定番ですよエルフさん
その日、江藤さんは遅刻寸前で教室にやってきた。
「ま、間に合いました……」
身体全体で安心を表現しながら江藤さんは机に座ると、僕に挨拶してくる。
「おはよう、弓塚君」
「うん、おはよう、江藤さん。今日はギリギリだったね?」
「えーと、加奈ちゃんから借りてた漫画を読んでたら、夜更かししちゃいまして……」
恥ずかしそうに縮こまる江藤さん。朝から、全開で可愛いです。
「もう漫画も読めるようになってきたんだね」
「はい! この世界の書物って、すっごく面白いよね!」
『この世界』という危ないキーワードを自然にスルーする。うん、クラス全員がミュートキーワードに設定しているからね。大丈夫、大丈夫。
「今度良かったら、僕の持ってるのも貸そうか?」
「いいんですか! えへへ、楽しみ!」
エルフイオンに満たされた僕は、さっそく手持ちの漫画から貸し出しリストを脳内作成しはじめた。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
二限目。英語の授業。早弁の時間である。
いそいそと弁当箱を取り出して、箸を用意。手を合わせて、いただきます。パカリと開いたそこには、まだ暖かさを失っていない一口コロッケが鎮座ましましていた。
母さん、今日もありがとう。
母親に感謝しつつ、さっそく口に運ぼうとしていると、隣の席から慌てたような気配がした。
ん?
見ると、口パクしながら江藤さんが弁当箱を見つめていた。
(弓塚君、大好き! 抱いて!)
力強く頷く。
「何か凄く勘違いしてそうな感じがするんだけど!? ……弓塚君、授業中にご飯食べたらダメだよ!」
教科書を立てて教師の目線のカバーにしながら、江藤さんが口パクをやめて小声で注意してくる。そういや、最近江藤さんは『小声』をマスターしたみたいだよね。スキル。
「いや、だってお腹減ったし、お弁当食べるのはしょうがないよね」
(ダメです!)
口パクに戻る江藤さん。おかしいな、どう見ても(好きです!)の口の動きにしか見えないんだけど。
とりあえず、僕も小声ではなく口パクで江藤さんに応える。
(じゃあ、江藤さんも食べる?)
(何で私が食べる事になるの!?)
(え、さっきからすごい凝視してるし)
一口コロッケを箸で挟んで、すーっと江藤さんの視線を横切らせる。
(……)
それはまるでマタタビに釣られる猫のようで。
(……は! わ、私は食べません!)
すーい。すーい。しばらく江藤さんの視線をぐるぐるさせた後、そのまま一口コロッケを口に含んでモグモグする。うん、うまい。
(……)
視線が痛い。
(やっぱり、食べる?)
(食べませんー)
何か語尾が抑揚つけてそうな気がする。
(だから弓塚君、ご飯はお昼に食べるんですよ)
(ん? もちろん。お昼も食べるよ)
何言ってるのかな、江藤さんは。
モグモグとお弁当に箸を進める。そうして、一口コロッケが最後の一つになった頃、隣から「くー」というめっさ可愛い音が聞こえてきた。
モグモグしながら、隣を窺うと、江藤さんが顔真っ赤にしてお腹を押さえていた。
なるほど、遅刻ギリギリだったから朝ご飯食べてなかったのか。
(食べる?)
(食べません!)
(食べる?)
(た……食べま……食べさせてください……)
……勝った。何に。
一口コロッケを箸で挟んで、江藤さんに渡そうとしてふと考えた。いわゆるコロッケは揚げ物だからして、江藤さんの掌に置いたら油まみれにならないだろうか。
お弁当用だから油の量は少ないかもだけど、手がべたつくのは避けられない。
ふむ、ではどうするか。
(江藤さん、あーん)
(あーん?)
僕の口を開けて、江藤さんに同じように口を開けさせる。そのまま、食べさせてくることが解ったのか嬉しそうに待ち構えている。
そうして、一口コロッケを箸で口の中に入れようとして。
「――!!」
僕の身体は恐怖に包まれた。
冷や汗がポトリポトリと顎を伝って落ちていく。これはなんだ。何が起こった。死線を感じる。いつのまにか教室中に殺意が充満していた。
(何してやがる弓塚)(いい度胸だ弓塚)(屋上からのバンジーは楽しいぞ弓塚)(ちょっと校舎裏につきあえ弓塚)(コロス弓塚)(コロス)(コロス)(コロス)(コロス)(コロス)(コロス)(コロス)
これはあかん。プレッシャーで、押しつぶされそう。
(……?)
あーんしたままの江藤さんが、不思議そうに首を傾げる。
うわーん、むっちゃかわいい。だが、しかし!
(ちょっと……このままだと久しぶりに切れちゃうかな……屋上につきあってもらおうかな……)
何故か、真木さんの心の声が聞こえてきた。
ブルブルと震える箸先。
(あーん?)
なかなか一口コロッケを渡さない僕に焦れたのか、周囲の状況に気付いていない江藤さんが再度アピールしてくる。
血の涙が流れそう。
このままだと、僕の人生は終了してしまう。
僕は、ガクガクしながら箸を己の口に持って行き。
(わーわーわー!)
慌てる江藤さんを見ながら、一口コロッケを放り込んだ。
(な……なーんちゃって)
そんな口パクをおまけにつけて。コロッケの味はしなかった。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
その日、江藤さんは一言も口をきいてくれませんでした。まる。
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