第三回

 先日の騒ぎから明けた朝、女学校へと登校した千枝は下駄箱の君を見かける。千枝が思い切って近寄って行くと下駄箱の君は

 「まあ」

 と驚いた声を上げるが

 「先日は――」

 と何かを告げようとした刹那、その双の瞳は勝子を認めた。体操服の上衣にスカートと黒の長靴下それに短靴を履いて、どこで手に入れたのか扁平の横幅広の背嚢ランドセルを背負って登校してきた勝子に周囲の者達も驚きざわめき立つ。セーラー型の上衣にスカートの組み合わせはまるで洋服の様でそれに快活な勝子の断髪が映える。背嚢も都会の女学校では背負ってくる生徒が居ると聞くが地方の女学生には珍しい良いものに見えた。先日、勝子と気まずい鉢合わせをした下駄箱の君は思わず地面に顔を伏してしまう。しかし、千枝の自らを視る視線に気を取り直して

 「新島千枝さん、よね。厳島紗代子よ。宜しくね」

 と自己紹介をするが未だ何処と無くぎこちない。しかし、千枝はそんな事はお構いナシ! 千枝には下駄箱の君の名が知れただけで嬉しくて仕様がなかった。辺りは勝子の洋服姿で騒然。評判の良いも悪いもごった返して注目を浴びていたがその評判が千枝の耳に届く事は無かった。

 勝子の騒ぎを聞き付けた女教師が駆け付けて来て勝子を連れて行くがすれ違い様、勝子が紗代子の事をと見詰めていた。それを見た紗代子はとして又俯くが千枝からは勝子の姿が見えては居なかった。

 注目を浴びる当人がその場から居なくなった事で集まった者達は不満そうに解散していくがその中には千枝の級友クラスメイトの姿もあった。

 (千枝さんのお姉様てもしや!)

 とスクープを独占したと思い込んだ級友は千枝に気付かれぬ様、忍ぶ風にして、しかし足早に昇降口へと駆けて行った。

 少しののち、千枝と紗代子が昇降口の前で別れて其々の下駄箱に着いた時には既に件の級友の姿は無かった。

 千枝が教室クラスルームへと辿り着くと一人の記者がもたらした一大スクープによって喧騒としたへやの者達は一斉に静まり返る。

 その様子を一部始終伺っていた一人の少女だけが

 (イケナイわ……)

 と思案するだけで、スクープを齎した記者が自動車の如し飛んでやって来た事等は千枝は知る由もなかった。

 少女は授業中思案を続けるが千枝に事情を打ち明ける事に決めた。即ち、次の休み時間になると直様すぐさま晴子が千枝に話し掛けた。

 「千枝さん。貴女、厳島さんと御一緒に登校なさったの」

 「えゝ」

 と戸惑い無く返す千枝に晴子は『参った』の顔をするが、千枝は

 「――偶然見かけてね。厳島紗代子さんと仰るのねあの方」

 と嬉しそうに続ける。

 それを聞いた晴子が

 「千枝さん、小笠原さんと厳島さんの事誰にも話しては駄目よ。決してよ」

 と注意深く告げるが千枝には晴子の考えが読み取れなかった。

 そんな千枝に晴子は

 「兎も角、駄目なのよ」

 と念を押す。

 「そうは言っても教室クラスの方達は皆知っていてよ」

 と返す千枝を級友達は探し回っていたが、休み時間が始まると真先に晴子が不浄場へと連れて行ったので千枝達は未だ見つかっては居なかった。

 「手紙の差出人が誰かは教えていなかった筈でしょう」

 と晴子が返すと千枝は「そうねえ」と返事をするので晴子は一安心。

 「を複数持っては駄目なのよ」

 と千枝に教えるが千枝は

 「どうして? 私は独り子だけどお姉様の複数居らっしゃる方居てよ」

 「そのでは無いの

 何方のお姉様か晴子は語尾を強めるが千枝には伝わらない。

 「此処に居ては追手に捕まってしまうわ。見つかる前に他へ行きましょう千枝さん」

 と告げる晴子さんは姫と逃げるお付の人の如し。千枝の手を引きながら先日は話さなかったエスについて説明を始めた。

 「――お姉様と妹は一人ずつでになるのよ」

 「お友達になるの?」

 「そう、よ」

 「他のお友達とどう違うの?」

 「とっても仲良しなのよ。一緒に登下校したり、手紙で誰も知らないお話をするのよ。秘密の文通よ。それから、一緒にご不浄へも行くわ」

 「一人で行けば良いわ。そんな物」

 何だか晴子さんとはご不浄の話ばかりしている気になった千枝だったが晴子さんが返す。

 「少しの時間でも一緒に居たいのよ。催してなければ何か話でもしてれば良いのよ」

 廊下を足早に、催す等と言葉を言う晴子に千枝が「キャ」と恥じていると

 「例えばね、自分の好きな物の話をすればいいわ。そうすればお姉様も自分の好きな物を教えてくれるわ、きっと。そうやってお互いの事を知ってゆくの」

 と構わず続ける晴子だったが、

 「居たわ!」

 と前方から聲が聞こえたかと思うと今度は後方から

 「もう逃さないわよ!」

 「晴子さんたら千枝さんを独り占めにして! 自分だけ話を聞こうなんてズルいわ」

 と何時の間にか大物取りになって居た。

 「誤解よ。濡れ衣だわ」

 と訴える晴子だったが刹那、コツコツと廊下を鳴らす長靴の音と共に

 (先生よ!)

 とその場の皆が静まり返る。

 「そんなに騒いで一体どうしたのですか貴女達は」

 と告げながら姿を現した女教師は廊下で騒ぎ立てて居た生徒達に気が付いて馬頭観音ヴィシュヌの様な剣幕で叱る。

 (話を合わせて!)

 と、晴子さんが合図を送るとそれを受け取った皆が結託する。こんな時ばかりはであった。

 すると晴子が

 「鬼ごっこをしていました。御免なさい先生。もうしません」

 と千枝以外の全員が一斉に頭を下げるが早くも結託が綻んだ女生徒を前にして、観音様が千枝に問おうとすると空かさず晴子が

 (誤魔化して!)

 と合図を送る。

 千枝は訳もわからず

 「私は、ご不浄へ行っておりました」

 と弁明すると又も空かさず晴子さんが続ける。

 「千枝さんがご不浄から出て来たところを私達が無理やりに仲間に入れたんです先生。千枝さんは悪くありません」

 女教師は千枝以外の顔を見渡した後で

 「それは本当ですか、新島さん」

 と問う。

 (頷くのよ!)

 と、またも合図が送られたので千枝は仕方無しに

 「はい……」

 と応える。

 「新島さん以外の皆さんは放課後、私の元へ来なさい。宜しいですね」

 「「はい」」

 と千枝以外の皆も応えて落着となった。

 女教師がその場を去った後、

 「万事休すとは此の事だわ」

 と誰かが漏らすと千枝以外の者は総じて同意し口々に応えるが

 「私一人がお咎めなしというのはイケナイわ」

 と千枝一人が抗議するも

 「良いのよ」

 「停学か退学にならずに済んだわ」

 と誰かが言うと

 「エスの話を先生方に聞かれてはイケナイのよ」

 と晴子が千枝に伝える。

 不思議に思った千枝が

 「イケナイ事なの」

 と聞き返すが、晴子は考え一人で唸り始める。すると他の者は口々に

 「大人が石頭なのよ」

 と訴える。晴子も

 「まあ、そういう事なのか知らね」

 と歯切れの悪い同意をするが

 「――唯のよ」

 と何時もの調子で付け加えた。

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