エルフさんは寒がり
聞いてるだけで体が震えるような風の音がした。
「ひゃっ」
その瞬間、僕の鼓膜をいまだかつてない天然癒し成分が含まれた鈴の音のような小さな悲鳴が震わせた。
その奇跡的な福音を奏でた存在に視線を動かす。
金色の長い髪の毛を、まるでマフラーのように首を巻いて、寒さを堪えている女子高生。
もちろん、それは江藤エル、その人だ。
神が僕らに与えたもうた美の化身。いや、もう江藤さんが神でよくないかな?
うん、それがいい。そうしよう。
「弓塚君がうんうん頷いてるの、何かすごくどうでもいい事考えている気がします……」
「この世界にとって一番重要な事を考えていたのに」
話しているうちに、また強い風が吹く。
「さ、寒いです……!」
思わずなのか、江藤さんが屈んで膝を抱えてしまう。
「……もしかして、江藤さんって寒がり?」
「前に住んでた世界……ち、地図、世界地図! そう世界地図で見ると、暖かい所だったんです!」
安定の危なげな感じに今日もほっこりする僕である。
「確かに今日はちょっと寒いね。はやくゴミ捨てて、教室に戻ろう。それまで頑張って江藤さん」
「はい、がんばりま――ひゃい!」
申し訳ないけれど、寒さに震える江藤さんを見ながら僕の心はむちゃくちゃあったまった。ホットかわいい。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
「教室の中あったかいですー」
教室に戻った江藤さんは、持っていたゴミ箱を教室の隅に戻すと、はーとため息をつくように自分の席に腰を降ろした。
「エルちゃん、お疲れ様」
そんな江藤さんを見かねたのか、真木さんが持っていた水筒からホカホカと湯気の出るコーヒーを差し出す。
「わぁ! 真理愛ちゃん、ありがとう!」
飛びつくようにコーヒーの入ったコップを受け取る江藤さん。OK、真木さん、嬉しいのは分かるから、僕の背中つねってにやけそうになるの我慢するの止めてくれませんか。背中の肉がえぐれそう。
「弓塚も飲んだら?」
とコーヒーを渡してくる真木さん。
「……ありがとう」
背中の痛みはもう少し我慢しとこうか。コーヒーと等価交換だ。いや、「真理愛ちゃんのコーヒー飲むとほっとします……」という江藤さんのお言葉に敏感に反応した真木さんの指が背中の肉を千切ってきt痛い痛い痛い痛い。
「弓塚君どうしたんですか。コーヒー苦いです? 大丈夫ですか?」
江藤さんが不思議そうな顔で聞いてくる。
「ダイジョウブ」
全然だいじょばない声で答えた。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
真木さんのコーヒーで冷えた身体を温めた江藤さんと、いつもの勉強会を放課後の教室で行っていると、前の入口がガラリと開く音がする。
遠藤さんお手製のこれはもう活字印刷に違いないという手書き問題集から視線を上げると、作成者である遠藤さん本人が入ってきた。
「遠藤さん、部活は?」
こちらに近づいてくる遠藤さんに声をかける。
才媛。その言葉を体現する、唯一無二の存在。IQの値がとんでもないとか、試験で満点以外とったことがないとか、一度見た光景は決して忘れないとか、ファミレスの間違い探しゲームを秒で解くとか、みんなで買ったピザを等分割りしてもらうと芸術点とれるぐらいに綺麗に切ることができるとか、彼女を語る逸話は数知れない。
……いや、そんな彼女に何をさせているのかという話もあるかもしれないが、本人も楽しくやっているので問題はない。才媛。
「先ほど終わったところ。私が、こちらに来たのは二人に用があったから」
「用……ですか?」
最後の問題を解いて、お気に入りの赤い軸のシャーペンをペンケースに入れた江藤さんが立ち上がる。
「二人とも今日のノルマは終わった?」
「うん、江藤さんも僕もちょうど終わったところだよ」
「そう。もし、この後用事が無ければ私と一緒に倉田委員長のところに来て欲しい」
