国際電話

 珍しく、その日の午前は休講だった。


 私こと吉川洋人は、自宅で国際電話を受けていた。

 アメリカの姉からで、なんとなく声を聞きたいとのことに、私は笑ってしまった。

 しかし姉は、真剣に電話の向こうで喋っている。


「洋人、私のセーラー服を覚えている?私、あの頃綺麗だったでしょう?」


「どうしたの、いつもの姉さんらしくないよ」

「姉さんのセーラー服姿は、瞼に焼きついているよ、とっても綺麗で、自慢だったんだ」


「確か濃紺で、白いラインが三本、胸当てと衿と袖に、はいっていたはず」


「よく覚えているわね」

 姉はとめどなく喋っている。


「洋人は、父さん母さんから預かったの、私はあなたを守ると誓ったの、責任があるのよ」

 突然、姉がそのような事を云った。


 そう、姉と私は、家族そろってのドライブ中に、両親が事故で死に、私も生死をさまよった。

 何とか一命をとりとめたが、男としては絶望的なことになってしまった。


 以来、姉は必至で、私をかばってくれた。

 両親の事故の保険金で、しばらくは生活したが、姉は高校卒業後、就職して面倒を見てくれた。


 そして、私は奨学金をもらいながら高校を卒業、特待生制度のある、今の大学に進んだ。


 数学が好きだったが、何となく応用化学を専攻した。


 すると姉が、クレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題を聞きつけ、あなたは賢いんだから解けるでしょ!と、けしかける。

 で、リーマン予想にチャレンジしてみたら、思いのほか簡単に解けてしまった!


 賞金として、一〇〇万ドルの懸賞金をもらった(未成年など諸般の事情と本人の希望により、名前はふせてもらっている)。


 でもこの後、驚いた事に、姉が私もやってみようと云って、独力でP≠NP予想を解き、一〇〇万ドルの懸賞金を手にしてしまった。


 いま姉は、アメリカの研究所の主任研究員になっている。

 何の研究をしているかは、守秘義務の一点張りである。


 姉は結構美人で、お金も頭脳もある。

 私としての心配は、はたして釣り合う人がいるのだろうか?ということに尽きる。

 こんな私はシスコンだろうと思うし、否定はしない。


「姉さん、だれかいい人できないの?」

 弟としては、至極もっともな疑問を投げつけると、姉は「洋人ほど賢い人がいたらね」

 と、云ってくれる。


「ところで洋人、体は大丈夫?」

「ちゃんと薬を飲んでいるの?」

「また通販の食事ばかり口にしていない?」


「あなたはお金持ちですから、その点は心配ないけど、悪い女に騙されていない?」

「ちゃんと服をきている?シャツのしっぽなんて出してないでしょうね」


 姉のマシンガントークは続く。


 挙句の果てに、

「家を出るときは鍵を掛けるのよ」

「電気、ガスはちゃんと消して出るのよ」

「パンツは毎日履き替えるよ」

 とまでいわれる始末。


 いまにハンカチは持った、ティシュは持ったと来るんじゃないか……

「ハンカチは……」

 ほら来た。


 まったく有難いやら、情けないやら。

 私は受話器の向こうの、嵐のようなお喋りを聞き流している。


「洋人、ちょっと聞いているの!」

「聞いているよ。」


 姉は急に改まった声をして、

「洋人さん、お父さんのハーモニカを持っているの?」

「ああ、母さんの手鏡といつも一緒に持っているよ」

「私のセーラー服も必ず持っていてね」

 いつもの姉と違う、少々涙声で喋っている。


「何があっても肌身離さず持っているよ。姉さんのセーラー服は着るわけにはいかないけど、大事に持っとくよ」

「私は洋人さんが、セーラー服を着ているのを見てみたいわ」

 意味が分からない!


 姉は急に元気を出して、

「洋人さん、そろそろ出る時間じゃない?」

「今度会ったら、洋人さんのハーモニカを聞きたいわ」


「じゃあ、姉さんは歌ってくれるかい?」

「そうね、二人して手を繋いで、学校から帰った昔のように、歌を歌って帰りましょう」


「気をつけてね、元気でね……」

 姉の声は何か寂しそうだった。


「姉さん、また会えるじゃないか、そう悲しそうな声を出さないでくれ」

「そうね、また会えるわ、洋人、がんばってくるのよ、私もがんばるわ、行ってらっしゃい」


 ちょうど時計の針が十時をさした。


 姉さん、仕事のことで少し疲れているのかな?


 姉に散々いわれたこともあり、私は家中の電気を消し、戸締りをして家を出た。

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