第9話 〜桃と泉とワニ(比喩)とワニ(物理)〜 前編


 ヴェルトラウム大陸の中央を南北に走り、人の勢力圏を事実上東西に分断しているザントシュタイン山脈。


 その湧き水はザントシュタイン山脈西側中央付近の麓、王都まで馬車でおよそ半日ほどの位置にあった。


 よく知られている湧き水は他にいくらでもあるが、ここは一部の商人たちの『秘密の水場』だと言う。


 王都に向かう街道から少しだけ脇道に逸れた所に少し入り組んだ岩場があって、その陰に隠れるように緑が密集したポイントがある。

 その奥に直径30mくらいの泉があるのだった。


「うまいっ! 冷たくてたまらん… これが楽しみでいつもここに寄るんですよ」


 商人のコーレは泉の水を両手ですくい、ざぶざぶと顔を洗った。


「いやですよ貴方、これから飲む人もいるのに…」


 奥さんがたしなめると、コーレは気恥ずかしそうに苦笑した。


「いやぁこれは失敬… つい嬉しくてなぁ…」


 本当にうまい水だった。

ユリウスは乾いた喉に冷たい水が染み込む感覚に、忘れて久しい生きている実感を味わっていた。


「冷たくて美味しい! ほんとにこんなところで水浴びしてもいいのかしら…?」

「もちろんですよ、好きなだけ浴びて行ったらいいわ」


 使用人たちに水瓶を充分補充させると、コーレたちは馬車に引き上げて行った。


「それじゃあ私たちは馬車で待っておりますから… どうぞごゆっくり」

「あ、オレも…」

「お兄ちゃんも一緒に入ろうよー」


 何を思ってか、メナスが無邪気な妹を演じながらユリウスを誘う。


「馬鹿を言うな! フィオナ…さんもいるだろ?」

「わたしは別にかまわないけど…? こんなに広いんだし…」


 どこまで本気なのか村娘は頬を赤らめうつむいていた。


「オレは町まで我慢するよ… 二人でゆっくり入ってきなさい」


 泉の廻りはうまい具合に広葉樹の林になっていて、中に泉がある事はおろか人がいる事さえも分からない。


 その林から少し離れたところに一本だけ生えている大きめの広葉樹があって、その陰にコーレたちは馬車を止めふたりを待つ事にした。


(マスター、たいへんです!)


 突然メナスが【念話テレパシー】で話しかけてきた。


(どうしたメナス⁈ 何か問題か⁉︎)

(いえ、そうではありません… フィオナさんのコトでご報告が…)

(なんだ、驚かせるな…  緊急じゃないなら後にしろ)

(それが、フィオナさん… すっごいおっぱいしてるんです!)


「(お前は何を言ってるんだっ⁈)」


 ユリウスは思わず口を動かして叫んでしまった。


「どうかしましたか?」


 驚いたコーレとその妻が目を丸くしてユリウスを心配する。


「いえ、すみません… ちょっと思い出したコトがあって… なんでもないんです本当に」

「そうですか、それならいいんですが…」


とても納得しているようには思えない。


(いや、ほんとにすっごいんですよ… 王国の14歳女子の平均胸囲は、約80cmですが… ボクの目測では軽く95cmをオーバーしてます!)

(だからお前は何を言ってるんだ…)

(揺れてます! いまボクの目の前でぷるんぷるん揺れてます!)

(もう切るぞ…)

(待って下さい、それだけじゃないんです!)

(だからお前は──)

(彼女、こんがり小麦色に焼けた褐色の肌をしてますよね…?)

(それがどうした?)

(シャツの下は… つまり顔と腕以外は… 雪のように真っ白なんです! それに彼女のお尻… 大きくて形も良くてまるで真っ白な桃みたいです!)


 一瞬ユリウスの脳裏に健康的な村娘の真っ白な裸身がよぎる。


(おい、いい加減にしろ! これじゃあまるで覗きワニ行為の報告じゃないか…!)

(まるでも何も覗きの報告ですよ?)


