剣舞と可愛い子



 大太刀を目の前に置いた咲乃に、大広間中の視線が集まる。

 まさかいきなり舞いをやらされるだなんて思っていないから、千早は城の部屋に置いてきてしまった。朝早くの呼び出しということもあって、最低限の物しか持ってきていないのだ。

 まあ、無い方が剣舞はやりやすいからいいかな、などと思いながら正座、瞑目をした。


「本当に剣舞なんてできるんですか? 昨今、陰陽師でもほとんどやりませんよ」

「まあまあ、それを見るための今の時間でしょう」


 剣舞は効率が悪いですからね、と宗司が続ける。

 三百年前に術などが世界に現れてからは、当然雑多に様々な術が使われていた。いきなり現れた妖怪や怪物に対処できるわけがない最初期は、とにかく自衛できることが最優先だったのだ。使える物は何でも使い、とにかく今を生き抜くことだけが急務だった。

 だが、人は慣れるもので、三年も経たないうちにある程度以上の安定した対策は取られきったのだ。建築様式の変化や安定化、毎日怯えなくても過ごせるようになるまで時間はかからなかった。


 そうなれば次に行われるのは、さらなる安定化のための体系化である。

 いかに効率よく、いかに早く、適切に対処をするか。その手段は簡単であればあるほど良いし、できれば民間人でも手ごろにできた方がいい。超常現象の専門家たちも考えは同じだ。

 そうなった場合、舞いに時間がかかる上に効果が高まるわけでもない剣舞は、当然一般の目からは離れていくこととなる。


「……では、いきます」


 蒼愛そうあを抜刀し、水平に持ったまま立ち上がる。

 瞑目だけは崩さないまま、静かに霊気を込めていく。丁寧に、丁寧に、刀身に流し込まれた霊気は青白く光を放っていく。鞘や柄と同じ色だ。

 右手で柄を持ち、さらりと刀身を撫でると、さらに強い光を纏った。巫女として体に降ろした神気を付与することで、祭具としての意味を持たせたのだ。祝詞を唱えずに神気を降ろしたことで、巫女たちの間で動揺が走る。

 蒼愛の光が収まったところで、自分から右手側の位置に移動させて、無造作に空中で手を離した。


「浮かんで……」

「ほう、興味深い」


 だんまりを貫いていた護衛の面々が思わず口を開いた。

 蒼愛の次は、迦錺かざりを鞘から抜いて同じように水平に構えた。さっきと違うのは、右手ではなく左手で柄を握っているところだ。

 迦錺にも同じように霊気を流し込んでいく。波打つような激しい霊気は即座に迦錺を満たしていき、柄と同じ赤と黒の光を淡く纏っている。刀身を撫でると一段と強く発光するのもさっきと同じだ。

 準備の整った迦錺を、今度は蒼愛と対を成すように左側へ。


 これで準備完了だ。

 閉じていた瞼を開け、両の手で二刀を掴む。その瞬間に光輝を増した刀身が、咲乃のまだまだ幼い容貌を照らし出した。軽く神懸ることで仄かに光を宿した眼が、目の前に整列した警吏の姿を捉える。

