アルパカと猫を詰めてみた(短編詰め合わせ)
西野紫
ぬばたまアルパカはお饅頭がお好き
「みっしりされています」
僕がそういうと、かれらはこう答えた。
「みっしりしております」
かれらとはアルパカだ。もふもふの黒いアルパカだ。
僕はいま、アルパカの群れに四方八方を包囲され、なおかつぎうぎうと軽く押されているのである。
僕の首に、アルパカたちのふわふわもふもふくるんくるんの毛が当たってたいへん心地よい。
僕は一生ここにいたくなる。
そう、いたくなるし心地よい、大変よい、しかしだ。
一体この状況はなんだ。なんだというのだ。
僕はいつも通りアルバイト先の、神戸が誇る中華街、南京町の桃饅頭屋から、垂水(五色塚古墳とかある)の少しばかりふるい、古いと言うか年月を経ているというか、まぁ、そんな感じの安アパートへ帰宅しようと、元町の駅へふらふら歩いていたのだ。
髪から服から肌から爪からまつ毛から、桃饅頭のかおりがふんわりと香る。
普段は良いかおりの桃饅頭も、ここまでくるとややげんなりしてしまう。
僕は大学院生で、しかもあまり実家に頼ることもできず(妖怪の研究なんか止めて"まっとう"に働け、とばあちゃんは言う)なおかつ学業とアルバイトの両立はなかなか厳しく、アアなんだかもうここで寝てしまいたいなぁ、スゥヤスゥヤしてしまったらとっても気持ちいいだろうになぁ、などと考えていた。
もうじき時計の針が12でぴったり重なる、そんな時間だった。
元町の商店街に差し掛かったところで、アルパカの群れに遭遇した。
人通りのすっかりなくなった、がらんとした商店街で、ただかれらは群れていた。20頭近くはいたのではないか。
全て黒の、そしてフッワフワのアルパカたちであった。
てんでバラバラの方向を向いて、何とは無しに突っ立っているようにも見えた。
「アルパカ」
僕がそう呟くと、僕に気づいたアルパカたちはめいめに鼻をぴくぴくとさせ、そしていっせいに僕の方を見ると、何かの合図があったかのようにこちらへ向かって、どどどと走り始めたのだった。
いや、さすがに逃げた。「幻覚かいな」と思わないでもないが、しかし確かに感じるこのアルパカのヒヅメの音、そして息遣い、これはヤバイと判断したのだ。
しかし悲しいかな、20数年間を文化系として生きてきた僕はすぐにスピードを落とし、ああ、あわれ、アルパカの群れにするすると吸い込まれて行ってしまったのだった。
そして冒頭へ戻る。
「意思の疎通ができる!」
僕は思わず叫んだ。
「アルパカの平均的な知能指数は150ありますから」
「かしこい」
答えてくれたアルパカは、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「ところで僕はなぜみっしりされているのですか? その、あなたがたアルパカの群れに」
「理由が必要ですか?」
じっと見つめられて僕は困ってしまう。まつ毛長いなぁ。
「理由がなくては、こうやってあなたを皆でみっしりしてはなりませんか」
「できれば理由があったほうがありがたいです」
「そうですか。では、ご説明しましょう。われわれアルパカは陰陽道を修めております」
「おんみょ……えっ?」
陰陽道? 唐突すぎる。
「ゆえに、あなたにツいている、妖怪だるを見逃さなかったのです」
「妖怪だる!? あの和歌山の巨人、南方熊楠先生が熊野の山で遭遇したという妖怪だるですか!」
「妖怪だるです」
「取り憑かれると朦朧として、歩くこともできなくなってしまうという……」
「そのだるです」
アルパカたちは同時にその長くフワフワの首を縦に振った。どうやら頷いているようだった。
「そうでしたか」
僕は鼻息荒く答えた。
先述した通り、そう、僕は妖怪の研究をしているのだ。ハイテンションにもなってしまおうというもの。
「どうです、ちょっと楽になったでしょう」
「ああ、そういえば」
肩のあたりにあった、妙な倦怠感が無くなっているように思われた。
「ありがとうございます」
「なんの、……いえ、実はあなたを桃饅頭と間違えたのです。あなたから桃饅頭の香りがふわんふわんしたのです。全身桃饅頭です。もはや桃饅頭マンです。だるの話は嘘です」
「なんと」
「アルパカ・ジョークだったのです。真に受けられるとは思わなかったのです」
「アルパカ・ジョーク」
「アンデスなら爆笑間違いなしだったんですけど……ごめんなさい」
アルパカたちはまたしても一斉に首を下げた。
「いえあの、楽になったのはほんとうなので」
アンデスで陰陽道だの南方熊楠先生だの、あまつさえ"妖怪だる"が通じるのかはさておいて、肩が楽になったのは確かだった。アルパカの毛による、ふわふわリラックス効果であろうか。
「そう言って頂けると助かります」
