久しぶりの幼馴染



 尾張の街に入って最初に目に入ったのは、夕日に照らされながら街を歩く大勢の人々だった。

 おのぼりさんの雰囲気丸出しで目を輝かせている、薄桃色の髪の巫女の名前は笹暮ささぐれ咲乃さくの。そして、その様子を後ろから見守っている、長い白髪の修験者風の男がトクさん。

 とある目的のために二人で旅をしている途中である。


 目の前には、荷物を担いで走る人、友達と追いかけ合いながら器用に人のすき間をかける子供、立ち止まって知り合いと話す人に声を張り上げて商品を売る人がいる。誰もがそれぞれに、それでいて一体となって生活しているのが分かる。

 どうやら関所から出てすぐに見えたのはかなり大きな商店通りらしい。あちらこちらからいい匂いがするし、絶え間なく売り子や店主の声が響いているのだ。咲乃は商店通りを見たことはあっても、ここまで賑わっているのを見たことは無い。

 つい、冒険心が騒ぐ。


「咲乃、まずは宿を探すぞ」

「うん」

「団子も、夕飯も、遊ぶのもその後だ」

「うん」

「聞こえてるか?」

「うん」

「聞いてないな?」

「うん……いたぁっ!?」


 ポコリ、と脳天を拳で叩かれてようやく気が戻ったらしい。

 涙目で見上げてくる咲乃を無視して、トクさんはズカズカと街道を歩いていく。恨みがまし気に頭を押さえていた咲乃も、置いていかれてはかなわないとその後ろについていく。

 とは言っても、トクさんがまっすぐ前を見ているのに対して、咲乃はあっちこっちをキョロキョロと見回していたりはするのだが。

 たい焼き、たこ焼き、味噌カツに串焼き。魚に産地直送野菜と、景色を彩る物には事欠かない。


「ねえトクさん、今どこに向かってるの?」

「街の中心だ。関所に入る前から見えてたあの城郭のあたりなら、なんかいい宿あるだろうからな」

「あれかぁ……雲より高かったし、下から見上げたら首が痛くなりそうだなぁ」


 背の高すぎる城郭。

 研究されきった建築学と古来からの建築様式、そして多種多様な呪術や祭儀による加護といった技術を持ち寄ることで建てられた、雲を貫く『曲がりくねった』城。ある種この街のランドマークでありシンボルの城は、街に入る前から見える街の中心である。

 そして、城郭の辺りは当然ながら尾張の国の中でも一段と栄えているのだ。店が多くて治安も良い。宿だって空いているだろう。


 とは言っても、当然ながらそこまでの道は遠い。

 尾張の国は中々に大きく、栄えているという事は単純に人口が多いという事でもある。事実、いくら関所のすぐ近くとはいえ、目の前の商店街には溢れそうなくらいの人がいるのだ。咲乃がトクさんの着物の袖を摘まもうか、と思うほどには。

 そんな人混みの中でも迷わずに歩けるトクさんを凄いと思うし、だから咲乃も安心してキョロキョロできるというものだ。


 辺りを見回しては目を輝かせる咲乃には、当然のように客引きの声が集中する。美味しそうな匂いや楽しそうな遊びという数々の誘惑に抗い続けていると、ある一つの店が目についた。


(あ……)


 巫女の咲乃には、その店の状態がすぐに分かった。

 大通りに店を出していて、扱っている商品のお菓子類は決して悪くない。店舗も売り子も清潔に見えるし、見栄えはいい方だ。他の人に嫌な目を向けられているわけでもなく、声を張り上げていないわけでもないのに、何故か誰も見向きをしない。

 だが一点、雰囲気というには曖昧な部分……言うなれば、空気が悪い。

 そしてその原因は間違いなく、あの店の厄除けの加護が途切れかかっている事だろう。


 元々風水や立地的な機運が元から多少悪い立地と見える。それが、店主との相性などが相まって、本来以上に悪化してしまっているのだ。

 咲乃はトクさんを呼び止めてその店に向かう。


「あの、すみません」

「おお、お嬢ちゃんどれにするかい?」

「じゃあその飴を……じゃなくて。ちょっとだけいいですか?」

「ん?」


 店主と売り子の兄ちゃんが怪訝な顔を向けるのにも構わず、咲乃は懐からキーホルダーほどの大きさの小幣を二つ取り出して、屋根を支えている柱と結び紐のすき間に差し込んでいく。出入り口の両脇の柱に差し込むと、店の正面に正対して懐から水筒を取り出す。


