幕間 ~真木真理愛

 エルちゃんの様子がおかしい。


 一昨日からだろうか、エルちゃんが挙動不審すぎる。


 弓塚への朝の挨拶がぎこちなかったり、授業中に弓塚を凝視していたり、弓塚に見返されるとバッとそっぽを向いて耳たぶが真っ赤になっていたり、昼食中箸先をくわえたまま弓塚をぼーっと見つめていたり、放課後の読み書きの勉強中なんて、隣り合ってガチガチにノートに文字を書いていたエルちゃんが、ちょっと肩が触れただけで「ひゃい!」って声を上げたり。弓塚、弓塚、弓塚。


 とにもかくにも、異常事態がエルちゃんにて発生しているわけなのよね。


 うん。


 これは、つまり。


 ……弓塚が、弓塚したのね?


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 三限目後の休み時間、弓塚がアタシに真剣な顔で相談しにやってきた。


 クラスメイトがアタシを相談相手に選ぶのは、決して珍しい事ではない。話し相手に便利なのか、アタシは頻繁に相談事にのっている。もちろん真面目に内容を聞いて、一緒に悩んで、解決の糸口を見つけるのは当然の事。アタシは、解決をするわけではない。ちょっとキッカケを作るだけ。

 だけど、相談にのった相手はいつも「ありがとう」って言ってくれる。

 だから、アタシも嬉しくなって、相談に乗り続けているのかもしれない。


 ……だけど、みんな何で最後に「お母さんに話して良かった」って言うのかしら。すごく納得いかないんですけど。


 そして、目の前の男子生徒。弓塚タイチ。彼の相談事は、以下の内容だった。


「真木さん、どうしよう。江藤さんが僕に惚れたかもしれない」


 うん、何て?


 エルちゃんが? 弓塚に?


 ……何て?


 確かに、最近のエルちゃんの挙動はおかしいわ。あれは、もう恋する乙女の仕草のようでとてもきゃわいい。語彙力が足りなくなってくるほどにきゃわいい。

 妹たちも凄く可愛いのだけれど、何だろう、エルちゃんの場合はもっとこう……そう! 前に使った『うちの子』! あの表現が魂にピッタリくる。

 そんなうちの子が弓塚に恋してる?

 え、それはどこから説明してもらったら理解できるギャグなの? 弓塚が生まれてくる前?

 あまりの内容に軽く頭が混乱してしまったと思う。


 その間は、何か適当に弓塚と会話していたような気がするわ。弓塚弓塚。


「で、何かな? エルちゃんが、貴方を好きになっちゃったんじゃないかって?」


 ようやく混乱が解けて、アタシは再度弓塚に確認した。

 ちょっと信じられないし、信じたくもない。いや、弓塚がどうこうと言うわけはないけれど……ちょっぴりはあるけれど……むしろ、エルちゃんが恋愛なんて、という戸惑いが大きい。

