親友にセクハラしてはいけません



 翌日、日が昇り始めて少し経った頃。朝早くから働いている人たちの声に起こされるようにして咲乃は目を覚ました。

 寝ている間に乱れた髪を頭を振って簡単に直し、衝立を挟んで隣の布団にトクさんがちゃんといることを確認してから、ゆっくりと立ち上がる。浴衣に少しだけ足を取られつつ、寝ぼけ眼をこすりながら洗面所に向かう。


 蛇口をひねり、秋先の冷えてきた水を顔にかけた。前髪が濡れるのを感じながら三度水をかぶった咲乃は、ついでに髪も簡単に冷水で流した。

 流れるように、懐から寝ている間に少しれたお札を取り出す。火産霊ほむすび、別名、加具土命カグツチを祭神とする火男火売ほのおほのめ神社の札だ。それに淡く神力を込めて、目の前の中空に浮かべる。

 微かに緋色の光を零す札は咲乃の顔の周囲をゆっくりと回っていく。


「ん~」


 札が二周する頃には、濡れていた髪も顔も程よく乾いていた。火産霊のお札様様だ。

 ちなみに、人によってはこういう風にお札や神力を使うことを忌避する人がいる。

 だが、多少形が変わっていたりはするものの、神道というのはこういうものだから仕方ない、というのが咲乃の考えだ。


 神はありとあらゆる自然や物に宿るものであり、怒らせてはならない上位者でありながら、共に隣を歩く友人。それが日本で言う神の姿。


 常に清い行いをするために、困った時に助けてもらうために、いつも守ってもらうために、その他もろもろ。特別親しくはなくとも、一緒にこの国で生きる友人として、互いに助け合いながら人と生きている者が、神。

 であるならば、巫女の咲乃が髪を乾かすために、火産霊に神力を以て¨お願い¨をしても何らおかしい所は無いのである。


 ──などと言うと、ズボラだとトクさんに叱られるのだが。

 でもまだトクさんは寝てるからいいよね、お寝坊さんなのが悪いもんね、などと心の中で言い訳をしながら洗面所を出た。

 髪紐を咥えながら、いつも通りのサイドテールに結っていく。まずは、左の方に髪の毛を集めて首元くらいまでの尻尾を作った。それを左手で固定、咥えていた髪紐で結んで出来上がり。

 軽く触って確認よし。だいじょーぶ!


 自分の布団を片づけて、簡単に服や荷物を整えて、そしてトクさんを揺さぶる。


「おーいトクさん、朝だよー」


 トクさんは朝が弱いらしく、なかなか起きない。だからといって無理やり起こすと少しの間不機嫌になったりするのだ。昔、小さいころにこめかみのあたりを掴んで揺らしたら本気で怒られた。

 どうやら起こすときに限らず、頭を触られる事全般が苦手らしい。

 という訳で、トクさんを起こすときは、肩を揺らしながら声をかけ続けるしかないのだ。


「おーい、朝だよー!」

「……わかったわかった、もう揺らさなくていい……」


 そして、揺らさなくていいと言ってからは本当に揺らさないのもポイント。トクさんは自分が寝坊した時と違ってちゃんと起きる、ということを咲乃はよく知っている。野営している時の緊急事態ではすぐに起き上がるし、宿の場合でも三分もなしに起き上がるのだ。

