呪い、企み、逢魔が時。
あの後、咲乃も手伝って呉家の移動を手伝うことになった。
地元の道場に散っていた門下生を集めて、オヤジさんまで含めて全員で荷物をまとめること約一時間。それから、全員で城に運び込んで、そのままの流れで割り当てられた部屋に直行。呉家の人のほとんどは男女別れての大部屋ということになった。
オヤジさんと師範たちはもう一つ別の部屋を、緋凪は咲乃と同じ部屋を使うことになった。その関係で、咲乃と一緒の部屋だったトクさんの部屋が、新しく別に用意される事にもなったのだが。
そして、かねてからの予定通り咲乃と緋凪は城の掃除をすることになった。
正しくは、基本的には掃除をするという感じだ。食事や勉強の時間に差し障りがなく、緋凪の目が届き、城の中であれば臨機応変に動いていいらしい。
当然だが、掃除をしようという時に巫女服ではいられないため、宗司さんに頼んで女子用の作務衣を貸してもらっている。旅館の仲居の格好と言ったら分かりやすいかもしれない。動きやすく、汚れても大丈夫な服装だ。
薄赤と白の矢羽根模様がとても可愛らしい。
「さーて、やりますか!」
「言った通り、私はあくまで咲乃の護衛だからやらないぞ。式神使うなら、一人くらい居ても居なくても一緒だろ」
「やっぱりずるい!」
文句は黙殺、雑巾と水の張られたバケツを手渡していく。
掃除をするのは、お城の下の方の階の廊下。評定所や簡易財務所などにつながる大きな廊下をメインに、午前中いっぱいという区切りでお城中を綺麗にしなければならない。
もちろんこの狙いは、トクさんが指摘した通り「綺麗にすること」ではない。咲乃たちが主に活動する場所の人たちに、顔を認知してもらう為にしている事に意味がある。見慣れない子女がいる、と目についたそばから通報が上がったら仕事が回らない。
と、いう裏の狙いを気にした風もなく、咲乃は全力で取り組むつもりでいるのだが。
「よーっし、やるぞー!」
宣言と共に、懐から八枚の式符を取り出す。指先でつまんだそれに、大体の量の当たりをつけて霊力を練りこんでいく。
咲乃が使える術の中でも、珍しく明確に陰陽術に分類される符術。比較的お手軽で準備もしやすい代わりに、効果が大きくないことが特徴の術である。
使い方次第では効果を上げることができて、その内容は千差万別。呪符と合わせて複数枚使うことで大術を練り上げることもできる……のだが、今回はそんなことはしない。符術の中でも比較的簡単な式神生成をするだけだ。
霊力を込めた式符からそっと指を離すと、その場で落ちることなく浮かんでいる。淡く青白い光を纏った式符をそっとつつくと、ひとりでに髪が折られていき、数秒もしないうちに折り紙の人型のような式神が出来上がった。
くるり、ふわり、と周囲で少し遊ばせて動きを確かめる。
「問題なし!」
「何度見ても術っていうのは意味が分からないな……」
「体術って言うくせに拳から火を出す人に言われたくないなぁ!」
「それは気にするな。……ほい、雑巾」
空中に浮かぶ、手のひらほどの大きさの式神たちにも雑巾を持たせていく。
これで、咲乃を含めて九人分の働きができることになった。大きな廊下の端、丁寧に横一列に並んで雑巾を構える。緋凪はバケツを持って廊下の脇に避けて立った。
これで準備完了。
「よーい……」
「式神を操ってるのは咲乃なんだし、出来レースもいいところだろ」
「どん!」
「聞けよ……」
呟く声を置き去りに、一斉に雑巾がけを開始。
小さな式神たちはその見た目に反して力が強く、自身の身の丈の三倍はありそうな雑巾をしっかりと扱っていた。もちろん濡れて萎れてしまうということもない。紙の細い手をいっぱいに広げて、真っ直ぐに廊下を低空飛行している。
曲がり角でも横の一直線は崩さず、細い廊下になったら綺麗に列を並び替えている。無駄に性能が高い。
そして、白昼の廊下である以上、必ずそこで働く人々とすれ違うわけで。
「おお、頑張ってるね」
「はいっ!」
答えるころには背中しか見えていないだろう。掃除をする子がいるという通達はしっかりされていたらしく、通報されることは今のところ無さそうだ。驚いた人たちには、後ろからつかず離れず追いかけている緋凪がフォローをしているので心配なし。
まあ、これで顔が覚えてもらえているか、と言われたら疑問なのだが。
