備え



 工房から城に戻るころには、夜になっていた。

 夜闇が城下街を覆いつくすと、辺りは提灯やぼんぼりの明かりに照らされてほのかに赤と橙に染まる。それを頼りにより一層迫力と声量を増した客引きや話し声が、街の雰囲気を変えていった。子供はとっくに家に帰り、大人の時間である。


 そうなれば、もちろん咲乃たちも城の部屋で寛いでいるわけで。


「はしゃいでいたのもあると思いますけど、今日一日で結構疲れました……」


 巫女用の控室で、五人で体を休めていた。霊気は、気分と体力の回復を促すことで同期して効率的に回復をする。風呂に入っているときや美味しいご飯を食べているとき、そして寝ているときに体全体に漲っていくのだ。

 霞と叶は背筋を伸ばしているが、それ以外の三人は比較的だらけていた。お菓子とお茶を楽しみつつ、とりとめのない雑談をしている。


「宗司さんからお話を聞いた時にあまり驚いていなかったし、咲乃さんは鬼の話を知っていたんですよね?」

「数日早いだけだけどね。牛鬼と戦った翌日にあの矢文が来たらしいから、すぐに教えてもらったよ」

「ねぇねぇ、そのとき会ったって言ってた鬼の棟梁ってどんなのだった?」


 叶に振られた話に応えていると、祭が身を乗り出して聞いてきた。

 どうやら、こういう話にも興味があるらしい。


「どうって言っても……結構背が高い美人だったよ。角が三度傘を突き破って伸びてたのと、右手の右腕の白手袋が気になったけど」

「うわあ、角の迫力凄そう。見てみたかったなぁ……って、白手袋? 右手に?」

「うん。手首より少し長いくらいの白手袋してたよ」


 それを言うと、珍しく祭は深刻そうな顔をして黙り込んでしまった。叶や紫もその様子に驚いていたけど、そんな視線にも意を介さずに一人で考え込んでいる。

 何を言っても無駄と思ったのか、霞が話題を変えてきた。


「まあ、考えたところで分からないものよ。それより、まあまあの日数をこの尾張で過ごしたわけだけど、どうかしら?」

「今までみてきた街の中でも一番人が多いんでびっくりしましたけど、わりと慣れました。人混みはまだ苦手ですけど」


 ご飯もおいしいですと続けると、紫も霞もそうでしょうと言いたげに頷く。

 紫は熱田神宮の巫女だし、霞はじつは母型の叔母が尾張出身で尾張飯を食べて育ったらしいのだ。この五人の中では、住んでいる紫を除けば一番尾張に詳しいらしい。年齢的にも、例祭でお勤めを果たした回数が多くなるのは当然だ。

 霞も、この尾張は第二の故郷として思い入れがあるのである。


「この城では食堂があるから無理だけど、いつか私の尾張料理を食べさせてあげるわ。楽しみにしてなさい」

「やった! 約束ですよ!」


 この後は、緋凪を加えた五人で夕飯を食べて、一緒にお風呂に入って終わった。


 そして、その翌日の朝。

 再び部屋に集った五人で、今日の動きを確認していた。


「今日は午前中に挨拶回り、午後は舞いの練習ね。なかなか大変だけど頑張りましょ」

「しかも挨拶回りは二か所ですもんね。かなりハードです」


 いくら空馬車……昨日の空を飛ぶ馬車が使えるとはいえ、霊気奉納だけでかなり疲れる作業なのは昨日で実感した。しかも、昨日のはあくまで神棚と工房の御神体に奉納しただけだからかなり楽な部類らしい。周る神社や寺の格次第では、昨日使った霊気の数倍を平気で消費するのだとか。

 今日行くのは白山神社と針名神社。熱田神宮から東に行くとある神社である。つまり、昨日よりも霊気を使う所二か所だ。


「準備はいいですか?」

「おっけーです!」


 昨日と同じように、雲すれすれの階から空馬車で飛び発った。城下街に降りた昨日とは違い、東にまあまあの距離を移動する必要がある。その間は暇だから、できるだけ霊気をためるためにも座ったままでできる限りくつろぎながら向かった。

