ヴィーナス


 アンリエッタさんが良くなりました。

 私たちは、ピエールさんに別れを告げますと、送別会を開いてくれました。

 アンリエッタさんの、真心こもった手料理が並びます。


 ピエールさんもアンリエッタさんも、何も聞かずに接してくれたのは、本当に助かりました。

 ピエールさんは洗いざらい、私たちに手の内を晒してくださったのに、私たちは自分のことを、何一つしゃべっていません。


 くずりにぐずるジャン君のほっぺに、私とサリーさんとでキスしてあげて、それでも泣きぬれるジャン君を、アンリエッタさんが寝かしつけに行きました。


 ピエールさんが言葉を改め、

「このひと月、本当にありがとうございました、私たちはお嬢様方を一生忘れません」


「このピエール、いつか御恩に報いたく思っています、私たちもこの地を離れます」

「アンリエッタもジャンも元気になり、旅に出れるようになりました」


「この上は、私たちは教団領へ行こうと考えています、幸い教団の神聖守護騎士団には、多少は知り合いがいますので、何とかなると考えています」


「お嬢様には、アンリエッタを初めて治療していただいた次の日、私ども夫婦はお嬢様をだれと思ったと、言ったのを覚えていらっしゃいますか?」

 私は頷きました、ピエールさんは私を黒の巫女と断言しているのです。


 ピエールさんは言葉を続けます、

「アンリエッタと話し合ったのですが、神聖守護騎士団に入れば、いつか御恩に報いることができる、この剣を捧げる時が来る、その日がくれば馳せ参じようと、私は戦うことしかできませんから」


 戻ってきていたアンリエッタさんも、

「主人の思いは、私の思いでもあります、捧げられた剣は私どもの覚悟です。」


 私は言葉がありませんでした。

 このような言葉を聞けるとは、思いもよらなかったのです、サリーさんも同じ思いなのでしょう。


 私はこの言葉を受けることにしました。

 彼は騎士なのだから、騎士に対して私なりの、名誉ある扱いをすべきでしょう。


「サリーさん、ナイフを」

 サリーさんは、小さいカバンの中から目的の物を取り出しました。


 私は大小二本のナイフを受け取ると、

「お二人ともここへ」


 二人は私の前に来ると跪いて、

「ご命令により御前にまかりこしました」と云います。


 私はピエールさんに、大振りのほうのナイフを差し出しながら、

「私を支えてください」と言いました。


 ピエールさんは両手で捧げるように受け取ると、簡潔に云いました、「命に賭けて」と。

 おなじように、アンリエッタさんにもナイフを差し出すと、「主人ともども、お仕えいたします」と。


 この後、ピエールさんと話をしました。

 ピエールさんが、お嬢様のお名前を教えてくださいと聞かれました。


 サリーさんはそのまま名乗っていますが、私はまさか吉川洋人と名乗るわけもいかないので、夜明けの明星、ヴィーナスと名乗りました。

 なんとなくですが……


 アンリエッタさんが、「ヴィーナス様、お名前の由来をできればお聞かせください」と云うので、

「夜の明ける時に、輝く星のことを指します」

「愛と美の女神、光をもたらす者の意味です。また明けの明星が輝くのを見て、真理を見つけたという話が、私の世界には伝わっています」

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