童子があっさりと屋根の飛びあがり去っていったが、咲乃はそんなには意識が向かなかった。今の二人の会話を理解しようとして混乱し、と思いながら銀八へと視線を向ける。

 それに応えるように初めて咲乃たちを見た銀八は、至極嬉しそうに叫ぶのだった。


「おお、見つけたぜ。久しい……ってお前はどっかに隠されてて俺の事知らねぇんだっけか?」

「何を、言って……」

「いやー、あの後めっちゃ茨木さんに怒られたんだよ。獲物逃がしたの初めてだったしへこんじまってさー……でも、ようやくどうにかできそうで助かったぜ。元の目標だった宮司と巫女は勝手に殺されちまってたからよ。でも同じ神社出身で似た霊気なら大丈夫だろ」


 嘘だ、と叫びたくなる。頭の中がどうにかなりそうだった。

 震えながらも、蒼愛を握る手には力が籠っていく。既に軽く暴走を始めた霊気と神気が咲乃の中で渦巻く。


「まだわかんねぇか、


 誰かが後ろから名前を呼んだ気がした。

 既に目の前の鬼を斬りつけていた咲乃には、全く意味のないものだったが。


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