桜花の巫女、職務を忘れて仇討の旅に出る。

棗御月

プロローグ 蒼紅の大太刀と桜巫女



 回避、そして踏み込んでから細かく斬撃を放つ。その結果を見ることもなくしゃがみこんで、頭の上を大質量が通り過ぎた瞬間に後ろに飛び退る。

 そして、肩で息をしながら少女は大太刀を中段に構えた。


 目の前に相対するは大鬼。約三百年ほど前から日本……火ノ国で発見されるようになった幻想の怪物だ。少女の二倍近い大きな体躯と、それに見合うだけの大きさの骨棍棒を肩に担いで、怒りに満ちた表情でこちらを見ている。

 相対するは少女と青年。

 十五歳の少女は今構えた一振りと腰に佩いたままの一振り、合わせて二振りの大太刀を持ち、淡い桜色の、動きやすく改造された巫女服を着ていた。

 男は百八十センチを超える身長と白髪、何より機械のパーツが所々に見える大棍を持った修験者風の服装をしている。


 ──これは紅葉舞う石畳の交易路の裏道、人通りの少ない場所の出来事。小さな島国の片隅で起きた、一人の無邪気な少女の物語。


「よっしいくよートクさん!」

「焦るな、お前のことだから絶対に……」

「おわぁ!?」

「……言わんこっちゃない」


 踏み込もうとしたタイミングで運悪く目の前に突き出された、大鬼の骨棍棒に驚いてつまずく。転びかけた隙を大鬼が見過ごすはずもなく、武骨な質量の塊は大きく振り上げられた。

 一瞬後には少女を叩き潰す。

 そのはずだった棍棒は、間に割り込んだ、少女にトクさんと呼ばれた青年の大棍によって防がれた。鍔迫り合いの状態になった大棍は、両手で両端を支えてなお押し込まれていく。

 だが、一瞬あれば助けられた少女は体勢を立て直す。鍔迫り合いをする両者の脇をすり抜けるように走りこんだ少女は、手に持った青みのかかった刀──蒼愛あおいを大鬼の足にめがけて振り下ろした。


「ゴァァアア!?」

「ぃよいしょっ! おりゃぁ!」


 気の抜ける掛け声とは裏腹にその刀筋は驚くほどに乱れがなく、的確に大鬼の弱点を斬り刻んでいく。踵や各関節の腱に斬撃を浴びせ、柄頭から青白いを迸らせながら内臓に打撃を加えていった。あまりにも手慣れたその動きは、少女が着ているのが巫女服の様なのもあってか、まるで舞いのようにさえ見える。

 流石に鍔迫り合いどころではなくなった大鬼が少女の方を向こうとしても、トクさんが絶妙なフェイントと力加減で圧力をかけるせいでそれすらままならない。


「よし、もう少しでいけるよ!」

「わかっている。抑えててやるから準備しろ」

「はーい!」


 少女はこれまで素早く攻撃をしていたのをやめて、トクさんの後ろで蒼愛を納刀する。入れ替わるようにもう一振りの赤みがかった刀……迦錺かざりを抜き放つ。今度はさっきまでのように縦横無尽に動きながら斬りかかったりはせず、静かに八相の構えをとる。

 静かに瞼を閉じ、頭の右前に真っ直ぐ構えた迦錺に、さっきまでとは違って密度も量も多くした霊気を流し込んでいく。青白い光を揺らがせていた蒼愛とは違い、迦錺の周囲には激しく霊気の火の粉が舞い、少女のあどけない容貌を明るく照らす。


 淡々と進んでいく儀式と、そこから感じる霊圧に大鬼はたじろいだ。その霊圧が強いだけでなく、刀から彼らの天敵である神気を感じ取ったからかもしれない。

 だが神気を感じるのも当然だ。いくら帯刀していようが、儀式の行使に御幣を使わなかろうが、明らかに改造された巫女服が剣道用の道着に見えようが、少女は確かに巫女なのだから。

 トクさんが大棍を引き、大鬼の体勢を完全に崩す。腱を斬られたせいで動きが遅い大鬼は、トクさんが開けた少女への一本道を見つめる事しかできない。


「祓え給い──」


 一歩、姿勢を前傾させながら踏み込む。ただの一歩ではなく、連携の一部であり一つの技として完成されたそれは、一瞬で準最高速に達する。


「清め給え──」


 二歩、右足で地面を蹴る。それと同時に、天を向いていた迦錺の切っ先は大鬼の方を向きながら引き絞られた。左肩が前に、右肘を後ろに。全身の霊気と神気、そして体の勢いが完全に制御される。


かむながら守り給い、さきわえ給え──」


 三歩、左足で地面を踏みしめると共に体が宙に浮く。大鬼は、たとえ傅くように膝をついていたとしても、その巨躯は少女より大きい。その肉体に効果的に斬撃を叩き込むために、少女は一直線に突き進む。


