四面占い
翌日、咲乃は雨の音で目を覚ました。
丑三つ時に攻め込まれるようなことはなく、雨音以外は特に何もない平穏な朝だ。寝苦しそうな顔をしている緋凪に回していた腕を抜き取り、むっくりと起き上がる。
洗面所で顔を洗い、髪と服を整えて、お札で一気に乾かしてから緋凪を起こして同じように洗面所へ。セミロングをサイドテールにしている咲乃と違って、長髪の緋凪は手入れに時間がかかるから手伝うのだ。寝る時に抱き枕にしているお礼も兼ねている。
髪に櫛を通していると、ようやく目が覚めたらしい。
「……おはよ」
「おっはよー。雨雲が濃くて分かりにくいけど朝ですよー」
雨打を叩いて、雨樋を流れる水の音が心地いい。緋凪が感じているかは分からないが、桔梗の神気が混ざったこの雨は咲乃にとってはかなり気持ちが良くなるのだ。
緋凪に何度その話をしても「よくわからん」の一点張りだったから、それからは言ってないけど。
「よし、これで髪は梳かし終ったよー」
「さんきゅ。あとは自分でやる」
洗面所を出て、改めて持ち物の確認をした。
いつもに増して不測の事態に備えられるような準備をしている。事前に宗司に確認して、今日の練習に多数の呪符を持ち込むことは許可されている。夜になった時点から張られている結界でガチガチに固められているこの城ならまず大丈夫のはずだが、それでもできる限りの準備はしておきたかったのだ。
宣戦布告の時に狙うとは思いにくいが、今回も巫女狩りをしてくる可能性はあるのである。
「緋凪の準備はどう? 大丈夫?」
「籠手は昨日確認してあるから問題ない。私の使う術とかには道具も必要ないから特に準備する物ってのはないよ」
二人で部屋も整えて外へ。あっさり通り慣れた城内を歩いて食堂に向かう。
今日は街の人たちにもちゃんと通達が行っているらしく、外から普段は聞こえる喧騒がない。尾張全体で備えているらしく、ふと窓から外を見ても店は閉まったままだった。道を歩いているのもごく少数で、最低限だけが出歩いている感じだ。
もっとも、静かな雰囲気も好きな咲乃にとっては関係のない話なのだが。
とりとめのない話をしているうちに、あっさりと食堂についた。
「おはようございまーす!」
「今日も早いね。一番で来ると思ったから準備してあるよ」
食堂のおばちゃんは相変わらずの有能具合だ。完全に咲乃様に調整されたと言っても過言ではない朝ごはんを食べて、次第に警吏の人たちが続々と入っては出ていく姿を見る。今日までに見ていない人や文官らしき人も沢山出入りしているし、咲乃たちが知らないだけで鉄火場のようになっている部署は沢山あるのだろう。
「そういえば、宗司さんたちは今日どうするんだろう?」
「おや、知りたいです?」
「うわびっくりした! いつからいたんですか!?」
「ついさっきですよ」
周りをぼけーっと見ながら食べていると、いつの間にか隣に宗司がいた。咲乃は観察に夢中で気が付いていなかっただけで緋凪は気がついていたらしく、案の定ため息を吐かれてしまう。
「私も源治も今日は忙しいですよ。皆さんが昨日のお昼に帰ってきたあたりから仮眠して、夜中になる少し前あたりからずっと働いてます。恐らく今日が終わるまで寝れませんね」
「うわぁ……」
鉄火場の部署があれば、まとめている人も当然鉄火場なのである。何時に襲撃があるか分からないだけでなく、どこから最初の火の手が上がるかも分からない現状では寝るわけにいかないのだろう。
姿を見ていないが、源治もどこかで警吏や雇った腕利きに指示を出しているに違いない。
「咲乃を源治さんも護衛するという話はどうなるので?」
「ご心配なく。この後皆さんが稽古場に行くでしょう? その時に出入り口で待機して、その場で部下に指示を出しながら仕事をします。緋凪さんに負担はそれほどかからないはずですよ」