 実際に、今回も起きあがるのはすぐだった。

 体を起こし、わずかに乱れた浴衣の前を閉じて、ケホ、と空咳をしてから咲乃を見る。いつも通りのトクさんだ。


「おはよう、咲乃。早速だが、今日は外せない用事ができた。咲乃も連れて行かなきゃいけないから、すぐに準備してくれ」

「用事?」

「ああ。……すごく気が重いが、仕方ない」


 トクさんにしては珍しく、本気で嫌そうにそう言った。

 何かと簡単にこなすし、弱音は基本言わないだけにとても意外だったのだ。しかも、寝起きだからとかではなさそうな理由で表情を歪んでいる。

 その様子に、珍しいな、と思いつつ備え付けの急須に水と緑茶のティーバッグを入れて、さっきと同じように火産霊の札を張り付けて神力を込めた。

 さっきは水気を飛ばすために使ったが、お湯を沸かすためにも使えるのだ。火産霊のお札、バンザイ。


 ちなみに陰陽師の人は、同じように水気を飛ばすためには木行か土行の札を使うらしい。トクさんに陰陽五行とやらを教えてもらった時にそう学んだ。

 ちなみに咲乃はよくわからなかったから、とりあえず記憶だけした。

 陰陽術まがいのことはできても、あくまでそれっぽいだけ。巫術や符術、退魔術は使えるが、遁甲や天文はからきしである。

 退魔術に五行を使ったとしてもあくまで補助。メインは二刀による直接攻撃だ。


「はいどうぞ。朝ごはんは下に行ったら出してもらえるって」

「分かった。荷物を整えたらすぐに降りよう」


 とことん憂鬱そうな姿を尻目に、もうほとんど終わらせていた準備に方をつける。旅装をしていたのもあって荷物は最低限だから、そこまで時間はとられなかった。トクさんは職業柄荷物の点検が多いが、それだって慣れた作業だ。淹れたお茶が程よい温度になるころにはとっくに終わっている。

 湯飲みに二人分を注いで、落ち着く朝の一杯を楽しむ。


「ぷはぁ~」

「余ってるティーバッグとか持っていこうとするなよ」

「わかってるよ。さすがにもうそんな事しないもん」


 一時期、野宿の時に便利だよねと全て持っていこうとしたのだ。咲乃からしてみれば旅の工夫だったのだろうけど、一応神職の身分でそういう事をするのはよろしくない、ということでやめさせたのだ。

 他人が見てる見てない、咎める咎めない、ではなく心構えの話である。


 使った急須と湯飲みを簡単に洗って乾燥棚に置く。


「よし、出るぞ。忘れ物はしてないな?」

「はーい! ……そういえば数日泊まるかもって受付の人に言ったような……?」

「それは昨夜取り消しておいた。一泊分の料金を払えばいいようになっている」


 それなら良いか、と出入り口のフックに掛けられた鍵を取って外に出た。

 トクさんも外に出たのを確認して扉を閉める。鍵をして、もう一度だけ荷物を確認して階段を降りていく。

 木張りの廊下や階段が軋む音が心地いい。裸足で足裏に感じる木の感触が安心する。

 一階の食堂には何組かの宿泊客がいる。その中には当然緋凪の姿もあった。


「おはよーヒナ。今日も人気者だね」

「そのあだ名は止めろ」

「可愛いのに~」


 昨日のように緋凪は門下生の子供たちに囲まれていた。

 五人の子供は、思いおもいに朝ごはんを食べては、元気に緋凪に絡んでいる。おざなりとはいえその全員に対処しているから、傍から見れば、ガラは悪いけどいいお姉さんといったところだ。

