エルフさんが見つからない

「……降りてくる」


 校舎裏の影に隠れたまま様子を窺う倉田委員長が、カラスの様子を確認すると呟いた。


 真っ黒い羽根を揺らしながら一羽のカラスが、並木道を何かを探すように辺りを飛び回る。


「何をしてるのかな?」


「生徒たちが落としたパン屑でも探しているのだろう」


 時々地上に降りて、嘴で地面をつついているのは、パン屑を食べているのだろうか。

 その近くであちこちに設置した風船が冷たい風に不規則に揺れているのだけれども、カラスはガン無視している。


「……風船、全然気にしてないね」


「もはや、危ないモノという認識も無くなったのかもしれんな。逆にチャンスでもある」


 もう少し風船に近寄ってくれればいいんだけど。驚かすには、それなりに距離を縮めてほしいところだ。


「弓塚、準備だけしておこう」


「了解」


 そっと矢筒から矢を一本取りだす。軽く弦にあてがい、いつでも引き絞れるようにする。

 そのまま注意深く観察する。ふらふらとあちこちうろつく様は、いたって普通のカラスだ。時折あげる鳴き声も「カァー」というのんびりとしたものだ。


「平和だね……」


「凶暴という感じは見えないな……む、あれは」


 倉田委員長が、何かに気づいたらしい。背後を振り返った。


「太田だ。どうやら、グラウンドに行く途中みたいだな」


 ドスンドスンという地響きがしそうな気がするのは気のせいだろう。バットを十数本担いでいるその様は、純真な子供が見たら泣き出しそうだ。ミチミチとした筋肉が、ユニフォームに包まれて、狭苦しそうにしている。

 太田豪利おおたごうり。僕らのクラスメイトだ。野球部の四番バッター。サッカー部の菊池英介きくちえいすけと仲がよく、体育会系で大変暑苦しい。いるだけで部屋の温度が五度上がる。


「野に解き放ってはいけない系キャラだ……」


「――ちょうどいい」


 太田を見ながら考え込んでいた倉田委員長が、眼鏡のずれを右手の中指で直した。


「カラスがどう動くか。太田にそのまま突っ込ませよう。心配いらん、太田の皮膚ならカラスの嘴攻撃などゼロダメージだ」


 さらっとあくどい事口にしてるこの人、僕らのクラス委員長なんですけど。まあいいか、太田だし。

 太田に気づかれないように、中腰で茂みに身を隠す。


「……ワクワクするね!」


「俺が言うのもなんだが親友のピンチを楽しそうに観戦する弓塚もたいがいだな」


 失礼な。そこは、太田を信じているというていで言ってほしい。これは友情の証である。頑張れカラス。

 ガチャガチャと持っているバットを鳴らしながら、やかましく太田が並木道を歩いていく。


「あれだけバット持ってたら、普通は落としそうなものなのに」


「下半身のバランスがいいんだろう。普通に歩いているのと全く変わらん」


「なんであのバット、釘がついてないんだろうね?」


「釘バットが似合う男子高校生日本一な風貌は確かにしているが、不思議そうな表情で言われても俺は困るぞ」


「返り血が似合いそうだ。笑顔で暴虐の限りを尽くしそう」


「……いちおう太田は寺の息子だぞ」


「え?」


 ははは。倉田委員長ナイスジョーク。


「え? まじで?」


「かなり昔から続く由緒正しい寺の一人息子だ。檀家さんにも受けがいいそうだ」


 とんでもない情報を倉田委員長が教えてきた。太田が、お寺?


