現人神の頼み事



 巫女に対して現人神からお願いをする。

 効果的というには過ぎる行動で最初から主導権を握った桔梗ききょうに、トクさんは恨みがましい視線を向けることしかできなかった。もちろん口を挟む隙など見せるわけがない。わざとらしいほどに視線も話の矛先も向けない桔梗には何もできないのだ。

 だから会わせたくなかったんだ、と嘆くも時すでに遅し。どれほど悔やんでも現状になっただろうし意味が無いとわかっていても、項垂うなだれたくはなる。


「良い返事だ。さて、どこから話そうか……」


 わざとらしく頬に指を添えて視線を彷徨わせる姿に、咲乃の心は完全に協力する方に傾いてしまう。わくわくという声が聞こえてきそうなくらいの表情に満足したのか、桔梗は軽く横に向けていた視線を前に戻した。

 揺れる群青の髪と美しい蒼の角が、軽く揺れる。


「この尾張で、近々秋祭りがあることは知っているか?」

「秋祭り?」

「そうだ。元は熱田神宮で行われていた夏祭りの系譜なのだが、神事が重要視されるようになって以来、四季の始まりでそれぞれ開催されるようになったのだ」


 天皇陛下の勅使が参向して御幣物を奉納、御祭文を奏上。宮司が祝詞を奏上することで国の平安を祈る祭りで、全て合わせて例祭と呼ばれる。

 そういった神事だけではなく、献茶や花火、献灯まきわらの点灯、武道や俳句などの大会を開いたりといったいわゆる夏祭りの要素もある。熱田神楽の演奏も相まってかなり楽しい行事でもあるのだ。

 形式や風習だけでなく実際に意味と効果を持つようになって以来、大切な祭りは無理のない範囲で開催すべき、という言葉が大きくなるまでに時間はかからなかった。

 という訳で例祭は夏祭りから四季祭りへと変化。そして今回開催されようとしているのは秋祭りという訳だ。


「秋祭りの開催は二週間後。お前さんにはその秋祭りの中でも花形の、山車の上での神楽を頼みたいのだ。祭事……巫女の仕事はどこまでできる?」

「お祓いも舞いも、なんなら流鏑馬やぶさめまでできます! もちろん神楽も!」


 もちろん祭りごとに違いはあるだろう。だが、咲乃は祭事や巫女の仕事の基礎は全てマスターしている。個別の仕様になれるのに二週間は充分すぎるくらいだ。

 そして、大太刀を扱える咲乃にとっては、山車の上で神楽をするくらいわけはない。


「その言葉、嘘ではなさそうだな。よい、お前に任せよう。……任せると言ってもあくまで花形を、という意味だが」

「舞いが何部かに分かれているんですか?」

「そうだな。お前さんならすべて覚えられるかもしれんが、そもそもこの祭りの神楽は複数人でやる事を前提とするものなのだ。故に、珍しく一人で舞う部分を任せたい」


 個人での舞いではなく、複数人で意味を成す。大太鼓や龍笛の旋律にのせることで祭りの参加者まで含めて一体とし、祭りを大きな儀式と昇華する。祭りの変遷と成長の過程で生まれた実践的な大規模呪術だとも言えるだろう。

 基礎の舞いと雅楽さえしっかりしていれば勝手に成立する、という点で見れば難易度自体は低いのだが。


「まあ、その辺りの事情はそこまでお前さんには絡むまい。さて、肝心の舞いの練習についてだが……宗司」

「失礼します」


 打てば響くように、音もなく開いた襖から宗司さんが姿を現した。

 さっきまで案内していたのに、もう人数分の温かそうなお茶を盆にのせている。トクさんと咲乃の側に丁寧において、咲乃にだけは茶菓子を一つ。最後の高そうな湯飲みを桔梗の前に置くと、側に控えるようにして座った。

 茶菓子は咲乃の好きな草饅頭だ。見慣れたお菓子に目を輝かせていると、宗司が微笑ましそうにしながら、食べていいよ、と手で合図をしてくれた。


「美味しいかい?」

「はいっ!」


 全員が茶に口をつけ、少し落ち着いてから話を続ける。


「神楽についてだが。とりあえず基本と簡単な知識の講義を宗司にさせる。そして一週間後からは他の神楽担当と合わせて舞うことになる」

「宗司さんが?」

「うん。よろしくね」


 現人神の側仕えができる人間というだけで、ただの荒くれ者も、そこいらの識者も、比べ物にならない。つまり、宗司も源治も儀式に関しては、たとえ効果の差異があるとはい言っても、高い水準で行うことができるのだ。


 という訳で。

 これから数日間は宗司の下で指導を受ける生活となる。まあ、一日八時間起きている間は常に! などというような練習漬けにはならないし、街に遊びに行くこともできるのだが。

