司書は死なず、世界は死にゆく

陽華見ヒロユキ

第1話

 静かな空間、というのは実に落ち着く。そうは思わないだろうか?


 ここは、図書館。この国最大、もしかしたらこの世界最大かもしれない大きさを誇り、当然蔵書数も王立図書館に負けず劣らずである。

 そう、王立図書館に負けず劣らず、である。

 ここは、王国――実質のこの世界の支配国である、ノヴェル王国の管轄ではない。その最西端のコーブ村より更に西に行った、森の奥深く。うっそうと茂る木々に囲まれた場所に、この図書館は建っている。

 ゆえに、人はほとんど訪れない。ここに収められている本のほとんどは、司書である僕のために存在していると言っても過言ではないくらいだ。

 ……勿論、これが本たちに対して失礼な行為であると理解している。しかし、戦火の飛び交うこの世界に於いて、ここ以上に安全な場所が無いのも事実。だからこそ僕が見守っているのだ。


 今日もまた図書館の一角で、僕は本を読んでいる。これだけ物騒な世に於いても、新たな書籍というのは次々と生まれている。少々風刺的な物が多いのは仕方がないだろう。

 そんな、現状を皮肉った小説を読んでいると、ピクリと肩が跳ねた。小説の内容に驚いたのではない。結界に異変を感じたからだ。


 この森は、通称『魔女の森』と呼ばれている。かつてこの世界を蹂躙していた魔女が追いやられ、命を落とした森。だから、『魔女の森』。既に御伽噺おとぎばなしに昇華された事実だが、今でも「魔女の呪いが残っている」だのなんだのと、人々からは嫌忌けんきされている。もっとも、半分は僕が張った『人避けの結界』が原因だろうけど。

 だからこそ、その結界が反応するのは大きなイレギュラーだし、原因も大体想像がつく。

 僕が張った結界は、『悪意のある人間を弾く』もの。この森に危害を加えようとしている者は勿論、例えば好奇心で探検してみようと思い立った者なんかも受け付けない。

 逆を返せば、純粋な者は通れてしまうのだ。例えば……

 溜め息をひとつ吐いて、その場から立ち上がる――ことすらなく、次の瞬間には森の中にいた。

「ひぃっ!」

 そこで、またひとつ溜め息を吐く。毎度のことだが、その者に座標を合わせる方が何かと都合がいいので、脅かしてしまうのは仕方が無いと諦めている。

 そこにいたのは、まだ幼い少女だった。歳は7歳くらいか。少なくとも10年は生きていないだろう。

「何をしに来た」

 高圧的な言い方で問い詰める。さっき言った「都合がいい事」として、この場で回れ右してくれるのが最も効率がいい。僕も、暇ではあるが余裕はない。

 少女はおどおどとしていたが、やがて口を開いた。

「お母さんに……捨てられたの……」

 僕が張った結界は、純粋な者であれば通れてしまう。例えば――厄介払いとして捨てられ、それでも生きながらえようと進んできた者なんかは。

 「そうか」とだけ呟き、僕は少女を見下ろす。……マトモな愛を受けてこなかったのだろう。服も、身体も、どこもかしこもボロボロだった。放っておけば、明日には消える命だろう。

「ならば、どうしたい?」

「え……」

 少女は、怯えの中に困惑の色を混ぜた。

「生きようとこの森へ立ち入ったのであれば、これからどうしたいのだ? そこらに転がっている、食用かどうかも分からぬ木の実やキノコでも食べて、僅かに生きながらえるか? それとも、ここに棲む獣に襲われ、やはり命を落とすか?」

 現実的な話だ。ひとまず逃げ込んだとはいえ、ここも決して安全な場所ではない。魔女の呪いなんざなくとも――それこそ何もせずとも、この少女では生き延びられない。

『死』でさえも、この時代では救済たり得る。

……そういった事を伝えようとしたのだが、少女には難し過ぎたらしい。

「“生”か、“死”か……“生きる”か“死ぬ”かだ。これなら分かりやすいだろう」

 これは流石に理解できたようだ。困惑の色を更に濃くし――……泣き出した。

「うぅっ……ひっぐ……ぅ」

 ――ありとあらゆる書籍を読んできた僕ではあるけれど。こういった場合の正しい対処法は持ち合わせていない。いや、知識として幾つかの解答例は持っているが、初対面の印象がそれらすべてを無意味にするだろう。

