きりんねこ、ねこねこきりん、きりんねこ

 僕は猫を飼っている。雑種の茶色い雌猫。名前はチャワン。

 チャワンとの出会いは僕が大学に入った頃のことだ。


「なぁ木村君、猫飼わへん? ペット可やんなキミの下宿」


 必修の授業で同じ班になった吉田と、なんとなく学食で昼飯を食べていたときのことだ。

 雑談の流れで、僕が住んでいるアパートの名前を聞くや否や、吉田はそう聞いてきたのだった。


「おう、いいよ」


 即断したのは、猫好きで実家でも猫を飼っていたからというのもあるし、もしかしたら、ひとり暮らしで寂しかったのもあるかもしれない。少しホームシックになりかけていたのだ。

 その日のうちに実家に連絡して、使ってない猫グッズを大量に送ってもらった。

 エサ用のお皿だの、鈴のついた赤い首輪だの、実家の猫が気に入らなくて使っていなかったキャットタワーだの、だ。

 足りないものはホームセンターで買い足した。

 そうして準備が整って、迎えたのがチャワンだ。

 吉田が連れてきたとき、毛布の敷かれたダンボールにお茶碗が1つあり、その中にチャワンは丸まって入っていた。


「なんや気に入ってもうて、でぇへんのや」

「猫は狭っ苦しいのが好きと相場が決まっているんだ」


 僕はそのフワフワの仔猫をお茶碗からそっと取り上げた。

 仔猫はニャアと鳴き、僕はその仔にチャワンと名前を付けた。

 チャワンは幸いなことにすぐに僕に懐いてくれて、暇さえあればじゃれついたり、そのザラザラとした可愛らしいベロで舐めてくれたり、時には引っかかれたり噛まれたりなどしつつ、一緒に暮らして3年が経った。

 ところでチャワンにはお腹が空くと僕の顔をザァラザァラと舐める癖があって、だからその日、その明け方、何かにペロンペロンと額を舐められても「ああチャワンにご飯をあげなくちゃ」としか思わなかった。

 しかし不思議だった。

 チャワンの、キャワイらしい赤いベロの、ザァラザァラとした感触ではないのだ。

 目を覚ます。ぱちり。


 そこにいたのは、キリンだった。


 僕を舐めていたのは、そのキリンの、長ぁい、紫色のベロだったのだ。


「きりん」


 僕がそうひとりごつと、キリンは不思議そうにその長い首を傾げた。

 僕は起き上がり、まじまじとそのキリンを見つめた。頭が少しずつ動き出して、いやこれは夢かしらんと僕はそんなに長くない首を傾げた。

 なぜならそのキリンは、猫はどの大きさしかなかったからだ。


「妙な夢もあるもんだ」


 しかし夢にしては非常にクリアだ。僕は起き上がり、とりあえずチャワンを探した。


「チャワン」


 そう呼ぶと、そのキリンが嬉しそうに駆け寄ってきた。ちりん、ちりんと音がした。


「……?」


 怪訝に思ってキリンをまじまじと観察する。

 キリンの首には、見慣れた赤い首輪。


「嘘だろう」


 僕は混乱しつつ、なぜか吉田に連絡せねばとスマホに触れた。


 ロック画面の壁紙、寝る前までたしかに「猫」のチャワンの写真だったはずのその壁紙が、おかしなことにキリンにすり替わっていた。


「嘘だろう」


 不思議そうにこちらを見るキリンと目があった。

 僕の頭がおかしくなったと思われるかもしれないが、僕の「猫」のチャワンはキリンになってしまったらしい。

 混乱して、じっと黙ってキリンを見つめた。

 キリンは不服そうに首を揺らす。腹が減っているのだろう。


「どうせいっちゅうんじゃ」


 キリンは何を食べるのか?

 葉っぱ?

 とりあえず、仕方なしにキャットフードの袋が入っているはずのタッパーを開けると、そのには「キリンフード」と書かれた袋が入っていた。パッケージにはご丁寧にキリンの絵まで描いてあった。


「……待てよ、ということは」


 思わず呟く。


 もしかして、チャワンだけでなく、「猫」自体が「キリン」と入れ替わっている、ということではないだろうか。

 僕は時計を見て、すぐさまテレビをつけた。


 本来なら朝の情報番組のコーナーで「今日のお猫様」がやっているはずの時間帯だ。


『では続きまして、今日のキリンちゃんでえす』


 にこやかに笑う女性アナウンサーは確かにそう告げた。

 切り替わった画面には、やはり小さなキリンが映っていて、僕はただリモコンをぽとりと落とした。

 キリンフードをキリン……キリンのチャワン(便宜上そう呼ぶ)が美味しそうにもぐもぐと食む。

 それを横目で見つつ、僕はスマホで「猫」と検索した。

 1番上に出てきたサイトをぽちりと押す。


「猫


分布


アフリカに分布する。


アンゴラ、ウガンダ、エチオピア、カメルーン北部、ケニア、コンゴ民主共和国北東部、ザンビア、ジンバブエ、ソマリア、タンザニア、チャド南部、中央アフリカ共和国、ナミビア、ニジェール、ボツワナ、南アフリカ共和国、南スーダン、モザンビーク


