第二幕
「戸出! 有沢ァ! お前たちいい加減にしろ!」
「俺は悪くありません有沢さんが前に出ないからです」
「私は悪くありません戸出くんが一人で前に出るからです」
久太郎と華火は目を合わせずに主張した。
「お前たち小学生か!」
教師が怒鳴る。
「あのな、混合戦は個人戦とは違う。相方と息を合わせて臨機応変に動かないとダメなんだ。お前たちの剣闘は一対一をそれぞれでやっているだけで、一つの試合になってない」
「有沢さんが勝手に後ろに下がるから」
「戸出くんが一人で突っ込むから」
「もういい」
教師が疲れた声で言って、眉間を押さえた。
「この時期にペアを作り直すのはもう無理だ。お互いの流儀は違うかもしれないが、それでも強調していくしかない。一人では勝てないからな。それが剣闘だ」
「俺一人でも勝ちます」
「私一人で十分です」
以下略。
これまで二人は竹刀を使った立ち回りの練習しかしていなかったが、すでに二人の試合スタイルがまったく噛み合っていないのが随所に現れていた。噛み合っていない上に、互いに自分のスタイルを譲ろうとせずに足を引っ張り合っている結果、いっそ相手よりも味方の方をこそ敵視すらしていた。
「……そうだな、そろそろ試合の形式でやってみるか」
と、しばらくの沈黙の後、ぼやくように言った。
「誰とやるんですか?」
「そりゃ、大会に出るメンツでやるに決まってる」
久太郎以外に大会に出るのは全員が上級生だ。
「お前たちは、個人なら上級生とだって互角に戦えるだろう。しかしペアでは勝てない。それを肌で感じて反省しろ」
「ということは勝てば反省しなくていいんですね」
「……まあそういうことだ。勝てるなら口は出さん」
諦めた口調で久太郎に答えた。いい加減、進歩のない教え子にうんざりしているようだった。
教師が練習試合の準備をするように大声で言うと、当番の生徒が自分の練習を中止して慌てて準備室へ駆け込んだ。試合をやる久太郎たちはロッカーに戻り、袴に着替えて真剣を用意する。
久太郎と華火が道場に戻ってから、教師が即席のあみだくじを作って試合の組み合わせを決めた。大会出場予定の六ペアが一試合ずつ。久太郎たちは二試合目で、相手は二年生の男子ペア、滝川と淡路だった。
一試合目の後、試合場の片付けが終わるのを待ちながら、久太郎は華火の表情を横目で見た。
「……何?」
と、前を向いたまま華火が訊く。
「別に。今日くらいは足を引っ張るなよ」
「そう。好きにすれば? あなたがやられても、私が二人とも倒せば勝ちなんだし」
「てめえふざけんな。俺が先に二人やる。お前の出番なんかねえよ」
「どうだか」
「なんだと?」
久太郎が華火の方に振り向いたとき、
「次のペア!」
と、教師の呼び声がかかった。
久太郎は鎮痛薬を受け取って飲み込む。華火は相変わらず薬を受け取らず、立ち上がって先に試合場に入った。
斬られるわけがねえってことかよ。久太郎は深呼吸をして、冷静になるよう自分に言い聞かせて華火に続く。相手の滝川と淡路のペアは、それぞれ向かい合う久太郎と華火をまっすぐに見ている。
くそっ、この女、調子に乗りやがって――。
一方の久太郎は、相手ペアの様子よりも自分の横にいる相棒の方が気になって仕方がなかった。
「始め!」
華火のことを気にしすぎて反応が遅れた。
久太郎にしては遅れたタイミングで、狙いを正面にいる滝川に定めて突進して――それを予想していたかのように、相方の淡路が横から久太郎の首を狙って刀を切り上げた。
久太郎は淡路の動きを、かろうじて目の端で捉えた。
「――つっ!」
ほとんど反射的にブレーキをかける。
切られた、と思ったが、鼻の先を刀がかすめた。
予備動作はなかった。久太郎には無警戒の一撃。もう少し早く突進していたら、ちょうど久太郎の死角に隠れる軌道。