 ……どうにも、人間とは上手く馴染めない。嫌いなわけではない。ただ、相容れない要素が多いだけだ。

「……たい」

 ぼそり、と。木々がそよぐ様な、か細い音がした。

 その出処たるボロボロの少女は、今度は顔を上げ、遥か高い位置にある僕の顔を見据えた。

「生きたい……! 生きて……いつか、お父さんに会いたい……っ!」

 父親……か。

 母親に捨てられた、と言った。じゃあ父親も似たものだろうと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。

「何があったのかは知らないが、お前の想いは伝わった」

「!」

 瞬間、一陣の風が通り過ぎた。少女の肩がピクリと跳ねる。

「だが、ダメだ」

 淡々と、そう告げた。理由が分からない?ならば教えてやろう。

「お前は“嘘”を吐いている。僕には分かる」

「!」

 この森に張っている結界は、『人間の悪意を感知する』。しかし、それを用いずとも、心理学を多少齧った者であれば、嘘を見破るのは容易い。言い切った後、少しだが目が泳いでいた。

「僕には、この森を守る使命がある。命より大事な図書館もある。そこに、不安要素は持ち込めない……大した事じゃないなら、正直に言った方が得だぞ」

 あぁ……言語レベルを同等まで落とすのも楽じゃない。まして、読書の最中だったのだ。まだ頭は半分本の世界にいる。

「本当は……」

 お。話す気になったか。

「魔女に、会おうと思ったの」

「……魔女に?」

 何故、と思わずにはいられない。どこの御伽噺にも、「魔女は死んだ」と書かれている。僕が知る限りではあるが、それはこの世全ての書物に等しい。ついさっき世に出たばかり、というのなら話は別だが。

 少女はハッとし、僕の顔をまじまじと見つめた。

「もしかして、あなたが魔女さん?」

「……そんなわけないだろう」

 答えると、少女は肩を落とした。よほど魔女に会いたかったらしい。

 確かに僕も魔法は使えるが、一般に女性の魔法使いを指す名称だ。男である僕は、ただの魔術師。

「じゃあ……魔女さんの居場所を知ってますか?」

 僕は首を横に振った。

「魔女は、既に死んでいる。この森をいくら進もうが、魔女には会えない」

「……でも、魔女はいるって……」

 ドキリ、とした。背中に冷や汗が一筋流れる。

「……どこでそう聞いた?」

「……お母さんが、いつも言うの。悪い子は魔女に連れ去られるんだ、って……」

 ……なんだ。ただの脅し文句か。

 しかし、だ。……いや。

「まずは場所を変えよう。……あまり、立ち話は好きじゃないんだ」


 指を鳴らす音。次の瞬間には、元の図書館にいた。傍らに、少女も連れて。

 見るからに慌てる少女を「静かにしろ」と窘め、どこか適当な場所に座るように指示する。少女は、その場にペタンと座り込んだ。

 自分も、近くの脚立に座り、立てた右膝に頬杖を突いた。

「それで。魔女に会って、どうするつもりだったんだ」

 僕の問いかけに、少女はポツリポツリと話し始めた。

「お母さんに捨てられて、どうしていいか分からなくって……そうしたら、魔女のお話を思い出したの。それで、……わたしは悪い子だから、攫われちゃうって思って……だから、魔女さんに会って、ごめんなさいをして、……もう一回、お母さんと一緒に暮らしたい、って思って……」