日本国内では個人の飼育も可能だが、主に動物園などで飼育されている」


「キリンやん、こんなんキリンやん」


 吉田の関西弁が移ってしまったのだろうか。

 どうしたものか。

 その時、スマホがビービーと震えた。着信だ。画面には吉田の文字。


「もしもし吉田? ちょうどよかった。あのな、僕の頭がおかしくなったんじゃなくてだな、聞いてほしいことが」


『スマン木村君、それ後回しでええか? あんな、俺の頭おかしくなってしもたんかな、猫とキリンが入れ替わっとるんや』


 僕はしばし呆然とした後、吉田ととにかくお互い状況を確認しあい、学食で落ち合うこととなった。

 いつもと変わらぬ学食で、吉田はカレーを前に、僕は油そばを前に、しばし無言で向かい合う。

 ふと吉田の肩が震えているのに気づいた。

 泣いているのだろう、無理もない、急にこんなことになって、と声をかけようとすると、あにはからんや、なんと吉田は笑っていたのであった。


「何を笑っているんだ」

「ひゃひゃひゃ、いやぁ、なんかなぁ、こんなオモロイことあるんやと思って。だってキリンやで?」

「なぁにがキリンやで、だ。俺の可愛いチャワンはどこへ行ったんだ」

「やから、お前んちにおるキリンがチャワンなんやろうて」

「あんなん、チャワンと認めんぞ」

「そら可哀想や、キリンやろうと猫やろうと、チャワンちゃんはチャワンちゃんやろうに」

「いやそういう問題じゃないだろ」

「ほなどういう問題やねん」


 押し問答をくりかえしつつ、さりとて妙案も浮かばず、僕たちは普通に講義を受けて大学を後にした。


「こうなりゃヤケだ。飲むぞ」

「あっはっは、そらええわ」

「ウチで飲もう。とにかくキリン……、チャワンを見てくれ」


 スーパーで安酒を大量に購入し店を出た。

 向かいのコンビニのゴミ箱のすぐそばに、小さなキリンが丸まって寝ていた。

 普段ならば、あそこには野良の茶トラがいたはずだった。


「キリンあんな寝方するのか?」

「確か立ったまま寝るはずやで、キリンは。動物園のは違うらしいけど、あれは野良やでほんまは野生らしく立って寝なあかん」

「俺らの知ってるキリンとはやっぱ違うんだな」

「そもそもサイズも猫やしな。限りなく猫に近いキリンなんやろな」

「猫はどう過ごしてるんだろう。サイズとかは」

「キリンサイズの猫なんかえげつないで」


 想像すると、好きな動物なのにゾッとした。強すぎる。

 それについては後でまた調べることにして、とりあえず飲むことにした。

 自宅アパートのドアを開ける。

 果たしてそこにキリンの姿はなかった。少し広めとはいえワンルームなので、いればすぐに分かる。


「……あれ? えっと、チャワン?」

「おらへんな……あ、窓」

「えっ」


 僕は窓に駆け寄った。まさか。


「……閉め忘れた?」


 さあっと身体から血の気が引くのを感じた。

 この部屋は二階なので、猫なら十分脱走可能だ。しかしいまのチャワンはキリンなのだ。それも、小さな。


「凡ミスやな、猫飼いがやったらあかんミスのひとつや」

「朝動揺してて、……いやそもそもキリンが窓から逃げるだなんて」

「実際逃げとるやないか」

「さ、探さないと。吉田ごめん、お前国道のほう頼めるか」

「探すん?」

「えっ?」

「いやだから、探すん?」


 キョトンとした顔で吉田は尋ねてきた。


「そりゃ、探すだろ」

「や、だってお前、あれチャワンちゃう言うてたやないか」

「それは、でも」


 改めて考える。あのキリンは僕の知ってるチャワンではない。けれど、この不安はなんだろう。焦燥感は。早く見つけなければという感情は。


「……わからん、けどとにかく探す」

「ま、せやな」


 僕たちは二手に分かれてアパートから駆け出した、は良かったが二手に分かれるまでもなく、向かいの公園でムシャムシャと草を食むチャワンを発見した。


「チャワン~」


 僕はほっとしてキリンのチャワンを抱き上げる。

 首輪の鈴が、ちりんと鳴った。


「ごめんな、無事で良かった、ごめんな、チャワン」


 キリンのチャワンはその長い、紫色のベロでペロリと僕の頬を舐めて、それから甘えるように首を擦り寄せてきた。案外フワフワしていた。


「チャワンでええみたいやな」

「や、違うんだけど、でもこいつもチャワンみたいだから」