 咲乃が来て悪い雰囲気が多少晴れたからか、それとも少女が小幣を取り出した特異さに驚いたのか、徐々に周囲の注目が集まっていく。だが、咲乃はそんなざわめきを無視して一心に祈りを捧げ始めた。

 水筒にいれていた水で簡単に口と手を清め、二拝して手を合わせる。


「──極めて汚きも溜まりなければ、穢きとはあらじ」


 周りの喧騒を気にせず、少女は祈りを奏上していく。


内外うちとの玉垣、清浄きよくきよしと申す──」


 一切成就祓いっさいじょうじゅのはらい。不浄や不幸を取り払う祝詞だ。

 少女がわずかに下げていた顔を上げると、そこにはさっきまで重たかった雰囲気はもう無い。店主たちを苛んでいた厄は祓われたのだ。咲乃はそっと腰に佩いている二刀を撫でて、いつの間にか隣に来ていたトクさんに視線を向ける。


「まだまだ練習が必要だな」

「うん。結局、蒼愛あおい迦錺かざりに頼っちゃったなぁ」


 祈祷の呪具としても使えるその二刀は、咲乃の祈りを目に見える力として現出させるための手助けをしていた。他の人が見ても分からないだろうが、力の放出点としてかなり使いやすい。それだけに、つい頼ってしまう。

 小幣という道具を使っていてこれじゃあなぁ、と咲乃としては少し落ち込んでいた。小さな不浄なら小幣や二刀に頼ることなく祓いたい。

 咲乃はいつもそう思っている。


 ただ、あくまでこの基準はトクさんが咲乃に教えた──正しくは課した基準だったりする。一般的な基準からしたら、正式な巫女服を着ていないし、神社の水で清めたわけでもないのにここまでできるというのは、単なる厄払いなら充分な程といえる。

 ましてや、それをしているのが十五歳の少女ともなれば、褒められてしかるべきだ。

 だが、トクさんはあえてそうしない。少女に高いレベルを求めるだけに、そして他に褒める人々がいるだけに。


「お、おお……嬢ちゃん、ありがとう! ほらこの飴、持ってきな!」

「え、でも……」

「この頃忙しくってお祓いなんてできていなかったんだ。助かった! だから、持っていきな!」


 押し付けられた三色飴を、手をわたわたとさせながら受け取る。隣に立つトクさんに視線だけで「いいの?」と問いかけて、頷きでOKを貰う。そこまでしてようやく、歳なりの笑顔を浮かべた。


「ありがとう、お兄さん!」

「いやいや! 助かったぜ嬢ちゃん。どこに行くのかは知らないけど、気を付けてなー!」


 さっさと再び歩き始めたトクさんに追いついて今度は隣に並ぶ。はぐれないように袖を摘まみ、貰った飴を舐めながら歩く。

 少しだけみっともないような気もするけど、いいよね。

 そんな風に、誰にともなく言い訳をしながら咲乃は、めいいっぱい口の中の幸せを味わうのだった。



◇ ◇ ◇



 あれから歩くこと約一時間半。

 人の波を超えて、ようやく中心の城郭付近まで来ることができた。とは言うものの、咲乃が見てもわかるほどに城郭の警備は厳重で、これ以上近寄れたりはしない。出入り口の門は四人の武装した兵と、科学技術の遺産を生かして作られたロボットに、陰陽術を用いて造られた式神よって護られているのだ。

 トクさん曰く、ここには貴人がいる、とのこと。どんな貴人の事をよく知らない咲乃は、それを教えてもらっても反応に困ってしまったのだが。


「まあ、貴人とか権力者にはできるだけ関わらん方がいい。咲乃は特に相性が悪いだろうからな」

「え、なんで相性悪いの?」

「飴一つで簡単に喜ぶようだと利用されて終わるのが目に見えているからだ」


 その言い方に多少むっとしたものの、言い返すことはできないと口をつぐむ。そうして頬を膨らませたまま辺りを見渡した咲乃は、一つの屋台を見て動きを止めた。

 その店の前には、少しの人だかりがあった。とは言うものの、その人だかりはさっきまでの商店街にたまにあったようなものではなく、一人に複数人が寄って集っているようだ。正しく言うなら、一人の背が高い少女に複数人の童が集まっている感じ。

 そこから聞こえる大きな声は、咲乃たちの所まで響いてきている。


「だーかーらっ! お菓子も、焼きイカも買わないってば! ひっつくな!」

「いーじゃんかよー! けちけちすんなよ!」

「私はあんたらの子守を頼まれちゃいるけど、財布になったつもりは無いからね! ダメなものはダメだ!」


 中心にいる鮮烈な赤髪の少女は、その長髪を黒無地の細いリボンで留めている。髪と同じくらい眩い緋色のチャイナドレスと、そのスリットから覗く生足がなんとも言えない魅力を放っている少女だ。

