霊気奉納
馬車が空を駆けたのは、わずか数分だった。
いくら広いとはいえ、まず邪魔する物の無い空の旅である。護衛の結界こそ張られてはいたものの、ただの一度として攻撃は無かった。つまり、何の問題もなく最短距離で鍛冶屋にたどり着いたのである。
今は、既に降下を終えて出迎えと顔を合わせたところだ。
「ようこそ、鍛冶屋『宗玄』へ。端のお嬢ちゃん以外はしていると思うが、棟梁の十八代目宗玄だ。今年もよろしくお願いするよ」
「よろしくお願いします!」
棟梁が挨拶してから、五人でそろって挨拶を返す。
宗玄はかなり筋肉質の、だが所々白髪の見え始めた四十代過ぎの大男だ。咲乃の顔ほどの槌を片手に担ぎ、これまた分厚い煤で汚れた手袋をしている。一般的に鍛冶屋の親方と言われたら思い浮かべそうな感じだ。
その強面に反して、どうやら人当たりはいいらしい。トクさんが知り合いのいない鍛冶屋で苦労していないかと心配していたけど、これなら大丈夫だろう。
紫が一歩前に出て、宗司から持たされていた封筒を棟梁に渡した。桔梗からの御礼状らしい。
「いつものやつだな、ありがとう。桔梗様と宗司様にもよろしく伝えて欲しい」
「はい。それと、霊気奉納が初めての子がいるのでその説明からになります。なので、少しばかり多く時間をいただくことになってしまいそうですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。それじゃ、中に入ってくれ」
事前に決めた通りに護衛がいくつかの班に分かれた。さすがにこの大人数が鍛冶屋に入ることはできない。大半が外を囲い、巫女一人につき一人だけが付き添って中に入ることになる。もちろん咲乃の護衛は緋凪だ。
棟梁の先導に従って建屋の中に入る。そこは、熱と蒸気が詰まった男の作業場だった。
「むさ苦しい所ですまんな。出来れば嬢ちゃんたちみたいな子たちは危ないから入らせたくないんだが」
「仕方ないですよ。出来る限りの掃除もしていただいてるだけでありがたいですから」
絶え間なく響く炉と槌の音。男たちの掛け声まで合わせて、普通に話すのも難しいほどの音が大き目の倉庫ほどの大きさの部屋を満たしている。
吸い込むだけで肺が苦しくなるような熱気には、流石の叶や霞でさえ苦しそうにしていた。少し困った顔しか見せていない紫はすごい。
部屋の奥には三機の大型炉が置かれており、その手前には焼き入れようの水槽や金床がいくつも並べられている。炉は三台とも起動していて、自動で赤熱した鉄が固まらないように常に動いていた。それを見ている職人が二人と、実際に鉄を鍛えている人たちが六名。
そして、残りの僅か数名が端の方で全く別の作業をしていた。その中にはトクさんの姿もある。
時折光を発したりすることから、なんとなく何をしているかわかった咲乃が棟梁に問う。
「あれは、霊振器を作っているんですよね?」
「わかるのか? ……いや、そこまでの業物を二振りも持っていれば感じる物もあるか」
「それもありますけど、単純に知り合いがいるので分かりました」
そうやって話しているとようやくトクさんが気が付いたらしく、こっちに視線を向けてくる。
「あいつか。かなり筋がいい。というか正直、普通の鍛冶ならともかく霊振器技師としては何段も上だ」
「そうなんですか?」
「ああ。それだけに不安でもあるがな。……知ってるか? 霊振器技師は誰でも、大なり小なり白髪になってしまう理由を」
「知らないです。トクさんは、あんまり霊振器を作るところを見せたがらないので……」
みれば、確かにその一団だけは全員白髪があった。全員が若く、大抵がまだらに白くなっている。だが、全て白髪になっているのはトクさんだけだ。
「霊振器技師は、誰か特定の霊や雑霊を集めて物に適切に封じることで特別な道具を生み出す。これくらいは知ってるな?」
「はい。基礎の基礎は教えてくれたので」
