エルフさんには知られたくない
背中をブルリと震わせる僕の口元から白い息が深夜の闇に溶けていく。指先がかじかんでいる。手に持った最小光量のLEDライトで照らしだされる校舎が、なんとも不気味な雰囲気だ。
「……もう完全にホラーゲームじゃん……」
なんで深夜の学校はこんなにも恐怖感を煽り立ててくるのか。ちょっと今そこの草陰、ガサリと音たてなかった? いやいや、空耳だろう。そうに決まった。
「倉田委員長。幽霊がいるよ。絶対いる」
『毎回言っているが、幽霊なんぞ非科学的なモノは存在しない。お前の気のせいだ、弓塚』
スチャっと取り出したスマホで倉田委員長に連絡するが、けんもほろろに塩対応されてしまう。
「前回は確かに僕の気のせいだった。それは認めよう。だが、今回は自信がある! 絶対なんかいるって! ゾンビが出てきても、納得するぞ僕は!」
左右をキョロキョロしながら、スマホの向こうにいる倉田委員長に小さい声で叫ぶ。でかい声出したら『なにか』に見つかりそうじゃん。
耳に当てたスマホのスピーカーから呆れた様な声が聞こえてくる。
『仕方ないな。じゃあ弓塚は帰ってもいいぞ。後は俺たちで作業を終わらせておく』
「何言ってるんだ倉田委員長、江藤さんのためなんだよ。帰るなんて選択はあり得ない」
キリッとしたイケメンボイスで返すと『めんどくさいな、こいつは』という小さな呟き声がした。
「聞こえてるぞ、倉田委員長?」
『俺は何も言ってないが。それとも何かの声でも聞こえたか?』
このとぼけっぷりよ。
『それにしても、意外だな。弓塚がホラー関係が苦手とは』
「昔小学生の時に、爺ちゃんが住んでた家の近くにある山にサバイバルチャレンジとか言われて三日間一人で放り出されたんだ。遭難者が出たと噂のある山で、着の身着のままだった僕は泣きながら夜を過ごしたよ。それ以来、誰も周りにいない夜の雰囲気は苦手なんだよね」
『……想像以上な理由だな、それは。一歩間違えば虐待なんじゃないか?』
「危なくない様に爺ちゃんは隠れてこっそり様子を伺ってたよ。後で爆笑しながら、僕の怖がりっぷりを母さんに説明してたからね」
そういや、死ぬほど母さんに説教されてたなぁ……。
まあなんだかんだで、トラウマになる程でもなかったのでその後も爺ちゃん家にはよく遊びに行っていたんだけど。
「まあそういうわけで、だんだんと良くはなってきているけど、基本的に誰もいない夜の闇は苦手なんだよね」
『そういうエピソードを聞かされると、仕方ないという気もしてくるな……まあ安心しろ』
「ん?」
『今夜は、誰もいないというわけじゃない。近くには、俺達がいる。不安など感じる必要もない』
「……そうだね。ありがとう、倉田委員長」
『校舎裏にある古い駐車場が殺人事件が起きた寺の跡地だったり、無縁仏の墓が道路を超えた学校の敷地内に人知れず残っているとか噂があったり、放課後よくピアノの音が聞こえているが実は今ピアノは修理中で音が出るはずもないという事があったりもするが気にするな』
「その情報、今僕が知る必要あるか!?」
絶対に面白がっているだろう、この野郎! 怒鳴り散らしていると、唐突に通話が切れた。許さん。後で問い詰めよう。
ピロンと今夜用に作成したグループから通知が届く。「そろそろ作業が終わりそう。みんなの進み具合はどう?」という池上のメッセージだった。
まずい。そんなに時間たってたのか。
「えーと、ごめん、もうちょっとかかりそう、と」
スマホを操作してメッセージを返すと、僕はもう一度夜の闇に包まれた周囲を見渡した。
深夜の学校は高い塀に囲まれているのもあって、街灯の明かりが届きにくい。今いる部室棟に続く並木道も、先が見えないほどの暗闇に包まれている。
「そういや、ここはあのカラスがいたんだっけ……」
呟きながら、ポケットからガサゴソと白い包みを取り出す。取り出したのは、何本かの小枝だ。これは、倉田委員長がララさんから受け取ったものだ。先日、遠藤さんと二人で江藤さんの姉である彼女に相談しに行ったときに解決策としてこの小枝を使ってあることをするのを提案されたらしい。今みんなで作業しているのがそれだ。倉田委員長の指示に従って、この小枝を学校内にいくつも設置しているのである。
倉田委員長にもらった学校の地図を片手に、小枝を設置する位置を確認する。片膝をつきながら、鉛筆ぐらいの大きさの小枝を地面に突き刺す。その瞬間、わずかに小枝が金色に発光して線香花火のようにその明るさを消していく。
「これで良し、と」
パンパンと手をはたきながら立ち上がる。
「それにしても、結局この小枝はなんなんだろうなあ……」
僕は手元に残った小枝をプラプラと振るいつつ、観察する。LEDライトで照らされたその小枝は、僕が観察する限りはその辺に落ちている小枝と何の変りもない。江藤さんが使っているあの金色の小枝とは大違いだ。しかし、地面に突き刺した瞬間の発光するあの様は普通のものではなかった。ララさんから渡されたものだ。もちろん、こちらの世界のものであるわけがない。魔道具なのか。それとも何かの魔法的媒体なのか。とは言え、ララさん曰く「これは何の変哲もないただの棒です」らしい。なので、これは何の変哲もないただの棒なのである。普通の。なのです。
「ララさんの趣味である『おまじない』の手伝い、か……ララさんもなかなかに綱渡りな設定だなあ……」
さすが江藤さんの『姉』である。
倉田委員長がララさんに聞かされた『おまじない』がどんなものなのか具体的には僕には分からないが、この『おまじない』が発動すれば江藤さんを探している『誰か』の捜索の手を回避することができるとの事だ。
そのためにも、今やっている作業に間違いや落ち度があってはいけない。
「……もうちょっと頑張ろうか」
並木道の先を見つめる。暗闇の向こう。LEDライトの照らす光が届かない黒い世界。江藤さんとは関係のない世界。江藤さんには知らせる必要もない世界、だ。
小枝を手に歩き出す。
正直、誰もいない暗闇は怖い。何かが出てきそうな、何かに連れていかれるような、あの夜を思い出す。足はすくみ、手が震えてくる。
だけど。
「……江藤さんには見せられないな」
そんな事を思ったとたんに震えは止まった。こんな情けないさまは知られたくない。江藤さんの前では、格好いい所だけを見せたい。
右手を握りしめる。小枝がジャラリと音を立てた。
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