第10話 〜桃と泉とワニ(比喩)とワニ(物理)〜 後編
「きゃあぁぁぁ〜っ‼︎」
(どうしたっ⁈ メナス!)
突然響いた悲鳴にユリウスが【
(マスター、水中から突然モンスターが… おそらくワニの類いです! 大きいです!)
(何っ⁈ 大丈夫なのか⁈)
(最初の奇襲はボクのセンサーで防げましたけど… 出来るだけ何とかしようと思いますが、流石にボクが殴り殺すのを見られたら怪しまれると思うんで、はやく来てください!)
10歳くらいの全裸の幼女が巨大な鰐を素手で殴り殺す… 確かにそれはどう考えても不自然だ。
動揺している商人夫妻と目が合った。
「シンさんっ!」
「様子を見てきます!」
ユリウスは馬車を飛び降り駆け出した。
御者席の使用人たちにも声をかける。
「あんたたちはコーレさんを護ってくれ!」
「わかりました! お気を付けて!」
──────────
その【タイラント・アリゲーター】は水の底で眠っていた。
彼がこの泉に辿り着いたのはつい先日の事だった。
何故こんなところに自分がいるのか分からない。
気が付いたら見知らぬ土地に独りで放置されていたのだ。
だが彼は深く考えてはいなかった。
しばらく前から少し頭が痛く、思考に霞がかかっているような不快さがあった。
別にここがどこだろうとやる事は同じだ。
腹が減れば獲物を狩るし、敵がいたら排除する。
彼の行動原理はいたってシンプルだった。
ふと気配に目を覚ますと、泉の中にふたつの生物が侵入してきたのを感じた。
いや、ふたつ? ひとつの反応… これは生物なのか? …まぁいい。
それほど空腹ではなかったが、次の獲物がいつ来るか分からない以上生かして帰すという選択肢はなかった。
水底をゆっくりと進み獲物に接近する。
この獲物は知っている。 人間だ。
人間は時として恐るべき敵となるが、この獲物は小さい個体だし集団でもない。
何よりとても無防備に見えた。
水中に裸の下半身が揺れている。
その白い脚めがけて速度を上げた。
気付かれた!
どうやらもうひとつの『何か』が警告を発したようだ。 作戦を変更して一気に水面に頭を出す。
逃げる脚を追いかけるより威圧して無力化する事を目論んだのだ。 大概の小さな獲物は、自分がその姿を見せると抵抗する意思を失う。 水面で大きく口を開けて威嚇すると、いきなり何かが顔面を打った。
4〜50cmほどの木の枝が水面に浮いている。
どうやらこれも、もうひとつの『何か』が投げつけてきたらしい。
その隙に獲物が丘を目指して泳ぎ出した。
目標を変えてその『何か』を目指す。
いまいましい、こちらを先に沈黙させてやる。
しかし結果は意外なものだった。【タイラント・アリゲーター】は、その小さな獲物の『拳』を鼻先に喰らい、その巨体は水中を数m吹き飛ばされた。
『これ』はダメだ、勝てる気がしない。
野生の本能がそう告げていた。
水中で体制を整えると、最初の獲物がまだ陸地にたどり着いていないのが目に入った。
怒りに任せてその後ろ姿を追った。
──────────
ユリウスは走った。
馬車から泉までは5〜60mほど… すぐに茂みに到達する。
(メナスどこだっ⁈)
(マスター、ちょうどそちら側からフィオナが岸に上がります! 背後から狙われています! たぶん【タイラント・アリゲーター】! 推定体長約7m‼︎)
(なにっ⁈ 【タイラント・アリゲーター】⁈ こんなところに生息している魔物じゃないぞ…っ)
茂みを抜けた瞬間、10mほど先にフィオナの姿が見えた。
ちょうど岸に上がり立ち上がろうとしている所だった。
「フィオナ!」
「シン⁈」
(【
ユリウスの主観で時間の流れが減速する!
