第38話 海と漁村
疲れていたのか、フカフカのベッドのお陰か、とにかくぐっすり眠った。
ジローに起こされて目覚めると、僕は窓を開けてベランダに出てみた。
部屋は二階で庭に面していて、庭の先に道があり、その先に向かいの家の庭があり、その奥にも豪邸がある。でも互いの庭がとても広いので、家と家はかなり離れている。左右を見れば木々に覆われ、隣の庭は見えない。
なんて贅沢なんだろう……。僕が住んでいた家は、窓を開けると目の前が、隣の家の壁だった。
何でラキルは、こんな居心地の良い家を出てしまったんだろう?両親とも、使用人とも、仲良さそうなのに……。
コン、コン。
「失礼します……おや、もうお目覚めでしたか」
「ゲンさん、おはようございます」
「おはようございます、タロウ様。お飲み物をお持ちしました。こちらが今日のお召し物です……」
「ありがとう、ゲンさん!」
「タロウ様、私の事は『ゲン』とお呼びください」
「じゃあ、僕の事も『タロウ』って」
「……いやはや、これは困りましたな」
ゲンさんは苦笑いして、朝食の準備が出来ています、と言って出て行った。
朝食の席で、その話をラキルとフランツさん、エリスさんにすると、皆笑った。でもそれでは使用人はやり辛いから、ゲンの言う通りにしてあげて、と言われた。紅茶を注いでいたゲンさんが、ホッとした顔で頷いた。
仕事に出かけるラートハイム夫妻を見送ると、ラキルが「さて、何したい?」と聞いて来た。
……やりたい事があり過ぎる。
このお屋敷の中だって、まだ全部見てない。馬にも乗ってみたい。王都観光……いやそれ、一日じゃ終わらない。どこから行く?
ギルド……劇場……漁村……?そうだ!
「海!海が見たい!」
「よし、行こう」
僕とラキルは綺麗に洗濯され、ピシッとアイロンがけされたいつもの格好に着替えて、ゲンに「昼食はいらない」と言って玄関を出た。もちろんジローも一緒だ。
庭に出るとアランに「お出かけですか?」と言われた。
「アラン、地味な方の馬車、ジローも乗れるか?」
「うーん、ギリギリ……」
「じゃあ頼む」
アランが家の裏手から出して来たのは、ちゃんと屋根と扉のついた立派な馬車だ。中を見ると二人掛けの椅子が向かい合っていて、椅子はクッションの入った革張りだ。これが地味な方?……色かな?
乗ってみると、確かにジローは窮屈そうだけど、なんとか乗れた。
「南門まで頼むよ」
「承知しました。それ!」
馬車はゆっくり動き出した。
お屋敷街を進んでいくと、噴水のある広場に出た。ラキルが御者席側の壁をコンコン、と叩くと馬車が止まった。
「ほら、タロ、城だ」
「えっ!?」
逆側を見ていた僕は急いで反対側の窓に……ジローが邪魔。窓も小さいし……思い切って降りて見た。
「うわあ……」
少し先に城壁があり、騎士団の制服の人が長い槍を持って門を守っている。その奥に大きなお城。尖った塔と赤い国旗が目立つ。
「もう行くぞ」
「えっもう!?」
「タロウ様、いつでも見られますよ」
確かに、この街の人達からしたら見慣れた風景の一部なんだろう。僕も暫く滞在するんだから、いつでも見れるよな。
……と思いつつも、僕はジローの上に跨がる様にして馬車の窓に顔を貼り付け、城を眺め続けた。
馬車はお城を回り込む様に進み、城の裏手に差し掛かる頃……潮の匂いがして来た。街の高い塀で遮られてまだ海は見えないけど、きっと近いはず。
城の裏のエリアには、見慣れた庶民的な町並みがあった。雑多な物を売っている路面店や、食べ物を売る屋台。南門の付近では魚を売ってる馬車が何台もあった。貝や海草も売ってる。
「アラン、ここでいいよ。帰りは辻馬車を拾って帰る」
「分かりました。お気を付けて」
馬車を降りて門をくぐると……
「わー!!海だ!」
「ワン!ワン!」『海だ!海だ!』
南門から海に向かって緩やかな坂になっており、海と漁村が一望出来た。海は青く、水平線に近づくにつれて濃い青から紺色に、波はほとんどなく水面がキラキラと光っている。潮の匂いが強くなった。遠く水平線の両端には陸地が見えるので、ここは湾になっているのだろう。海岸には桟橋が何本も突き出ていて、小さな船が沢山とまっている。
