第8話 〜シン・イグレアム~
「え〜 29歳⁈ 嘘でしょう…
演技なのか天然なのか、フィオナが目を丸くして大げさに驚く。
「ありがとうございます。 20歳は言い過ぎかと思いますけど」
実際の年齢は 39歳なので、非常に後ろめたいユリウスであった。
「そっかぁ〜 メナスちゃんのお兄さんって言うからどんな人かと思ってたけど…」
「それで、どんな人でしたかな?」
何故か商人のコーレが感想を尋ねてきた。
夫婦揃って、ニマニマと微笑みながら少女を見つめている。
フィオナはそれには答えず、何故か微かに頬を染めた。
なんだろう、今の反応は…?
「そう言えば、メナスちゃんのお兄さん… お名前は?」
今までずっと冒険者への熱い想いを夢中で語っていた少女が思い出したかのように尋ねてきた。
思わず口ごもる…
本当の名前はもちろん言えない。
自分が行方不明の三賢人の一人… ユリウス・ハインリヒ・クラプロスその人である事は…
「そう言えば、まだお伺いしておりませんでしたな」
商人夫婦が興味深げに顔を上げたのが気配でわかった。
「シン… シン・イグレアム… です」
「シンさん… 変わったお名前ね」
「出身はどちらですかな?」
「ただいまー」
その時、ちょうど何食わぬ顔でメナスが焚き火の輪に戻ってきた。
この華奢でまだあどけない10歳ほどの幼女が、たった今丘を疾風の如く駆け上がり、四人の屈強な冒険者たちを一撃のもとに沈めてきたなど誰が思うだろう。
「大丈夫だった? メナスちゃん」
「はい、緊張して中々出なかったけど…」
商人夫妻とフィオナが声を出して笑った。
「わたしもちょっと、お花を摘みに行きたくなっちゃったな」
そう言うとフィオナは立ち上がり、メナスとはまた違う茂みに姿を消した。
(マスター、無事に完了しました)
(よくやった。 殺してないな?)
(はい、一応生体反応も確認してきました。 朝までには全員目が覚めるかと思います)
(ところで… 何です、シン・イグレアムって…?)
(たった今決めたオレの偽名だ。 ただの
(そうですか… うん、いいんじゃない いいと思いますよ…?)
(お前、ホントは少しも思ってないだろ?)
(そんなコトないですよ… あ、それでいくとボクの名前は、メナス・イグレアムってコトになるんですかね?)
(そうか… そうなるのか…)
(うん… メナス・イグレアム……)
少女は心の中で噛みしめるように呟いた。
──────────
結局一同はそこで夜を明かし、日の出前に出立する事になった。
今頃追い剥ぎの夢でも見ているであろう冒険者たちも少し気になったが、念のためメナスが武器と馬車を全て破壊しておいたのでまず問題はないだろう。
商人夫妻は荷台で就寝した。
ユリウスとメナスも誘われたが、丁寧に辞退して丘の斜面の草原に横になって寝る事にした。
そうすれば、もし奴らが目を覚ましても迅速に対処出来る。
見上げた空には満天の星空が広がっていた。
思えばユリウスと三賢人のひとり、大司教ウィリアム・グレゴールが親しくなったきっかけも、天文学という共通の趣味があったからだ。
星の話をしている時のウィリアムはまるで少年のようだった。
よく手入れをされているウィリアム自慢の天体望遠鏡。
夜を明かして語り合った時はいつも彼が入れてくれた熱いミルクティー。
今はもう還らない、かけがえのない時間たち…
「シン… わたしもここ、いい?」
足元に目を向けると、冒険者志願の村娘フィオナが立っていた。
「シンさん」と呼ばれて少しむず痒かったので「シンでいい」と言ったのだが、これはこれで説明しづらい居心地の悪さがある。
外套は脱いで農民娘の一般的な普段着、厚手の布地の半袖シャツとズボンと言う姿になっていた。
下から見上げているためか、あどけない顔には不釣り合いなほど胸元のふくらみが際立っている。
返事を待たずフィオナは、少し
まるで親子のように三人は川の字を描いている。
「月がきれいですね」
「…… そうですね」
「楽しいですね、こういうの」
「……」
「まるでキャンプみたい」
「……そうですね」
ユリウスはどうしていいか分からず適当に相槌を打っていた。
しばらくの沈黙の後、娘は唐突に言った。
「シンに会えて本当に良かった」
「え…?」
暗闇の中でメナスが反応したのをユリウスも感じた。
「わたし… 実は今までほとんど村から出たコトなくって…」
「わたし本当はすごく… すっごく不安だったんです」
「だから、シンに会えて… シンさんたちに会えて、一緒に冒険者ギルドに登録に行けて本当に嬉しいんです!」
一度もいいと言った覚えはなかったが、既にすっかり断り辛い雰囲気になってしまっていた。
この状態で別々にギルドに行こうとは、もはや中々言えるものではないだろう。
「こうなったらもう、一緒にパーティー組みませんか⁈ 組みましょうよっ!」
何がこうなったらだか分からないが、ここで無下に断るのも不自然な気がする。
「そうですね… 無事試験に合格して適正審査でお互いパーティーバランスの良い職業だったらお願いしますね…」
「はいっ‼︎」
暗闇の中でも大輪のヒマワリのような少女の笑顔が容易に想像出来た。
それは何故だかユリウスの胸を暖め、また彼を戸惑わせた。
「そう言えばさっきお花を摘みに行った時、ヒマワリが咲いてたの…」
「ヒマワリですか…?」
ユリウスは驚いた。 心を読まれたかと思ったのだ。
「わたし、ヒマワリ大好き… 大きくて野生的で、それでいて太陽みたいに明るくて…」
「そうですね…」
だからこの娘も、ヒマワリのようなのだろうか…
そんな事をユリウスは考えていた。
しばらくするとメナスの横から、村娘のすうすうと言う寝息が聞こえ始めた。
(マスター、起きてますか?)