「件の霊を捉えたり保存するには、こういう道具をを使うんだ」
そう言って棟梁が取り出したのは、竹と金属で作られた複雑な形の籠だった。籠と言っても、その大きさは手の平の上に乗っかる程度の大きさなのだが。
外側の編みを竹で、内側の編みを金属でやっているらしい。それがどういう効果を持っているのかまでは咲乃には分からないが、どうやらこの中に霊を留めておくらしい。現に、棟梁が見せてくれた籠の中にも青白い火の玉が揺れている。
「こうやって留めた霊を使うには、一度己の霊気の属性をまっさらにしてからこの霊を受け入れる必要がある。そして、体に霊を馴染ませたうえで用途の術式として練り上げて物に注ぎ込むんだが……この時、己の霊気のほとんどを失う」
「そうなんですか!?」
「この工程で注ぎ込まれた霊気の質や量で霊振器のできることが変わってくるからな。知っているだろうが、これはかなり無茶な作業だ」
霊気というのは、端的に言えば宿ったものを支える存在証明のようなものだ。
人の霊気の質や属性は親や土地、氏神といった要素で決まる。つまり、同じ神や五行の属性の気であってもそれぞれ微妙に違うものなのだ。咲乃は幸運なことに五行全てをまんべんなく持っているが、トクさんは水気と土気が強い。宗司は金気と木気が強いし、源治や緋凪は火気が突き抜けている。桔梗に至ってはほぼ全身が神気と水気だ。
陰陽師界で伝わる話に、こんなものがある。
とある、生まれつき盲目だが陰陽師の基礎である見鬼の才能は持っていた男がいた。その男は、人々や物に宿り流れる霊気を視ることで、いわゆる視覚が無くても普通に生活できたという。それどころか、友人が結婚したり転居したことで誰かを判別するのに困ったり、複数組の親と赤子を用意されても宿った気だけで誰が親子なのかを当てたりしたそうだ。
本当かどうかは分からないが、人に宿っている気はそれほどに本人と結びついているものなのである。
そして、それを知っているだけに、一度霊に合わせた霊気を宿すのも、ほとんどの霊気を使い切るのも、咲乃にとっては有り得ないと思ってしまうのだ。
「己の組成を変えるような作業をしていれば、当然体への負担は強い。その代償という訳ではないが、反応が顕著に表れるのが髪色だ」
「白髪が生えたんじゃなくて、たとえ黒髪であっても白髪になってしまうんですね……」
「そういうことだ。そんだけ負担がでかいせいか、老齢の霊振器技師はいない。……お前さんの知り合いもかなり若い風貌こそしているが、歳はいっていただろう。あれ程の根を詰めるのには何か理由があるんだろうが、俺はこれ以上の作業はオススメしないな」
俺は霊振器を作るのが下手でよかった、と棟梁は吐き出すように言った。あくまでここは鍛冶屋。鍛冶の腕があれば工房を引っ張ることも、支えていくこともできる。
そこで話が一段落着いたのが分かったらしく、簡単な見分を一回り終わらせた紫が二人に声をかけてきた。
「お二人さん、ちょっといいかしら?」
「おう、大丈夫そうか?」
「大丈夫ですよ。それで咲乃ちゃん、まずはあの神棚に注目してくれる?」
部屋の端、高い位置に設置された神棚を見上げる。煤やほこりが被さらないようにとかけられていた透明なシートが取られるところだった。
シートの下にあったのは、一般的な物よりも少し大き目な神棚。榊や皿も他より豪華な造りになっていて、社自体も三社造りになっている。この工房では、桔梗の膝元とということもあるだろうが、かなり神様は重要視されているようだ。
「神棚のお札と、今持ってきてもらった装具窯に霊気を奉納するのよ」
「装具窯? なんですかそれ?」
お札はともかく、装具窯というのは聞いたことがない。トクさんそんなの使ってたっけ? と旅の記憶を掘り返しても、そんなものを使っていることはなかった。
「説明するより見てもらった方が早いな。ほれ、あれだ」