 基本的に練習場所は城内の空いている大広間。寝泊りのための一室を貸し出してもらえるという好待遇っぷりだ。もちろん三食お風呂付き。


「城で寝泊まりなんて初めて……!」

「そうだ。だからおかしい。天下の桔梗様の城にこんな娘っ子を抱え込む理由はなんだ?」


 そこで、ここまで黙っていたトクさんが口を挟む。その声は強い疑念に包まれていた。

 やんごとなき身分の神が住まう城に、人を泊める。一泊どころか実に二週間もの間養うというのは、たとえ同じ貴人相手でもそこまですることは極稀だろう。それだけに解せないのだ。

 ましてや、いかなる方法によってか咲乃の事を知っていたとして、いきなり祭りの花形を頼むものかという疑問がある。……まさか、俺に嫌がらせをするためではあるまい、とは思うのだが。

 だが、その疑念は簡単に一蹴されてしまう。


「別に不自然でもあるまい。有能な者は取り立てる。好待遇は頼みごとをする側の誠意、というやつだ。本人が欲しがるというのなら追加で報酬も付けるが……望みがあったりするか?」

「思いつかないです!」

「実に素直でよい。それでも気になるというのなら、宿泊費は城で働いて還元せよ。宗司、ちょうどよい仕事があったはずだな?」


 疑念を抱くのは勝手だが、頼まれた本人が納得する理由がある。その上でどうしても、泊まる事や見方によっては借りに感じることがあれば好きに返せ、ということだ。

 もちろんトクさんは自分の疑念に従う。たとえ本当に徒労だったと後で知っても問題はない。


「わかった。その仕事とやらの説明を後で聞かせてもらおう」

「え、トクさんは練習見てくれないの……?」


 不安そうにこちらを見上げる目に、毅然と言い返す。


「見れんだろうな。霊振器技師としての仕事を任してくるつもりだろうから、見に行く余裕がない。第一、見たところで口を出せるほどここの神楽を知らない」


 そういうことじゃないのに、という呟きは黙殺した。


 霊振器技師。科学の発展していた三百年前までには無かった職業だ。それも当然で、名前から察せる通りこの職業の人間が主に対峙するのは物とである。

 簡単に説明すると、現世に留まっている霊を、様々な方法を使って、収集ないし結び付けをして物に宿らせる仕事だ。微弱な霊は集めて一つのエネルギーに、強い魂の霊は単体で物質に結び付ける。そうすることで色々な効果や効能のついた物を生み出すのだ。

 この結び付けのことを¨霊振¨という。


 この技術は生半可な努力では身につかない。

 武器に限らずアクセサリーや日用品にも用いられるそれは、たゆまぬ努力と繊細な作業によって生み出されるものであり、基本的にその成果物は高価になる。アクセサリー類をたまに売るだけでも咲乃たちの旅の路銀が賄えると言えば、だいたいどのくらいの価値かわかるだろう。


 ちなみにトクさんの専門は武器に対する霊振だ。アクセサリーや竈、日用品といった物も扱えるが、武器を鋳造する技術を持っているという理由でそういう事にしている。トクさんの得物の大棍もその作品の一つで、機械の機構まで組み合わせることで特別な強化をされた一品だ。

 火ノ国で作られた武器の中で特殊な力を持つのは、出自が特殊でない限り、基本的に霊振器技師によって造られた物と言っていい。


 そういうわけで。

 旅の途中でしっかり作業できない時ならともかく、今はしばらくこの尾張にいる予定だ。となれば、地元の鍛冶屋のどこかで場所を借りることになるだろう。必然的に咲乃の神楽の練習は見られない。せいぜい、朝と夜に会えるかどうかだ。

 トクさんの性格だと、平気で数日顔を合わせないかもしれない、と咲乃は頬を膨らませる。


 私はもう十五歳で、トクさんに旅に出ることを認めてもらえるくらいだから。付いてきてもらってはいるけど、旅の行き先も困った時の方針決めも私がしているんだから。私はもう、大きいんだから。文句なんて言わない。

 だから、初めての所で見知った顔が無いのは寂しいだなんて、口が裂けても言えるわけがない。


「むー……」

「………………後で、適当な役職に緋凪を入れられないか聞いておく」

「やった!」


 喜ぶ咲乃の視線から逃れるように茶を啜る。ついでに含み笑いを向けてくる桔梗と宗司を睨んで、一息入れ直した。

 トクさんとしても、この大きな街でメインの職で稼げるというのはかなり助かるのだ。いくら練習を積んでいるとはいえ、長い間触らないと腕が鈍るし、霊振器界隈の流行を追えなくなる可能性もある。この尾張なら買い手も多いとなれば、最早やらない理由はない。