(起きてるぞ、なんだ?)
すぐ隣のメナスが、わざわざ【
(マスター、この娘… 中々いいんじゃないですかね?)
(ん、何のことだ?)
(健康的だし性格も明るくて素直そうですし、ボクほどではないけど可愛い顔してますし…)
(……)
(この娘、たぶんマスターに気がありますよ。 マスターがその気になれば、すぐにも童貞卒業させてくれるんじゃないですか?)
(おまっ… どこでそれを… いや、どこでそんな知識仕入れてくるんだ⁈)
(マスターがずっと腑抜けてた7年と言う歳月を舐めないで下さい… 隠れ家の書庫にあった本という本はほとんど読破しましたからね…)
(お前、そんなコトしてたのか)
(それこそ、マスター秘蔵のカストリ雑誌や頭の悪そうなパルプ・フィクションまで…)
(…⁈)
(あの娘は童顔で胸もお尻も大きくて、それこそマスターの好み『どストライク』じゃないですか!)
(……っ⁈)
(ボクはマスターの意識してない女の子の好みのタイプや、隠したい性癖まで熟知しているつもりですよ? ふふふふふ)
(いや、あれはな… 一般的知識として世俗の大衆娯楽も網羅しておこうと…)
(はいはい、わかってますって… ボクには気を使わなくていいんです、所詮ただの【
そんな寂しいコト言うなよ…
ユリウスは心の中でそう思ったが、念話でメナスに伝わったのかは自分でも分からなかった。
(とにかくボクは、マスターに女の子といちゃいちゃしてもらって『心の安定』を取り戻して欲しいんです)
(…… そんなコト言ったってなぁ…)
(たぶんこの娘は… 生まれて初めて、しかも独りで村を離れて不安だらけのところに現れた同じ冒険者志願のオレたちに『共感』しようとしているだけなんだろう…)
(それだっていいじゃないですか… ボクに言わせれば『恋』なんてみんな『錯覚』みたいなもんですよ?)
(お前なぁ…)
(そうそう… マスターが童貞なのは、ウィリアムとミュラーに教えてもらいました)
(あんのジジイどもぉぉ…………っ)
懐かしい恩師にして友人たちの面影が… 舌を出して笑っている姿が夜空に浮かんだ。
──────────
翌朝東の空が明るくなる頃に予定通り一同は出立した。
荷台の向かい合う長椅子の片側に商人夫妻、もう片側にユリウスを真ん中に左右の窓際をメナスとはフィオナが座ってた。
朝食は商人のコーレが仕入れたばかりの肉と野菜とパンを提供してくれたので、ちょっとしたご馳走だった。
デザートにはとっておきのドライフルーツまで振舞ってくれた。
ふたりの女の子は甘い乾燥果物がいたくお気に入りのようだった。
すっかり馴染んだフィオナが、何故かちょいちょいユリウスにひっついてくる気もするが気のせいかも知れない。
「どれくらいで王都に到着する予定ですか?」
何となく手持ち無沙汰でユリウスが商人のコーレに尋ねた。
「そうですね、このまま予定通りなら明日の昼頃には。 夜通し休まず走れば明け方も可能でしょうが、それでは馬が参ってしまうでしょうね…」
「そうですか」
本当は王都までに寄ろうと思えば寄れる村や町もあるそうだ。
予定通りとは言えこちらの都合で
別に急ぐ旅ではない。 そもそも急ぎなら【
だから馬車が揺れる度に視界の端で揺れるたわわな果実や… それが結構な頻度で肩や腕に押し付けられる事にも我慢しなければならない。
午前中は何事もなく予定の距離を進んだ。
そろそろあの冒険者たちも目を覚ました頃だろう。
彼らがこの後どうするのかは正直見当もつかないが、再び彼らを雇うのはやめた方がいいと、この人の良い商人には釘を刺しておかねばなるまい…
そうユリウスが考えていると、そのコーレが口を開いた。
「そろそろ休憩にしましましょうか?」
「馬車を止めて… ですか?」
「実は少し脇に入ったところに秘密の湧き水があるんですよ。 水を補給していきましょう」
「何でしたら水浴びも出来ますよ」
商人の婦人が、ふたりの女の子に向かって微笑んだ。
「ほんと、わたし汗を流した〜い!」
フィオナが真っ先に食いついてきた。
「メナスちゃんも入るよね?」
身を屈めてユリウス越しにメナスの方を伺うと、ちょうどユリウスの位置から娘の胸の谷間が覗いた。
すぐに目を逸らしてメナスの方を向くと、冷たい視線のメナスと目が合う。
「うんボクも入りたいな… わーい」
チタニウム・ゴーレムの幼女は、ユリウスから目を逸らさず無表情のままそう言った。
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