 ただ座ってていてもつまらないし、話はわりとしているからということで祭と綾取りとかをして過ごす。


「でも、何だかんだ言って明日が予告されてた襲撃日かぁ。意外と早かったね。……ほい、咲乃の番」

「桔梗様や宗司さんも対策してるし、大丈夫だと思うよ。外からも陰陽師や警吏の人たちまで雇うって言ってたし。はい、祭の番だよ」

「ほへー、そうなんだ。牛鬼と真鬼じゃ比べられないかもだけど、実はあんまり強くなかったりするのかな? はいどうぞー」

「うーん、どうかなぁ……少なくとも、あの鬼のリーダーはかなり強そうだけど」


 あの、向かい合った時に感じた威圧感は普通じゃなかった。変化して妖気の圧を抑えていたのを少し開放しただけであれなのだから、本来の実力はどんなものなのだろうか。

 ただ、真鬼と会ったのはあれが初めてだ。戦ったことは無いし、他の例を知らない以上それ以外の事は言えない。


「たぶん、緋凪と一緒に一体だけ相手にするならできると思う。でも一人で戦うのは厳しいかなぁ」


 咲乃の基本戦術は、術や符術を使って相手の出方や特性を見つつ霊気を溜めてから蒼愛と迦錺で斬るというものだ。霊気を溜めたり特性を見極める間前衛を務められる緋凪は、とても相性の良いパートナーなのである。

 その緋凪と共になら、少なくともただの真鬼となら五分には戦えるはず。咲乃はそう考えていた。


「私たちはそういうことは関わらずに今まで来たから、実はかなり不安かな。戦線布告で終わるとは思えないし、ただの宣戦布告とも思えないから。はい、どーぞ」

「巫女狩りをしている、なんて言われたらそうなるよね。私は刀の師匠のおかげで戦えるけど術とかを使うのは苦手だし、もし師匠と会ってなくて戦えなかったら今はすごく不安だと思うもん。……これでまた川だね」

「同じ綾取りの手順を何度したら気が済むんですか……」


 咲乃と祭がしていたのは、川から始まって船、田んぼ、ダイヤ、カエル、ダイヤ、鼓、そして川と続く綾取りだ。見れば分かるように、この手順は間違えない限り何度でもループさせることができる。

 いくら空路とはいえ時間がかかるからと二人用の綾取りを始めた二人だったが、その手順は既に五周はしているのだ。


「やってみるとわかるけど、なんでか飽きないんだよねー」

「叶ちゃんもやる? 意外と楽しいよ?」

「やりません」


 むう、つれない。

 仕方ないからまた二人で川から始めることにした。


「フェイント有り、崩したら罰ゲームね」

「え、そんなのやったこと……あっ!」


 ……この日の挨拶回りが終わるまでに二十周はした。途中で結局叶が混ざってきたのはご愛嬌ということで。



◇ ◇ ◇



 挨拶回りから帰ってきたころには、城の警備がかなり厳重になっていた。明日が襲撃ということだけは輪分かっているが、具体的に何時からかまでは矢文に書かれていなかったはず。つまり、今夜から厳戒態勢を布いておくことで一日中対策するのだろう。

 門番は妖対策の術具や武器を持たされて、普段より人数も増やしている。そしてその脇には陰陽師らしき人も控えていた。


「早いねぇ。でもまあ、鬼の襲来っていったら分類は天災だもんね」

「いわゆる天災と比べると来るって分かってるだけマシ、頭脳と的確な暴力がある分厄介って感じでしょうね。まあ、しょうがないわ」


 城に出入りする人間は全員厳しいチェックをされているようだ。今日何度目とか、普段から出入りしているとかは関係なく確認をしていると宗司が言っていた。咲乃たちでさえ空馬車から降りたらすぐに厳しいチェックがあったのだから、かなり警戒をしているのだろう。

 たとえ術に疎くても、注意をしていれば咲乃でも気が付けた。であれば、ここまで警戒している本職なら気が付けないはずがない。

 何とかなるでしょ、と考えていると叶が咲乃に問いかけた。


「咲乃さんも何か対策したりしないんですか?」

「対策かぁ……んー……」


 できない事はない。各所にお札を張っておいたり、厄払いや祈祷をしたりして鬼が城に入りにくくすることはできる。だが、その役を勝手に咲乃がしていいのか、そしてそういうことに大々的に霊気を使っていいのかという問題がある。

