お客様感謝の日


 あれからビクトリアさんは、私たちに付きまといます。

 別に嫌な感じはしませんが、何か意図があるのは明白です。

 サリーさんとも、いつの間にか親しくしているビクトリアさんに、少し感心しました。


 もののすごく年上の感じがしますが、二十歳半ばのお姉さまという感じもします。

 サリーさんにも姉を感じますが、まったく雰囲気が違います。


 ホッパリアへ向かう、駅馬車が出る日の二日前、グスタフさんが私を手招きして、

「ヴィーナスさん、お別れが近いのですが、今日は居酒屋『ご機嫌な天使』の、年一回のお客様感謝の日なのです」


「いつもはお茶会を開き、歌姫を雇い一日過ごすのですが、今年はお客様方の熱烈なご要望があり、ヴィーナスさんに何かして欲しいのです」


「確か異国の楽器を奏で、異国の歌を歌えるとおっしゃっていましたね、お願いできませんか?」

「勿論、報酬は払いますので、路銀の足しにできると思います」


 お客様方の熱烈なご要望?

 と聞くと、グスタフさんが、

「ヴィーナスさんは、気がつかれておられないようですが、巷では『ご機嫌な天使』に本当の天使が下りてきた、なんて噂されて、ヴィーナスさんを拝みに来る者が、あとを絶たないのです」


「で、ヴィーナスさんはもうすぐ出立されると云うと、この様な要望が、断りきれないほどきたのです」

「不思議なことに野郎ばかりではなく、ご婦人方からの要望のほうが多いのです」


 このごろ私は、この手のよいしょに弱いのです。

 サリーさんに相談しますと、「私もお嬢様のお歌を聞きたい!」と云います。


 ビクトリアさんも、なぜか浮き浮きしているように思えます。

 だって私に、次のような要求を突き付けてきたのです。


「菓子を作ってくれ、私のために、ヴィーナスは家事一般、任せておけといったと聞いた」

 と云うのですよ。


 グスタフさんの口は、ピエールさんがいうほど固くないと知りました。

 やはりスケールの小さい熊男ということでしょうか。


 ということで、私は朝からサリーさんとケーキを作っています。

 まずバタークリームを作ります、この世界に卵とバターはあります。

まぁ地球でいうところのものとは、正確にいえば違いますが。


 困ったのはバニラエッセンス、これはサリーさんの、小さいカバンに頼るしかないようです。

 次にロールケーキの材料として


 卵 三個

 卵黄 一個

 砂糖 二十g

 メイプルシュガー 三十g

 バニラエッセンス 少々

 薄力粉 五十g

 コーンスターチ 十g

 バター 二十g

 サラダ油 二十g

 バタークリーム 適量


 を用意しますが、少し足りないものは、同じくサリーさんの、小さいカバンの出番となりました。

 オーブンは有るのですが、よく考えると冷蔵庫が無いのです。


 しかたがないですね、近頃イメージを理解しだしたので、氷のイメージで冷やすことにしました。


 サリーさんに味見をしてもらうと、大絶賛でしたね。


 こうして大量のメイプルロールケーキを作り上げ、集まったお客様に配っています。

 ビクトリアさんのところで、「ビクトリアさんのためにつくりましたよ」と云うと、なぜかビクトリアさん、俯いてしまいました。


 いよいよ、お別れコンサート……

 私はアカペラで歌うことにしました。

居酒屋『ご機嫌な天使』のホールなんて、しれた大きさです。


 曲目はワーシップソングを中心に、ゴスペルから選びました。


 観客は熱心に聞いてくれましたよ。

 最後に、アメージンググレースを念入りに歌いました。

 特に女性の方々は、言葉の意味は分からないはずですが、この歌の雰囲気は分かってくれたのでしょう。

 奴隷制度を悔い改めるこの歌を、私はとても好きなのです。


 喝采を浴びるのは、心地よいものですね。

 アンコールの声に、私は調子に乗ってしまいます。

 喝采を浴びたので、『喝采』を歌ってみましょう。


 静まったホールの中を、私の歌が響いています。

 ここにいるおじさんたちは、早く奥さんの下に帰って夕餉を迎えましょう。

 お嬢様方は、恋人の下に帰りましょうね、だれもこの歌の結末を迎えてはいけませんよ。


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