「……すごく大きい窯ですね。なんで武器が入ってるのか分からないですけど」
咲乃が困ったように呟いたのが全てだった。
腕を全力で広げても半周できるかどうか、というほどに大きな黒い窯と、それに乗った大釜が装具窯だった。火も無いのに暑さを感じること、そして五つの装具……武器や防具が入っていること以外に特に普通の窯と違うところはない。
ただ、その相違点が大きすぎて咲乃が受けた衝撃は強いものだった。
「ここに入っているのは、槍、具足、剣、兜、槌の五つ。これを見たら何となくわかるかもしれないが、これはこの工房独特の鍛冶神を祀る祭具だ。中を覗いてみな」
工房の中心に運ばれた装具窯には、棟梁が言った通りの五つの装具が五色の霊気に浸かっていた。決して混ざり合うことなく、ゆらゆらと揺れる霊気の水面はとても美しい。
だが、その霊気の水面は、二割程度のあたりまでしかなかった。
「今は例祭のための剣制作でほとんどないんだが、本来はこの窯に八割程度は霊気が入っている。普段は霊脈や窯自体の効果でほとんど減らないようになっていてな。その機能を例祭中は切らなきゃならんから、君たちにその分を満たしてもらうんだ」
「そして、神棚のお札にも奉納しておくことでこの工房の神様に挨拶をするのよ。言っているだけではなんだし、実際にやってみましょ?」
紫がそう言うと、慣れた動きで他の巫女たちが神棚の前からどいた。端に並び、黙って紫がやろうとすることを待っている。職人たちもその様子に合わせて作業を止めて、神棚の方を向いた。
シートを取っていた人たちもその列に並び、紫の動きを待つ。
「じゃあ、まずは神棚へのお参りをするから、見落とさないでね?」
「はいっ!」
そう言うと、紫は神棚に向けて二礼二拍手、そして手を合わせたままお祈りを始めた。
神棚に捧げられていた三枚のお札が光り、紫から溢れた神気を吸い込んでいく。紫から洩れた光が神棚に吸い込まれていく光景は、とても綺麗だった。
ふわりと浮いていた髪が元に戻り、光が収まる。
最後に一礼して、紫が咲乃の方を向いた。
「……こんな感じです。参拝の手順通りにして、あとは神棚に向かって霊気を放出してください」
「わかりました!」
霊気を出すのなら咲乃の得意分野だ。紫の立っていた場所に代わって立ち、同じように二礼二拍して祈りを捧げる。
トクさんが安全でありますように。例祭の間、この工房が大丈夫でありますように。舞い用の剣が問題なく完成しますように。
神社にするように、霊気にのせて祈りを捧げていく。そして、何となく大丈夫だろう、と思った所で霊気を送り出すのをやめた。
「うん、いいわね。お疲れ様」
「結構霊気使いますね……」
祈っている時は気が付かなかったが、終わってみれば緩い気怠さが体を包んでいる。霊気が一気に抜けた時特有の、全身に被さるような怠さだ。
咲乃と紫がそう話している間に叶たちも順番に終わらせていく。霊気を使うし叶が耳や尻尾を出さないかと期待して見ていたけど、そんなことはなかった。不満そうにしていたら睨まれたし。いつかまた撫でまわすって心に決めたからね。
全員の祈りが終わると、次は窯だ。
「次は少し特殊なのよ。まずは、この窯を五角形で囲んでくれる?」
紫がそう言うのに合わせて、既にわかっている四人が先に形を作る。それに合わせるようにして咲乃もその輪に入って、綺麗に五角形を作った。
大釜の中に渦巻く霊気の水面が、綺麗に揺蕩う。
「これを入れて、と」
「お札?」
紫が釜に放り込んだのは、少し大き目のお札だった。なぜだか、本物の水に乗ったかのように霊気の水面のうえで揺れている。水ではないからかお札の文字が滲むことはないし、沈んでいくこともない。ただ、ゆらゆらと揺れているだけだ。
それに見惚れていると、咲乃以外の四人がすっと釜に指を添わせた。慌てて咲乃もそれに従う。