 わずかに姿勢を落とし、ふわり、ふわりと舞いを始めた。それと同時に、わずかに巫女装束の裾が舞い上がる。


「──祓詞はらえことば──」


 祝詞の中でも一般的な祓詞を咲乃は選んだ。奏上し慣れた祝詞の方が神懸りに集中できると考えたからだ。


「──掛けまくもかしこき、伊邪那岐の大神」


 一節を唱えるたびに咲乃の周囲で霊気が弾け、蒼白と赤黒の霊気が警吏たちに降りかかっていく。

 ふわり、くるり、風のように体を流す様は掴み所がないようで、一体として美しい。


「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に」


 蒼愛から溢れた加護は、咲乃を護るように取り巻いてから、溢れて弾けたものが次々と降りかかる。

 迦錺は、咲乃の周囲で渦巻いては外敵を滅ぼすように荒れ狂い、そしてやはり溢れた分が警吏の体に向かって飛んでいく。

 まるで花火のような、泡沫のような、光の散乱する様に誰もが言葉を忘れて魅入った。


「生りせる祓戸大神等、諸々の禍事、罪、穢、有らむをば」


 ついに、咲乃の霊気の色である薄桃色が渦巻く加護の形に交じり、形を変えていく。


 それは季節外れの桜吹雪。

 舞いに合わせて左右から風に舞い上げられたように散り、咲乃の周囲を一頻ひとしきり飾った後は、小さな光となって大広間を満たしていった。

 秋に咲いた、季節外れの春。誰もが我を忘れて、茫然と花弁の嵐に呑まれていく。

 咲乃の舞いも、終わりに向けて勢いを増していた。祝詞を奏上する声には熱がこもり、剣舞はさらに激しく、それでいて優雅に二刀が翻る。


「祓へ給ひ、清め給へと、まをすことを聞こし召せと、恐み恐みも白す──」


 桜吹雪が一斉に弾けて視界を埋め尽くす。

 突然のことに、大広間の人たちは思わず目元を覆った。その光が包み込むようにして警吏を覆い、小さな粒子となって消えていく。

 恐る恐る大広間の人たちが目を開けた時には、既に少しも光は残っていなかった。あったのは、疲れたように軽く肩で息をしている咲乃がいるだけだ。


「終わりました。疲れたー!」


 気が緩んだのか床にへたり込んでいる姿は、さっきまで一心に祝詞を唱えながら待っていた人と同一人物とは思えないあまりにも気の緩んだ姿だ。神気を纏っていたことによる威圧感や、触れてはいけないような雰囲気はどこへやら。あまりにも気の抜けた姿と表情に、ようやく全員の表情が元に戻っていく。

 周りの視線が恥ずかしくなったのか、いそいそと二刀を鞘に納めている咲乃に宗司と叶が近づいていく。


「……………………」

「え、えーと……」

「叶、黙っていてもしょうがないでしょう。言いたいことがあるのなら言ってしまいなさい」


 十四歳の小さな体に精一杯の勇気を詰め込むように深呼吸した叶が、ゆっくりと口を開く。


「……あなたに実力があるのは分かりました。失礼な言葉を言ったことを、詫びます。ただし、これは例祭の儀式とは直接は関係のない事です。これからの行動もしっかりと見ていることをお忘れなく」

「うん、ありがとう叶ちゃん!」

「ちゃん付けは止めてください。叶、でいいです」


 多少とはいえ、いきなり認めてもらえたのには驚いた。少しだけ赤くなった顔がそっぽを向いているのが可愛らしかったから抱き着きそうになったけど、何とか踏みとどまることには成功。

 そんな事を心の中で考えているうちに、叶はさっさと後ろを向いて去っていってしまった。


「ああやってそっけなくしていますけど、叶は呼び捨てにされるのが好きじゃないのですよ。それなり以上に認めた人にしか呼ばせていないのです」

「宗司さんっ!」


 叶の咎める声に小さく笑うと、次々と警吏たちに指令を出していった。とは言っても仕事の割り振り自体は既に決まって通達もされているようで、特に悩んだり考えたりする様子もなく、すぐに部屋を出ていったのだが。

 残ったのは宗司と巫女、そしてその護衛だけだ。


「さて、これからなのですが、早速皆様には例祭のために舞いの練習を始めていただきたいと思います。まあ、既に舞いは覚えているはずですし、合わせる練習をするだけなのですが」

「その、お休みとかは……?」

「それは一度合わせてからにしましょうか」


 二コリ、と有無を言わせない笑みをされてしまってはしょうがない。剣舞をしたせいで疲れているのだが、一度合わせるだけなら何とかなるだろう。


 そう思いながら立ち上がろうとすると、体がふらついて倒れかけてしまった。

 床に派手に倒れこむ前に緋凪と紫さんに助けてもらえたから顔から倒れることはなかったのだが、その分両腕を握っている二人にはあきれた目を向けられる。


「急に倒れるな、バカ」

「明らかに神気を降ろしすぎていたものね。霊気はそんなに減っていなさそうだけど、神懸りの影響が抜けきっていないのよ」


 舞いの疲労とかではなく、単純に神降ろしで感覚がズレたのが戻っていなかっただけのようだ。

 剣舞での動きや奏上こそ巫女である咲乃の意思で動いているが、その本質は剣舞を捧げて神を降ろし、加護を目の前の人間に与えるという内容になっている。つまり、疑似かつ瞬間的とはいえ、神懸りは確かに神と一体化しているのである。