遠藤さんの言葉に、僕は江藤さんに振り返った。こくりと江藤さんが頷く。
「うん、大丈夫だよ。じゃあ、行こうか?」
「ありがとう」
遠藤さんに、いやいやと手を振りながら、教室を出る。歩きながら、学校指定のコートを寒そうに着ていくエルフのなんとチャーミングなことか。さりげなく、スマホ連射する僕と遠藤さんである。大丈夫、江藤さんの許可はとっている。
何撮ってるんですかー、と照れる江藤さんを動画で撮影しないなんて事はありえないよね。
家宝にしよう。
てっきり、書道部の部室に行くのかと思っていたのだが、遠藤さんは昇降口から外に出て行った。
「さ、寒いですー」
耳を手で温めながら「ひーん」と声をあげるカワトウさん。可愛い江藤さんの略。
「どこに行くの?」
「焼却炉があるところ。そこに倉田委員長もいる」
僕の問いに、歩きながら遠藤さんが答える。その腰の所で綺麗に切りそろえられた黒髪が、放課後の風にふわりと揺れる。大和撫子、という言葉が似合いそうな雰囲気を持つ遠藤さんだからか、風に舞う黒髪が妙に絵になっている。
「寒い中こんな場所まですまなかったな」
焼却炉から少し離れたところにある木製のベンチには、眼鏡をかけた男子生徒が一人座って僕達を待っていた。読みかけの本をパタリと閉じて、立ち上がる。
僕らのクラスのクラス委員長である。落ち着いた雰囲気と有言実行を体現する行動力。同級生でありながらも、なんとなく頼ってしまいそうな存在感。カリスマとはこういう人物の事を言うのだろう。
遠藤さんとは中学から一緒らしい。
完璧超人と言っても過言ではないのだけれど、そのネーミングセンスのせいで過言になっている。ノット完璧超人。『あれさえなければ』という言葉がこれほど相応しい人物もいない。
あと男子の悪乗りが過ぎる場合、たいがいは倉田委員長の扇動である。真木さんに叱られるまでがワンセット。
倉田委員長が江藤さん達にベンチに座る様に目線で促し、二人が仲良く座るのを確認すると、ふぅと息をついて話し出した。
「部室でもなく教室でもない、こんな場所にまで来てもらったのは、あまり人に聞かれたくなかったのでな。二人に……というか正確には弓塚に頼みたいことがある」
「僕に?」
倉田委員長の切り出した内容に、思わず自分を指さしてしまう。
ふむ。倉田委員長が僕に頼みたい事? しかも、あまり人に聞かれたくない。それはつまり……。
僕は、江藤さん達が座るベンチから遠ざかると、ちょいちょいと倉田委員長を指で呼び、近づいてきたのを待って小声で話しかけた。
「僕のコレクションなら今日まで太田に貸し出してるから、それからなら倉田委員長にまわせるけど……」
「何をもってそういう思考に至ったのか、小一時間問い詰めたいところだが、違う」
倉田委員長が、眉間を激しく揉みながら否定する。ふむ、違ったか。
「じゃあ、菊池のトレジャー? あれは、昨日池上が借りていってたみたいだよ」
「よし、弓塚。一旦、おつむを停止しようか」
何故か疲れたような声で倉田委員長が、僕の話を遮る。いったい、何がどうしたというのだろう。ちなみに、僕のコレクションは太田の後に倉田委員長にまわすことになった。了解である。大いに期待して欲しい。
がっちりと握手を交わす僕達を不審そうに見つめる遠藤さんの視線をさりげなく躱しながら、僕は倉田委員長に問いかける。
「じゃあ頼みたいことって何? 正直、ぜんぜん思いつかないんだけど」
太田に次の予約が入っているので忘れずに持ってくることをメッセージの連打で念押ししていた倉田委員長は満足そうにスマホを胸のポケットにしまい込むと、右手の中指で眼鏡に触れた。
「ああ、そうだな。弓塚。お前に頼みたいというのは」
一ミリのずれを直すその神経質な仕草は、妙に似合っている。
「文化祭で見せてくれた『あれ』だ。――弓の力を貸してほしい」
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