「咲乃ちゃん、一番持ってる気の属性は?」
「たぶん木気……だと思います。もしくは火気かな? 全属性を満遍なく持っているので、あんまり気にしたことがなかったです」
「あら、頼もしい。じゃあ、私が合図したら木気だけを流し込んでくれるかしら?」
「了解です!」
同じような確認を、全員分していく。
霞が水気を、叶が土気を、祭が火気を、紫が金気を。五人でそれぞれを担当することで五行の全属性を満たすらしい。咲乃も、自分の霊気の中から木気だけを抜き出して練り上げていく。さっき神棚に奉納したときの疲れがとれたわけではないが、これくらいなら問題ない。
全員が瞑目し、釜に触れた指から霊気を流し込んでいく。
「護り給い、清め給え」
紫、祭、霞が順に奏上した。唱えられるたびに吸い取られる霊気の量が増していくから、あわてて次々木気を練り上げては流し込んでいく。
「護り給い、清め給え」
叶が奏上してから、大体同じ時間を空けて咲乃も唱える。どうやら問題なく奏上できたようで、釜に吸い取られる霊気の量がぐんと増えた。そのまましばらく流し続け、咲乃が不安になってきたあたりで唐突に吸い取られる量が減っていく。
吸い取られるというよりは流し込む、そして流し込む管がゼリーで詰まったかのような不思議な感覚と共に奉納が終わった。
「……はい、終わりですね。みんな、お疲れ様」
「疲れましたー!」
叶は軽く肩で息をしているし、普段は弱ったところを見せたがらない霞でさえ自分を弱く抱くようにして立っていた。窯に入れていた札を制御していたらしい紫に至っては、頬に髪が張り付いてしまっている。
咲乃と祭は比較的疲れていない方かもしれない。他の三人を気遣えるくらいにはまだ余裕がある。
釜の中は、瞑目する前とは大違いに五色の霊気で満たされていた。お札は見る影もなかったが、水面は高い位置で美しく揺れているし、中に入っている装具もどこか輝きを増しているようにさえ見えた。
ともかく、これで挨拶回りの一つ目が終了らしい。
「結構霊気も体力も使うんですね。挨拶回りって言うからもう少し楽だと思ってました……」
「だんだん慣れていくから大丈夫よ。でも今年は急ぎって言っていたし、一日朝昼晩で三回は奉納することになるかもしれないわね」
「うわぁ」
息を整えて、奉納中に淹れてもらったお茶を飲む。
工房の職人たちは、大半が既に作業を再開していた。その面々には当然、トクさんも入っているわけで。
「……話しかけたいのはわかるが、すまんな。作業を始める前ならむしろ話しに行けって言ったんだが」
「大丈夫ですよ。トクさんがそういう人っていうのは知っているんで」
棟梁に申し訳なくそう言われたから、そうやって返答はした。本音は、今の私の表情を見た棟梁が苦笑いしているから言うまでもない。わざとらしく大きな声で言うのくらいは許してもらおう。
装具窯と神棚のシートが元に戻されていくのを見て、出入り口に向かう。
「今日はお忙しいところ、お邪魔しました」
「いやいや。剣は出来上がり次第ちゃんと持っていくから安心してくれ。そんときゃ、あの唐変木に持たせるさ」
棟梁が、後半だけは私だけを見てそう言った。うまいこと言っておくから、今日の分もその日に構ってもらえということだろう。
ありがとうございます、という気持ちを込めて素直に笑みを見せた。その姿に安心したのか、棟梁も不器用に笑って見せてくれた。
「それじゃ、失礼します!」
そう言って意気揚々と馬車に乗り込み、浮かぶ瞬間にバランスを崩して叶の膝上に倒れてしまった。呆れた目で見られたのは恥ずかしい思い出として飲み込んでおくことにしよう。あえて誰かのせいにするなら、こんな時でもお仕事に夢中なトクさんが悪い。
少し理不尽かもだけど、仕方ないのだ。
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