第99話 花火

 花火が打ち上がり始めるまで四十分を切ったので、屋台巡りはこのくらいにして、花火を観るのに適した場所を探すことにした。花火が見たくて見たくてしょうがない、というわけではないが、どうせ観るなら良い場所で観たい。


 楓と二人でキョロキョロしながら歩いていると、多くの人が土手で座っていることに気づいた。なだらかで座りやすいのだろう。高さもあるし、ここよりはよく見えるはずだ。


「あそことかでいいんじゃない?」


 俺が言うと、「お尻が汚れちゃう」と楓が不満を漏らす。雨が降った形跡はないけれど、多少は汚れるだろう。昼間に見たら綺麗な新緑であるはずの草たちの上に座ったとしても、土がつくに違いない。


 何か良い方法はないだろうか? 土手の上の道で観るのもありだが、歩き疲れたこともあり、座って観たい。


 俺だけ土手で座って、楓は土手の上の道で観る。というのはどうだろう? 


 絶対それはないな。楓と観なくて何が楽しいんだ。馬鹿な考えは却下。


 悩みながら歩く俺の隣を綺麗な女性が歩いて行った。良いこと思いついたぞ!


「何見惚れてんの〜?」


 楓が頰を膨らませて、脇腹を突いてくる。くすぐったいんだけど。


「楓以外の女性に見惚れるはずないだろ」

「そ、そうなんだぁ」


 照れてる様子も、いとうつくし。最近覚えた古文単語をすぐに使いたくなってしまうのはあるあるだと思う。英単語とかもそう。『うつくし』は小さいものとかに対して可愛らしいとかって意味があるらしいけど、楓にぴったりだと思い、一発で覚えた。なんか小動物みたいな可愛さがあると俺は思ってる。


「楓は汚れないなら、土手でもいいんだよね?」

「えっ、うん。汚れないなら」

「じゃあ、ちょっとコンビニに行ってくるけど、楓はどうする?」

「今の流れでどうしてコンビニに行くのかわからないけど、一人で待ってても暇だし、ついてく」


 花火まで三十分くらいはある。確かこの近くにコンビニがあった気がする。来る時に一軒見た気がするけど、気のせいじゃないと良いな。

 小走りで行きたいところだったけれど、楓が走るのに適した靴ではなかったので、歩いて向かう。


 三分ほど歩くと、コンビニが見えてきた。


 店内に入ると、トイレに行列ができていた。祭り会場の近くのコンビニって絶対こうなるよな、と思いつつ、大袋のお菓子を買うことにした。

 楓は不思議そうな顔でずっとこっちを見ていた。


「はい」

「ありがと。これ買うためにコンビニ?」


 ついでに飲み物も補充しておいた。麦茶を一本楓にも渡した。


「いや、この袋使えるんじゃないかって思ってさ」


 楓はピンとこないようで、小首をかしげる。


「これ敷いたら、汚れないで済むでしょ?」

「おお! 確かに!」


 本当はこうなることを想定して、ハンカチとかそういうのを持って来ていれば良かったのだけれど、そこまで気が回らなかった。


 さっき見た土手に戻ってくると、先ほどよりも人が多くなっていた。みんな考えることは同じらしい。


 なんとか二人分のスペースを見つけたので、そこに座る。コンビニで買った中身は取り出して、地面に置いた。


「せっかくだし食べる?」

「そうだね。まだ時間あるし」


 さっき買ったキャラメル味のポップコーンの袋を開け、片手で持つ。


「手、汚れたらウェットティッシュあるから」

「用意周到だねぇ。モテるよっ!」

「俺がモテてもいいの?」

「嬉しいけど、ダメです」


 手が汚れることは想定できたので、携帯用のウェットティッシュを買っておいた。


 軽く辺りを見渡すが、知り合いはいないようだった。


「神崎たち来てないのかな」

「そういや見てないねー。用事でもあったのかな?」

「さあ?」


 来ていたらきっと一度くらい出会うはずなので、祭りには来ていないのだろう。須藤はこういうの好きそうなので、ちょっと意外だな。


 何気ない会話をしていると、草笛のような音が聞こえ、目を向けると、花火が咲いた。ほぼ同時に破裂音が聞こえてきて、花火大会が始まったことがわかった。時計を見ると、七時半になっていた。いつの間に。


