第3話 銀髪翠眼の少女との出会いは雨の日の路地にて

土曜日。やっとの事で迎えた休日。

そうだと言うのに、後で絶対に時間を無駄にしたと後悔するとわかっていても、やっぱりしてしまう二度寝。

このマンションの5階で一人暮らしを初めてから早1年。起こしてくれる存在というものが無くなれば、人間はこんなにも睡魔に大して弱いのだと思い知らされながら、その心地いい眠りのゆりかごに揺られていた。

だが―――――。

ピンポーン♪ピンポーン♪

インターホンの音でそのゆりかごが壊れてしまった。

「誰だ、俺の眠りを邪魔する奴は」

そう呟きながらも、半ば犯人を確信している俺は、ベットから起きあがり、寝室を出て玄関に向かった。

その間も忙しなく鳴り続けるインターホンき若干キレながら、鍵を開けた。

「おはよう、ユウ」

開いた扉の先に立っていたのは、俺よりもいくらか身長の低い少女。

彼女の名前は望月もちづき 月見つきみ

俺のお隣さんだ。

その肌は日に当たっていないことが丸分かりな白さをしているものの、不健康そうという訳でもない。

ただ、胸には栄養が届かなかったらしいが。

ゆるやかな風に吹かれて揺れる銀髪と、珍しい翠眼は美しいとしか言いようがなく、その日本人離れした顔立ちで外を歩けば、行き交う人も二度見三度見してしまうだろう。

この見た目で純日本人とは、一体どんな奇跡が起きたのかと思ってしまう。

そうは言っても、俺が彼女を美少女だと思っていたのは出会ってから数日の間だけで、今となってはただの『汚んなの子』ってところだ。

その理由はすぐに分かるだろう。

「おはよう、じゃねーよ。朝から人の家のインターホン連打しやがって」

「朝じゃない。もう12時、立派にお昼」

「屁理屈言うなって」

「これは屁理屈じゃないと思うんだけど……」

彼女は一瞬首を傾げたが、何事も無かったかのような顔で靴を脱ぎ始める。

「なんで家に上がる前提で行動する」

「私はユウのお嫁さん。だから上がっても問題なし」

「俺とお前は他人だ。だから問題しかねえよ」

「他人だなんて酷い……ふたりで熱い夜を過ごしたというのに……」

「人聞きの悪い言い方はやめろ。2人とも熱中症で死にかけただけだろうが」

俺と彼女はとある事情で、熱中症になってもおかしくないような場所にふたりで寝泊まったことがある。

詳しい部分については今は話さないでおくが、また機会があれば語るとしよう。

それを『熱い夜』と表すのは合っているようで大間違いだ。何度も注意しているが、こいつは言うことを聞かない。

出会ったあの日のお淑やかさはどこへ消えたのか。

人間ってのは裏表を作りたがる生き物で、誰であろうと真に全てを知ることは出来ない。

騙される方が悪いとはよく言ったものだ。

人間の性質が嘘つきなのだから、そう言われるのも無理はない。

俺の制止する声も聞かずに、月見はズカズカと部屋に上がっていく。

ここが自分の家だと言わんばかりの態度だ。

いくら隣に住んでいると言っても、これは無いだろ。

まあ、正確には隣に『住ませている』んだけどな。

この言葉の意味を説明すると長くなる。


まず、なぜ愚像共を嫌う俺が彼女と関わりを持っているのか。

それは、望月 月見が俺と同じ境遇の人物だったからだ。いや、むしろ彼女の方が圧倒的に酷かった。

幼い頃に親に売られたまでは俺と同じだ。

俺は孤児院の関係者に買取られた。

だが、彼女の場合は売られた先が悪く、女に飢えたクソ野郎共の所だった。

まだ男と女の違いすらも意識したことがないほどに幼い歳だった彼女は、犯罪に利用されたり危ないことをさせられたり、虐待されることもあれば強姦されることもあったらしい。