「……咲乃も私も、髪色は特徴的だし大丈夫か」
咲乃は薄桃、緋凪は綺麗な赤。
いくら咲乃のように生まれや遺伝で髪色が変わることがあるとはいえ、火ノ国の人間は大半が黒髪だ。たまに色が薄かったりはするが、ほぼ誤差の範囲。神職だろうが基本的には黒っぽいのである。あくまで、咲乃の方が例外なのだ。
とまあ、そういうわけで。普通にしていても髪色を覚えられるだけでも目的は達成できるはず。
「うおりゃ~!」
「うおっと!」
「ああ、すいません」
「あ、はい……いや、ちょっと待ってください!」
扉を開けた瞬間に目の前を横切られた文官が、驚いて書類を持ったまま仰け反っていた。去っていく咲乃を驚いた表情のまま見送る彼に、簡単に頭を下げてから去ろうとすると、意外なことに声をかけられた。
何事かと思い、改めて文官に視線をやる。
薄黄色の冠と衣を身に纏っていることからして、文官の中でも中位かそのすぐ下あたり。まだ開いている作業部屋の慌ただしい様子から見るに、書類の移動を頼まれていることからしてもこの部屋の中では一番下だろう。
見た目は二十代前半。少しキツそうな目つきが特徴的な青年だ。事務仕事専門、コネ無しで今の地位だとしたらなら、実力はありそうな感じ。
緋凪は、大体の予想をしてから返事をする。
「どうしました?」
「見ての通り、俺の部署がてんやわんやの状態なんだ。出来れば何か手伝って欲しいんだが……」
「何か、って言われましても」
当然だが緋凪は書類整理なんてやったことがない。というか、現在進行形で咲乃の護衛という仕事の真っ最中だ。とてもじゃないが文官の助けができるとは思えない。
咲乃がどのくらい何ができるかは分からない……が、まさか事務が得意だなんてことはさすがに無いだろう。村から出るまでは、森に閉ざされた神社で育ったし。ヘタしたら緋凪より火ノ国の世間常識や流行に疎いかもしれないのだ。
そう悩んでいると、緋凪が付いて来ていない事に気が付いた咲乃が、式神たちと一緒に柱の陰から顔を出した。
「もー、置いてくよー! ……隣の人、誰?」
「文官の……えっと」
「逢坂康介だ、よろしく。君にお友達に手伝いを頼んでいたんだ」
急いでいるらしい逢坂は、咲乃にも簡単に現状を説明した。
所属している部署が中間管理系の事務であること、例祭が近い事でここ数日は特に忙しいこと、何より人員が足りないこと。どうやら、別の部署に書類を持っていくために人を出すのが難しいほどらしい。
それを聞いた咲乃は。
「とりあえず人員が欲しいんですよね?」
「ああ。掃除を頼まれているのは知っているが、どうにかならないか? お友達の方だけでもいい」
「書類の運搬だけなら手を貸せますよ! 緋凪も一緒に動けば大丈夫!」
掃除はどうするんだ、と言いたげに目を細める緋凪の視線を気にせず、咲乃は懐から数枚の呪符を取り出した。
呪符。簡単な陰陽五行を扱うことをメインに、書かれた文字によって術を発動する符の事だ。
その中でも今回取り出されたのは、木行符だった。
霊力を練り上げて注ぎ込み、術の完成形をイメージする。仄かに青白く光った呪符は、どこからともなく木を生み出し始めた。
初めから木材のような質感のまま生み出されたそれは、徐々に簡単な人型を形成する。人型と言っても、今も咲乃の周囲に雑巾を持って浮かんでいる式神のような折り紙のような形ではない。どちらかというと、木で作られたマネキンと言った方が正しいかもしれない。
そんな木造の人型が五体創り出された。
「人手が欲しいなら、これで大丈夫ですよね?」
「……動くのか、これは」
「もちろんです。ほら、踊ってみて」
咲乃が肩を軽く叩くとその場で統率の取れた盆踊りをし始めた。
木造のマネキンが五体、廊下の真ん中で手を動かしている。当然歌も無ければ太鼓もない。傍から見たらかなりシュールな状況なのだが、咲乃は得意げに逢坂に視線を向ける。
「簡単な命令を聞く木製のお人形です。私の式神ですけど、今日一日貸し出すくらいの時間は自由に使えるはずです。お城の見取り図があればお届け物には役に立ちますよ!」
「お、おお……?」
その後、簡単に何度か命令を出して試してもらった。屈伸したり、書類を実際に持たせたり、ということをして納得したらしい。
とても喜んで、すぐに五体分の地図を集めてきた。部署の人たちにも簡単にお披露目して、実際に使ってもらうことに。
