第18話 言葉


 ───結局次の日になっても雨は止まず、カシワ村に行く馬車は出なかった。

「まあ、小降りになったから、昼には止むじゃろ」

 師匠は朝食の後、また寝てしまった。

 ラキルは雨の中、街に出て行った。

 僕も街のお店とか見に行きたかったけど……

「ワフ?」

 ジローを置いてきぼりは可哀想だ。かといって、せっかく綺麗になったジローを泥まみれにしたくないし。

 僕はベッドに横になって、ツヤツヤでサラサラになったジローの毛を撫でながら、話しかけた。

「ねぇジロー。ジローは神獣で、この国で産まれたんだ?」

「ワフ」

「どうして日本……あっちの世界に来たの?」

「ワフゥ……」

「そっか、わかんないか。僕も何でここに来たのかわかんないし」

「ワゥ?」

「ううん、嫌じゃないよ。むしろ楽しいよ。ジローも居るし。でもさぁ……あれ?」

 ……なんかいつもより、ジローの言いたい事がハッキリ分かるような気がするな。

「……ジロー、エルフの長老と話せるんでしょ?」

「ワウ」『そうだよ』

「僕とも話せる?」

「ワウ!」『話してるよ!』

 ……あれ?

「話してる……かな?」

「ワン、ワン!」『話してるよ、ずっと前から!』

 分かる!ジローの声が、言葉として聞こえてるような、ジローの言いたいことがちゃんと言葉で伝わってくる感じ。

「えぇ!わあ!!凄い!!」

『えー、ボク、ずっとタローと話してたよ』

「うん、そうなんだけど、ちゃんと言葉で伝わって来たのは初めてなんだ」

『何が違うの?』

「……えっと……? 違わないか」

『でしょ!』

 この感覚……ラキルや師匠の言葉が分かるのと同じだ。聞こえるのはではなく。何ヵ国語も喋れる人ってこんな感じ?

「これってジローのお陰?」

『うーん、わかんない』

「……タロウ、ジローと会話できとるのか?」

 気付くと師匠が起きていて、僕達を見ていた。

「ワン!」『そうだよ!』

「そうか。良かったのう」

「……師匠も分かるの……?」

「いや、何となく気持ちが伝わってくるだけじゃ」


 僕と師匠とジローで、なぜジローがあっちの世界に来たのか、なぜ僕がこっちの世界に来たのか……色々考えたけど解らなかった。ただ、一つだけ……ジローがこっちの世界に戻って来れたのは『タローがボクを呼んだから』だそうだ。

 でも、分からなくていいんだ。僕は戻りたいわけじゃない。ここで生きて行くんだから。だから、今大事なのは……。

「なんで言葉が分かるのか、なんだよなぁ……」

 それにこだわるのは、本が読める様になりたいからだ。本が読めたら、この世界の知識をいくらでも仕入れられるだろう。ギルドで仕事を探す為にも必須だし。

 文字だけ覚えても、言葉が分からなければどうしよもない。ABCが読めても英文が分かるワケじゃないのと一緒だ。……なぜ、知らない言語が理解出来るのか、が解ったら、文字を読める……書いてある事を理解出来る……に繋がると思うんだけど。

「……タロウは、言葉が分かる事が不思議なのか?」

「えっ?」

 そう言えば……なんで分かるのか、ばかり不思議に思っていたけど……。

「師匠は、なんで僕の言葉が分かるんですか?」

 師匠だけじゃない、なんでみんな、がわかるんだ?

「タロウの国では、言葉が通じないのが普通なのかの……?」

 言ってる意味が分からないぞ。

 師匠も訳が分からないって顔をしてる。

「僕の居た所では……国や地域によって言葉が違うんです」

「……それは一緒だのう。つまり、言語が違うと通じない、と言うことかの」

「はい……だって、そうですよね?」

「いや……ワシが使う言葉と、ドーンが使う言葉は違うじゃろ?」

「……そうですか?……僕には区別がつかないけど」

「そうなのか。ふーむ……。これはエルフの神話じゃが……」

 師匠が話してくれた、エルフの神話とは───


 ───太古の昔、人が生まれる前……この世には神族と魔族がおり、この世界を我が物とすべく争っていた。長きに渡る戦いの末、神族は魔族を退けた。だが魔族は滅びたのではなく、地下深くに撤退しただけだった。───しばらくの間、地上は神と、神の造り出した植物、動物、そして『人』の楽園であった。だがそのうち、地上に魔族の気……『魔力』が漏れ出て来た。その魔力のせいで、植物も動物も姿を変えた。姿を変えた動物は『魔物』と呼ばれ、神の力に敵うモノではないが、いくら掃討しても次々と湧いてくる魔物に神族は嫌気が差し、この地を去った。後の事を自分たちの造り出した『人』に任せて。