 拙い語彙で、少女はそう語った。

 なんと嘆かわしいことだろう。子を捨てた母ではなく、自分に非があると思い込んで、わざわざこの森まで出向いたというのか。

「事情は分かった。お前の対応だが……その前に、僕からひとつ、話をさせてくれ」

 少女は、虚ろだった目を少し大きく開くと、黙ったまま頷いた。

「『勇者の物語』は知っているか?」

 再び頷く。そのくらいは知っているか。

「さっき、魔女は死んだと言ったな。その話でもそうなっていた筈だ。……だが、厳密に言うと、魔女は生きている」

 そう言って、自分の胸を左手人差し指でトントンと叩く。

「ここに――……呪いとして、まだ生き続けている」

 「生きている」というより、正確には「死に切っていない」の方が正しい。……全く以って忌々しい。

「僕は、彼女――魔女に、不死の心臓を与えられた」

 彼女の道楽のために。「いい物をあげる」などと、口元を歪めながらそう言った彼女の顔を、僕は忘れることができない。

「そして、魔女は死に、僕は死ねなくなった。この世にいる者で、僕を殺せるものはいない。かの勇者が生きていれば、話は違ったかもしれないが」

 彼は既に物語の住人だ。作家がどんなに彼を褒め称え、脚色しようと、僕の命を奪いには来られない。

 ……なぜ、こんな話をしてしまったのだろう?この少女に、この情報は必要ないだろうに……僕が話したかったのか?まさか。

 数度咳払いをする。そして、息を吸い込んだ。

「リック! いるんだろう⁉︎」

「げっ!」

 本棚の陰から、この少女よりいくつか年上の少年が現れる。ばつの悪そうな顔で頭の後ろを掻いていた。

「盗み聞きとはいい趣味だな。罰として、今日の昼食は抜きだ」

「そんなぁ⁉︎」

「当然だ。……それと、この子……お前、名前は?」

 訊くと、呆然とへたり込んでいた少女は、慌てて座り直した。

「ラ……ライラ……」

「そうか。リック。ライラをみんなに紹介してやれ」

「うぇ~、俺がやるのぉ?」

「幸運な事に、お前も事情を知っている身だからな。適任じゃないか。それと、ケイトとエマに、ライラを風呂に入れさせるように言ってくれ。任せたぞ」

「はぁ~い……えーと、ライラ。そういう事だから。あ、俺はリック。よろしくな」

「よ、よろしく……」

 きっと、この少女――ライラは、今起こった出来事の全てを飲み込めてはいないだろう。しかし、それでもいい。時間ならある。ある程度大きくなったら出て行ってもらうが、……父親に会いたいと言っていたな。出稼ぎに行っているか、はたまた国に取られたか。後先考えず、戦ばかりしている国だ。後者である可能性が高いだろう。ライラが成長するまで生きていられるかどうか……正直、確率は低い。

 それでも、今だけはその喧噪を忘れても、バチは当たらないだろう。少なくとも、攫いに来る魔女はいないのだから。


 リックがライラを連れ立って、地下室――子どもたちの居住スペースにしている――へ行ったのを見届けて、今日何度目かの溜め息を吐いた。あぁ、またやってしまった。これだから嫌だったのだ。

 保護している子どもは、既に両手両足の指を足しても足りなくなってしまった。時代が時代とはいえ、捨て子が多すぎる。初めは温情で保護してやっていたが、いい加減余裕が無くなってきた。年少者の世話は年長者に任せているが、また僕も加わらなければならないのかもしれない。あの気苦労を思うと、今から憂鬱になる……。

 彼らは、ここに収められている本たちと同じだ。外の世界では、いつ戦火に巻き込まれてもおかしくない。そのリスク自体は誰しもが抱えているのに、そんな中で我が子を捨てるなどと。……愚かにも程がある。

 ……それにしても、まさかあんな純粋な人間がいるなんて。子どもとは比較的純粋な者ではあるが、果たして同じ頃の僕は、そこまで綺麗な少年だっただろうか?……否、である。

 かつて僕は、ライラと同じような境遇にあった。両親は揃っていたが、どちらもロクな人間ではなかった。

 だから、魔女の元に直談判しに行ったのだ。大人が使う脅し文句を信じて。「悪い人間は魔女が連れ去るのだ」と思い込んで。

 思えば、子どもながら随分命知らずな行動をしたものだ。それほどまでに逼迫ひっぱくした状況だった。

『ボウヤ。それなら、いい物をあげよう』

 あの時、この心臓と共に、肉体の最盛期である20代前半まで急成長させられたこの身体は、未だにかつてのままだ。

 もし。もし仮に、彼女が生きていたとして。僕は、何を言うのだろう?研鑽けんさんを重ねた魔術で、彼女を殺めようとするだろうか?それとも、ただひとつ「僕を殺してくれ」と頼むだろうか?それとも……


 ――「もう一度僕を愛してくれ」と、飢えた心を満足させてくれと願うのだろうか。

 ……まったく。面倒な“呪い”を残してくれたものだ。


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