「──天哭ノ夜桜!」


 大鬼の胸の硬い皮膚を何の抵抗もなく突き刺し、迦錺の切っ先は背中を突き出る。そのままでは止まらず、少女は前に一回転しながら股下まで斬り裂いた。大鬼が力を失い、前に倒れこもうとするのを見て、股下を潜り抜けて大鬼の背後に立ってから血払いと共に納刀する。

 巨体が背後で倒れ伏す音と共に、迦錺から流し込まれた神気が完全に大鬼を灼き、青白い霊気の残滓となって霧散した。

 その光が解けていく中で、桜の花弁のような神気が舞い散る。


 少女は振り返って、土埃に汚れた笑顔でVサインを掲げた。


「勝った~!」

「はいはいお疲れさん。……灼ききっちまったし、霊現体が取れなかったのは反省点だぞ

「大鬼相手に灼かずに倒すなんて、さすがにまだ無理だよ……」


 素直に褒めない兄貴分に頬を膨らませながら、少女こと咲乃は置いていた荷物を拾う。落し物が無いことを確認して、トクさんも荷物を持ったのを見て、号令をかけた。


「よーし、しゅっぱーつ!」

「おう」

「ほら、トクさんもちゃんと腕上げて! テンションも!」

「断る」

「もぉー!」


 そんなやり取りをしながら、二人は道の先に視線を向ける。

 和風の城郭のようでありながら、それにしてはあまりにも不自然に螺旋を描いて、さらには雲を突き出た建物がここからでも見える。


 一度は古臭いと淘汰され、三百年前に復活した和風建築の街並みまで、あと少し。



◇ ◇ ◇



 街へ続く道を歩くのは、小さな少女と一人の男。

 緋紅の髪と薄桃の道着風改造巫女服、緋袴と二振りの大太刀を佩いている少女は、笹暮ささぐれ咲乃さくの。歳は十五歳になって少し経った頃、低めの身長がコンプレックスで最近のお悩みだ。

 その隣を歩くのは咲乃の育ての親にして兄貴分のトクさん。修験者風の格好をしているが、頭襟はしていないし、背負っている大棍が何より目を惹くだろう。

 長めの白髪をそのまま流している様は絵になる青年といったところだが、咲乃を四歳の時から育てている事もあって今年で三十歳だ。

 ちなみに、年齢を言って納得してもらえたことは無い。苦労をしている二十歳前半の若者のような見た目をしているせいだろう。


 街に向かう道すがら、トクさんは色々なことを咲乃に教えていた。

 というのも、笹暮 咲乃はとある事情で四歳のころに親を亡くしている。そんな咲乃を育て、様々な事を教えてきたのはトクさんだ。

 だが、咲乃はその家柄の関係上、巫女の仕事や神事、祈祷などを練習させる必要がある。そして、それにはどうしても時間がいる。大衆的なことを全く教えていなかったわけではないのだが、それでもどうしても知識に偏りができてしまうのだ。


 だが、いざ旅に出るとなったらそうも言っていられない。閉鎖的な山奥の村を出て、神事や練習に励む生活を終えて外に出るというなら、常識も覚えていかなければならない。

 という事で、トクさんは咲乃に火ノ国の歴史を教えていた。


「えっと、十五代将軍が慶喜様だっけ」

「そうだ。そしてその頃に、政権に大きな動きがあった」


 時代の流れ、長州などの意見その他や海外との情勢もあって、徳川氏が治めるのには無理があると判断された。だが、何か思う所があったのか、いざ慶喜が政権を降りようという時に天皇が温情をかけたのだ。


 ──これからも天皇の下で国を治めるのを許す、と。


 これまでは飾り物であったとはいえ、天子である天皇にも世界の知識は入ってきていた。そして、三百年もの間政権を保ち、一国を治める間にただの一度も戦争を起こさなかった国など、世界には日本の他にはない事を知っていた。

 これまでは確かに独裁政治だったかもしれない。だが、それは確かに平和を守っていたのだ。その功績を認め、真実天皇の指示の元で日本を治めるように、と直々に勅命を下した。

 これよりこの国は名前を「火ノ国」へと変え、心機一転、新しい国として回り始めることになる。

 それが1867年の事だ。

 

 そして、その政権は2834年──約千年経った今でもなお、続いている。


「でもその間に、今度は世界的に大きい変化が起きた」

「赤い凶星、だっけ」


 西暦が2000年を超えたころ、世界では爆発的に科学が進んでいた。

 テレビや電話は毎年姿を変え、世界はデータという形で身近に、つまびらかになっていく。建築物のほとんどは鉄筋コンクリート造になり、耐震構造を備えて樹脂と硬材による冷たい物ばかりになる。

 人々の交流は電話や直接的な会話からディスプレイ越しの会話やチャットになり、買い物はワンクリックでする時代だ。

 原子は次々と新しいものが見つかり、宇宙はどんどん近くなる。メモリーの容量は年々増えていく。車は自動運転になり、空には見えない道が敷かれ、店員のほとんどはAIとロボットになった。