つまり、彼女は物心がつくまでに処女膜を失ったのだ。

何が何やらわからないまま延々と味合わされる痛みと息苦しさ。そんな状況が何年も続いた。

彼女は15歳のとき、ついに妊娠してしまった。

誰の子かもわからない、そもそも子供なんて望んでいない。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

さすがに妊娠することの重大さは既に理解していた彼女は、パニックになった。

精神の異常は体にまで影響を及ぼし、幻覚を見たり、吐き気が止まらなくなったり、記憶が飛んだり。そんなことが頻繁に起こるようになった。

お腹が大きくなってきた頃、男たちの会話を盗み聞きして、彼ら全員が留守になる日があることを知った。

そんな日が次にくるのは何年後になるか分からない。もしかしたらもう一生来ないかもしれない。

そう思った彼女は決心した。

この場所から逃げ出す、と。

だが、お腹が大きくては走れない。

見つかって捕まれば確実に殺される。

命の大切さは知っているが、自分の命には代えられない。

彼女は逃走日の前日、真夜中に自分のお腹を何度も殴り、殴り、殴り。そして無理矢理に腹の中の小さな命を吐き出した。

死ぬほど痛かった。

それでも、この生き地獄で自分を殺され続けるよりかはマシだと思ったから。

だから彼女は自分の命以外の全てを捨てた。


結果、彼女の逃走は成功した。

拘束の手錠を壊し、誰にも見られないように抜け出すまでは出来た。

だが、そこで気付いてしまった。

自分には帰る場所なんて無いんだと。

痩せ細った体では多くは走れなかった。

追い打ちをかけるように雨まで降ってきた。

せっかく逃げれたと言うのに、行く場所がなくて死んでしまう。

絶望にも似た感情に押しつぶされそうになり、その場に座り込む。

「大丈夫か?」

そんな時だ。俺と彼女が出会ったのは。

明らかに痩せすぎの体とボロボロの服を見て、おかしいと思った俺は、無意識のうちに彼女に声をかけていた。

どうすればいいかも分からず、とりあえず家に連れて帰り、飯を食わせてやった。

だが、彼女は警戒するように慎重に食べ始めた。

「毒なんて盛ってないぞ。安心して食べろ」

月見は一瞬驚いたような顔をして、そして箸を動かすスピードを早めた。

図々しいまでにバクバクと飯を平らげた彼女の表情は安堵そのものだった。

「食べ終わったなら風呂に入ってこい」

俺はタオルと着替えを手渡して風呂場を指差した。

彼女は小さく頷くと、風呂場に繋がる扉の向こうへと消えていった。

だが、少しすると戻ってきた。

「使い方、わからない」

彼女はそう言った。

「風呂に入ったことないのか?」

彼女は頷く。

「からだをあらうの、いつもお水だった。あれ、知らない」

彼女はあれと言いながら風呂場の方を指差す。

俺の想像よりも酷い状況下にいたらしい。

彼女を風呂場に連れていき、使い方をレクチャーする。

度々首を傾げていたが、最低限のことは理解してくれたらしく、「右がお水、左がおゆ」とシャワーの温度調節について何度も口に出していた。

「じゃあ俺は向こうで待ってるからな」

「まって」

リビングに繋がる扉を開こうと伸ばした腕を掴まれる。

「ひとりは不安、一緒に……」

「それは無理だ、1人で入ってくれ」

「おねがい」

「ダメなものはダメなんだよ、諦めろ」

こういうのはきっぱりと断る方がいい。

曖昧な返事をすると、そこに付け込まれるだけからな。

「……」

そう思っていたのだが……。

「はぁ……。一緒に入るのは無理だ。だが、扉の前で待っててやるだけならいい」

俺は彼女の泣きそうな瞳に負けてしまった。


「そこにいる?」

「ああ、居るぞ」

「……」

「……」

「まだいる?」

「ああ、まだ居る」

余程不安なのか、曇りガラスの向こうの彼女は何度も何度も俺の存在を確認してきた。

心配しなくても俺は裏切らないってのに。

飯の件といい、彼女の過去には人を信じられなくなるような何かがあったんだろう。

俺は胸の奥で燻る何かを感じていた。

それから20回ほど確認のやり取りをした後、彼女が出てきた。

俺は彼女の方に背中を向け、その体を見ないようにしつつ、タオルで体を拭いて服を着て出てこいと言ってリビングに戻った。


数分後、風呂場の扉が開き、彼女が姿を現した。

俺用の服を貸したのだが、肩幅が合わずに左肩が出てしまっている。袖も長過ぎて手は隠れて見えない。

「それはさすがに無いな。小さいのを探してくる」

俺はそう言ったのだが、彼女は首を横に振った。

「これでいい」

「でも着心地悪いだろ?」

「ううん。この服、いいにおいがする。これ、すき」

「匂いって、柔軟剤のか?それなら他の服だって……」

「ちがう、これは――――――」

彼女は再度首を横に振ると、俺の腕に擦り寄ってきた。

「あなたのにおい」

そう言って鼻をクンクンとさせた。

擦り寄ってくる彼女の髪からは、シャンプーのいい匂いがして、不覚にもドキリとしてしまったが、俺は彼女を無理矢理に引き離す。

「変なことを言うのはやめろ」

「本心を言っただけ……」

彼女は「何が悪いの?」とでも言いたげな視線を俺に向ける。

本当にわかっていないのか、何かを企んでいるのかはわからないが、こいつを近づかせることが良くないことだと本能が言っていた。

俺は彼女に、椅子に座るように言う。

彼女が座ると、それに向かい合うように座り、彼女の顔を見る。

ご飯を食べ、風呂に入ったおかげで、連れ帰ってきた時のような薄汚れた感じは消えていた。

こうしてみるとなかなかの美少女だ。

「今更って感じもするが……お前、名前は?」

彼女は一瞬肩をびくりとさせたが、変わらない声のトーンで言った。

「……わすれた」

「忘れたって、そんなことありえないだろ」

「うそじゃない。わたし、名前で呼ばれたことないから。いつもお前って言われてた」

彼女は表情を変えていない。

それなのに、何故か寂しそうに見えてしまう。

俺の勝手な妄想だったのかもしれないが。

自分でもお前と呼んでしまった罪悪感もあって、俺は無意識のうちに、

「俺が名前をつけてやる」

そう言っていた。

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