 できるだけ霊気を使わず、そして個人作用するものとなると選択肢は縛られる。

 そして、その数少ない選択肢から何をするか決めた咲乃は、城に常駐しているお手伝いさんに書きつけるようのメモを手に取った。


「それをどうするんです?」

「護符でも作ろうかなって。木札で作るわけでも上質な紙で作るわけでもないから、効果は落ちちゃうけど」


 手の平サイズのメモ用紙を五人分とり、半分に切って小さな短冊サイズにする。そして、備え付けられた筆を手に取って文字を書き込んでいく。

 内容はシンプルに『守護』と『転機』だ。呪符にする時特有の書体で五枚ずつ書いて、霊気を込めていく。他の四人が見守る中、それほど時間もかからずに出来上がった。そして、自分の分は置いて四人にそれを配っていく。


「どう使うのかしら?」

「基本的には持っているだけで大丈夫ですよ。『守護』の方は、自動で危ない攻撃を一回だけ防げます。『転機』のほうは、何か危ないときに霊気をほんの少しだけ入れて投げたら起動します。何か適当に、その場を切り抜けられそうな転機が呼べるはずです」


 あまり大規模な攻撃は防げないが、軽い危機くらいの攻撃なら防いでくれるはず。稼げる時間は一瞬かもしれないけど、それのおかげで助かるかもしれない。

 転機の方も単純で、何かその状況を変えられることが起こる……かもしれないというものだ。お祈り程度だし即効性がないことも多いけど、このおかげで助かることもある。霊気が扱える四人ならなんとかなるだろう。


「霊気奉納に支障がでたりはしないんです? 少し霊気を込めるだけで発動するなら、挨拶回りで使えないと思うんですけど」

「それは大丈夫だよ。護符の方は攻撃されないと発動しないし、転機の方も使う意思がないと霊気を吸い込まないようにしてるから」


 実は、咲乃はこの二種やそれに似た呪符はいつも持ち歩いてたりする。旅をする以上危険に晒されることはかなり多い。妖怪による不意の悪意や不慮の事故を防いでくれた呪符なのだ。皆にわたすお守りとするには最適だろう。

 全員が受け取って懐にしまったのを見て、咲乃も呪符入れにしまう。すぐに使えるようにいつも袖口や服の内側に隠して持っているものだ。


「明日は一日雨を強めるみたいだし、本当にどうなるか分からないけどね。何事もなく終わればいいなぁ」

「そうですね。さすがに明日は一日舞いの練習で城から出ないようにされるそうですし」


 むしろ明日も挨拶回りに行かされたら、宗司さんは¨ドエス¨どころじゃなくて悪魔かなにかになると思う。それを言うと叶ちゃんになぜか睨まれそうな気がしたから言わないけど。

 ついでにさらに何枚かメモ用紙をちぎって、さらに呪符を書いていく。とは言ってもこれは戦闘用で、もしものための備えだが。


「書きなれてるのね。そういう職業もできそうだわ」

「旅の間に何回も書いたので、書きなれちゃいました。たぶん大抵の種類は作れますけど、売れますかね?」


 そういうことは考えたことがなかった。売る相手やそういう問屋が無いし、あくまで咲乃にとって呪符は生きる術なのだ。色々理由をつけて剣術大会に出なかったのも実は同じ理由である。

 だけど、例えば今のように陰陽師や警吏が集まっている場面なら売れるのかもしれない。トクさんみたいに自分で稼げるのかも、と思うと少しだけわくわくもした。


「問屋とかは探さないといけないかもしれないわね。でも、一行の余地はあるんじゃないかしら?」

「そうですね、考えてみます。ありがとう紫さん」


 それからも少しだけ会話が弾み、その後は舞いの練習をして一日が終わった。

 山車の上にも慣れてきたし、舞いも割と形になってきたと思う。疲れと満足感に満たされて、ついでに緋凪に抱きついてゆっくりと眠りについた。



 刻限まで、もう少し。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る