 高校二年生。恋愛のイベントが起きるのは不思議じゃない。むしろ当然、健全ですらあると思う。


 でも、うちの子にはちょっと早いんじゃないかなって。


「……世界がひっくり返ってもありえないと思うんだけど」


 アタシの願望が、そこには含まれていたのかもしれない。


 エルちゃんを見る。


 乙女な雰囲気丸出しで、弓塚を見ている。……隠れてるつもりなのかな、あの教科書は。


 とにかく本人に聞かないと、何も始まらないでしょう。

 アタシは立ち上がると、エルちゃんの席に近づいた。


「エルちゃん、ちょっといいかしら?」


「は、はい! え、真理愛ちゃん、何ですか!?」


 私のかけた声に、エルちゃんが驚いて教科書を落とそうとした。アタフタとするエルちゃんが、何か抱きしめてあげたいほどに可愛い。


「悩み事、あるんでしょう?」


「え」


「胸の奥がモヤモヤしてて、自分が自分で分からないんでしょう? 良かったらアタシに話してみない? 何か聞きたいことはないの?」


「ま、真理愛ちゃあん……」


 じわりと涙をにじませるエルちゃんの表情に、鼻の奥がツンとなったけど我慢我慢。血液は大事よね。


 教科書をメガホンにしてコソコソと内緒話をした。誰がエルちゃんにメガホンを教えたのかしらという果てしなくどうでもいい疑問が頭をかすかに流れていったけど気にしない。


 どうやら、弓塚が何やらエルちゃんの心に響く言葉を言ったらしいわ。生まれて初めてだったって。相手の言葉に、心が震えたのが初めてだったって。


「霧が晴れたような感じだったんです」


 エルちゃんが笑みを浮かべているのが解る。そんな声がメガホンを通じて聞こえてくる。


「弓塚君は多分そんなに深く考えた言葉じゃなかったかもしれません。こちらでは、そんなに珍しいモノでもなかったのだから、それに対する感情も私が思っているのと違っていたのかもしれません。単純に、私と弓塚君の価値観が違っていただけかもしれません。もしかしたら、私の質問に合わせて答えてくれただけかもしれません」


 少し寂しそうに苦笑して、だけど、とエルちゃんは続けた。


「……誰かに言って欲しかった言葉が、誰かに言ってもらえるなんて思わなかった言葉が。私に……私なんかに言ってもらえたんです」


 嬉しかった、とエルちゃんは呟いた。


「だから知りたいんです、弓塚君の事が。ううん、みんなの事もいっぱい知りたい。真理愛ちゃんの事も、加奈ちゃんの事も。今までよりももっと色々知って、知って……」


「……分かったわ」


 アタシは、メガホンをおろすと、エルちゃんを見つめた。周りに聞こえないように、小声で話しかける。


「いっぱい話しましょう。アタシだけじゃ足りないわ。女子のみんなで話しましょう。とりあえず今日はね。弓塚君がいると緊張しそうだし?」


「……う……そんな事は……ないです」


「どうかしらね? それと、エルちゃん?」


「何ですか」


「……弓塚は深く考えないで言ったのかもしれない。どんな言葉だったかは聞かないけれど。エルちゃんが期待しているような深い意味はなかったのかも知れないわ。でも、弓塚はね、自分に正直なの」


「……自分に正直」


「自分に嘘はつかない。自分の気持ちに知らない振りはしない。自分の言葉を捻じ曲げない。弓塚が言ったのなら、それはまさしく弓塚が思った言葉そのものなのよ」


 教科書をエルちゃんに返す。


「安心しなさい、弓塚がくれた言葉は、すべて本物よ」


「分かり……ました」


 さあ、女子のみんなに屋上行こうって伝えなきゃね。そう思っていたら、またまたメガホンがアタシの耳元にあたってきた。


「あの……あのですね、やっぱり最初は弓塚君の事がいっぱい聞きたいなって、その、思って……ですね」


 思わず弓塚を見てしまったわ。


 信じられない、本当に弓塚は何を言ったのかしら。エルちゃんからは聞き出せないでしょうし、弓塚は自分が言った言葉なんて忘れてるわよね、絶対。


 こんなに惹きつけてしまうなんて。危険だわ。今のうちに何とかしないと!


「エルちゃん、それに女子のみんな……お昼の時間、ちょっと屋上にきてくれないかしら?」


 これは、緊急かつ重大な案件よ!


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 その後、女子全員でエルちゃんの希望通り、弓塚の過去を話したわ。


 もちろん、嘘はつかない。あくまでも、真実のみを語らせてもらいました。


「えー」


 と、最初は頬を染めて苦笑しながら聞いていたエルちゃんが、


「えー」


 と、ちょっと正気に戻っていく過程はとても面白かったわ。



 アタシ悪くない。





 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 一人称だと、どうしても表現できない部分なので、苦肉の策でこうなりました。

 いわゆる番外編です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る