 ──だが、そんな発展も五百年経つ頃には陰りが見え始める。

 あまりに早すぎる発展と研究者や消費者による欲望は、留まるところを知らなかった。


 もっと速く、もっと手軽に、もっと詳細に。

 宇宙への旅は、果ての無い航海から知りきった世界への侵略に変わり、知れる原子はほとんどが解明され、地球上のすべての細菌がサンプリングと殲滅用の薬品が完備された。

 脳の仕組みも完全に暴かれ、社会学は世界の流れと人の動きをほぼすべて予測できるようになった。作物は小さな面積の全自動特殊耕地がすべての国に配備され、事故で手遅れにならない限り病で死ぬ人間は消えた。


 そのあまりにも早すぎる発展は、あっけなく終焉を迎える。


 理由は単純明快。

 科学に残された伸びしろを使い切ったのだ。原子の種類には限りがある。病は増えないようになり、宇宙は果てまでデータ化され、シミュレーション空間に指先ほどのデブリまで含めて予測された。

 地球の次に住むべき惑星から全ての種族の移動方法まで確立した科学に、それ以上の世界は、広がっていなかった。


 研究するものが消え、存在意義を無くした研究者たちは狂気の坩堝るつぼに捕らわれていく。

 何かないか。存在意義が、研究すべきものが、詳らかにしなければならないものが、どこかにあるはずだ。

 そんな彼らの魔手は、科学によってすべて明かされた世界で、それでもなお信じる者がいた幻想やオカルトに向かうことになる。宗教の信徒の脳を暴き、教祖の骨髄を調べ、あらゆる伝説的な遺産を磨り潰してでも¨自分たちの知らない物が何か¨を調べようとしたのだ。

 そんな彼らに、文字通りの天罰がくだる事になる。


「その星は突然現れた」


 全てをシミュレートし、予測をしていたはずの宇宙そらに、「そんなことは知るか」と言わんばかりに突然真紅の凶星が現れた。

 何の前触れもなく、ふと気になってに空を見上げたら目の前にあった、そんな気安さで。


 研究者たちは狂喜乱舞した。

 やっと知らない物が出てきた。やっと研究できる。やっと存在意義を取り戻せる。誰が見ても終焉を告げるとわかる凶星を見て、そんな事ばかりを考えていた。そして、観測用の機材がはじき出した結果を見て初めて絶望することになる。

 どのレーダーにも凶星の姿がなかった。サーモグラフィーにも、赤外線レーダーにも、電磁波も磁場も、全てがその姿を映していない。唯一望遠鏡と肉眼だけが観測することを許していた。


 そのまま星が落下し、全てを圧し潰す。そうして世界は終わり、地球は何もないまっさらの星として終焉を迎える。増長した科学は白紙になり、傲慢な種族と共に滅びる。

 そうなるはずだった。


「だが、それを止めた五人の人がいた。後に覚者と呼ばれる人たちだ」

「世界で初めて魔術を使った人たちだよね」


 どこからともなく現れた五人は、またしても観測できない力を以てその凶星を止めた。誰も知らない、誰も見たことのない五人は、光を放ち、落ちる星を砕いて消えたのだ。


 砕かれた星の破片は世界中に降り注ぎ、その日から文字通り世界は一変することになる。


 鬼が、悪魔が、吸血鬼が、地面を支える神が現れる。夜に空を見上げれば火の玉が舞い、お祓いや魔除けをしていない家には妖怪が住む。

 神界や高天ヶ原に通じる門が開き、祈りの通じる世界になった。北欧には巨人族が、日本には八百万の神が、世界中で物語の英雄の遺産が目の前に現れた。

 誰かが信じ唱えた世界が、目の前に突然出来上がったのだ。


「そんなこんなで、結局世界中でその国々の伝統や伝承を生かした街並みが復活したんだ。発展しきった科学は随所で生き残ってはいるし、完全な淘汰こそされはしなかったが、重要視はされなくなった。とまあ、こんな感じだが……わかったか?」

「世界がそんなに変化したなんて信じられないなぁ……」

「ま、そんな大事件も、起きてから三百年経っていたらそうだろうな。ほら、ついたぞ。関所は時間かかるから気長にな」

「はーい! やっと着いたー!」


 ようやく街に着いた二人は関所の事務を待ちながら、待合所で話を続ける。同じように待つ商人たちとのやり取りで笑い、お団子を分けてもらって頬を綻ばせ、ようやく順番が来たのに通行証が風呂敷の荷物の中で雲隠れして大慌て。

 唯一、旅の理由を聞かれた時に一悶着あった以外はこれといった問題もなく、関所は通れた。

 関所の役人が大きな声で、定型文の挨拶を告げる。


「尾張の国にようこそ!」


 疲れた顔の役人がそう告げた頃には日が沈みかけていた。

 夕日が横顔を照らす中、二人は都会の喧騒に呑まれていく。


「あっみたらし団子!」

「さっき食ったばっかりだろうが!」



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