イスラエラー富永

せいや

第1話 健一と音楽

健一は近くの中学に通う、普通の中学生。

健一には一つ、悩みがあった。

彼は音楽への関心が強く、将来はミュージシャンになりたいという夢がある。

けれど、両親からは反対されている。ミュージシャンになるまでの道の険しさも勿論だが、それ以上に両親が反対する理由は、健一がそもそもどういった形で音楽に携わっていきたいか、具体的なビジョンが無いということだ。それは本人が痛いほど感じている。

音楽への、漠然とした愛。それをどう形にすればいいのか。そんな感情が湧き上がる時、彼は幼いころにスポーツでなく何かしらの楽器を習わせてくれなかった両親を少し恨めしく思う。勿論それが的外れであることが解っているから、自分に対しても余計な苛立ちが生まれる。


そんな時ふと、友人の言葉を思い出した。

「やっぱ凄かったよ。イスラエラー富永」

健一はその胡散臭い名前、「イスラエラー富永」を覚えている。正確には、覚えさせられている。

何故なら彼の中学では今、その「イスラエラー富永」とやらがホットな話題とされているのだ。

なんでもその「イスラエラー富永」に悩みを相談すると、どんな悩みでもイスラエルに関連付けて解決してしまうというのだ。

意味が分からない。まさか名前以上にその概要説明が胡散臭いとは思わなかったので、初めて聞いた時は思わず苦笑した。


それだけ馬鹿にしていただけに、その謎の人物の所へ足を運ぶのには抵抗があった。けれど最初から期待をしていないだけに、行ってみたらその低いハードルを願わくば超えてくれるのではという淡い期待を持っているのも事実だ。

結局健一は、怖いもの見たさというべきか、良く分からない感情に勝てずに「イスラエラー富永」のところに行く事を決意した。


イスラエラー富永のいる場所は、健一の通う中学の生徒なら誰でも知っている。中学の校門のある通りを100メートルほど進んだ所にある公園に、ビビットなオレンジ色のテントがある。その中に富永は住んでいるのだ。もはやそのオレンジは、公園の一部として溶け込んでいる。


「すみませーん」

テントのファスナーを開けるのに大きな緊張を催すのは初めてだった。

健一の目の前に飛び込んだのは、サングラスとマスクで顔を覆ったイスラエラー富永の横顔だった。というか、あまりのインパクトにそれしか目に入らない。彼が本当に話しかけていい類の人間なのか、健一は刹那に逡巡したが、時すでに遅し。

「いらっしゃい」

その声色は、風貌からは逆に想像できないような、月並みな中年男といった感じだった。

「あの、イスラエラー富永さんですか?」

「もっとも」

「僕、健一って言います。僕の悩み、聞いてもらいたいのですが」

「ええで」

あまりにあっさり交渉が成立したことよりも、突如として飛び出した関西弁の方に気を取られた。

そのことがこの、まだ感情すら読み取ることのできない奇妙な男に知れたら何となくこの後の展開が不利になる気がして、できるだけポーカーフェイスで続けた。

「ありがとうございます。実は…」

健一は事の顛末を伝えた。はじめのうちは健一の顔を見て相槌をうっていた富永だったが、次第に相槌をやめ、最後には体を健一の方から背けて何やらあらゆる資料を次々と机の上で動かし始めた。一応資料に目を通しているようだ。

「…とまぁ、こんなところなのですが、聞いてくれてました?」

「あぁ」

一時の沈黙があった。健一からイスラエラー富永の顔は資料によって見えない。

その資料を少しずつ下に移動させた富永は、笑っていた。最も、サングラスとマスクのせいで殆ど表情は読み取れないのだが、辛うじて見えている表情筋の一部から笑顔を察知することができた。

「イスラエルってのはな、「約束の地」を意味するんだ」

「はい?」

「そのことは、世界のベストセラー、「聖書」の至る所に書かれているんだが、まぁそれはいいとして。君は音楽を愛しているんだよな?」

「はい、愛しています」

「神もな、イスラエルの民を愛したんだ。君が音楽を愛する気持ちの、2倍、10倍、1億倍以上愛したんだ。そして約束した。君は音楽に対して、何かを約束したかい?」

「いいえ」

突然の音楽の擬人化に、今度は戸惑いを隠せない健一だったが、そのことを言い出せない、いや、言い出させないような凄みが富永の眼には宿っていた。

「約束しなさい。君が約束すれば、音楽は覚えているんだ。けれど音楽がそのことを覚えているのは、君がはじめに音楽を愛したからなんだ。そして、君もきっと忘れないはずだ。その強い気持ちを持ち続けていれば、その想いはいつか祈りとなる。それが自然の摂理さ」

健一には富永の云う事の大半は理解できなかった。けれどなんだか大それた話をしているという事、そしてもしかしたらそれは、真理をついているのではという事だけは理解できたのだ。

その後も幾つか格言めいた事を言っていたが、彼が何故イスラエルについてそれ程熱い思いを持っているのかは、果たして最後まで解らなかった。

そして解らなかった事がもう一つ。

- 彼が一度だけ使った覚束ない関西弁の意味だ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イスラエラー富永 せいや @mc-mant-sas

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る