 ユリウスは返事をせずに【念話テレパシー】を切った。


 しかししばらくの間、頭の中に白い果物たちがチラついて中々消えてくれなかった。


 まさか自分がこんな精神状態になるなんて…

2日前の自分には想像も出来なかったろう。


──────────


「え〜 メナスちゃん、わたしと同い年なの〜 信じられない!」

「そんなコト言われても… ほんとだから」


 メナスはフィオナに年齢を聞かれて、やはりもうすぐ14歳と答えた。

 それは自分も冒険者として登録するつもりだったからなのだが…


 メナスの身体は10歳前後の少女を想定して創られていた。

 彼女が起動したのが9年前なので、現在は実年齢と肉体の見た目年齢がちょうど釣り合っている時期だ。


 フィオナもメナスの事を見た目よりも大人びた言葉使いの女の子だと思っていたが、同い年というのは流石に違和感があった。


「ボクもお兄ちゃんも、昔から歳よりずっと若く見られるんですよね〜」


 フィオナの身長は150cm弱くらい。

これでも平均より低い方だ。

対してメナスのそれは140cmに届かない。

 ちょっと低すぎるが病気や遺伝的な欠陥という事もあるので、フィオナはそれ以上追及しなかった。


 フィオナも身長は少しコンプレックスだったが身体には多少の自信があった。

 老若問わず村の男性からたまに視線を向けられているのも自覚していた。


 メナスの方はと言うと全体に華奢で手脚はすらっと細く、胸は辛うじて膨らみがあるか? …と言う程度だ。

 これが本当に同い年なら神様は何て残酷なんだろうとフィオナは思った。


 もっともメナスの美しさは同性のフィオナでさえ、はっと息を飲むほどであったが…


「ねぇメナスちゃん、ほんとはあんまり立ち入っちゃいけないかもだけど…  メナスちゃんのお兄さんって…  何の病気なの?」


 フィオナは胸まで浸かる深さの辺りでひんやりした水の冷たさを楽しんでいた。

と言っても、たわわに実った少女の果実はぷかぷかと水面に浮いていたが。


 身長が低いのと実は水に浮かないのを悟られないように、水面が股下あたりの浅瀬で水遊びをしていたメナスは、無言でフィオナの方を振り向いた。


「身体の方はもう全快してるんですけど… まだ心の傷が少し…」

「そう…なんだ… そんな風には全然見えないけど…」


「やっぱり一緒にパーティー組むとなったら不安ですよね… お兄ちゃんにはボクから気が変わったと言っておきましょうか?」

「ううんっ… 全然そんなんじゃないの! ただ心配っていうか… 」


 メナスはくるくる変わる娘の表情の変化を冷静に観察していた。


「お兄さんって… 結婚は…?」

「ひょっとしてフィオナさん… ウチのお兄ちゃんに興味あります?」


 小麦色に焼けた娘の顔が真っ赤に火を吹いた。


「ちがうのっ… これはそういうんじゃなくって…」

「ただ…  村では見たコトのない知的で落ちついた雰囲気って言うか… おだやかで優しそうで… 都会の洗練された大人の魅力って言うか… それにハンサムだし…… あ〜っ何言っんだろ、わたしっ…」


 娘がパタパタと手を振り回す度にぱしゃぱしゃ水滴が跳ねる。


 メナスはフィオナの狼狽ぶりをニマニマしながらを眺めていた。


「たぶんお兄ちゃん、フィオナさんのコトめっちゃ好みのタイプですよ?」


 くねくねと身をよじっていた娘の動きがピタリと止まり、ゆっくりとメナスの方を向いた。


「ほんと……?」

「ほんとです」

「だって、わたし… あれ? ぜんぜん相手にされてないと思ってたけど……」

「お兄ちゃんずっと勉強勉強で、その後は最近まで病気で永く臥せってましたから… 女の子に対してどう接したらいいかわかんないんですよ…」

「ほんと…?」

「それと最初の質問にもどりますけど… お兄ちゃん童貞ですから」

「えっ… ほんと…?」

「たぶんフィオナさんが積極的に迫ったらカンタンに落ちると思いますよ?」

「そ、そうかな…?」


 メナスは黙って二回頷いて見せた。


「でもメナスちゃんはいいの…? その… わたしとお兄さんが… あの… どうにかなっちゃっても……?」

「むしろどんとこい! です。 お兄ちゃんには早く元気になって欲しいですから!」


「そっかぁ… なんかその… そっかぁ…」

「むしろいいんですか? あんなお兄ちゃんで…」


「まだ海の物とも山の物ともつかないし… 王都に行ったら洗練された都会の大人がうじゃうじゃいる可能性も……」


「え… あ… う…」

「その可能性は考えてなかったんだ…」


 メナスには彼女を騙している『罪悪感』はなかった。

 むしろ宮廷魔導士で一代貴族でもあるマスターの寵愛を受ければ、彼女の将来は安泰と言える。 将来必ず実現させる予定のマスターのハーレムに彼女のためにも・・・・・・・ぜひ引き入れてあげるべきだとさえ考えていたのだ。


 まるで、新興宗教の勧誘員の心境だ。


 そのハーレムに自分が入れないのは、少しだけ残念だが……


 その時、水中を高速で移動する物体がメナスの知覚センサーに反応した。


「フィオナ! 水から上がって! はやくっ!」

「えっ⁈ なに…っ⁈」


 次の瞬間フィオナの背後で水面が小山のように盛り上がった。

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