量産ですよエルフさん

 夜の帳が下りようとする頃になっても、放課後の校舎にはたくさんの生徒が残っていた。


 初日の興奮冷めやらぬ者達と言えども、まだまだ明日の準備が残っているとあっては、動かざるを得ないわけで。

 テンション高いままにそれぞれの仕事に励む皆の顔には、笑顔だけが浮かんでいる。


 そして、僕達のクラスも例外ではなく、翌日のための焼き菓子量産に向けて男女全員で家庭科室に赴いていた。


 ワイワイと騒がしく調理する中、一人の男子生徒のため息が漏れる。


「まったく……ゴミ捨ての後は全員解散と言ったものを……」


 ずれた眼鏡を直しつつ、クッキーの型抜きをしているのは、僕らのリーダー倉田怜一郎くらたれいいちろうだ。


 妙に似合っていたメイド服から紺色のジャージ姿になっている。男子が着ていたメイド服は、「ほらーさっさと脱いじゃって! 明日までに洗濯するんだから!」と怒涛の勢いで真木さんに奪われていった。女子達で手分けして、明日までに綺麗にしてくれるらしい。ホント頭が上がらない。


「ダメだよー倉田君! 皆が疲れているだろうから、こっそり自分達だけで準備しようなんて!」


 そう言って、笑顔で小麦粉をボウルに振るっているのは、宮原加奈みやはらかなさんだ。


 料理が得意な真木さんや遠藤さん他数名と明日の準備をしようとしていた倉田を見つけた宮原さんが、帰りかけていた皆に声をかけて、今の状況になっていた。


 嫌がる声もなく、僕達は全員で家庭科室に特攻したのである。


「そうだぜ、倉田! 文化祭はみんなで全部を楽しむもんなんだよ! 疲れてるだろうとかつまんねえ事考えるんじゃねえ! もっと、俺達を頼れよな。自分の考えだけで動くのはお前の悪い癖だ、ぜっと!」


 太田が、筋肉にまかせて固めまくった生地をまな板にズドンと叩きつける。まな板にヒビが入るほどの生地で何を作っているのかは全くの不明である。クッキーなんだろう。クッキーだったらいいな。


「……善処する」


 太田の台詞に倉田が苦笑する。


 そんな倉田との隣では、遠藤塔子えんどうとうこさんがマフィンの材料を計量にかけていた。真木さん特製マフィンのレシピは、冷めても柔らかく、女子達に相当好評だった。


「真木には勝てなくても、私にとっての究極を目指してみせる……」


 なにやら、ツボにはいっているらしい遠藤さんである。凝り性か。


「おい、弓塚、これもオーブンに頼むわ」


 辺りを見渡していると、八草がクッキーの生地を並べたオーブン皿を両手に載せてやってきた。


「了解、と。猫型クッキー……」


「おう、いい形だろ」


「無駄に猫のデザイン凄くて引く……」


「うるせえ」


 オーブン皿を受け取りながら、僕は八草に尋ねる。


「そういえば、江藤さん見かけなかった? 真木さんも見てないんだけど」


「んあ? 何か、大きな荷物もって女たち何人かで出て行くの見たな。ミシンがどうとか言ってたわ」


「ミシン?」


 首を傾げていると、ピロリンとスマホが鳴った。とりあえず、オーブン皿をオーブンに放り込みクッキーに合わせた時間にセットする。

 回りだしたオーブン皿を横目に、スマホを手に取る。


「……真木さん?」


 SNSのメッセージの送信者の名前は真木さんだった。


 ――明日のエルちゃんの事で、弓塚に言っておくことがあるの。


 文面は、そんな書き出しで始まっていた。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 メッセージのしばらく後に、江藤さん達は戻ってきた。