出入り口で矢継ぎ早に指示を出す源治の姿を思い浮かべて、思わず苦い顔をしてしまった。強面の源治が怒声交じりで指示なんかを出していたら、練習に集中できるか分かったものじゃない。緋凪も同じことを考えているようで、隣で無言で困った顔をしていた。
言いたいことはあるのだろう。だが、一門の宿を提供してもらっているうえに今は雇用主だ。なんでもない相手ならいつもの口調でツッコミを入れているはずだから、必死に耐えているに違いない。
「とにかく、それほど皆さんに負担はかからないはずです。街の人たちにも通達をしてますから万全のはずですよ」
できる限り、と言わないのは不安にさせないための優しさなのだろう。普通に考えて、軽規模と予想されているとはいえ真鬼からの襲撃に三日で万全に整えるなんてできるわけがないのだ。情報も準備も何もかも足りていないはず。
だが、それを思い煩わないためにわざわざ話に来てくれたのだ。
「……それ、ちゃんと叶ちゃんにも言ってあげてくださいよ?」
「あの子は言わなくても気が付きます。それに言えば余計に心配してしまいますよ、きっと。咲乃さんも黙っていてくださいな」
心配したいだろうに、とは言わないでおく。どうせ咲乃は自分がそういう話を隠すのが不安で態度に出てしまうだろうし、それを感じた叶は勝手に察して飲み込むと思ったのだ。
無理に咲乃が伝えなくても、勝手に伝わってしまうのである。
「まあ、こうして話している意図がバレてしまってはしょうがないので今は退散します。稽古頑張ってくださいね。明日見に行った時にあまり上達していなかったら特別授業です」
「それは嫌なんで頑張りますっ!」
軽く笑みを見せて、宗司は席を立った。
時計を見上げればもういい時間だ。話にほとんど参加していなかった緋凪はもう食べ終わっている。置いていかれないように、咲乃も残りをかき込むのだった。
◇ ◇ ◇
稽古場には、既に霞と叶が来ていた。来る道中で会った紫は咲乃と一緒である。
いつも寝坊した祭がボサボサの髪で来るので、それを待っているところだ。紫が祭の髪を直してからようやく始まるのである。
そして、その姿にプリプリと叶が小言を言うまでがセットだ。
「今日も祭さんは遅れているのですか」
「ま、まあまあ……」
来る前から小言がスタートするとは思わなかった。とりあえずお茶を淹れるのに誘って気分をそらしてもらいたい。関係ないところに飛び火させたりはしないだろうけど、開始前からピリピリしているのは良くない。
手招きして呼び、急須に火産霊の札を張りつけて手渡した。
「横着は良くないですよ。ポットあるじゃないですか」
「両方とも霊気を使ってるじゃん! 一緒だよ!」
「丁寧に淹れないと美味しくならないんですから、ただ温めるだけのお札を使うのは横着です。茶葉ごと温めないでください」
私から急須を奪い取ると、丁寧な手つきでお茶を淹れ始める。そうすると紫も混ざってきて、淹れる時の注意やワンポイントアドバイスとかを教えてくれた。茶葉の見分け方とそれに応じた淹れ方の変更、足らないときの対応や温度調節についても詳しく解説してくれる。
昔トクさんに教わった雑なやり方しか知らなかったから、真面目に耳を傾ける。
「二番茶ではまた対応が変わりますからね。今回は全員分がちゃんと準備できているのでいいですが、そうじゃないときは注意してください」
「ありがと叶ちゃん!」
「抱きつこうとしないでくださいっ」
軽く抱きしめようとしたら、動き始める前に逃げられてしまった。解せぬ。
外を見ていた霞にも湯飲みを持っていき、祭の分はお盆にのせたままで四人でお茶を飲む。そして、一息をついたところで祭が入ってきた。なぜか源治と一緒に。
「おっはよーう!」
「遅刻です」
「源治さんもいてなんで遅れたんですか……」