 咲乃にはその若干粗暴な口調とよく振り回されるポニーテールの人を知っていた。昔会った時も同じようにの子供たちに集られていたはず。

 その光景を思い出しながら、後ろでトクさんが止めかけるのにも構わずに、走ってその少女の元に向かう。

 走る勢いは、近づいたことでその少女が驚いた目を向けても衰える事は無く。当然のようにそのままの勢いで首元に飛びつくのだった。


「ひーなーぎ!」

「ちょ、おわっ!? 咲乃、お前までひっつくなって!」

「久しぶりー! え、なんでいるの? えー!」

「ああくそ、離れろって! 相変わらず興奮すると人の話聞かないなお前は……!」

「えへへ~」

「褒めてないっ!」


 緋凪と呼ばれた少女に引きはがされても咲乃の笑顔は止むことは無い。

 なんせ、数少ない友人に偶然会ったのだ。山奥の神社で育ち、その周辺のわずかな村民としか交流を持った事のない咲乃には、友と呼べる人はほとんどいない。そんな数少ない知り合いの内でもかなり貴重な同い年の少女が緋凪だ。


 本名がくれ 緋凪ひなぎ。中国語発音だと、ウー・シンチ―。

 中国人系の家系で、日本人とのハーフ。武道の一家に生まれた少女で、定期的に緋凪の家が修行と称して日本に遠征するのに付き合わされている。その武術も、どちらかというと寸勁や掌打といった基礎技術に、気や呪術で身体を強化するといったものだ。

 この二人は、昔会った時に手合わせをして以来ずっと仲良しなのである。


「で、後ろの白髪兄さんも相変わらず一緒なのな。何してるんだ?」

「白髪兄さんじゃなくてトクさんだよ。ちなみに今は宿探し中!」

「旅……ってことは、ようやくを本格的に果たそうって?」

「うん。この歳になってようやくトクさんから許可が出たんだよね」


 緋凪が軽く視線を向けると、トクさんは軽く会釈することで挨拶の代わりとした。旧交を温めている少女二人に割って入るほど無粋じゃない、という事だ。

 その意思が伝わった緋凪も、それ以降はトクさんに視線を向けずに咲乃との話を続ける。


「宿探しをしているんだったな。なら確か、私の家が泊っている宿には空きがあったはずだぞ。案内しようか?」

「ほんとっ!?」


 良いよねトクさん! という表情を見せてくる咲乃に、諦めたようにため息をつく。確かに今は夕日もほとんど落ちた頃合いだ。手早く宿が見つかるに越したことは無い。宿の質も、緋凪たちの一家が使っているような所であるなら信用できる。

 トクさんは、案内してくれ、と言いながら咲乃と緋凪の後に続く。

 そして、そのトクさんの周りを童たちが囲った。


「ねぇねぇおいちゃん、その背中のやつってなーにー?」

「武器だ。危ないから触るなよ。……咲乃、俺はそんなに老いて見えるか?」

「んー? トクさんは若く見えるよー?」

「ならなぜおいちゃんと呼ばれたんだ……」


 長身のすらっとした顔立ちには、疲れや世間への擦れは感じるものの、老いの雰囲気はない。どちらかというと印象は切れ長で、綺麗な白の長髪がそれに拍車をかけている感じだ。修験者風の旅装のわりに背中の大棍のギャップは大きいものの、見た目の評価は総じて青年の部類だろう。

 咲乃に確認して束の間の安心を得たのにも構わず、さっきまで緋凪に集っていた門下生たちは、外から話しかけてきたトクさんに四方八方から話しかけ続けている。

 群れた子供の相手が苦手過ぎるトクさんは、辟易した様子だ。それでもやる事はやる、ということで咲乃に後ろから声をかける。


「咲乃」

「なにー?」

「いつも通り、夜はしばらく外すからな」

「らじゃー!」


 二人がしているのは旅だ。つまり、大抵の場合は知らない土地に行くことになる。夜に妖怪やあやかしが怖いなら、昼間に怖いのは人である。巫女の咲乃は、妖怪や化生の者には対処できても、人の悪意にはめっぽう弱いのだ。できれば昼間は離れるべきではない。