反応が遅れたことが幸いした――。
急停止してたたらを踏んでいた久太郎目掛けて、滝川が刀を向けて突っ込んでくる。
剣の突きは、受ける側からは点にしか見えず、距離も分からない。
一対一の試合であれば、久太郎はセオリー通り、滝川の足元に視線を落として冷静に距離を測っていただろう。しかしこのときの久太郎は不意をつかれて恐慌状態にあり、ただ迫りくる危機から遠ざかるためだけに体が反射的に動いた。
突きに対して横に動いたその瞬間、淡路が久太郎に踏み込んで、刀を振り下ろす瞬間が見えた。確実に切られるコース。
そのとき、久太郎の視界の外から、雷のような速度で華火が割り込んできた。
「セイッ!」
気合一閃。華火の刀の切っ先が、淡路の刀を下から打ち払う。
華火と淡路の刀が拮抗したのは一瞬だったが、久太郎が刀の外に逃れるには十分な時間だった。
「くそっ」
助けられた――。
淡路は華火の刀を払って、袈裟に斬りかかる。華火は冷静に剣筋を読んで、半歩体を下げるだけでその切っ先から逃れた。
そこから、華火は横に動いた。
不用意に見える挙動。一般的に移動の瞬間は崩れやすく、攻め込むには絶好の機会なのだ。それを淡路が無視するはずもなく、華火に追撃する。
しかし、数歩離れた位置にいた久太郎には、華火の移動の意味がはっきりと分かった。
淡路の後ろには滝川がいた。滝川は、華火と淡路の切り合いを横から刺そうと狙っていたのだ。ところが華火が位置を変えて淡路の攻撃を誘ったために、華火を狙う滝川の前を淡路の背中が塞ぐ形になってしまったのだ。
その後も、淡路が華火に切りかかればそれを最短で躱し、同時に滝川が容易に踏み込めない位置に移動する。逆に滝川を相手にするときは、滝川の攻撃を誘って淡路に対する壁として利用する。華火は二人を相手にしながらも、常に一対一になるように状況をコントロールし続けた。
一年が一人で、二年のペアを翻弄していた。
そして久太郎は――。
「ふざけんなッ!」
蚊帳の外から一足で踏み込んで上段から切り込む。
もちろん、狙いもまともに定めず、ただ力任せに振るった刀など当たるはずもない。
淡路と滝川は互いに目を合わせただけで、完璧な呼吸で手堅く攻撃を捌く。
「があああああッ!」
叫ぶ。飛び込んで刀を振るう。
剣先を払われる。
それでも、目についた相手に飛びついて刀を振るう。何度も、何度も。
稚拙な久太郎の攻めがいつまでも続いたのは、相手が久太郎の死角に踏み込めないように、華火が常に牽制し続けているおかげだった。
不幸なことに、それが分からぬほど久太郎は非才ではなかった。
くそっ。くそっ!
焦れば焦るほど剣が荒くなる。空回る。そのたびに華火が久太郎の窮地を助け、ますます久太郎の剣から冷静さが失われていく。
カン! カン! カン! と、普通の試合ではありえない、力任せに金属を打ち合う音が響く。
無様だった。滑稽だった。
それでも、久太郎は怒りに任せてがむしゃらに刀を振るう。
その気迫に押されたか、あるいはこのまま打ち合いを続ければ刃が折れると思ったか、段々と相手の二人は攻め気を失い、距離を取って守りを固めるようになってきた。
その瞬間、久太郎がいつもの感覚を取り戻した。「斬れる」という確信が、これまでの剣闘の感覚と重なり、それを手繰り縄としていつもの彼のやり方を取り戻した。
呼吸が落ち着く。しかし心拍数は天井知らずに高まる。
タックルのように姿勢を低く。邪魔な刀を背後に、担ぐように構えて、滑り込むように接近する。
それまでとは違う鋭い突進に、淡路も滝川も虚を突かれた。懐に入った久太郎を切り捨てようと慌てて刀を振り下ろす。
一方の久太郎は、相手に狙われた首がひりつくのを感じながら、自分の刀で受けるのをぐっとこらえて、二人の剣筋の外側に回り込んだ。
取った――!