「とどめの決め台詞は『念仏を唱えるがよい』……なのか?」


 職業ジョブは『モンク』に違いない。肉体言語で日常会話しそうだ。


「楽しい妄想はそこまでだ。もうそろそろ、カラスに接近する」


 倉田委員長の言葉に、僕は我に返る。見ると、太田がカラスに気づかれそうな距離まで歩みを進めていた。


「……遭遇エンカウント


「倉田委員長もひどい」


 賑やかなバットの音に、地面をつついていたカラスが振り返る。太田は、カラスには気づいていない。よし、カラスよ、先制攻撃だ――


「あれぇ?」


 僕の戸惑いの声が漏れる。そこに残念そうな響きは微塵もない。ないったらない。


「襲っては……こないな」


 倉田委員長も意外そうな顔をしている。

 一度太田を眺めはしたものの、そのまま興味無さそうな素振りで、カラスはまた地面をつつきはじめた。


「うーん。ますます普通のカラスなんだけど……むしろ大人しい感じなんだけど……」


「どういうことだ……?」


 口を塞ぐように片手をあてて考え込む倉田委員長。太田は、そのままグラウンドまで歩いて行った。その大きな背中が消えていく。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 そのまま様子見を続けたが、もう部活が始まってしまったからか、通り過ぎる生徒はいなかった。

 カラスもぴょんぴょんと辺りをうろつくばかり。平和である。


「……こんな状態だと、風船割って驚かすのも可哀そうになってきた」


「そうだな。もしかしたら、後輩を襲ったカラスとは違うヤツかも知れん。今日のところは、日を改めるか……」


 倉田委員長と話していた時だった。


「あー遅刻しましたー」


 パタパタと駆けてくる声がした。

 着ているジャージの色は一年だ。優しそうな雰囲気の女子生徒。抱えているのは、クーラーボックスかな。どこかの運動部のマネージャーみたいだ。


「太田先輩に飲んでもらう野菜ジュース作るのに時間かかっちゃいました。今日こそ苦手なホウレン草、三本は喉に流し込んであげましょう……ふふふ」


 あ、いや、優しそうなは誤字でした。不穏な雰囲気を纏いつつ、女子生徒が並木道に入り込む。


「ガァガァガァガァッ!!」


 そのとたん、いままで大人しかったカラスが突然狂ったように恐ろし気な鳴き声を上げた。


「弓塚! 頼む!」


 倉田委員長が走り出す。


「……え、何? 例のカラス!?」


 女子生徒が思わずといった感じで立ち止まる。まずい、足を止めてしまうとカラスに狙われやすくなる!

 飛び出した倉田委員長が、女子生徒をかばえる距離に近づけるのは、後五十メートルは必要だ。その前に、カラスが女子生徒を襲ってしまうだろう。


「……くっ!」


 飛来してくるカラスの近くにないか!? 赤い風船! あれなら二メートルぐらいの近さで割れる!!