 となると、その土地の事をトクさんが調べられるのは必然的に夜になる。その結果、夜遅くまでトクさんが宿の部屋にいないというのは、二人の間ではよくある事なのだ。


「受付の者に顔と名前さえ通したらすぐに行く」

「はーい!」


 宣言通り、受付の人に事情を話したらすぐにトクさんは去っていった。とっくに街の酒場や夜の食堂は営業を始めている。そんな店や要所を回って情報を集めるには、今からでもなかなか時間も手間もかかるだろう。


 今日は、トクさん帰ってくるの遅いかも。

 そんな事を頭の片隅で考えながら、チェックインした部屋の鍵を片手で遊ばせつつ階段を上がっていく。

 咲乃の後ろには、門下生たちを男子階に押し込んだ緋凪も続いていた。

 二人しかいない宿の廊下は、意外と静かに感じる。


「で、咲乃」

「うん?」

「親父さんたちの仇は、見つかったか?」

「まだかなー。手掛かりすらほとんど見つかってないよ。周りの村の人たちとの仲は良かったお父さんたちが殺されたってことは、たぶん外の組織がやったのかも、って事くらいまでしか分かってないね」

「……」

「あはは、心配しないでよ」


 階段を上り切って、その上から振り返る咲乃の顔はいつもの笑顔のように見える。

 事実、外から差し込む灯篭の光を受けても反射をまるでしていない目以外は、いつも通りの彼女の微笑みだった。


「お父さんたちを殺す計画を立てた人も、実際に殺した人も、私が絶対殺すから」


 ──その覚悟を邪魔する気は、緋凪にはない。

 そう生きるのだ、と決めたのを止める気も、下手な言葉で諭す気もなかった。それが何より咲乃の決意を侮辱しかねないと分かっているから。

 ただ、どうにも危なっかしいその友人を気遣って、心の底からの声をかける。


「お互いに、いつまでこの尾張の国にいるか分からないけど……なんかあったらすぐに頼れよ」

「うんっ!」


 部屋ではどんな話をしようかな。どんな話が聞けるかな。どんな部屋かな。お布団は柔らかいと良いな。

 そんな風に、瞬く間に思考を切り替えた咲乃は小さくスキップさえしながら廊下を進んでいく。楽しそうに自分の部屋を探す咲乃には、さっきの陰りは一切見えなかった。


「はしゃぐと転ぶぞ」

「さすがに大丈夫だよ……へぶぅ!」

「……変わってないな、本当に」

「転んではいないもん! 成長してるし!」


 転ばなくても、前方不注意で消火栓の看板に当たる。

 鼻先を赤く染めたまま看板を恨みがまし気に睨む友達を見て、緋凪は安心するのだった。



◇ ◇ ◇



 深夜。咲乃たちが話し疲れて眠り、夜の帳が下りてからだいぶ経ったころ。

 内側に名古屋城を秘めた、異様な建築技術によって作られた城郭の、その頂上の部屋。貴人と呼ばれ崇拝される一人の女性の前にトクさんは座っていた。

 その女性の髪は長く、夜闇と海を混ぜたような深い群青色だ。きめ細やかなそれは肩を伝って背中を通り、床に優美に広がっている。肘掛けに頬杖をついて、口の端をわずかに歪めてトクさんを見ていた。


「だから、言うておろう。その娘をわれの前に連れて参れ、とな」

「断る、と言ったら?」

「構わんよ。ただ、この国は吾が治めている。ただ、それ以上に吾にものがあることをお前はよく知っているだろう」


 嫋やかに手の平に頬を載せ、薄く覗き込むような半目でトクさんを見る。その視線は、久方ぶりのつまらない玩具を見るような、それでいて楽しんでいるような感じだ。

 そして、女性が言うことは、少なくともこの火ノ国では大きな意味を持っていた。

 綺麗な意匠の施された着物や髪飾りは目を惹くが、何よりも視線を集めるのはその頭部から生えている一対の角と言える。

 見た目にも若く見える彼女の位がなぜ高いのか。理由の約半分を占めるそれは、彼女が屏風や図画にさえ偶にしか描かれていない存在である証だ。

 そう、トクさんが今向き合っているのは人間ではない。


「尾張の国だけにあらずこの火ノ国に住まいながら、命令が聞けぬと申すか?」


 意地悪にも、過去のある時はにそう笑いかけるのだ。


 すまん、咲乃。

 トクさんは己の無力を呪いながら、そう心の中で謝った。


「側仕えと門番の者には話を通しておく。行ってよいぞ」


 一方的に話を切り上げたその女性には、もう何を言っても無駄だ。諦めたトクさんはさっさと帰路に着く。


 宿に戻り、寝ている咲乃の頭をそっと撫でるまで、重い気持ちは少しも晴れなかった。



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