鬼の矢文、戦禍の予兆



 牛鬼と戦った、その翌日の朝。


 流石に色々あった翌日ということもあり、今日は城の掃除はしなくてよくなった。その代わりと言っては何だが、緋凪、トクさんの二人と一緒に桔梗の御殿に呼び出されている。

 目の前には麗しく頬杖をつく桔梗と、その両脇で控える宗司に源治。文官職の宗司は紙の束を目の前に置いており、源治の目の前には対照的に大きな盆の上に矢がのっている。

 咲乃と緋凪はかなり緊張していた。今日は珍しく大雨が降っていることもあるが、やはり桔梗の御前というのが何よりも大きい理由かもしれない。


 わざわざ早朝から集められたということからして、かなり重要な話がされるのだろう、ということは予想している。

 緊張して見つめる中、書類の一部を手に取った宗司が口を開く。


「えー、昨日の一件について詳しく調査しました。その結果、お三方も関わる内容でしたので、ここで知識などの共有のために色々と話させていただきたいと思います」


 まず、昨日咲乃たちが出会ったのは、鬼で間違いないらしい。

 その中でも真鬼という分類をされるタイプの鬼で、妖怪の中での格は最上級。雑鬼や天邪鬼あまのじゃく、または霊鬼や牛鬼のような「角があるから暫定的な分類上鬼という名前が付いた」という者達とは実力が大違いなのだ。

 化け狸でもないなら、どういうことが起こるかというと。


「実は今朝方、猿投山の鬼たちの本拠地から矢文が届きまして」

「猿投山……って、どれだけ距離があると思っているんですか!?」

「ざっと四十キロですかね。まあ、その辺りも含めてお話します」


 猿投山から西に真っ直ぐ行くと名護城があり、そこから北に行くと例祭の開催本部の熱田神宮がある。

 標高約六百メートルの山は現在、真鬼の集団の住処になっているらしい。京から流れてきた鬼が辺りの鬼を呼び寄せて集団になり、気が付いた時には鬼による占拠が行われていたとか。

 近くを通る商人の積み荷を奪い、また人攫いを頻繁にするというのが特徴らしい。


「鬼の集団の棟梁の京から流れてきた鬼というのがとても厄介でして。かなり実力があるらしく、そのせいか集団全体のレベルが相当高いのです。その中には術を使える者もいるようで……風か遠弓の術を使える鬼がいたら届かせることができるのでしょうね」

「となると名有りか。だいぶ有名な妖怪なんじゃないのか? なんでそんな大物を放置している?」

「まさか、放置なんてしてませんよ」


 源治が宗司の釈明に同意するように頷いた。

 なんとこれまでに二度、忍びの集団の中でも精鋭の「影」と呼ばれる部隊が派遣されているらしい。忍びの存在を知っている人はいても、影を知っているのは極一部。源治やその他高位武官の鍛錬もあり、ただではやられないほどの実力を持った集団……なのだが。


「過去に送った影の小隊は、二回目に送った十名の内からたった二名しか生還していません」

「となると一回目は」

「全滅ですね」


 御殿を重苦しい空気が包む。


「隠形して尾張にもぐりこんでいた棟梁を咲乃さんたちが見つけたことで、向こうとしても動く踏ん切りになったのでしょう。矢文で届けられたのは、お察しの通りかもですが襲撃予告です」


 そう言いながら広げられたのは、無駄にできのいい和紙でできた手紙だった。矢の先に結んでいたせいか所々が折れているが、御殿の灯で透かされた力強い文字が裏からでも見える。もちろん遠目で、しかも逆さ文字になっているせいで内容は読み取れないのだが。

 宗司がその内容を読みあげていく。その内容はとても簡素で、衝撃的だった。


「『三日後の夕暮れ時、宣戦布告のための襲撃を行う。せいぜい注意されたし』……とありますね」

「ガチガチの襲撃予告じゃないですか」


 鬼は不意打ちという非道はしない。とある有名な鬼がそんな歌を詠んだが、どうやらこの鬼もその例には漏れないらしい。

 ただしその内容は度を越えて物騒だった。

 あくまで宣戦布告のためだけに尾張の街を蹂躙しに来ると言っているのだ。その時にどれほどの手勢が暴れまわる気なのかは分からないが、影を倒すほどの真鬼の集団の襲撃となると、その被害は予想もつかない。

