戻ってくださいエルフさん

 江藤さんの様子がおかしい。


 あの日以降、江藤さんが挙動不審すぎる。

 朝の挨拶がぎこちなかったり、授業中に隣から視線を感じたり、見返すとバッとそっぽを向いて耳たぶが真っ赤になっていたり、昼食中箸先をくわえたまま僕をぼーっと見つめていたり、放課後の読み書きの勉強中なんて、隣り合ってガチガチにノートに文字を書いていた江藤さんが、ちょっと肩が触れただけで「ひゃい!」って声を上げたり。「ひゃい!」って。


 とにもかくにも、異常事態が江藤さんにて発生しているわけである。


 ふむ。


 これは、つまり。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「真木さん、どうしよう。江藤さんが僕に惚れたかもしれない」


「弓塚、どうしよう。弓塚が弓塚になったのかもしれないわ」


 真木さん、何て。


 自分の名前をネガティブ名詞に使われたなんて生まれて初めてだ。


 あまりのショックに言葉も出ない僕に、真木さんはもの凄く深いため息をついた。


「妄想もそこまでいくと、なんていうか弓塚ね」


「弓塚」


「弓塚よ。弓塚が、弓塚して弓塚だなんて、相当弓塚だわ」


 え、もしかして僕の名前伏字に使われてるんですか? と思うくらい、真木さんが弓塚してくる。弓塚。


「ひとまずこの事案は置いておいて」


「冗談を置くのではないんだね……」


「で、何かな? エルちゃんが、貴方を好きになっちゃったんじゃないかって?」


 三限目後の休み時間。僕は真木さんの隣の席についていて、彼女の問いかけに居住まいを正した。


 コクリと慎重に頷く。


 そう、あの様子は間違いないだろう。もしも僕がラノベの鈍感難聴系主人公であれば、真木さんに江藤さんが病気かもしれないだとか読んでいる読者から腹パンされそうな事を相談していたかもしれない。


 だが、しかし、これは現実であってラノベではない。ちょっと格好いい事言いました。


 あそこまで分かりやすいと、誰だって分かるじゃん? と言いたい。僕は、絶対ヒロインのさり気ない告白に「ん? 何て?」などという台詞は吐かないぞ! 絶対にだ!


 ちょっと前に「鈍感系主人公バンザイ!」なんて言ったような気もするが、今記憶から消し去ったので言ってなかった。


 だから、僕が真木さんに相談しているのは、そんな的外れな病気などという事ではなく、江藤さんに惚れられてしまった僕はどうすればいいかという事であって、おおおおお、江藤さんに惚れられちゃってるのかあ。うわあ、いいのかなあ。うわあ。うわあ。


「……世界がひっくり返ってもありえないと思うんだけど」


 真木さんは、僕を不審そうに見ると、そのまま振り返って、次の授業の教科書で顔を隠しながらこちらの様子を窺っている江藤さんを眺めた。


「……まあ、確かに様子はおかしいし。ちょっとエルちゃんと話してくるわ」


「お頼み申す」


 なんか変なテンションになっている僕である。


 はぁと溜息をついて真木さんが立ち上がった。びくっとして反応した江藤さん可愛い。


 僕の席に座った真木さんと、隣の席の江藤さんが丸めた教科書を耳元に当てるのを繰り返しながら、コソコソと内緒話をしている。


 まわりのクラスメイトも何だ何だと関心を持っているが、あの様子では周囲に会話が漏れることはないだろう。


 真っ赤になった江藤さんが真木さんに何やら囁いたらしい。


 ズバッと顔をこっちに向けて、信じられないといった顔つきで真木さんが僕を凝視している。僕を見つめて、江藤さんに向き直って、また僕を見つめて。


 一体何を言われたのだろうか。


 非常に気になる。も、もしかして、僕に告白するタイミングとかだろうか。盗聴器を所持していないことに、この時ほど後悔したことはない。


 そして、真木さんは一大決心をしたような顔つきになった。それは、まるで聖書に描かれた聖母のごとく。聖戦に立ち向かう様な女神のごとく。


「エルちゃん、それに女子のみんな」


 立ち上がって教室を見渡した真木さんは言った。


「……お昼の時間、ちょっと屋上にきてくれないかしら?」


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「江藤さん……何の話だったの?」


 昼休みの終了間際に、女子達が屋上から帰ってきた。その彼女たちの表情が、心なしスッキリとしている。


 そして江藤さんの様子も変わっていた。


 つい先ほどまでの、僕の一挙手一投足に反応していた、そう敢えて言うならラブコメムーブだったはずの江藤さんがいつものポヤポヤとした雰囲気に戻っている。


「あ、弓塚君、それはね~……あ、これは言っちゃダメなんだった。ダメダメ! 秘密だよ、弓塚君!」


 これは、どうした事だ。一体、何があった。


「本当にしょうがないよね弓塚君。女の子の会話に興味持ってはいけないんですよ」


 ちょっと困ったような感じで苦笑する。そんな江藤さんに少しドキリとしつつも、僕は状況が把握できずに困惑していた。


「一体なにが……あ、真木さん! 真木さん!」


 最後に入ってきた真木さんは、どこかやり切った表情をして、ご機嫌そうだった。


「あの真木さん、一体何がどうなって」


「初期症状だったわ」


「……はい?」


「詳しい事は聞けなかったけれど、先日の図書室の帰りに弓塚の言葉に救われたんだって。それから、ちょっと弓塚の事が気になりだしたみたいね」


「な、なるほど」


「でも、好きとか愛しているとか、まだそういう段階じゃなかった。まさに……発見が早くて助かったわ」


 なんか医者みたいな事言ってる。


「患者はつまり一時的に不安定な精神状態だったのよ。このまま様態が変に安定してしまっていたら、次の段階に進んだのかもしれない」


 沈痛な表情で、患者とか言ってるよ、この人。


「だから、私は」


 真木さんが、僕の目を見て、あの聖母の表情で言う。


「キチンと弓塚の事を幻滅するように、弓塚の過去の所業をある事ある事女子全員で、エルちゃんに細部もらさず伝えてやったわ」


「何て事してくれたんだ!?」


 いや、本当に何しちゃってくれてんの!? 真木さんは、不満そうに腰に手を当てる。


「何って……言っておくけど嘘は言ってません。ちゃんと、弓塚が今までやってきた事を包み隠さず話しただけです」


「ぐぐぐぐ……」


 それで、あのラブコメムーブが普通に戻ったというのは、つまりどういう事!?


「こういう展開は予想だにしてなかった……!」


 相談したのが真木さんだったのが間違っていたのか。崩れ落ちて、床に手をつく僕に、江藤さんが近づいてきた。


「あ、弓塚君、もうすぐ授業が始まりますよ。何やってるんですか?」


 ぐいぐいと机まで引っ張っていってくれる江藤さん。その様子には、ラブコメムーブの欠片もない。


 僕は心の中で血の涙を流し続けたのであった。


 ……戻ってくださいエルフさん(大事な事なので二度言いました)




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