第56話 南楓と昼ごはん
「すっごい美味しそう」
「それな」
地図アプリでこの辺りの飲食店を検索すると、良さそうな店が引っかかった。
空腹感を刺激するような料理の写真がいくつか載っていた。どれも美味しそうだった。海鮮料理の店らしい。
「行ってみようか」
時刻は、十一時半。少し早めの昼ご飯になりそうだ。
今いる公園から徒歩四分のビルの中にあるらしい。
立ち並ぶ高層ビルを見ていると、俺たちが住む地域は田舎だなあ、と思う。そんなに不便だと感じたことはないが、徒歩数分の距離にコンビニがあるのはやはり便利だ。都会だなあ。
そんなことを考えながら、マップに従い進むと、すぐに着いた。迷うことなく!
「なんかこういうところ入るのちょっと勇気いるよねっ」
目を輝かせながら、こちらを見て楓は言った。重厚感のあるビルに入るのは確かに少し勇気がいる気がした。それにしても、高い。何十階まであるんだ......これ。
ビルの外で立ち止まっていても、不審者だと勘違いされて通報されかねないので、とりあえず中へ入ることにした。ひんやりとしており、少し寒いくらいだった。
エレベーターの前まで移動する。
「げっ。三十階まであるよ......たかっ」
「さっきのお店は二十七階にあるらしいね」
「ねえ、今私、楽しみなんだよ」
「俺もそうだけど」
「一つ心配なことがあるんだけど、お金大丈夫かな? ここまで来て何だけど、絶対高いよね」
ちょうどエレベーターが止まった。中から数人降りてきたので、俺たちは邪魔にならないように隅に寄った。
「ちょっと待って。ググる」
美味しそう。それだけで、この店に決めてしまったわけだが、もっと他に調べておく点があった。特に今日の俺の財布の中身は乏しいので、ここで所持金の大半が消滅すれば、家に帰ることもできない。
店名で検索をかけると、情報が色々出てきた。評価は高い。でも......。
「予算が......二千円から三千円」
俺のスマホを覗き込んでいた楓はすっと視線を出入り口の方へ移動させた。何も言わず、彼女は歩き始めた。俺もスマホの電源を落とし、無言でビルを出た。
「無理無理!」
外に出た瞬間、彼女は言った。俺も、無理無理無理!
「別の店を探そうか......」
エレベーターで昇る前で良かったと思う。店の前まで行って気づくよりは、マシだった。数分前の俺たちはどうして値段を調べずに決めてしまったのか。普通、最優先で確認することだろう。
多分、本屋で満足し、テンションが高くなっていた俺たちは、値段にまで気が回らなかったのだろう。料理を見ただけで判断してしまった。今の冷静な頭ならあんな即決しなかったはずだ。
「私、別にあそこでもいいよ」
そう言って、楓が指差したのは、牛丼屋。
「滅多に来ることないのに、どこにでもあるチェーン店でいいの?」
俺たちが住む地域にもある牛丼屋だ。わざわざここまで来て、食べなくても良いと思うのだけど......。
「私は全然ありだよ。確かに、普段行く機会のないお店に行けたら最高だけど、人気店だったら絶対混んでるじゃん? 今日は行きたいところあるし、時間が惜しいんだよね。それに、どのお店だったとしても、私たち楽しめそうじゃない?」
彼女の言う通り、楽しい思い出として残るだろう。
「ああいう店の方が喋りやすそうだしね」
「そうそう! 高級感漂うお店でこのテンションは追放されちゃう」
低価格で美味いと評判のお店はきっとあるのだろうけれど、そんなお店が人気でないはずがないので、混んでいるに違いない。いつもは待つのも苦に感じていなそうな楓だけど、この後の計画に響いてしまうのか、今日はあまり昼ご飯に時間をかけられないようだった。
信号を渡ったすぐのところに牛丼屋はある。信号が青になるのを待つ間に、訊いてみた。
「さっき時間が惜しいって言ってたけど、この後なにかあるの?」
「えっとね、や......秘密!」
「うい」
何かを言いかけたようだが、これ以上言及してもきっと答えてくれないだろう。
「素直になったねえ」
そう言った彼女は、とても優しく、慈しむような眼差しで俺を見てきた。口調も子供を褒めるような感じ。
「母親みたいだな」
心の声が漏れてしまった。
「ちょっ、私そんなに老けてる!?」
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃなくて......」
どちらかと言えば、子供っぽい。けれど、そう言っても逆に怒られそうなので、俺の心の中だけで留めておく。
「別に気にしてないから、いいよ。私みたいな大人っぽい女性より、青葉みたいな明るい子が好きだもんね。うんうん。あっ、青になったわ。それじゃあ、行きましょ」
色々訂正したい部分がたくさんあるけれど、俺が口を開く前に信号を渡り始めてしまった。横に並ぼうとすると、歩調を速めるので、少し後ろから彼女を追うような形で歩いた。
えっと、楓が大人っぽいというのは、無理がある。容姿だけならば、そう捉えられてもおかしくないのかもしれないけれど、彼女の中身を知っている身からすれば、とてもじゃないけど、大人な女性という印象は受けない。俺からすれば、容姿もまんま女子高生感しかないけど。
あと、青葉ちゃんは確かに明るいけれど、楓もかなり明るい性格をしていると思う。彼女はその自覚がないのだろうか? それに、明るい子が好きだ、なんて一言も言った覚えがない。俺の記憶が正しければ。
何度か俺が青葉ちゃんに好意を向けていると勘違いされたあの件が生きていたのかもしれない。
一つずつ訂正させて欲しいけれど、彼女はもう自動ドアの前に立ち、俺を待たず入店してしまった。めちゃくちゃ子供っぽくない?
「満足!」
そう言って楓は牛丼屋を出た。俺たちが頼んだ牛丼が届くまでの間、そっぽ向かれていたけれど、食べ始めると味に満足したのか、自然と話が弾んだ。本当、感情がコロコロ変わる人だなあ。
「奢ってくれてありがとー」
「いえいえ」
少女漫画を読んできた経験から、こういう時はやっぱり奢るべきだろう、と思い、二人分の会計を済ませたが、今日の俺にとっては痛手だ。何とか所持金が少ないことを悟られないようにとナチュラルに支払った。多分、バレてない......と思う。
「よし、腹ごしらえもしたし、これから遊ぼう!」
「何して?」
「それはまだ言えないよぉ」
ニコッと笑い、俺の前を歩いて行く。あと何分後かにはわかるわけだし、まあいいか。
また何も見ずに歩き出したけど、大丈夫か......?
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