 まず間違いなく死人は出るだろうし、もし運良く出なかったとしても被害は尋常じゃないことになる。人攫いや強奪は必ずしていくだろう。

 三日後となると、例祭の約一週間前。ただでさえ文官や実務の人たちは忙しいのに、さらに仕事が増えるだろうことは間違いない。

 しかもそれがあくまで宣戦布告。本襲撃の予備段階でしかないのだ。


「実際、城の人間たちは今大忙しです。武官は見回りの数を増やさざるを得ないし、隠形をそんなに高度に使えるとなると、警吏がただ歩くだけでは意味が無くなってしまう。不本意だけど桔梗様にも頼って何とか不安は無くそうとしているところだよ」

「吾の力によって降らす雨には神気が宿るからの。邪気の塊の鬼の術はやりにくくなるであろ。面倒じゃが仕方あるまい」


 火ノ国における龍神というのは、簡単に言えば河川や湖の神だ。国の地形上どうしても多くなる河によって栄えてきた国民たちの崇拝は、当然水に集まる。その長い姿と押し流す自然の脅威が神格化したものが龍神である。

 蛇と共に、河川への信仰が転じて雨や叢雲の神でもある。そのうちの一柱の桔梗が降らせる雨ならば、微弱ではあるかもしれないが、必ず効果はあるはずだ。


 そこまで説明を受けたところで、トクさんが重い口を開く。


「……てめぇら、それについてまだ情報があるだろ。吐け」

「バレてしまいましたか」

「当然だ。昨日の夜に戦った情報が入ってようやく対応したにしては早すぎるし、何よりなんでもう警吏の巡回の変更が終わっている。元から備えていたって事じゃねぇか。鬼の本拠地から四十キロ離れているのに、それでもこの街が襲撃されるかもしれないって情報を掴んでいなかったら無理な話だろ」


 確かにその通りだ。

 昨日戦闘の後に宗司から質問攻めを受けたことからして、隠形で潜り込んでいるのは想定外だったはず。その上朝から城に届いた矢文を受けたにしては対応が異常なくらい早い。

 街の襲撃、もしくは何かしらの接触を予想できるがあるはずだ。


「全くその通りでして。盗みや暴行、商人への襲撃や人攫いという一般的な鬼の所業以外に、かの集団には特徴的なことをするのです」

「特徴的なこと?」

「はい。『巫女狩り』をしているのです」


 聞いたことのないその行為は、嫌な響きを以て咲乃たちの心に染み込んでいく。

 咲乃は無意識に、正座した膝の上の手を握りしめていた。全身に力が入っているのを感じる。


「『巫女狩り』は通称でして、やっていることを正確に言うなら『巫女攫い』ですね。理由は知りませんが、奴らは霊力が強い巫女を攫うことを第一目標にしているようなのです。咲乃さんに護衛をつけるのを許可したのも、その件があったからです」

「攫った巫女をどうしているのかは分からん。それも含めて調べようとしたが、放った影は返り討ちにされたのでな。どうやら、断片的な情報からして生きてはおるようだが」


 奴らの利用している河川やゴミ捨てには、巫女の物と思われる骨や血が出てきたことがないらしい。承認を襲った時に取っていく量は相当多く、鬼以外を余裕で養えるほどだとか。

 半面、そこまでして巫女を攫って養う理由が分からなくもある。 

 攫うだけ攫って、暴行を加えたような形跡なし。食べたわけでも、殺したわけでも、慰み者にしているわけでもない。詳細不明の彼女らは、何の目的で鬼たちに利用されているのだろうか。


「例祭という、神楽のために巫女が多数呼ばれる時の前に襲撃と宣戦布告……私たちは嫌な予感しかしていません。咲乃さん以外の巫女にも三名以上の護衛は常につけていますし、可能な限り城外に出ないようにしてもらっているので、今のところ実害はありません。が、だからといって安心できないことは分かっていただけたかと思います」