 それに、わざとらしくもこの尾張の最高権力者の目の前で言ったのだ。それに一言無い時点で、稼ぐのも緋凪の勧誘もほとんど公認と言えるだろう。


「話はまとまったようだな」

「では、ご案内いたします。それと、尾張で最大規模の鍛冶屋への招待状もご用意いたしましょう。……緋凪という方の説明をお願いしても?」

「親友です!」

「中華拳法道場の娘だ。コイツの護衛辺りの役職にでも放り込んでおいてくれ」


 ついでに門下生も抱え込んで困れ、という一言は飲み込む。

 旅行に来ている道場の師範、つまり緋凪の父親が城で抱えてもらえることを拒むはずがない。いくら面倒見が良いからといって緋凪一人に子供複数人を押し付ける親が、権力者の膝元に行くことを嫌がるわけがないのだ。火ノ国の武道を取り込んだり、武芸者と取り組みをして経験を蓄えるという建前の海外旅行だからな、あれ。

 伝文をサラサラと書き上げた宗司が立ち上がり、桔梗に一礼をして立ち上がる。


「付いて来てください」


 トクさんがした礼に合わせて咲乃も頭を下げる。湯飲みを持って立ち上がり、何となく桔梗の方を振り返った。

 ふわりと揺れる綺麗な群青の髪と蒼の角が目を惹くが、その上にある、高座の上を走る梁に施された意匠に視線が向かった。

 三枚の葉が中心方向に向かい合うような紋様。どこかで見たことがある気がする模様が、変に頭の片隅に引っかかった。


 ──あれ、どこで見たんだっけ。なんか気になる。


 思わず首を傾げた咲乃に、後ろから声がかかる。そっと微笑んで送り出す桔梗にもう一度だけ礼をして、すでに離れ始めていたトクさんの背中を追いかけた。既に次の行動の簡単な説明を始めた宗司の声に意識を向けつつ、記憶の海をそっと漁る。

 もっとも、すぐに答えは出なかったのだが。



◇ ◇ ◇



 あの後、ひょっこりと現れた源治にそれぞれの武器を返してもらい、そのままの流れで諸々の説明をするための部屋に通された。十二畳程度の広さの簡単な作業部屋で、側仕えの二人と向かい合うようにして座る。

 もっとも、トクさんに関してはそこまで説明することがない。せいぜい泊まる部屋と出入りの方法、紹介される鍛冶屋の場所の説明ぐらいだ。紹介状と城の通行許可証を渡して、城内と鍛冶屋の地図を渡して終わり、ということになる。

 という訳で、部屋に入ったは良いものの、トクさんは源治に連れられて即退場。さっそく顔見せに行くらしい。


「……少々、急ぎ過ぎましたかね?」

「大丈夫です!」


 正座しながら小さくガッツポーズをしてみせると、宗司は微笑んで、一冊の本と、一抱えはありそうな大きな包みを差し出した。咲乃の視線は、自然と大きな包み……ではなく本に向かう。

 なぜ明らかに目を惹きそうな臙脂色の包みではなく、本に意識が行ったかというと。


「宗司さん、これ、嘘ですよね?」

「まさか」


 相変わらず微笑みを見せる宗司とは対照的に、咲乃の表情は引き攣っていく。

 神楽をする以上、最低限祭りの知識が必要なのは分かっていた。そこに特殊な着付けや舞いの工程までを一冊に纏めれば小冊子くらいにはなりそう、と覚悟もしていた。

 でも、まさかの厚みがあるだなんて思わないだろう。


「……これ、全部覚えるんですか?」

「もちろん」

「一週間かけてとか……」

「そんなに時間をかけていたら神楽の練習の時間が無くなってしまいますので、できれば三日ほどでお願いしたいです」

「三日!?」

「それと、対外的な示しのために城内の簡単な掃除や手伝いもやらせること、と仰せつかっております」


 そんな……と項垂れる咲乃を見る目は相変わらずゆったりとした笑みを湛えている。その視線は雄弁と「少しも寛恕しませんよ」と言っていた。


 私、知ってる。こういう人の事って¨ドエス¨って言うんだよね。


 宗司は咲乃の恨みがまし気な視線など意に介さず、部屋の奥から黒板をいそいそと取り出して講義の準備を始めている。いつの間にか指し棒を用意して、自分用の本を開いている様子を見て、諦めて同じように本を開くことしかできないのだった。


「では、始めましょうか」

「……はぁい」


 蒼愛あおい迦錺かざりを腰から外して側に置き、机に向く。

 その後、日が落ちてしばらくするまで延々と講義は続いた。尾張の歴史、祭りの歴史を中心に叩き込まれた咲乃は、夕ご飯もそこそこに早めに寝入ってしまったのは言うまでもない。



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