襲撃と崩壊



 昼を過ぎて、午後四時半。朝にした占いの事が頭の中から抜けたころだ。

 午前も午後もみっちりと舞いの練習をしたので今は休憩中だ。動きは全員しっかり覚えられていることが確認できたから、実際の衣装とほぼ同じものを着て舞ってみたりもした。専用で用意されたものだからか、わりと着込んでいるのに動きやすいのが印象的だ。

 休憩室の片隅、壁に背中を預けている祭がボヤく。


「つーかーれーたー!」

「祭さんは三年目なんだから慣れていてくださいよ。伊勢神社の行事や他の所に派遣されている分で考えたら年中動く体力があるはずですよね?」

「それはちゃんと休んでいるからだもん。疲れるものは疲れるの!」


 そう言うと余計に脱力した。着崩れかけた巫女服を叶と紫が整えているけど、成果はあまり見られない。そのまま畳に倒れ込みそうな勢いだが、それはさすがに踏みとどまっているようだ。

 咲乃も、祭ほどではないが結構疲れてはいた。普段着ている運動を想定した巫女服ならともかく、神楽のためのものとなるとそうはいかない。比較的動きやすいとはいえ三枚は衣を重ねなくてはいけないのだ。そのうえ咲乃は一番動かなくてはいけない花形。正直、休み時間があって一番助かっているのは咲乃かもしれない。

 もっとも、今はそれぞれの巫女服に着替えているからだいぶ楽なのだが。


「源治さんがずっと忙しそうにしてたのが気になって……」

「あー、分かります」


 宗司が言っていた通り、源治は護衛をしている間もずっと部下たちに指示を出していた。部屋の扉はずっと開けっ放し、常に三人は話しているのである。途中で五人と同時に話しているときはさすがに目を疑ったけど。

 やはり裏では忙しい人だらけらしい。


「関所の出入りは特に今すごく厳しいって話だもんねー。全部の門に五人以上の警吏と陰陽師が隠密看破の呪具で待機してるから通行も滞ってるって話だよ」

「宿もかなり圧迫されてるらしいわよ。周辺にも告知したから、国の中でちゃんと保護してもらおうって思った人たちがたくさん来てるんだって」


 昼にはわりと街を歩いていた人がいたが、それは外から来た人たちだったようだ。行商人なんかは特にその傾向が強く、情報が早い商人ほど長くいい宿を占有する。その動きを見た他の商人もこぞって宿をとり……というループが続いているのだとか。

 そんなわけで、今でも街にはまあまあ平均と変わらない人数が歩いているのだ。


「んー……ねえ咲乃ちゃん、隠形とかってどれくらい相手にしにくいものなの?」

「私は呪具とかを使って探したことがないので厳密には分からないんですけど……普段から外を出歩いている人たちほどそういうのは敏感だと思います。化かされるのに慣れていて、いつもどこか気を張っていますから」


 妖怪などが普通にいる現代では、狐狸に化かされるというのは結構ある話なのである。行商人や陰陽師がまず最初にする特訓の一つには、そういった化かしに気が付けるようになることと破れる手段を持つというものがあったりもするのだ。

 咲乃たちのように旅をしている人や護衛任務になれている傭兵なんかは、隠形をしている鬼がいても気が付ける可能性が高い。


 半面、警吏や側仕えなんかは基本的な仕事場が守られた街の中や城だ。化かしや妖怪への耐性も心構えもできていないことが多いのである。そのせいで、化けた狐狸や鬼に勘だけで気が付くというのはまず無いだろうと言えるのだ。

 当然咲乃は前者の気が付ける人だ。巫女としての感覚と旅をしている間に培った危機管理能力のおかげで気が付ける割合は高いに違いない。


「警吏がそういう作業に慣れていないことは宗司さんも源治さんも知っているはずなので、たぶん全員のチェックをしていると思いますよ。その分街の外は長蛇の列ができていそうですけど」

「ってなると余計に分からないのよねぇ……」

「分からない、ですか?」


 紫の言葉に首を傾げる。慣れていない人が多い中で専門家ともいえる陰陽師を複数配置しているのはさすがだと思うし、全員チェックをしているなら漏れがないはず。少なくとも咲乃が考える襲撃対策としては完璧に思えただけに、紫の分からないことが何なのかが分からないのだ。

 咲乃が続きを促すと、言いにくそうに言葉を続ける。


「咲乃ちゃんが出会った鬼の棟梁は変化や隠形ができて、それはこっちに把握されているわけじゃない?」

「はい。なので不手際がない限りは宗司さんたちがしている対策で万全だと思いますよ」

「なら、それは鬼たちも把握しているはずよね。わざわざ三日なんて猶予を与えるような真似をしたら対策をされるのなんて分かりきっている話じゃない?」


 そして一息飲みこんで。


「じゃあ、鬼たちはどこから襲撃するのかしら。もしかしたら強引な手を使うんじゃ、って考えてしまって……。嫌ね、良くないことが近づいているせいか考えが悪い方に行ってしまうわ」


