第2話 助けたいから助ける、というお人好しはいない。利益があるから助ける、それだけだろ

「取りに帰るか―――――――な?咲ノ森」


俺はそっと背中側に回していた手で、俺に向けられていたソレを掴む。

「っ!?」

驚いた彼女は俺が握ったソレから手を離し、その場に尻もちをつく。

俺はそれを見て、ソレを投げ捨てた。

手から血が出てくる。

「包丁なんて人に向けたら危ないだろ」

「……」

咲ノ森 怜華は月曜日に階段前で足を引っ掛けた後のように、真顔で俺を見ていた。

ただ、今は俺が見下ろす側だ。

「まあ、殺す気はなかったみたいだけどな」

ポケットから取り出したハンカチを手に巻き付け、応急処置を済ませる。なかなかに傷が痛むが、死に至るようなものでもない。

「……どうして分かったの」

彼女が小さな声でそう言った。

どうしてか、そんなものは単純だった。

「お前がわかり易すぎるからだ、単純メス豚野郎」

マドンナと言われている彼女を見下す気分は、控えめに言って心地よかった。

が、結論が見えかけている以上は、それ以上の気持ちは何も無い。

「この5日間の迷惑行為、全部お前の仕業だろ?」

「そう、全部私がやったのよ」

意外にもあっさりと自首する彼女。

何を考えているのかはわからないが、その目が俺を真っ直ぐにみていることだけは分かる。

「やっぱりな。鞄が窓から捨てられていた件でお前だと確信したよ。あんなことが出来るのは、あのクラスで圧倒的な存在感を放つ人間だけだ」

俺は咲ノ森 怜華を指さしながら続ける。

「存在感のある人間はその存在感を利用して場の空気を操る。クラス全体の空気を窓側に向かないようにでもしたんだろ。俺の鞄なんてのは元から誰も意識してないだろうからな」

「そこまで分かっていたのに、どうして私を止めなかったの?」

立ち上がる気がないのか、ずっと地面に座ったままの彼女が視線を外しながら言う。どうやら改札の方に向けているらしい。

「面倒だった。それだけだ」

「本当にそれだけ?」

「ああ」

俺の返事に納得がいかないのか、彼女はため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。

そして包丁を拾い上げると、そのまま鞄に仕舞う。

「じゃ、さよなら」

「待てよ」

そう言って俺の横を通り過ぎてようとする彼女の腕を掴む。

「やめてもらえる?今度は刺すわよ」

「刺したいなら刺せ、俺は別に構わん」

「……つまらない」

彼女が吐き捨てるように言ったその一言で、俺の考えは確信に変わった。

「お前、他人の痛みがわからないタイプだろ」

彼女は一瞬驚いた表情をしたように見えたが、瞬きをした隙に元に戻っていた。

「そんなことまでわかるの」

「ああ、わかり易すぎるくらいだ」

彼女の5日間の行動を思い返せば、答えはそこにあるようなものだった。

俺を階段から落とした時、単にいじめるつもりならば真顔で立ち去るというのはおかしい。

落書きの時は直接的ないじめの表現はしなかった。

鞄を窓から捨てたのだって、俺の行動を注意深く見ていなければ、不可能だったはずだ。

悪口レターだって、俺のことをしっかりと観察していなければ書けないようなことばかりだった。

そして今も、刺せるタイミングはいくらでもあったというのに、それをみすみす逃しながら駅まで戻ってきた。

この全てに当てはまるもの、それは『俺の反応が見られる』ことと、『第三者に自分の犯行だとバレないようにしている』ことだ。

「お前は俺の反応を見ることで他人の苦しみを理解しようとした。だが、選んだ人間が悪かったな」

俺は大きくため息をつく。

「俺にはこの程度じゃ効かないからな」

体を反転させて彼女に背中を向ける。

そしてそのまま歩き出す。

もう二度と彼女が俺に関わることは無いだろう。

そのレベルまで言い伏せた……と思ったのに。

「待って!」

今度は彼女が俺を呼び止めた。

「なんだよ」

俺は顔だけを振り向かせて咲ノ森 怜華を睨みつける。だが、相変わらず怯まない彼女は、俺の目を見つめてくる。

何かを言おうと必死に勇気を振り絞ろうとしているらしく、両手でスカートを握りしめていた。

こいつ、本気で言葉を伝えようとしているのか?

彼女の様子からそう察した俺は、体も彼女に向ける。

それが背中を押したのか、咲ノ森 怜華が半ば叫ぶように言った。

「私を助けてっ!」

よほど勇気を振り絞ったのか、その一言だけで息が乱れている。

「どう助けて欲しいんだ」

「私、痛みがわからないだけじゃないの。人が思う楽しいとか、悲しいとか、そういうのが理解できないの」

話すにつれて表情が暗くなっていく。

今にも泣き出してしまいそうな目だ。それでもそれを必死に持ち上げて俺の方を見ようとしている。

「ずっと昔からなの。友達の痛みがわからない……楽しいがわからない……悲しいがわからない……。理解しようとしてもどうすればいいかが分からない。人に合わせて笑うの……もう疲れたの……」

肩を震わせ、必死に込み上げてくる何かを抑えるのに必死な咲ノ森 怜華。

少し前からわかっていたが、こいつは俺と同類だ。

今のところ『大きな秘密を抱えている』という点だけだが。

だが、それだけでも俺を動かすには十分すぎる理由だった。

そもそも、俺が嫌っているのは人生をeasyモードで生きてきただけの愚像共だけであって、辛い思いをしてきた奴らに対してはそうではない。

そうでなければ凛介と親友になることさえ出来なかっただろう。

咲ノ森 怜華という女は、クラスのマドンナの風格を演じていただけで、その正体は誰かと感情を共有し合うための『感情トリガー』が外れている、紛れもなく俺と同じ、異質な人間だ。

「この申し出を断れば、俺は自分自身さえも否定したことになる。そんな頼みをするお前は、本当に最低の人間だな」

その言葉とは裏腹に、俺はほんの少しだけ微笑んでみせる。これが答えだと言わんばかりに。

それを理解したのか、咲ノ森 怜華は同じように微笑みを返す。

ただ、それが作り笑顔だとわかってしまう事実が、どうしようもなく俺の胸を締め付けてくる。

まあ、俺も人のことが言える立場じゃないけどな。

彼女はそのまま背を向けると、何も言わずに駅へと入っていった。

俺は彼女が乗ったであろう電車が見えなくなるまで、ずっとそれを見つめていた。



その日の夜、電話にて。

『凛介、用事ってなんだったんだ?』

『ああ、少し呼び出しをくらっちゃってね』

『教師からか?』

『ううん、別クラスの女の子』

『……そうか』

俺が言葉に詰まったのを察してか、彼は作業を手伝わされただけだよと言って軽く笑った。

『お前こそ、何かあったら相談しろよ?』

『うん、頼りにしてる』

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