「……襲撃に関して、私も何かできませんか?」

「それは……どうでしょう」


 咲乃が思わずした提案に、宗司が唸り声を上げる。

 咲乃は、霊気の強さからしても、神事に関する実力からしても、失ってはいけない人材だ。緋凪や警吏、何なら源治と力を合わせれば間違いなく鬼を一人は撃退するだろう。

 だが、万が一があったらどうしようもない。

 宗司は、鬼の実力と咲乃の力量、そのほかのメンバーの事も合わせて戦力を考える。


「……源治と緋凪さん、そして警吏のチームを一つ。深追いや無理な行動をしないと約束していただけるなら、大丈夫です」

「やった!」

「その代わり、巫女としての仕事はしっかりと果たしてくださいね。今日で勉強は終わらせますし、明日からは他の巫女の方々と合同で舞いの練習ですから」

「分かりました!」


 実際問題、宗司にとっても咲乃の提案は渡りに船だったりする。

 奴らが何時かは襲撃や行動をすることは分かっていたが、これほど急に事態が動くとは考えていなかった。予想をしていたおかげで警吏や関所などの準備をできていた所は何とかなっているが、そのほかに関しては頭を悩ませていたのだ。

 高名な術士や陰陽師を呼ぶには時間が足りず、かといって忍びや影、武官たちで守り切れるかというとかなり怪しい。武官たちというのはあくまで対人用でいるのであって、怪異への対処は専門外なのだ。

 退魔を専門行としている人たちを抱え込んでいないわけではないが、その人数は少ない。元から妖怪などが入れないように、と整備することで街の運営が成り立っているのだ。


 そんな状況で現れた、実質一人でも牛鬼を倒せる少女が咲乃だ。慎重になってなりすぎるということはない。


「奴らにとっての本番が何時かは分かりませんが、退魔の専門家や護衛に明るい人間についても私たちで探っておきます。可能な限り早く呼び寄せますが、三日後に間に合わない可能性が高いので、十分に注意してください」

「分かりました!」

「では、これにて終わりです。朝早くからありがとうございました」


 ようやく話が終わった。

 話が長引いたせいか、気が付けばもう昼が近い。外の雨を見ながらエレベーターで一回まで降り、蒼愛と迦錺を返してもらってから城の外に出る。

 外は、さっき言っていた通り、少し強めの神気を帯びた雨が降っていた。和傘の上を撥ねて滑り落ち、地面に落ちてから一定の時間が経つと、神気が抜けるのと同時に消滅する。そんな幻想的な雨が降ることはやはり珍しいらしく、城の外の道路ではしゃぐ子供たちは楽しそうに走り回っていた。


 さっきまでしていた話とは打って変わって平和的な様子に、緋凪が疲れたような声を出す。


「なんだか急に物事が動き過ぎて、私はもうよくわからん」

「あはは、なんか変な感じだよねぇ」

「原因の半分くらいはお前だろうが。なんで鬼と積極的に戦おうとなんてするんだ。もしもがあったらどうする気だ」

「まあ、それは怖いけど……でも、無関係な人たちが傷つくのは、嫌なんだよね。それに、私なら勝てるもん」

「あんま調子に乗るなっ」

「いたぁ!」


 実際のところ、本当に勝てるかと問われれば非常に怪しいと言わざるを得ない。

 真鬼は、雑鬼や牛鬼とは地力も存在としての強さも違う。膂力は人のそれを遥かに凌駕しているし、術を使える者も少なくない。旧い個体ほど知力が高いため、単純な暴虐の化身とも言えない。

 ましてや今回はかなり強いだろう鬼を棟梁として据えた状態の集団だ。一体を相手にすることはできるかもしれないが、もし複数で襲い掛かられたらどうしようもなくなる。


 だが、それでもどうにかはできるだろう。もしできなくても、きっと大丈夫。咲乃の直感はそう告げていた。

 たとえ昨日会った鬼と戦うことになっても、緋凪がいたら持ちこたえる事くらいはできる。その間に専門の退魔士や警吏が来れるから、最悪の事態だけは無いと踏んでいたというのもありはするが。

 むしろ咲乃にとっては、この後の勉強会や皆と合わせて踊る舞いの方が気になっていた。


「ちゃんと踊れるかなー」

「基礎は一通りできるんだろ? なら大丈夫じゃないのか?」

「大人数で舞いをしたことはないんだよね……」


 どうか、本番で間違えたり転んだりしませんように。


 そんな風に、割と本気で祈っていた。



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