 今日は黒基調の長いチャイナドレス。その縁取りとポニーテールを結ぶ紐の赤が目を惹くし、何より長いスリットから覗く生足は相変わらず麗しい。


「どこ見てんだ」

「いたっ」


 あんまりに視線を向けたせいで軽く叩かれてしまった。

 ごめんごめんと謝りつつ、隣に座って朝ごはんを食べる。一汁二菜、多少質素な感じはあるが味は確かだ。何より白ごはんが美味しい。

 楽しんでいるうちにあっさり食べ終わり、お皿を食堂に戻して、置いていた荷物を持つ。


 忘れものなし。トクさんの後ろに続いて受付に向かう。

 受付で手続きをしている間も、ずっとトクさんの機嫌は悪そうだった。咲乃がこれまでに見てきた中でも一、二を争うくらいである。

 咲乃からしてみれば、そんなに嫌なのに今日の用事とやらに行くのはなんでかな、という興味の方が強かったりするのだが。

 手続きを済ませたトクさんと一緒に宿から出る。挨拶は忘れずにして、扉を閉めてからトクさんの方を向いて。


「それで、どこに行くの?」

「あそこだ」


 トクさんが指を向けた先は、雲を貫く巨大城郭。

 え、と咲乃が驚く間にその指は引っ込められて、その背中は離れ始めていた。慌てて追いかけて隣に並ぶ。


「あそこって貴人さんがいるんじゃないの!?」

「貴人さんってなんだ。まあいい、その通りだ。この尾張の国を治めている城主に会いに行くぞ」

「失礼なく話せる気がしないよ私!」

「まあそうだろうな」

「もー!」


 文句を言おうが、頬を膨らましながら腕を突き上げようが、歩くのは止まらない。

 宿から歩くこと数分、体感では数十秒あったかどうかも分からない間に門番のところに着いてしまった。当然心の準備なんかできているわけがない。

 そんなに緊張していて大丈夫か、とか言われても大丈夫じゃないとしか言えない。でも、そのくらいには貴人というのは国にとっても巫女にとっても重要なのだ。

 貴人がお城にいるだけなら問題ない。でも、会いに行くだなんて聞いてない。


 貴人というのは、単に地位や位が高いという訳ではない。

 上達部かんだちめの中でも特に家柄やよっぽどの実績が必要で、顔を合わせるというだけで価値があるのだ。古来の風習や習慣といったものが重要な世界になって以来、その位だけで何物にも変えられない価値がある。

 その中でも咲乃がここまで取り乱すのには訳がある。


「もし現人神様とかだったらどうするの!」

「……見ればわかるから言わないでおく」


 血統やしきたりという観点からしたら、自然や神様というのは何よりも強い要素だ。伝承にまつわる人だったりしたら、それだけで祀られたうえに貴人として国を治める可能性があるというもの。

 巫女という立場の人間からしたら落ち着いてなんていられるわけがない。


 そうして慌てている間にも手続きは進み、門が開かれていく。


「ほら、行くぞ」

「うう……緊張する……」


 門の中には、貴人の側仕えの体格のいい男が二人。二人ともが刀と脇差を佩いていることからして、側仕えの中でも護衛などまで務める者なのが分かる。咲乃の手が一瞬だけ蒼愛あおい迦錺かざりに伸びてしまうくらいには威圧感と安定感のある二人だ。

 だが、その緊張感から洩れた動きはすぐに伝わってしまったようで。


「初めまして。咲乃様とその保護者殿、でよろしいか?」

「は、はい」

「すいませんが、武具の類は預からせていただきたい。我らを前に何ができるとも思わないが、失礼に当たってしまうのでな」

「わかりました。でも……」

「安心してくだされ。城主へのお目通りがすめばすぐにお返しいたしますので」


 ならよかった、と少し安堵する。

 咲乃が有事の時に一番頼りにするのが刀である以上、それが一時的にでも手元を離れるというだけで不安が尽きない、ましてや初対面の人に預かられるとなると、潜在的にある「盗られるのではないか」という疑問が頭を掠めてしまうのだ。

 その感情を敏感に感じ取る辺り、この側仕えの中でもかなり有能なのだろう。

 門から城に続く短い道中で、簡単な話題の一環として簡単に自己紹介をしてもらった。彼らは双子で、兄の源治と弟の宗司さんだ。少しだけ実戦の実力が上の源治、交渉や文官としての仕事に精通している宗司、という感じらしい。

 宗司がメインガイドとして案内してくれている。


「では、城に入りますので。ついでに武具を預けていただけると」

「はい」


 トクさんが大棍を、咲乃が刀と籠手を預ける。源治さんがその全てを担いでどこかに行くのにも構わず、宗司さんが先導を続けていく。

 城に入る時に軽く立ち眩みのような感覚に襲われる。結界のような物かな、と感覚から当たりをつけていると、目の前に旧代の遺産とも言える機械が姿を現した。ピッチリと閉じた二枚扉には取っ手が無く、その横に三角の矢印のボタンがあるだけという簡素さだ。