簡単な書類を持たせて別の部署に行かせたところ、無事役目を果たしたことで信用してもらえたようだ。お礼を言いながら次々に頼み事をしていく人たちを見て、咲乃は満足そうに頷いている。
「じゃ、掃除に戻るか」
それがあるんだった! と頭を抱える背中を押しながら、バケツの所に戻る。心なしか同じ様にしょんぼりしているように見える人形と共に、掃除を再開するのだった。
◇ ◇ ◇
あの後、他にも数件の頼み事を解消することになった。
とは言っても、お茶請けを出すのを手伝ってほしいとか、厨房の簡単な手伝いをして欲しいというような内容で、そこまで時間がかかることは無かった。式神の助けもあってか、全部で三階分も掃除をできたのだ。
と、張り切ったのはいいものの。午後のお勉強会を忘れていた咲乃は案の定ヘトヘトになり、やっと宗司のスパルタ~解放されたころには疲れ切っていたのである。
咲乃の覚えが悪くなく、理想のペースで勉強会は進んでいるらしい。
という訳で、夕日が街道を照らす中、少しだけもらったお小遣いを持って商店通りに着いたところだ。二人が店を軽く楽しむには充分な、それでいて夕飯が入らなくはならないくらいのお小遣いだ。
さっきまでの疲労を忘れたかのように、咲乃は店の前で目を輝かせている。
「ん~いい匂いがそこらじゅうからしてる~」
「現金だなお前は……」
祭りの前ということもあって、外からやってくる人がかなり多いらしい。どの店にも目を輝かせる人、明らかに旅装の人で商店通りが溢れている。その喧騒に負けないように店主たちも声を張り上げるから、夕暮れ時とは思えないほどの騒がしさになっていた。
緋凪はともかく、咲乃の気分がそのせいで落ちるなんてことはない。むしろテンションが上がっていくのが咲乃である。
「とりあえずお団子だよね! おじいさん、みたらし二つください!」
「はいよぉ」
八十歳近そうなおじいさんが店頭に立つ、明らかに老舗っぽい団子屋。屋根の文字が独特な書体で書かれているので、きっと本来の店は他にあるのだろう。人通りが多いということで出向したに違いない。
咲乃の嗅覚ともいえる勘は、敏感に店の実力を捉えていた。
今まで数々の団子を食べてきたけど、その中でも上位を争う物が出てくるはず。形も良いけど、何よりみたらし餡の輝きが違う──!
熱心に作業を見る咲乃を気に入ったのか、店主のおじいちゃんはじっくりと作業を見せてくれた。
新しい串を二本取り出して七輪の上に置く。真っ白の団子が火に炙られ、ゆっくりと色づいていくのを無言で見守った。
動きが無いことにだんだん焦れ始めた咲乃が無言で揺れるのも気にせず、おじいちゃんはジッと待ち続ける。
それからさらに幾分か経ち、誰かがそっと唾液を呑み込む音が聞こえた。七輪の中の炭がわずかに崩れた瞬間、おじいちゃんが串をひっくり返す。
「わあ……!」
見事なまでに綺麗な焼き色と焼き目がそこにはあった。美しいきつね色と小さな焦げ目は、まだ餡が掛けられてもいないのに食欲を誘う。
当然それからの作業は速い。裏も絶妙なタイミングで引きあげ、みたらし餡をかけていく。瞬く間に完成した二本は綺麗な笹の葉にのせられ、完成品の台へ。
興奮しながら会計を済ませた咲乃がお団子を受け取り、すぐに一つ目を頬張る。もう一本は当然緋凪の手の中にある……のだが、緋凪にはそこまで団子に対する執着がない。貰った以上二つは食べるつもりだが、残りの二つは咲乃にあげるつもりだった。
それからは間食を挟むこともなく、あっちこっちに視線をやりながら商店通りを歩いていく。和傘屋や呉服屋が鮮やかに彩れば、五平餅のいい匂いが心を乱す。
尾張の国初日に会った飴屋のお兄さんに声をかけられたりもした。
そして、祭りに向けて準備する屋台や施工士の人たちの働きを見ながら三十分ほど歩いたころ。
「だいぶ薄暗くなってきたな」
「そうだね~」
昼と夜の境目。逢魔が時と呼ばれる頃合いだ。
宗司に、真っ暗になるまでに戻ってくるように、と言われているためそろそろ帰らなければいけないかもしれない。商店通りはまだまだ奥まで続いているが、時間制限を破ってまで見に行く気はなかった。祭りの空き日には呉家の門下生たちと見て回ることも決めたし、そこまで焦る必要もない。