 その言葉を聞いて、反射的に霞の方に視線が向いた。霞も同じように咲乃の方を見ている。きっと、似たような硬い表情をしているのだろう。

 疲れていた体が勝手に動いて窓の方に向かう。霞が続いたのを見て不思議に思ったらしい叶まで窓際に来た。


「……何もないようね」

「はい。尾張の国を囲っている垣根にも特に綻びはありませんし、騒ぎも起きていません」

「なんですか二人して。嫌な感じの事を言わないでください」


 叶のお小言が隣から聞こえても、外に向けた視線を戻そうとは思えなかった。


 刻は夕暮れ時、空が茜と紫に染まる逢魔が時。陰と陽が入れ替わる境目、混沌とした時間。



 そう、この時間に妖は蠢き──そして、何でもないような顔をして人々の前に現れては厄災を巻き散らかすのだ。



「あら、あれは何かしら?」


 そう呟いた紫の呟きが、平穏の最後だった。


 叶に続いて窓際に来た紫が指し示したのは、尾張の国

 見る間に姿を変えていく空の中で、日の色が変わっているせいで気が付けなかった一点の染みのような黒い影。何もない所に人が立っているような、視界を掠めるだけで違和感を感じる情景だ。そのせいか、瞬間的に背筋が凍るような感覚に襲われる。


 その上空に立つおぞましい気配の主が、不敵に笑った気がした。


「だめっ」


 反射的に叫んだ時にはもう遅い。

 気配の主を中心に妖気が猛烈な勢いで凝縮されていく。城にいる警吏や陰陽師たちも気が付いたのか城が慌ただしくなっていた。だが、誰も事態の進行を止められない。

 巫女の休憩室に緋凪や源治、そして護衛の面々が駆けこんでくると同時に異変は最大の物となる。


 現れたのは特大の焔玉。

 小さな村なら複数個巻き込んで近隣の森ごと燃やし尽くしそうなほどの巨大なものだ。夕暮れ時、提灯に灯りが点されようかというこの時間帯に現れたもう一つの太陽。赤々と暗くなってきていた城下街を照らしだしている。

 それをどうするかなど、誰の目にも明白だった。


 中空の人影が腕を振り下ろすと同時に、連動して焔玉も目下の街へ向けて急落していく。


「だめーっ!」


 反射的に身を乗り出した目の前、城から百数十メートルの位置に着弾した。

 焔玉は着弾と同時にその形を崩して燃え広がる。衝撃で爆ぜるように広がった劫火は広範囲を滅却し、その全てを灰燼へと変えていく。

 反射的に水行符を複数枚使って着弾点に水をかけていく。辺りから駆け付けた警吏や陰陽師も必死に対応しているが、着弾の衝撃だけでその近くにあった家屋が跡形もなくなっていたことを考えたらどれほどの効果があるのか。

 咲乃のかけた水もこれといって効果を発揮した様子はない。叫び声や悲鳴が尾張中に鳴り響き、その間も炎は街を燃やしていく。


 不意に、声が聞こえた。妙齢の女性のような、悪戯が成功して御機嫌な子供のような、なんとも言い難い不快な声が。


「──ああ、気持ちがいい。蹂躙し、破壊する。それらが我らの務め故に、このような挨拶もまた必定」


 鬼の棟梁だ。あの日に少しだけ聞こえた、中空に浮かぶ棟梁の。


「集え、我が配下の五人衆よ。遠き日の同胞にこそ及ばぬが、十分な才覚を持つ真の鬼たちよ」


 その一言が号令だったのか、尾張の国の五つの場所で妖気が爆発する。先の一撃ほどの力はないものの、けっして狭くない範囲が吹き飛ばされたらしい。

 源治が「すぐに戻る」とだけ言い残して部屋を飛び出していった。想定していた事態を遥かに超えた緊急事態になったためだろう。現場ではとっくに動きつつ、先の先の指示を求めに来た部下の対応をしに行ったに違いない。


 私も、と動きかけた体を緋凪に掴まれた。


「行くな。アイツらの狙いがお前じゃない保証がどこにある」

「でも……!」

「冷静になれ。奴らがしていたことは巫女狩りだ。そしてただの襲撃というのなら、宣戦布告と言っていたはずの今するのはおかしいだろうが。何か他にあるはずの目的がお前じゃないって言いきれるか?」