「ジロー、行こう!」
「ワウ!」『うん!』
僕達は走り出した。
「おーい、近く見えるけどかなりあるぞ!」
ラキルの言う通り、坂をずっと駆け下りても海はまだ先だった。
漁村は、王都に近い辺りは民家が多く、海岸に近づくにつれ、作業をする人達で賑わっていた。大きな魚を捌いている人、海草を干している人……。まだ午前中なのにお酒を飲んでいる人も多い。「漁師は朝が早いんだ。もう仕事が終わったんだろ」とラキルが教えてくれた。
桟橋から少しずれて、砂浜のある方に歩く。
波打ち際で海水に触ると、かなり冷たかったから、入るのは諦めた。ジローはバシャバシャ遊んでるけど。
「あー、俺も海に来たのは、久しぶりだ……海っていいよな~」
「……海っていいよね~」
僕とラキルは砂浜に座って、はしゃぐジローと寄せては帰す波、そして海を眺めた。
気付けば太陽が真上にあり、お腹も減ってきたので戻る事にした。
「ジロー、行くよー!」
戻って来たジローは砂まみれ……。ジローバック預かってて良かった。
漁村の賑わっている辺りで買い食いをする。
ブツ切りにされ網で焼いただけの、シンプル・イズ・ベスト!最高!なエビやカニ……だと思って食べたのは、僕の知っているエビやカニよりもずっと巨大な魔物だと知ったのは、すぐ後の事だ。
大きく頑丈な鋏で攻撃してくるらしい。甲羅は固く、柔らかい急所をモリで突く技術がいる。……それより怖いのは、グネグネした足が何本もあり、その足に何百もの吸盤を付けた魔物で(多分イカやタコ)、ソイツらは船ごと沈めようとしてくるんだって。
魚介の網焼きを売ってる屋台の横で、酒を飲んでた漁師さん達が教えてくれた。
漁のイメージが思ってたのと違う……。
醤油の匂いがしたので行ってみると、そこで醤油を作っていた。昨日食べた醤油は、魚から作っていたんだ、って知った。
ここを去る時には、絶対にたくさん買って帰ろう。干物も買って、エルフの里で米のご飯を食べるんだ! ──無理か。冷凍して持ち運べる何かが作れたら……。それより、卵かけご飯……生卵、ダメかな?あ、醤油ラーメン!……次々と野望が湧いてくる。
あちこちフラフラと覗きながら歩いていたら南門に着いていた。もう一度海を眺め、門の中に入った。
「次はどうする?」
「ラキル、僕、手紙セットが欲しい。師匠に手紙を書きたい」
それなら家にある、とラキルは言ったけど、これからも沢山書くから、やっぱり買いたい。
ラキルが馬車を拾って御者に「東ギルドの方」と言った。
東門のギルドが、ラートハイム邸から一番近いギルドだそうだ。でも歩けば三十分以上かかるみたいだけど。
ラキルが教えてくれたお店は、東ギルドのすぐ近くにあったので、ラキルとジローにはギルドで待ってて貰う。
お店の中には手紙セットの他に、ノートやペン、インクなんかが置いてあった。文房具屋さんだね。手紙セットは色んな種類があったけど、ごくシンプルで安いヤツにした。
この場所はちょうど、庶民的なエリアと高級店エリアの境目らしい。僕がいる文房具屋さんの前から北門の方を見ると見慣れた風景、お城の方を見るとショーウィンドウが並ぶ高そうな店と、お金持ちっぽい人達。その先はラートハイム邸のある高級住宅街エリアとは城を挟んで逆側、カジノがある歓楽街につながるんだろう。
東ギルドに入ると、ラキルとジローは壁の依頼を見ていた。
「お待たせ……何か仕事、あった?」
「いや、見てただけだ」
あっ、そうだ。
僕はカウンターに行って回復薬を作りたいのですが、と言い、薬草を貰って、瓶を三十本買った。ジローに持って貰ってギルドを出た。
「ここに居る間は、無理に仕事しなくてもいいぞ?親父達が小遣いくれるし」
「ダメだよラキル。子供じゃないんだから」
「ふ……ははは、確かにそうだ!さすがだな、タロは!でもタロは子供だぞ!」
ラキルは楽しそうに笑って、僕の頭をくしゃくしゃってした。
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