 そして、そのせいで生まれる感覚のズレは、扱う神気の量や降ろした神の格によって左右されるのだ。今回の場合、特に神の指定はしていなかったが、人数が多かったのといきなりで緊張をしていたせいで神気の量を間違えてしまったらしい。

 あまり言うことを聞かない体に驚きながら、肩を貸してくれている二人ににへーっと笑みを向ける。


「本番で同じことしたらぶん殴るからな」

「大丈夫よ、私がただじゃおかないもの」

「紫さん怖い!!!」

「怖くないわよ、いやだわ」


 あらあら、と頬に手を当ててこちらを見ているけど、その目だけは全く笑っていない。紫さんには絶対迷惑をかけません、と心の中で誓った。

 こっちが落ち着いたのを見計らって、宗司が巫女たちにも指示を出していく。


「では、巫女と護衛の方は付いて来てください。専用の練習場に案内します」


 いまだに肩を貸してもらったまま、ぞろぞろと宗司についていく。先頭に宗司、続くのが叶と霞、そして祭。護衛のすき間を抜けて届く叶の冷たい視線が痛い。

 大きな廊下を少し歩くと、着いたのはエレベーターホールだった。


「エレベーターには一人の巫女とその護衛という形で乗っていってください。先に着いた方は向こうの広間で待機していてください」


 宗司が指示をしながらエレベーターを操作し、入るように促した。城の物ということもあってかなり大きめなサイズではあるが、確かに今いる全員は入らないだろう。

 どの順番で入るのだろうか、と思って見ていると、三人で話していた先頭集団から祭とその護衛が迷うことなく一番に入っていくのが見えた。頭の上で腕を組んだ姿に対して叶がお小言を言っているが、特に気にした様子はない。入るのが一番なことを喜んでいるだけだ。


「咲乃ちゃん、なんで祭ちゃんが最初なのかわかる?」

「え、えっと……」


 紫は咲乃が困ったように答えを探す姿を見て、本当に旅をしていてよく知らないのね、と驚いていた。それから親切に解説を始める。


「祭ちゃんは神事より運動の方が好きな子だけど、出身の神社の格が一番高くて霊気も強いのよ」

「格ですか?」

「そう。祭ちゃんは伊勢神社出身。天照様が祭神だし、四人の中では一番格上だわ」


 エレベーターの扉が閉まる寸前で、祭が手を振ってきた。少しずつ動くようになった手を振って返すと同時に扉が完全に閉まり、上の階に上がっていく。


「私たち本人はお友達という認識しかないのよね。でも、やっぱりこういう順番や格式っていうのはどうしても絡んできちゃうのよ」


 ほら、大広間でも祭ちゃんが真ん中だったでしょ、と付け足しの情報が渡された。

 本人たちは気にしていないが、それぞれの神社の宮司たちからすると大きなことらしい。やはり神社であっても有名な方がいいし、特に本当に効果が出かねない今の世界では参拝者の数などはそれぞれの神社でも重要な要素らしい。

 そういった大人の事情が絡んだ結果、順番はたとえ関係者がいなかろうが守らなくてはいけないのだとか。


「となると、次は霞さんですか?」

「そうね。出雲大社だから二番目よ。その後は伏見稲荷の叶ちゃん、熱田神宮の私、そして咲乃ちゃんの順番ね」

「熱田神宮の祭りで集められているのに、変な感じですね」

「そうねぇ。まあ、そこまで気にすることでもないわ。覚えておくだけでいいのよ」


 そんな風に話しながら待っていると、すぐに紫の番が来た。

 その頃には何とか緋凪の支えだけでも立てるようになっていたから、紫にお礼を言って送り出す。


 ぽつり、咲乃と緋凪、宗司しかいなくなった静かなエレベーターホールで小さな呟きが漏れる。


「……お団子食べたい」

「実は、練習の休憩用のおやつにお団子が何種類かありますよ。まあ、参加していない方は食べられませんので、咲乃さんはその様子ですと食べられませんが」

「大丈夫です! もう回復しました……あたっ!?」

「お前ってやつは……」


 張り切って緋凪から肩を離した瞬間にさっそくこけそうになった。

 宗司に練習開始まで少し待ってもらうように交渉して、始めるまでの時間を増やしてもらえたのが救いだろうか。

 代わりに、エレベーターに乗っている間中小さく笑われることになったのだが。



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