「せやな」


 チャワンを抱え、再び自室へ戻った。

 チャワンは僕の膝で丸まって寝ている。長い首を上手いこと丸まらせていて、これはこれでたいそう可愛らしいと思ってしまった。

 2本目の缶チューハイをお互い空けた時だった。


「あ、でな、ふと思ったんやけど」


 吉田がおつまみのサキイカを指で玩びながら言った。


「うん」

「パラレルワールドってあるやん」

「なんだ唐突に」

「唐突なのはこの状況やろ。猫とキリンが入れ替わるって何やねん」

「うん、いや、その通りなんだけど」


 膝の上のチャワンを撫でる。チャワンはスヤスヤと眠っていた。


「わかるか? パラレルワールド」

「ああ、うん、何となくは」

「多分やけどな、俺たちきっと別次元の俺たちと入れ替わってしもうたんや」

「は?」

「つまりやな、入れ替わったんは猫とキリンやのうて、俺たちなんやないかってこと」

「……は?」

「そうやないと、この状況説明つきひんやろ? だって他の人らぁはこの状況が普通なんやから」

「……、そうか」


 そう言われれば、僕たち以外は誰も騒いでいないのだ。朝のアナウンサーのように、コンビニで寝ていたキリンのように、キリンがいるこの状況が日常なのだ。


「それでな、思ったんやが、寝たら戻るんちゃうかな」

「戻るって……元の世界に?」

「世界というか、次元やな」

「うんまぁ、それはどっちでもいいんだけど、なんでそう言い切れる?」

「いやさ、寝る前までは普通やったやろ? それが起きたらこうなってた訳や」

「うん」

「せやったら寝たらなおるんちゃう?」

「そんな風邪みたいに」

「まぁまぁ木村君、ものは試しやで。そんな訳で、寝るわ俺。レポートで昨日あんま寝てないねん」

「そうか……じゃあ僕ももう少ししたら寝る。どっちみち、少し疲れた」

「せやろ? ほなおやすみ」


 吉田はクッションを枕にごろりと床で寝息を立て始めた。よくまぁこんな固いところで寝られるな。一応ラグを引いてあるとはいえ。お情けで腹にバスタオルだけかけてやった。

 僕はもう一缶だけチューハイを飲み、軽くシャワーを浴びた後、テレビを見つつキリンのチャワンをしばし撫で回した。

 吉田理論が正しいとするならば、このキリンのチャワンとは今日だけの付き合いなのだ。よくよく撫でくり回しておかねば。ダメだな、ちょっと情が湧いている。

 やがて、アルコールのちからもあって、僕もウトウトとしだした。

 ベッドに入ると、当然のようにチャワンも布団に潜ってきた。

 可愛い、と思ってしまった。ちょっと別れがたくあるが、このチャワンも元々この世界にいた僕といた方が幸せだろう。

 そう思いながら、キリンのチャワンをぎゅっと抱きしめた。


「おやすみ、チャワン」


 チャワンは長い睫毛をはたはたと瞬かせ、そしてそれを見ながら僕はゆっくりと眠りに沈んでいった。

 目を覚ますと、そこには猫のチャワンがいた。


「ああ、チャワン」


 思わず抱きしめてしまって、チャワンは迷惑そうに僕の腕から抜け出して、床にひらりと着地した。さすがの身のこなしだ。キリンではこうはいくまい。

 そしてチャワンは床でぐうぐうと眠る吉田の元へと行くと、そのキャワイらしいベロでザァラザァラと吉田のコメカミを舐めた。


「おい吉田、起きろ。吉田理論、正しかったぞ」


 僕も加勢して、吉田を起こす。


「……んぁ、もう朝か?」

「おう。ところでちゃんと戻ってるぞ」

「あ?……戻ってへんやーん、猫のままやん」

「……あ?」

「いややから、猫のままやんって」

「うん、あれ?」

「いやしかし、あのえげつない猫ちゃんがキリンサイズやとこんなに可愛らしいんやなぁ。サイズ感って大事やで」


 ブツブツいいながら起き上がり、チャワンを抱き上げて撫で回す。


「……ほう?」


 どうやら、吉田はまだ入れ替わったままらしい。

 ……てか、やっぱあのサイズの猫えげつないんじゃん。

 ちょっと見たかったな、なんて少しだけ考えてみて、それからちょっと面白くて笑ってしまった。

 不審そうな表情の吉田と、にやにやしてる僕を見て、チャワンはなんとも言えない表情でニャアと鳴いた。

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