この試合で初めての好機だった。たった一度の隙でそれまでの優勢をすべて失って敗北する――剣闘とはそういう競技である。
がら空きになった滝川の側頭。
背中に回した刀を横に打ち払えばそれで決着が着く。
しかしそのとき、久太郎の横、刀の軌道の上には華火がいた。
久太郎は迷わなかった。華火の腕に当たるのも構わずに刀を振るった。
「ッシャアッ!」
……手応えが二度あった。
一度は久太郎の刀の棟が華火の左腕を打ったとき。
二度目は、それでも勢いの止まらぬ久太郎の刀が、滝川の側頭に食い込んだとき。
びっ、と滝川の頭から血が飛び散って、そのまま床に倒れた。
久太郎はすぐさま滝川の体を一足で飛び越えて、今度は淡路の頭に真上から刀を振り下ろした。
淡路の上段受けが一瞬の差で間に合う。久太郎の一撃を、刀を横にして受け止める。
「おおおおおおおッ!」
しかし久太郎は、体重を乗せた刀を淡路の防御の上から力で押し込んで、その刃を強引に淡路の頭頂にねじ込んだ。
鍔迫り合いの末、淡路の額から血が流れ落ちると、そこから一気に力が抜けて、顔を縦に切り裂かれて倒された。
「勝負あり!」
久太郎は肩で息をしながら教師の声を聞いた。張り詰めていた糸が切れて全身から汗が吹き出す。
膝が笑うのを我慢しながら一礼して試合場を出ようとして――そのときやっと、華火が腕を押さえたまま床に倒れているのに気づいた。
「薬を飲まないからだ」
「…………っ」
「おい、有沢。キツいなら再生室行ってこいよ」
久太郎が声をかけても、華火は返事をすることなく、額に脂汗を浮かべて震えていた。やがて自分だけの力で立ち上がると、久太郎に一瞥もくれずに試合場を出た。
試合場の掃除が始まる。華火はゆっくり歩いてきて久太郎の隣に座ったが、久太郎が打ち付けた腕をずっと抱きしめたままだった。
「おい!」
「……うるさい」
華火はかすれる声で答えた。
***
次の日、華火は部活に来なかった。
その次の日も華火は来なかった。
「お前が悪い」
と、教師はいきなり久太郎に言った。
「いや……でも……薬飲まなかったのはあいつだし……試合中の事故は起こるものだし……」
「相方を傷つけておいて謝らなかっただろう」
「あいつはそんなことでへそを曲げるやつじゃないと思いますが……」
「そういうことを言っているからいつまでも連携が取れんのだ、お前たちは。ともかく、まだ大会に出るつもりがあるなら、どうにかして有沢を連れ戻せ。今から新しい相方は用意できん。それにこのままだと有沢先生に顔向けができんしな」
「有沢先生?」
「何だ、知らんのか。有沢の父親は有沢流の家元だぞ。まあ、あいつ自身は有沢流ではないらしいが。……お前、ほんとに有沢のことを何も知らないんだな」
「興味ないですし……」
「そんなんじゃ仲良くなれないぞ。お前、部に友達はできたか?」
しばらく拷問のような問いかけが続いた。
翌日、久太郎は授業が終わってから道場ではなく華火の教室に向かった。ずっと考えてはいたが、華火が部活に来なくなった理由は未だに分かっていなかった。
華火は鞄を手に下校しようとしているところだった。
「おい、有沢……」
廊下に出てきたところで声をかける。華火が立ち止まって久太郎を見た。
……さて、声をかけたはいいが、どうするべきか。
剣闘の試合なら体が自動的に動いていたのに、なぜか今は言葉が出てこない。
「……ぶ、部活、何で来ないんだよ」
結局、馬鹿みたいな質問をするしかなかった。
「……あなたには関係ないでしょ」
「関係あるだろ。俺は……俺たちはチームなんだから」
「だったら、チームは解散。私の代わりを探して」
そっけなく言って、久太郎のそばを通り過ぎようとした。
「ちょっと待て」