 数秒前まで色んな人の横顔が見えていたのに、今は後頭部ばかりが見える。花火が始まると同時に、みんな同じ方向を向いた。


 色とりどりの花火は滝のように落ちていき、消える。すぐに別の花火が打ち上がり、常に眩しかった。


 隣を見ると、花火に感動する楓がいた。感想を聞かなくても、表情でわかる。


「綺麗だねっ」


 不意にこちらを向いたので、目があってしまった。


「うん。来れて良かった」

「私もー」


 自然と手が重なった。温かくて、心地よかった。


 花火も終盤に差し掛かり始めたところで、「ねえ」と楓が声をかけてきた。花火の音で一瞬聞き逃しそうになった。


「どうしたの?」


 俺が言うと、楓は両手を広げた。意味がわからず、「どういうこと?」と訊いた。


「こういうことだよぉ」


 そう言って、身体をこちらに寄せて、抱き締めてきた。いきなりのことで、戸惑ってしまう。


「なんかこういう気分だった」

「そ、そうなんだ」

「思ったより、冷静だねぇ。私、ドキドキしてるのに」

「いや、今、めちゃくちゃ鼓動速いから。ヤバイから」


 楓は俺の胸の真ん中あたりに顔をつけてきた。


「本当だ。一緒だね」

「うん」


 俺も可能な限り不自然さを排除して、楓の背中に手を回した。


「なんか恥ずかしいねっ」

「じゃあ、なんでこんなことしたんだよ」

「さっき言った通り、したくなったから?」

「理由になってる気がしないけど、まあ、いいや。きっと、みんな花火に夢中だから、俺たちのことなんか見てないよ」

「ふふっ」


 身体を離した後は、少し前と同じように花火を眺めた。綺麗だった花火の思い出は、早速上書きされてしまった。今は隣の彼女のこと以外、考えられなかった。



「最高だったね」

「うん。後半集中できなかったけどね」

「何でだろうね?」

「さあ?」


 最後の花火が終わると、座っていた人たちは一斉に立ち上がった。俺たちも同じように、立ち上がろうとした瞬間、スマホが鳴った。


「ちょっと待って」

「ん?」


 神崎からのメッセージだった。


『大胆だな!!!』


 俺は立ち上がり、全方位に視線を飛ばした。暗かったが、土手の上の道に立つあいつを発見してしまった。


「あそこ見て」

「どこどこ?」


 楓に指差して教えてあげる。よく目を凝らしているようだ。


「あっ。ちーちゃんいるじゃん。え、なんでわかったの?」


 俺はスマホのディスプレイを見せる。


「大胆? もしかして、見られてた感じですか?」

「その、もしかして、だろうな」


 事実確認のため、神崎に電話してみた。


「おい」

『第一声が「おい」っておかしいだろ』

「ちょっとそこで待ってて」

『わかっ』


 聞き終える前に切ってやった。


 群衆に流されながら、なんとか神崎たちと合流した。今から事情聴取を開始する。



 どうやら俺たちが三上さんたちを陰ながら見守ることにしたのと同じように、神崎たちも俺と楓を見て、その選択をしたらしい。


「二人で仲良さそうに喋りながら、手繋いでたら、邪魔なんかできねえだろ」


 ということだったので、手を繋いでるところも見られていた。恥ずかしい。ずっと盗み見ていたわけではなく、見かけたらバレないように隠れていたらしい。神崎たちの気遣いだろう。


 土手で発見したのは偶然だと言っていた。本当かどうかはわからない。


 事情聴取後はごくごく普通の話をした。屋台のおじさんが面白い人だったとか、たこ焼きをおまけしてもらったとか、そんな話。


 来年の夏休みにも息抜き程度に花火くらいは観たい。余裕を持たせたいので、今のうちから勉強しないとな。勉強意欲がさらに高まった。

 

 もう一つ、心に決めたことがある。公衆の面前で抱き合わない、と誓った。

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