微笑んでいるようにも見えるアルパカたが、しかし僕は一つの疑念を抱いていた。
もしかして、このアルパカ達自体、妖怪なのではないだろうか、と。
「ひとつお伺いしたいのですが」
僕は丁寧に尋ねた。
「なんでしょう」
アルパカ達は首をかしげる。ふんわり。
「あなた方は妖怪でしょうか」
「いいえ、アルパカです。ラクダ科ビクーニャ属、アルパカです」
「しかし、お喋りになる」
「ふーむ」
アルパカたちは困ったようにその長い睫毛をぱちりぱちりと動かした。そして頭を付き合わせて話し合いを始めた。
「我々は妖怪だろうか?」
「そんなことはあるまい」
「そうだそうだ」
「我々はアルパカとしてのプライドを持ってやってきた」
「今更こんな若者の一言で、妖怪なんぞになってたまるか」
「よく言った! その通りだ」
アルパカたちは僕に向き直る。
「アルパカです」
「了承しました」
僕はとりあえずそう答えた。あとで考えよう。僕的には妖怪なのだ……。
「ところであの、ここは」
どこでしょう、というのは飲み込んだ。アルパカたちは僕をぎうぎうにしながらゆっくりゆっくり移動して、気がつけばすっかり人気のないところに移動していたのだった。
真っ暗だ。
墨のような空に、ほんのり桃色の月がぽかりと浮かんでいる。まんまるの、水蜜桃のような月である。
時折、潮騒がざざあ、さばぁ、と響いていた。
ふと、アルパカたちの頭部の波の隙間から魚型の建物が見えた。どうやら神戸港のあたりまで移動してきたらしい。そういう建物があるのだ。
「我々はフェリーに乗ります」
「えっフェリー?」
「大分まで行くのです。温泉付きのフェリーです。別府温泉で地獄めぐりをするのです。そして温泉饅頭を食べます。貪り食うのです」
「そうですかぁ……」
連れていかれたらどうしよう、などと思っていると、遠くから「へえええええ」と声がした。背伸びをしてみてみると、それもまたアルパカの群れであった。今度は白いアルパカたちだった。
「お仲間ですか?」
「待ち合わせをしていたのです」
ふたつのアルパカの群れは静かに騒めきながら、大きな一つの群れとなった。
「おや」
「あら」
アルパカの波に押されるように僕の前に押し出されて来たのは、小柄な眼鏡の女性だった。
「こんばんは」
桃のような頬に、えくぼがぽちりと浮かんだ。
僕も笑って「こんばんは」と返す。
「あなたもアルパカに捕まったのですか?」
「いいえぇ、わたしは歩いていたらアルパカの群れがいたもんやから、えいと入ってみたのです」
「そうでしたか」
変わった人もいるものである。
「彼らは別府温泉で地獄めぐりをするそうです」
「あらそうですか。わたし、明日は仕事やからご一緒できひんわ。残念」
「僕も授業があるのです」
「ほんなら出ましょうか、かなり居心地はええんやけど」
「そうしましょうか、名残惜しくはあるのですが」
僕は頷くと、アルパカたちに声をかけた。
「アルパカさん、アルパカさんたち、どうもありがとう」
「ああお帰りになるのですか、そいつは結構。いいですか若い人よ、あまり頑張らないことです。今度こそ本当にだるにツカレますからね」
「心しておきます」
そうして僕たちは、分裂するアメーバのようにするりと群れから抜け出した。
そしてフェリーへ向かうアルパカたちを見送って、ゆるゆると駅へ向かって歩き出した。
終電はないがとりあえずそうなった。
アルパカたちがだるを取り除いてくれたおかげで、僕はすっかり元気だった。
ここまでの経緯を説明しながら、2人並んでのんびりと歩く。
「そうですか、だるですか。南方熊楠先生ですね」
「そうです、といっても僕は先生のことをあまり存じ上げないのですが」
「ふふふ、実はわたしも。粘菌の研究をしてはったことくらいしか」
眼鏡の女性はくすくすと手を口元にして笑った。
そしてふと気づいたように天上の月を見上げて「まぁなんて美味しそうなおつきさま」と呟いた。
それが僕と妻の出会いであったはずなのだが、このことを話すと妻はいつも「あら、またそんな夢みたいなはなし」と笑う。手を口元にして、にっこりと笑う。
僕たちは良く夜の神戸港を散歩する。
アルパカがいないものかと探してみるが、実はあれ以来一度も見かけたことはない。別府温泉が気に入って、すっかり居着いてしまっているのかもしれない。
さて、僕は散歩するたびにこのアルパカ話を妻にふるのだが、彼女はすっかり覚えていないのだ。
「あんなにインパクトがあったのになぁ!」
そう言ってふと空を見上げると、そこにはやはり水蜜桃の月がふんわりと浮かんでいた。
「月が綺麗ですね」
「ええ、とても美味しそう」
桃のような頬に、可愛らしくえくぼが浮かんだ。
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