「そこっ!」


 タイミングを合わせて弓を引く。破裂した風船の音が効いたのか、カラスの動きがわずかにズレた。


「きゃっ!」


 女子生徒も突然割れた風船の音に驚いて、肩にかけていたクーラーボックスを落として座り込む。

 彼女には申し訳ないけども、続けてカラスの動きに合わせて近くの風船を割っていく。


「な、なんですか! なんですか!」


「……ガァガァガァガァ!!!!」


 それでもあきらめきれないのかカラスが旋回して、彼女に近づこうとする。


「ごめん!」


 わざとかすめるように矢を放った。


「!!」


 さすがに堪えたのかカラスがいったん距離をとる。


「大丈夫か!? 離れるぞ!」


 そこへ倉田委員長が追いついた。座り込む女子生徒の手を掴み、もう片方の手でクーラーボックスもついでとばかりに肩に担ぐ。


「は、はい! ありが」


「礼はあとだ! カラスがくる!」


「え? わー! いやー!」


 今度はこっちに向かって走り出す倉田委員長たち。


「ガァガァガァガァ!!」


 しつこいなカラスめ。バッサバサと倉田委員長の頭上で、羽をはばたかせる。周りを見渡し、風船に近いルートを通る様に倉田委員長が女子生徒を引っ張ってくる。


「いけっ!」


 破裂音に驚くカラス。


「やーもおっ!」


 と、ついでに女子生徒。すんません。心の中で謝りながら、次々と風船を割っていく。


 ついに、倉田委員長たちが僕の所に滑り込んだ。荒い息をつきながら、女子生徒が座り込む。その前に立ち塞がりながら、倉田委員長がカラスを睨む。

 僕も存在をアピールするために、弓を構えたまま立ち上がった。矢を引き絞る。もし、このまま向かってくるのなら――


「……ガァ」


 並木道の枝にカラスがとまる。こちらを見ているが、襲い掛かろうとはしないようだ。


「……危険と認識したらしいな」


 ホッとしたように倉田委員長が呟く。


「このまま距離を取りつつ、カラスが去るのを待つか」


「了解」


 弓を構えたまま、頷く。「怖かったー」と女子生徒が呟く声がする。幸い泣いたような気配はない。「なんでこういう時に助けに来てくれないのかなあの変輩ゴリラは。調教? 調教が必要?」という台詞は聞こえなかったし、気のせいだ。


「動かないね」


「そうだな」


 五分経ってもカラスは動かなかった。僕らの影に隠れている不安そうな女子生徒をじっと見ているような気がする。もっとも、その彼女は見たくないようで顔を伏せているので、カラスにはその表情は分からないだろうが。


「危険生物には目もくれなかったのに、この子には襲い掛かってきたね」


「知的生命体がターゲットという事か」


「その説、採用」


 どうでもいい話をしながら時間を稼ぐ。落ち着いてきた女子生徒を交えて、カラスを監視しながら会話を続ける。

 女子生徒は野球部のマネージャーだった。太田の後輩らしい。苦労が偲ばれる。


「本当にありがとうございました。助かりました。先輩方がいなかったら、ケガするところでした」


「いや、俺達も君が並木道に入るのを止めるのが遅れた。申し訳ない」


 倉田委員長の言葉に、「いえいえ!」と恐れ多いようなポーズをするマネージャさん。


「……まだいますね」


 僕の背中に隠れるようにしながらマネージャーさんが呟く。


「こっち見てるね」


「しつこいのは嫌われます」


「よく声かけられるとか?」


「駅前とか歩くとうっとおしいですね。人除けが欲しくなります。具体的にはゴリラとか」


「ゴリラ」


「ゴリラ」


 なかなか楽しい嗜好をお持ちで。

 しばし会話が続く。あいかわらずカラスは動く気配がない。


「不自然なほど動かないな」


「……不気味です」


「粘るなあ。ほんと何考えてるんだろう?」


 そろそろ帰らないと、いつも視てるドラマに間に合わないんだけど。何気なく呟いた僕の言葉に、倉田委員長の動きが止まった。


「弓塚、もう一度言ってくれ」


「江藤さんは最高に可愛い」


「同意だが、違う。さっきの台詞だ」


「ええと、粘るなあ、と……あのカラス何考えてるんだ?」


……か」


 呟いた倉田委員長は、顔を上げた。カラスをじっと見つめる。その右手がゆっくりと眼鏡に触れた。


「弓塚」


 そのまま僕に向かって言う。


「彼女を頼む。少し集中する」


「……? うん、わかった」


 何をするというのか。倉田委員長はゆっくりと目を閉じると、そのトレードマークであるはずの眼鏡を外し……次の瞬間、目を開いてカラスを凝視した。


「っ!」


 倉田委員長が唇を噛む。時間にして数秒。


「……弓塚」


 凄く疲れたような声で眼鏡をかけ直した倉田委員長は、カラスを指さした。


「とまっている枝を狙って撃ってくれ。たぶん、それで逃げるだろう」


「それはいいけど……大丈夫? 疲れてない?」


「久しぶりに気を張ったんでな。急に、どっと来たみたいだ。気にしなくていい」


「それならいいけど……」


 枝に当たった矢の振動で、カラスは去っていった。


 女子生徒をグラウンドに送っていく。「先輩、カラスに襲われました! 可哀そうと思ってこれ飲んでください!」「一体何が……にがいにがい! 殺す気かお前!」

 賑やかに日常が戻ってくる。


「長耳の少女のイメージ……か」


 そんな倉田委員長の小さく呟いた声だけが、非日常だった。





 ※※※


 野球部マネージャーさんが登場する短編はこちら

『太田変輩、覚悟して!』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054935335297

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