 今は、調理器具を駆使しまくった真木さん無双の時間である。


「弓塚君、弓塚君! 甘い香りで一杯です!」


 袖をぐいぐい引っ張って、江藤さんが興奮した様子で僕に叫ぶ。

 焼きあがったクッキーとマフィンとスコーンが次々と並べられていくテーブルの前で、「ふわぁ」と幸せそうな表情で口を開けている江藤さんを、テーブル向こう側の女子達がスマホで連射している。わかる。映えるよね。


「倉田、このぐらいの量でいいかしら? もうちょっと作る?」


 真木さんが、最後のクッキーを並べながら倉田に尋ねる。倉田は首を振ると、みんなを見渡した。


「いや、このぐらいあれば十分足りるだろう。みんな、ご苦労だった」


「かーんーせーい!」「うまそーーー!」「写真! 写真撮らなきゃ!」「ああ、ちょっとだけでも食べたい……」「試食用あるわよ、食べたい人は言ってね?」「わあああい! お母さん大好き!」「真理愛ちゃん愛してる!」「マーマ! マーマ!」


 大騒ぎである。出来立てマフィンを、口に放り込むと、なんとも優しくて甘い味が口中に広がっていく。うまい。ただその一言しか思い浮かばない。


「弓塚君、クッキーも美味しいよ?」


 コーヒーをズズーッと飲んでいると、江藤さんがクッキーを一つ差し出してきた。ちょっとだけ不格好な形のクッキーを、恐る恐るな感じで僕の掌に載せる。何故か、期待するようなまなざし。……ははーん?


 受け取ったクッキーを食べる。サクサクした歯ごたえ。


「ど、どうかな?」


「控えめに言って、至高の味。マジうまい」


「……良かったぁ」


 ホッとしたような笑顔の江藤さん。ピュア可愛い。


「江藤さんが作ったのかな?」


「うん、最初から最後まで全部ひとりで作りました! 頑張ったよ!」


 えへへと喜ぶエルフがとんでもなく可愛くて、何この江藤さん、癒し過ぎて死にそうなんですけど。


「すごく美味しいよ、このクッキー。お菓子作りも、身についた感じ?」


「そうですね、クッキーとスコーンはもう大丈夫かなって思う。マフィンは、もうちょっと真理愛ちゃんに教わらないと駄目かなー」


 マフィンを口に運びながらそう答える江藤さん。一緒に楽しく話していると、パンパンと真木さんが手を打った。


「はいはい! みんな食べ終わったら、片付けしましょう!」


「はーい」とママの言う通りにみんなが動き出す。


「江藤さん、片付け終わったら、いつもみたく送っていこうか?」


 使った調理器具を洗いながら言うと、江藤さんが少しびくっとした。


「え、えと、その、今日はもうちょっと真理愛ちゃん達と用事があるから。弓塚君は先に帰ってていいよ? ごめんね?」


 知ってる。


 僕は心の中で呟くと、江藤さんに頷いた。


「うん、わかった。帰り道が暗くて一人で怖くて泣きそうになったら叫んでね。飛んでいくから」


「それで弓塚君が来たら、それはそれで怖いです……」


「え、なんで」


 駄弁りながら、後片付けが完了する。「明日も頑張るぞー!」という宮原さんの号令に「おう!」と野太い男子勢の掛け声が響いて、ようやく皆で校門を出る。


 江藤さん達はまだ校舎の中だ。


「……で、弓塚」


 校門を出たところで、倉田が足を止めた。ここにはいない江藤さんと真木さん他数名の女子を除いた、クラス全員も足を止める。


「さっきSNSに届いた緊急要件とは何だ? 話を聞こうか」


「うん」


 僕は、校舎を振り返る。至る所の窓の明かり。金づちの音なんかも時々小さく聞こえていて。まだまだ準備が終わっていない生徒達がたくさんいるのだろう。


 江藤さんもその一人だ。


「……明日、江藤さんがやろうとしている事。そのフォローを、みんなに手伝ってもらいたいんだ。今から、その打ち合わせいいかな?」


 ――そして、僕らの夜も、まだまだ終わらない。



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