エルフさんは懐が寂しい
「大事件です、弓塚君」
目の前の江藤さんが深刻な表情でつらそうに眉をしかめるのを、僕はもう黙ってみていられなかった。
「どうしたらいいのでしょう……」
小さい肩を震わせるその姿が、本当に居ても立っても居られなくて。
「――大丈夫。江藤さん」
ああ。そうだ。僕は、こんな彼女を助けるんだと誓ったんじゃないか。
彼女の笑顔を、彼女が安心して暮らせる毎日を。
だから、僕は伝えよう。
「とりあえず、バイトしよっか?」
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
「不思議です、弓塚君。お財布って、自然と中が空になっていくんだね」
「江藤さん、現実直視しよう? 昨日の帰り道、何食べたっけ?」
「私、気づいたんだ。この世界には、目には見えない恐ろしいモノがあるんだって」
「たぶん、『物欲』とか言うんだと思うよ」
「せっかくララ姉さんにお小遣いもらったのに……何て言ったらいいのか……」
「計画的にご利用できませんでした、じゃないかな」
「…………弓塚君はいじわるです………」
えー。
お昼休みの真木さん特製の愛情弁当を食べた江藤さんは、ハート型の弁当箱を「ご馳走様でした」と真木さんに手渡しすると(真木さんはいつものように幸福度カンストの表情だった)、机の上にべたりと頬をつけた。
「こら、エルちゃん。行儀悪いわよ」
「うー……はい……」
真木さんの注意にしぶしぶと顔を上げる。
その視線が見つめるのは、最近使い始めたばかりの若草色の財布。中身はほぼ空である。
「まだ月の初めなのに、張り切りすぎたねー」
「ちょっとハジケすぎました……」
ララさんが始めたお小遣い制度。多分この世界に慣れてきた江藤さんに、貨幣に触れてもらおうとか色々な思惑があったのだろう。
誤算だったのは、ちょっと江藤さんの使い方が派手だった事か。
いや、派手というか初めての自由にできる自分だけのお金というものに歯止めがきかなかったというべきか。
反省はしているようなので、真木さんも特に何か言うという感じでもない。甘やかしもしないけど。こういう時の真木さんは、本当に「みんなのお母さん」なんだなあと実感させられる。
それはそれとして、江藤さんのお財布である。
今も、もうちょっと残っていないかなあと未練がましく財布を開け閉めしてる様子は無茶苦茶可愛くてほっこりするし、周辺女子勢が「しゅんとしてるエルフちゃん愛おしい」と言いながら気づかれないように撮影してるのは分かりみが深い。
けれど、いつまでも観察していていいわけはないだろう。本音を言えば、数日ぐらいかけて眺めていたい気もするけれど可哀そうな気持ちがちょっぴり優っていた。
江藤さんが、僕を見つめてくる。どうしようか迷っているその顔。
「大事件です、弓塚君」
そして冒頭の台詞である。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
元気のあり余った大型犬の鳴き声が土曜日の公園に響く。それにつられる小型犬の鳴き声が数匹分。
「わ、ひゃ、ちょ、ちょっともうちょっと大人しくしてくださーい!」
そして勢いに引きずられないようにリードを引っ張る江藤さんの戸惑いを含んだ声。
「エルちゃん、この子たちに合わせちゃ駄目だよー。もっとしっかり、群れのリーダーらしくガツンと引っ張らないと!」
「加奈ちゃん、それは、わ、わかってるんだけど、この子力強くって、って、あー!?」
大型犬は嬉しそうに江藤さんを引っ張っていく。「あれー」と公園のペット可のランニングコースの先に消えていく江藤さんの声に、僕と宮原さんは顔をあわせて苦笑した。
「まあ、いきなりうまくはいかないかー」
「宮原さんは慣れてるね」
「まあね、近所のお婆ちゃん達の飼い犬の散歩は中学生の頃からやってるしね。この辺のワンコはだいたい私の子分だよ」
「子分」
「なんでか動物に好かれるんだよ」
そういう宮原さんは、獰猛そうなドーベルマン三匹をリードにつないでのんびりと歩いている。
なるほど、オカシな表現だけど『借りてきた猫のように』大人しい。これ、僕がやると、絶対引き摺って駆け回るんだろうなあ。生物としての格付けがすんでいるのだろうか。何かそんな気がする、
てくてくのんびり歩きながら宮原さんと会話を続けていく。
「宮原さん、バイトの紹介ありがとう。普通の店舗だとバイト難しかったと思う」
「そうだね、身元確認がネックだよねー」
江藤さんは異世界からやってきた
そんな事情を江藤さんに感づかれないように、どんなバイトなら無難にできるのか真木さん達と悩んでいたら、その中で宮原さんが声を上げたのだ。「いいバイト紹介できるよー」と。それが、ご近所のお婆ちゃん達が飼っているペットの散歩代行だった。
「最近、預かる子たちの数が増えてきててね。私も助かっちゃったところあるんだ。エルちゃんと一緒なら私も嬉しいし!」
ポニーテールを揺らしながら、宮原さんが本当に嬉しそうにニンマリと笑う。白いパーカー姿に黒髪のポニーテールが良く似合っている。さすが「アオハルな学校生活を求めるなら宮原さん一択」と囁かれるだけはある。
「弓塚君も、バイトじゃないのについてきてるけど良かったの?」
「僕の人生は、江藤さんに全突っ込みだから何の問題もないよ」
「その発言が問題なんだけど」
「え」
「え」
おかしなことを言う宮原さんである。
「……まあ、弓塚君が弓塚ってるのはいつもの事かー」
待って宮原さんその表現やっぱり流行ってるの?
思わず問いただそうとしていると、背後の方からプリティな声が聞こえてきた。
「弓塚君、おいつきましたー!」
犬達に混じって江藤さんが、こちらに向かってランニングコースを走ってくる。この公園は、中央の大きな池の周囲を回る様にコースが設定されていて、どうやら江藤さんはぐるりと一周してきたらしい。走っているうちに仲良くなったみたいで、大型犬に引きずられることもなく、みんなでペースをあわせて走っているみたいだ。
「おお、エルちゃん、いい感じだね! 私も混じりたくなっちゃった!」
「加奈ちゃん、一緒に走りませんか!?」
「よっし行こう! ほら、黒、あんこ、ボクジュウ走るよ!」
江藤さんの笑顔につられて宮原さんもお供のドーベルマン達と駆けて行く。なんだボクジュウて。墨汁か?
「元気だなあ……さむっ」
一人残された僕は、ブルっと体を震わせる。白い息を吐きながら、空を見上げる。その鼻にフワリと小さな白い粒が舞い落ちた。
その日、今年最初の雪が降ってきた。
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