祭の後ろから入ってきた源治は、既にかなり不機嫌そうにしていた。その視線が部下ではなく祭に向かっているあたり、彼女がなにかやらかしたのであろう。源治が素で遅れるとは考えにくい。
「俺がここに来るまでに最上階でフラフラしてたこいつを捕獲していたら遅れた。苦情はコイツに言え」
みんなの視線が祭に向かう。
「祭さん?」
「信じられないかもだけど、迷った!」
「アホですか?」
辛辣。そして容赦がない。
ただ、別に堪えた様子もないしこの二人なりのコミュニケーションなのだろう。よくわからないけど。
そして祭は本当に迷っていたらしく、寝ぼけたまま謎の行動力を発揮した結果見たこともない場所にたどり着いていたらしい。さすがにやばいなー、と思った辺りで偶然通りかかった源治を発見。泣きついて連れてきてもらったのだとか。
なんで登場したときあんなに堂々としていたのだろう。
「よっしゃ、練習だー!」
「まずは髪を直しましょうね。女の子は身だしなみが大切よ」
「ついでに朝ごはんを食べてください。寝ぼけていたということはどうせ食べていないのでしょう?」
来て早々紫と叶に世話を焼かれている姿を見て、お茶を淹れてよかったと思った。わいわいやり始めた三人から離れて、まだ窓の外を見ている霞の方に向かう。
雨と黒い雲しか見えないはずだけど、何を見ているのだろうか。
「ねえ、咲乃さん。占いってできる?」
「へ? 簡単なやつならできますけど……」
窓に向けていた顔を、こっちに向けて悪戯な笑みを見せる。
「じゃあ、簡単な占いをしてみましょ。そうね……何時に鬼が来るか、とかでどう?」
「はい!」
咲乃が頷くと、霞は置かれているメモ用紙を一枚破りとり、十字を書いて四面に分ける。そこで咲乃に筆を渡し、自由に何時来るかの予想を任せた。
今は大体朝の八時。一日を四等分するには時間が過ぎているから、別の四つをかき込む必要がある。
「じゃあ、お昼、夕方、夜、深夜で!」
「分かったわ。それじゃ裏返して、と」
紙を裏返すと、適当に数回転させる。霞にも目を閉じて数回回転してもらい、適当なところで止めた。これで、咲乃からは何となく裏の文字が透けて見えるが霞には全く分からない状況のはず。
これだけだとお遊びの範疇なので、咲乃は懐から『転機』と書かれた呪符を取り出して起動する。仄かに光を放つ呪符を霞の右手に張り付けて、合図を出した。
呪符を貼って行うことで占いとしての意義を少しだけ後押ししたのだ。この状態で四面の中の好きなところを指してもらえば、それで占い完了である。
「……これかしら」
「はい、目を開けて大丈夫ですよ」
正直言って、少しだけ結果に驚いたのだと思う。目を開けた霞も、そして紙を見せた私も驚いて固まっていたから。
そして、同時にそうじゃないかって考えてもいたのだろう。だからほんの少しだけ迷った末に当たり障りのない名称で書いたのだから。心のどこかで、その予感から逃れたかった自分が動いたのかもしれない。
でも、結果は出てしまった。巫女の占いで、出てしまった。
霞が指し示したのは夕方。別名――『逢魔が時』。
正と否、白と黒が入れ替わる混沌の時間。咲乃が鬼の棟梁と出会ってしまった、魔の刻である。
騒がしくなる後ろの三人を尻目に、咲乃と霞は固まることしかできなかった。誰も言わなかったし意識しなかった、何となくある嫌な予感が浮き彫りになってしまったのだ。それが自分だけの感覚でないことまで含めて、である。
霞がメモ用紙を握りつぶした。ついでのように咲乃の手からさっきの火産霊の呪符を取り、起動させて瞬く間に燃やし尽くす。これで結果どころか何があったのかすら分からない。
「……言わなくていいわよ」
「はい、わかってます」
何とかいつも通りの笑顔を取り繕う。
だが、その手は無意識に二刀の柄を撫でていた。
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