 何とか踏みとどまることはできた。だが、きっとこれ以上何かをされたら踏みとどまれない気がする。

 号令で現れた五つの妖気は、それぞれが散発的に動いている。適当に暴れろ、という指示を受けているのだろう。何かを目指しているような動きは無いし、たどり着いた警吏から順番に戦闘をしているだけという感じだ。

 殲滅速度や破壊範囲こそ異常だが、何かをしたいという意思を感じない。


 最初の混乱が落ち着き、迅速な対処が始められた辺りで再び棟梁の声が街に響く。


「さて、我らの脅威は多少理解してもらえただろう。よって、かねてより言っておいた戦線布告をさせてもらおうか」


 下から炎に照らされ、姿がはっきり見えるようになった。あの日と変わらない俄かに着物を着崩したような装いが長身に嫌に似合っている。象徴的な赤と黒の角は、炎に負けじとばかりに輝いていた。支える物のない空中にいるはずなのに落とせそうな気が少しもしない。以前との相違点は、左手に掴まれている巨大な包みくらいだろうか。

 棟梁が全身に緩く霊気を巡らせ、右手にはめていた手袋を外した。

 白手袋の下から現れたのは、美しい容貌には似合わない萎びた鬼腕だった。



「我が名は! そなたらの祭りを簒奪し、我が物にせんと企む者である! 此度の例祭を我が盟友……酒呑童子の復活の儀にすることをここに宣言させてもらうぞ!」



 高らかに宣言したのは、有り体に言えば地獄の再現という他無いだろう。

 かの有名な茨木童子だけでも敵う筈がない相手だ。並みの警吏や陰陽師では傷一つ与えられないに違いない。たとえ万全の備えをして挑んでも少なくない被害が出る。

 だが、本来茨木童子は鬼の棟梁。酒呑童子という、生まれからして規格外の鬼が本来の棟梁なのだ。茨木童子を遥かに凌ぐ、生きる天災とでも言うべき鬼が復活したらどうなってしまうのかなど、予想もつかない。

 待っているのは破滅のみだ。


 咲乃が拳を握りしめると同時に、城の上の方の階から飛び出てきた白い鎧武者の式神が茨木童子の目前へと躍り出た。


「ほう、久しい相手だが……この私の前に式神で現れるか。無礼とは思わんのか?」

「のこのこ出て行って斬られるほど愚かではないのですよ、茨木童子」


 式神から響いたのは、宗司の声だった。桔梗の護衛として張り付きつつ、できる限りのやり取りをするために式神を飛ばしたに違いない。

 しかも、どうやら茨木童子は宗司の事を知っているような口ぶりだ。驚いてそのやり取りに耳を傾ける。


「あの時の小娘はどうした。逃すのは惜しい得物だったのだが」

「貴女方と違って正当に努力を積み重ねる子ですし、どこかで頑張っているでしょう。私の与り知るところではありませんね」

「よく言うわ。そなたの斯様な言い訳を私が聞くとでも思うてか」


 茨木童子の右腕に妖気が溜まっていく。鎧武者の式神は前に出て以来動いていないが、少しでも動けば潰されてしまうだろう。宗司は動けず、一時的に茨木童子の気を惹くことしかできていない。

 会話でも状況でも主導権を握っている童子が、話を引っ張っていく。


「思えば私は、いつも狙い目の得物こそ取り逃がしておるな。やはり部下ではなく自分が動かねばならぬかもしれん」

「下手に動けば即座に討滅されますよ。それくらいの事は今の人間でもできる。貴女が伝承になる前に生きていた平安のようにはなりません。今無事なのは、私たちが本格的に討伐をすることを選んでいなかったからだ」

「相変わらず気に障る小童だ。……だが、まあいい。とある土産物があるのだが、見たくはないか?」


 宗司が挑発しても揺らがず、話の主導権を譲らない。そのことが、咲乃にとっては酷く恐ろしく感じた。


「貴女方の要求は飲んでも飲まなくても酷いことになるのが常なので、聞かなかったことにしたいのですがね。どうせその左手の包みでしょうし」

「そう言うでない。見ねば後悔するやもしれんぞ?」


 茨木童子の笑みが深まる。それに宗司は応えない。


「お主はいらぬかもしれんが、あの小娘は欲しがるであろうなぁ。……うむ、決めた。いらぬなら返してもらえばよい。見せてから決めるとしようかの」


 ガバリ、と両腕で布の包みが開けられた。袋の口を開けるだけにとどまらず、不快な音を立てて破り開かれていく。

 そうして中から見えたのは一人の男だった。生気がほとんどない、死にかけのような男だ。彼を包む布が無遠慮に破られていき、ぐらりと揺れた体が中空へ倒れ込んでいく。


「お兄様……!?」


 その声が叶から発せられると同時に、咲乃は窓枠を蹴って飛び出していた。



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