世界から『音』と『色』が消えた。
思考速度を一時的に急加速させたため、全てがスローモーションに感じるのだ。
この状態ならば、素人のユリウスでも剣豪の剣捌きを、目視で
副作用と言うべきか、周波数が微妙に合わなくなり、脳が音と色を認識出来なくなるのは不便と言えば不便だったが…
出来れば一切の魔法は使いたくなかった。
しかしそんな
ユリウスは走りながら地面に落ちていた手頃な布切れを拾い上げた。
ちょっと思い付いた事がある。
ほんの一瞬、シンに気付いたフィオナが何故か立ち上がるのを
その背後に【タイラント・アリゲーター】の巨体がスローモーションで迫る。
アリゲーターの腹が岸にぶつかる衝撃でフィオナは前方につんのめってしまう。
うつ伏せに転んだ彼女の背後でアリゲーターが大きく口を開けた。
その寸前、メナスが水中から勢いよく跳躍した。
普段なら視認できないほどの高速だった筈だが、今のユリウスにはメナスの狙いまではっきりとわかった。
「フィオナ! こっちだ!」
ユリウスは声の限り叫んだが、この状態では自分の声でさえほとんど聞こえない。
アリゲーターの歯がフィオナの足首に迫る瞬間、メナスが両足でその鼻先に着陸した。
ズズンッ…‼︎
大地が振動する。
あまりの衝撃にアリゲーターの巨体が一瞬宙に浮く。 水滴のひとつぶひとつぶが、ゆっくりと空中を舞いキラキラと輝いている。
その水滴を弾きながら、ゆっくりと巨大な尻尾が倒れたままのフィオナに迫る。
メナスの姿はもうない。
ユリウスはこちらに伸ばされたフィオナの片腕を掴み力の限り引き寄せる。
間一髪、彼女のいた場所を巨大な尻尾が薙ぎ払ってゆく。
渾身の攻撃を空振りしたワニがこちらに振り返った瞬間、ユリウスは手にした筒状の布を両手で構えアリゲーターの頭にすっぽりと被せてやった。
アリゲーターは顎の力は凄まじいが、実は口を開く方の筋力はとても弱いのだ。
子供の力で押さえつけても口を開けないくらいに。
巨大なワニはしばらく異物を振り払おうとめちゃくちゃに首を振っていたが、おあつらえ向きにピッタリだったのか自力では取れそうにない。
敵前で最大の武器である顎と視界を奪われた巨大鰐は泉に飛び込んで逃走を図った。
勝負はついたのだ。
ユリウスは【
世界に【音】と【色】が帰ってきた。
「大丈夫か?」
四つん這いのまま立ち上がる事の出来ないフィオナに手を差し伸べる。
少女は背後を伺い、鰐が逃げて危機が去ったのを理解したようだ。
メナスのパンチも人間離れした跳躍も、ちょうど背を向けていて全く見ていない筈だった。
「シン! シン…っ!!」
少女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらユリウスの胸にしがみついた。
「大丈夫… もう大丈夫だ… はやくここを離れよう」
「ありがとうシン… わたしもうほんとにダメかと思った… 命の恩人よっ…」
「いや、たまたま運が良かっただけさ…」
「ん、悪かったのかな?」
「あ…」
少女が小さく息を飲んだ…
ふと足元を見ると、緊張から解き放たれた少女の体から金色の液体が噴出しユリウスのズボンを濡らしていく。
もう自分の意思では止められないらしい。
少女の頬がみるみる朱に染まる。
「あぁ… いや…」
ユリウスはそれを見なかった事にした。
──────────
「どうでもいいけどはやく行こうよ… アイツ、まだ全然元気だし…」
自分の服を小脇に抱えた全裸のメナスが、全然焦ってない口調で言った。
少女を立たせる時、改めてユリウスは彼女が全裸なのを思い出した。
一瞬報告通りの見事な果実が目に入ってしまい慌てて視線をそらす。
フィオナは申し訳程度に両手で胸と股間を隠したが… 片方の乳房は全然隠せていなかった。
ユリウスの背中に貼りついて歩き出したところで、ぽつりとフィオナが言った。
「あれ… 私のシャツがない…」
「え…?」
どうやらあの布切れは… フィオナの上着だったらしい。
結局メナスに馬車まで着替えを持ってきてもらい、その間フィオナはずっとトップレスだった。
背中合わせに座りメナスを待つふたり。
「ほんとうに… ありがとう」
手持ち無沙汰からか、またフィオナが感謝を告げる。
「どうだ? 冒険者なんか、やめたくなったんじゃないか…?」
「ううん… さっきのは油断っていうか… もう冒険が始まってるなんて思ってなくて… すっぽんぽんだったし… 考えてみたら旅なんだから危険は付き物なのに、わたしったら… なんだかとても楽しくて… とっても楽しくて……」
「いまはもっと… シンと… シンたちと一緒にいたいなって…」
「そうか…」
これで諦めてくれたらと思って促したつもりが、何故か少し安堵している自分にユリウスは戸惑っていた…
──────────
「こんなところに【タイラント・アリゲーター】が⁈ ほんとうですか…っ⁈」
商人のコーレは心底驚いているようだった。
「それも最低7mはありましたよー」
「この辺りにはいない筈のモンスターですよね? 私も聞いたコトがありません」
「これはギルドにも報告するべきでしょうが… 信じてもらえないかもしれませんねぇ…」
「これなんかどうでしょう?」
メナスは一枚の巨大な鱗を取り出した。
「お前いつの間に…」
「これは… 確かに… いや、私は専門家ではないから分かりませんが…」
「お預かりしてもよろしいですか…? いや、それよりあなた方がギルドに持って行った方がよろしいでしょうな…」
「いや、私たちは追い払っただけですから… ご報告をお任せ出来たら助かります」
「そうですか、それではお預かりいたします」
「やはり噂は、ほんとうなのかも知れませんねぇ…」
「と言うと…?」
「最近辺境を中心に、魔物が増加・凶悪化していると言う例の噂ですよ」
「……」
これは何かの予兆なのだろうか…
何故だかユリウスは、妙な胸騒ぎが止まらなかった。
もしかしたら、これが
そんな事を考えていると、ふとコーレの視線が気になった。 さっきから何やらユリウスの腰のあたりをちらちらと見てくる。
「何か…?」 たまらずユリウスが尋ねてみると「早く着替えられた方がいいのでは…」
と、小さな声で囁かれた。
ユリウスが自分の腰を見下ろすと、生成りのズボンに大きな染みがついていた。
「いや、これは…」
そこまで言いかけて、すぐ側にいたフィオナと目が合った。 すぐに顔が見えないほど俯いてしまう。
「いやぁ… お恥ずかしい、目の前であんな巨大なワニなんて見たコトがなくて…」
「わかります、わかります…」
視界の端でフィオナが、はっと顔を上げるのが見えた。
コーレはゆっくりと頷いていた。
メナスも何故か親指を立てている。
それからしばらくの間、やたらフィオナがユリウスに優しかったのは、気のせいではないだろう…
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