その左腕を掴んだ、その瞬間。
「っ……!」
華火の体がびくんと固まり、いつもの仏頂面が苦痛に歪んだ。直後、彼女はハッとして表情を戻す。しかし彼女の額からじわりと脂汗が吹き出した。
「その腕――」
「何でもない」
「見せろ」
華火が拒否する前に久太郎は制服の袖をめくった。
鼻をつくハーブのような匂い。腕は白い布でぐるぐる巻きにされていた。久太郎は実物を見たのはこれが初めてだが――これは、怪我を治療するための、「包帯」というやつなのではないか。
「お前、何で再生室に行かねえんだよ」
「……離してっ!」
華火は久太郎の腕を強引に振りほどいた。そのまま背を向けて歩いて行ってしまう。
「待てって。おい! 有沢!」
それでも、久太郎は華火に追いすがった。校門を出たころに、華火はやっと足を止めた。それも自発的に止まったわけではなく、目の前で久太郎が両腕を広げて立ちはだかったせいだった。
「何で再生室に行かないんだよ。腕、痛いんだろ。だったら治せよ」
「……あなたに関係ない」
「関係ある」
「ない」
「ある!」
断言した。
華火は久太郎を無視して歩こうとするが、バスケットボールの試合のように久太郎がそれを妨害する。
「邪魔すぎる」
「再生室に行けない理由でもあるのか」
「…………関係ないでしょ」
「もしかして、宗教か?」
再生室で細胞を再生させた人間は、果たして再生する前の人間と同じ存在なのか? そうした疑問を持ち細胞再生医療を否定する宗教が昔あったと聞いたことがある。
「そういうのじゃ、ないけど……」
華火の戦法。万が一にも傷を受けるわけにはいかない華火は、久太郎のような一か八かの戦法をとることができない。相手を弄んでいたのではなく、確実に仕留められる状況になるまで待っていただけなのか。
「怪我、どれくらいで治るんだ? 剣はいつ握れる?」
「……骨にひびが入ってたから、早くて二週間くらい。もしかしたら、一ヶ月くらいかかるかも」
一ヶ月ということは、来月の四風旗には間に合わないという可能性もあるということだ。
「すまん!」
「別に、謝ることじゃない」
「いや、俺が悪い。お前の事情を知らなかったとはいえ、簡単に治らない傷をつけちまった。すまん!」
「……別に、誤ってほしいわけじゃない」
「いや、それだけじゃ俺が俺を許せない。俺の間違いのせいで、お前が大会に出られなくなるなんてのは理不尽だ。理不尽は許せない」
「何、いきなり熱くなってるの」
「熱くなってない!」
久太郎は思わず熱くなって叫んだ。
「挽回のチャンスがほしい。お前と一緒に試合に出る。必ず」
「……それ、何だかんだ理由をつけて、私を部活に連れていきたいだけでしょ」
「これはそういうのじゃない! いや、そういう気持ちがまったくないかといえば、そういう気持ちも少しはあるのだが!」
「はあ」
「その、自分がやったことを……自分でどう思うか……納得とかそういう……そういうアレだ!」
「ぜんぜん分からない」
華火はため息をついた。久太郎も、自分で言っていてよく分からなかった。「自分を許せない」という感情だけが先に立っていた。
「ぜんぜん分からないけど、何かすごく盛り上がってるのは分かった」
華火が、久太郎を上目遣いで見た。
「それで、この腕でどうやって試合すればいいの?」
と、包帯の巻かれた自分の腕を見せる。
「それは……これから考える……でも、必ず勝たせるから」
「いい加減な人だなあ」
華火が口元を緩ませた。彼女の表情が変わるのは珍しい。痛みに歪んだ表情よりも、こっちの方が好みだと久太郎は思った。
次の日から、華火は部活に復帰した。
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