 神は『エルフ』『獣人』『人間』の三種族の『人』を造った。その時、その三種族は生活する地域も交わっていなかった為、言語も文化も別々に発展していた。言葉は通じなかったのだ。魔物が発生しだし、神がこの地を去るにあたって『力を合わせて魔族と戦うように』と、種族間の壁をなくした。それによって、話す言葉が違くてもお互い理解できるようになり、異種族間で交流が生まれ、血も交わって行った───。


「……」

 つまり、聖書で言うところの『バベルの搭』の逆バージョンか……。

 ここの人達は『言葉が違くても通じる』のが当たり前なんだ。いやでも……!

「師匠、文字は? ……言葉が違かったら、同じ文字は読めないよね?」

「……なんでじゃ」

 なんでって……うぅ、上手く説明出来ないや……。

「例えば、じゃ。ここにアポーの実があるとする。これを『アポー』と呼ぼうが『アプー』と呼ぼうが、『タロウ』と呼ぼうが、この物である事は変わらないの?」

 ……はい。

「であれば、この物を文字で『○△□』と表す、と分かっておれば読み方はどうでも良かろう」

 ……んん?

 ちょっと待って……つまり、犬の絵があって、それを「いぬ」と言っても「dog」と読んでも「ワンちゃん」でも、「これは犬だ」という認識に変わりはない。犬の絵を「犬」って文字に置き換えても同じだ。

 似たような……どこかで……あ!そうか、中国語と一緒……いや、アルファベットでも!書く文字は一緒だけど、読み方は地方で違う。そういう事!?

 一瞬、眼から鱗の気分になったが……。

「……師匠、何となく解ったけど……それで、僕がここの文字を読めるようになるには……」

「勉強じゃの」

 ────まあ、そうですよね。簡単な道はなさそうだ。


 でも、ほんの少しだけど、出来るような気がしてきた。僕だって、小学校に入る頃には読み書きが出来たんだから。まして今は、必要に迫られている。言葉もわかる。やる気になればもっと早く覚えられるはずだ。すでに僕は数日で、数字は読めるようになった。村に帰ったら、師匠に貰った幼児向けの本で勉強しよう!

「師匠、ありがとう!僕、頑張ります」

「ほっほ、タロウは偉いのう。タロウと話すのは楽しいわい」

 きっと師匠から見たら、僕は赤ん坊同然なんだろうなぁ。

「ジロー、応援してくれ、よ……?」

 ジローはいつの間にか、すっかり寝入っていた。


 気が付くと雨が止んでいた。

 窓を開けると薄陽が射していて、雨上がりの匂いがした。……そんな所は、あっちの世界と一緒なんだ、と思った。

「おお、これなら明日には道が乾く。馬車が出るじゃろ」

 ちょうどお昼時で、ラキルが帰って来たから食堂に行ってご飯を食べながら、午前中にあった事をラキルに話した。

 ジローと少し会話が出来るようになったこと。言葉の謎とエルフの神話。文字の読み書きについて───。

「文字か。そうだな、読めないのは不便だな。でも書けない奴は結構いるぞ。冒険者だと、そんなに必要ないし」

 でも自分の名前ぐらいは書けないと、と言って、ラキルはノートに「タナカタロウ」をここの文字で書いてくれた。それを見た師匠が「なんじゃ、そのヘタクソな字は」と言って、ラキルの書いた文字の下に、同じように「タナカタロウ」と書いた。

 ……うん。見た事ない文字でも、明らかに分かる。……師匠の書いた文字をお手本に練習しよう!


「ラキルは、何してたの?買い物?」

「ああ、服を見に行ったんだけどな」

「いいのあった?」

「いや。やっぱミーズスの店で買うわ」

「あ、ミーさんていえば……凄いよね!鏡を出したり、ミーバック作れたり……あ」

 またラキルが遠い目に……。










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