 今はもう限界を迎え、細々と利用されているだけの科学の中でも、かなり初期に作られた文明の利器……エレベーター。咲乃の知識にはあっても実際に見るのは初めてだ。


「わぁ、こんな部屋が上に動くなんて……! どんな呪術なんだろ……」

「咲乃様はエレベーターを見るのは初めてのようですね。残念ながら呪術ではありませんよ。上から太い縄で部屋を釣り上げているのです」

「部屋を……? どういうことですか?」

「乗ってみればわかりますとも。さ、どうぞ」


 宗司がボタンを押すと無音で扉が左右に開く。旧来とは違って木製のエレベーターは、上からの淡いホワイトの光が満たしていた。内側の扉脇には黒いツルツルとしたプレートが設置されている。

 そのプレートに宗司が手の平を当てると、静かにエレベーターが動き出した。


「なんか、外が見えないのに上がっている感覚がするのって変な感じ……」

「初めて乗るとそう感じるかもしれませんね。では、外を見てみますか?」

「見れるんですか?」


 見れますよ、と言いながら再びプレートに触ると、一瞬のうちに壁が全て透明になり、外の風景が映し出された。どんどん遠ざかる地上、豆粒のようになっていく人々、屋根だらけの風景。エレベーターが上がっていくのをこれ以上ないくらいに感じ取れる。

 もちろん咲乃はこんな高い場所から街を見るなんて初めてのことだ。思わず口から感嘆の声が漏れる。


「わぁ……!」

「城の外壁に取り付けられたカメラと投影技術を組み合わせると、こんなことが出来たりします。まあ、その仲立ちに術を使っていたりはしますがね」


 説明を受けている間にもどんどん高度は上がっていく。やがて人がただの黒い点になったころに、雲を突き抜けたのが見えた。

 初めて見る雲の上の世界。城から突き出た他の部屋以外は何一つ無い、満点の青空だ。

 そこまで来てしまえば頂上は近い。案の定耳を痛がった咲乃が耳抜きを教わり、感覚を取り戻した頃にはエレベーターは動きを止めていた。


「こちらです。もう少しだけ歩きますが、すぐ着きますので」


 解除された透明化に名残惜しさを感じつつ、大きな広間の真ん中を歩いていく。

 宗司は、こんなに沢山の広い部屋が作れるかな、と首を傾げる咲乃に構わず歩いていく。書院や政務部屋への脇道を無視してまっすぐ行くと、今までと比べて明らかに豪華な欄間と襖が現れた。

 白鶴とキジが大きな水辺で佇む山川の襖絵は、この奥の御殿の主の格をそのまま表していると言える。国鳥の描かれた襖の格は、言うまでもないだろう。


「これより先は許された者のみが入室を許されますので、呼ばれない限り私はここまでです。どうぞお進みなさいませ」

「ありがとう、宗司さん」

「いえいえ」


 柔和な笑顔で中に簡単に合図を送った宗司さんは、襖に手をかけてそっと開いていく。

 ここまでの道を遥かに超える優美さと清廉さに彩られた広い御殿の、その中でもさらに一段上がった所にその人──現人神が、肘掛けに体をゆるりと預けていた。深い夜空のような群青の髪がしっとりと高座まで垂れている。

 そして、その髪の合間を突き抜ける一対の角が目を惹く。それを見た咲乃は、感動しつつも、何となく目の前の存在の正体に気が付いた。


「よう来たな」

「はいっ」

「そう硬くなる必要はないぞ。われのように、とまでは言わないが気楽にするといい」


 上段の間、中央より少し入口よりに既に引かれていた座布団に腰を下ろす。座りを少し正して、改めて目の前の現人神から感じる強力な神気に驚きを隠せなかった。清流のように静かでありながら内に秘めた力を感じさせる、というのはいかにも神様と思う。

 何と切り出したらいいか迷う咲乃に、少しは落ち着いたと判断したのか、言葉が投げられた。


「私は上様よりこの名護城を任された者だ。桔梗ききょう、という名を名乗っている。そして既に感じているであろうが現人神だ」

「桔梗様……もしかして元のお姿は龍神ですか?」

「よう分かったな。まあいい、咲乃よ。突然だが」


 そこで一拍置いて。


「この桔梗がお前に頼みがある、と言ったらどうする?」

「やります!!!」


 嬉しそうに即答する咲乃の横で、保っていた姿勢を大いに揺らがせて崩れ落ちかけた男がいたとか。


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