という訳で踵を返そうとしたとき、目の前から来ていた人に気が付かずぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい……あれ?」
目の前にいるのは、長身でスラっとした和装の女性だった。花魁のような豪華めの着物を着崩した姿は、なんとも艶めかしい。それでいて、三度傘を目深に被っているせいか、顔は鼻より下しか見えないのだが。
そんな奇妙な姿だからこそ、咲乃の頭に引っかかった。
こんなに目立つ人に気が付かずにぶつかる事なんてあるのかな。なんで緋凪は注意しなかったのかな。まるで
「おやお嬢さん。そんな怖い顔で逃げなくても……なんて演技は通じなさそうだねぇ」
巫女の直感が反射的に体を飛び退らせた。神職の勘というのは中々に馬鹿にできない物がある。一瞬感じた理由のない怖気は、おそらく間違いではない。
冷静になってみれば色々とおかしい。
人間でも動物でも、少なからず霊気や五行、陰陽の気を身に帯びているものだ。生まれたての赤子だろうが、生死の狭間を彷徨っていようが、何なら腹の中の胎児であっても気は持っている。それが全く感じ取れないなんてことがあるはずがない。
その異様な雰囲気に反応してか、周囲の人たちがざわついてきた。だが、二人とも目の前の女性から視線を外すことはしない。咲乃は既に
そこまでされて、ようやく女性は口の端を大きく歪めた。獰猛な、性根が透けて見える表情。
「ま、気晴らしにはなったからよいかの」
あっさりと態度を改めた女性がかぶりを振り、そっと右手を上げた。胸の前まで掲げられた掌の上で、急激に圧が高まっていく。
予想通りしていた隠形を解いたその体から溢れてきたのは
「鬼……!」
彼岸花の描かれた、黒地の着物。着崩されたせいでわずかにしか見えない右手は白い手袋に覆われている。その手の平の上に集まった鬼気が、周囲を歪め始めた。
術を使いこなし、人と対話をする。その時点で自然発生の雑鬼ではない。このまま戦えば確実に周囲に被害が及んでしまう。それだけは避けなければいけない。
どうするべきか考えているうちに鬼の術が発動してしまう。
「安心していいぞ。この場でやり合う気はこちらにもない。が、お主達がみすみす見過ごすとも思えんのでな」
使われたのは反転の術だった。
この尾張に限らず、京都に端を発して、火ノ国では街が碁盤の目のように作られている。これは単純に往来を簡単にするという目的だけではなく、街全体で一つの形を描くことで周囲の気を安定させるという目的がある。
咲乃が厄除けの加護をかけた飴屋に不幸があったのは、店が偶然その術の狭間にあったからだ。店主がもともと持っている気が土地に合っていなかったこともあるが、基本的にそういう事故は起こらない。偶然さえなければ街の中の気は安定するように作られているのだ。
そして鬼は、その安定させる術の一部を反転させたのだ。
どうなるかは言うまでもないだろう。
周囲の気が一気に歪み、集まり……明確な形を持ち始める。
「ガァァァァァ……ッ!」
局所的に生まれた気の揺らぎが鬼気を受けて悪性になり、逢魔が時という時間の要素も加わって具現化。鬼の足元から、体長が十メートルはありそうな妖怪……
急激に生まれ落ちたせいか、牛頭の半分は朽ちたように骨が覗いている。体は蜘蛛のような形で、足先はとても鋭い。半開きになった口のすき間からはうめき声のような方向が漏れている。
巨体は動くたびに石畳をひび割れさせ、建物を破壊しながら咲乃と緋凪を睥睨していた。
「お主達は、そう遠くないうちにまた会うことになるだろう。それまでの短い期間だが……さよならじゃ」
咲乃は迷うことなく蒼愛を構え、緋凪は拳に炎を灯す。鬼はその姿を見て、満足したように去っていく。二人はその姿を黙って見送ることしかできなかった。
緋凪だって充分以上に戦うことはできるが、その戦法は基本的に体術だ。これほどの巨体に対しては厳しいものがあるだろう。何より、相手が妖怪である以上、修祓には咲乃の力が必須だ。
そして、緋凪の今の任務は咲乃の護衛である。咲乃が怪我をしないようにするだけではなく、修祓をするための準備をする時間を稼がなければならない。
「オォォォォォォオオオ!!!」
夕暮れ時の街で、異形の獣が啼く。
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